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深い森の彼方に 改訂版  作者: とも
10/24

-10-

「何で背景かっていうと、あの人たちが話していることは自分に関することだけで、この国とか社会とかみんなに共通の情報を提供できないからよ。企業や国や学校、みんなに共通の世の中のしくみの一部でしょ。あの人たちはそれを口に出せないの。」

「口に出せないって・・・ なんで? あの人たちはそういうしくみことが何もわからないっていうこと?」

「あの人たちには、わからないっていうより、そういう社会のしくみそのもの存在しないっていうことだと思う。あの人たちを中心とした背景は、私たちが日頃接する必要のない社会のしくみまで完璧に構築された背景じゃないっていうことじゃないかしら。クレープ屋さんもなくなっちゃったんでしょ。あの人たちだけが背景っていうわけじゃなくて、あの人たちが存在する街の風景っていうのか、あの人たちを含むここのほんの小さなこの町が社会がすべてで、それが背景っていうことなんでしょうね。」

「そのほんの小さな社会を取り巻くずっと大きな社会については、背景が用意されていないということね。本当に存在する現実の社会っていうものは、ほんの小さな町の出来事でもその背後には大きな国や世界や悠久の歴史も背景にあるからね。フィクションの世界のように、その出来事の周囲はきちんと背景として描くけど、そのまたずっと背後の世界や歴史まで完璧に構築することなんてできないからね。」

「そう、だから構築されている背景以上の世の中のことなんて話せないのよ。それにアドリブで答えることもできない。ここはどこ?って聞けば、誰もが同じ答えをしなきゃならないのにアドリブではそれができない。適当に答えたら背景同士が矛盾してしまう。だから答えられなくて、それをしつこく問われると消滅せざるを得ないっていうことかしら。」

「服のサイズとかは、自分だけのことだから背景同士の口裏合わせはいらないっていうことか。だから、背景は平気で好きなように言える。だから消滅しない。」

「プライベートなことをしつこく聞いて消滅したのではなくて、背景の背後にある社会のしくみにまで踏み込んで聞いたので消滅してしまったっていうことよ。」

「あの人たちに触れることができなかったっていうことは、彼女たちが単なる背景であって実態のある人間じゃないから触れることができなかったっていうことかしら。でも、そうしたらこのコーヒーショップだって背景でしょ? でもちゃんとテーブルは触れるしコーヒーも飲めるし・・・」

「ということは、この世界はフィクションていうこと? じゃあ、私たちは一体何なの? 何で私たちのような具体的な生身の人間がここにいるの? それがわからない。」

「そうなの。この世界のしくみはだんだんわかってきたんだけど、何で私たちがいるのかっていうことが疑問。でも、自分が実態だということは真実だし、周囲がフィクションということは、私たちがフィクションの世界の主人公ということになるんじゃないかと。」

「どういう世界の主人公なの? 私たちだけが実態ということは、私たちの想像の世界ということ?」

「そう、何となくそう感じる。自分たちの想念が実態化したんじゃないかと。でも、何で自分以外にあなたを認識できるの? なんで私たち二人っきりなの? 」

「いや二人だけじゃない。もう一人・・・」

「その人が鍵をにぎっているんじゃないの?」

「あのリーダーね。」

「リーダーを調べてみない?」

「何を?」

「とりあえず、あのリーダーが働いている場所やどこに住んでいるのか調べるのよ。」

「どうやって?」

「私たちリーダーに会うでしょ。しょっちゅうじゃないけど思わぬ時に突然。」

「そうね、だけど長いこと会わないってこともない。でも私たちが二人でいるときには絶対現われない・・・」

「そうよ、私たち、ちょっと離れていかにも一人ですって感じで町の中を歩いてみたらどうかしら。そして、私たちのどちらかにリーダーが接触してくるんじゃないかしら。それを見ていたほうがリーダーを追いかけるの。そしてどこにいるのか突き止める。」

「そんなにうまくいくのかしら。」

「まあ、とにかくやってみましょう。」

私たちは店を出ると分かれた。20~30mくらい離れて、なおかつお互いに姿を見失わないように町を歩いた。私がブティックに立ち寄ると彼女は向かいのコンビニで雑誌を眺めた。彼女がドラッグストアで化粧品を眺めていると、私は向かいのタバコ屋の前のベンチでしばらく様子をうかがった。公園で離れた場所に腰をおろした。でもリーダーは現われなかった。

翌日も長身の娘とコーヒーショップで打ち合わせたあと、同じように離れて町を歩いた。やはりリーダーは現われなかった。

「全然現れないじゃない。」

「私たちがこうして行動してるってことお見通しなのかしら。」

「ひょっとしたらそうなのかもしれないけど・・・」

「明日もしてみる?」

「どうせ、仕事もなくなっちゃたしね。」

「じゃあ、今日と同じ時間に。」

彼女と別れた。地下街に降りたが特に寄るところもないので、地上に出て公園を横切って家に向かおうとぶらぶらと歩いていたときだった。

「元気かい?顔色がよくなったね。」

リーダーだった。

「こんにちは、あの・・・」

言葉が出なかった。何でこんなところで急に会ったのかというより、この前別れたとき感じた「抱かれたい」という意識が急に頭の中に溢れてきてしまって、思わず赤面してしまった。

「どうしたんだ。急にもじもじして。」

今まで彼女と色々話していた疑問をぶつけようと思ったが、薄化粧をした美しいリーダーの顔を見るとどうしてもリーダーに対する意識が湧き出してきて言葉が出せなかった。

「ちょっとそこのベンチで休んでいこうか。」

リーダーに促されて公園の噴水前にあるベンチに並んで座った。本来であればカップルが愛を語るのに最も相応しいような場所だったが、女性しかいないこの世界では、女性一人で、あるいは女性同士で何組かが腰をおろしていた。

袖が触れ合うばかりのスレスレの位置関係で、なおかつリーダーの体の温もりが微かに伝わってくるような微妙な距離で、もちろんリーダーの顔を正視できない状態の私はリーダーの黒のタイトスカートに包まれた太ももをじっと見つめていることしかできなかった。

「最近、お友達ができたようだね。」

「ご存知なんですか。」

「お前らのことは全てわかっている。今日も、色々相談してたようだね。」

「見ていらしたんですか?」

「見ているとか見ていないとかは関係ないな。どんなことをお前らは調べようとしていたんだ?」

「ええ、あの、この町のことを・・・」

「だいたい、調べがついたのかい。」

「いえ、まだなかなかわからなくて。」

「まだ、他に調べることがあるのかい。」

「ええ、いろいろと。」

「そうか、色んな人たちとか、調べることは多いからな。」

「はい。」

「なるほど、で、あの友達のことは調べたのかい?」

「え・・・」

「何ていう娘なんだい?」

突然我に返った。よく考えるとあの長身の娘は、長身の娘であって名前を知らなかった。彼女も名乗らず私も名乗っていない。お互いに呼びかけるのに名前を使っていない。そもそも呼びかけることすらしていないではないか。

名乗るどころか自分の名前はどうすればいいのか。今は女なんだから女の名前を用意しておくべきだったのか。あの深い森の向こう側で男だったころの名前はあったけど、名のほうはともかく苗字くらい仮に使っていてもいいのかもしれない。じゃあ、その苗字は・・・ 思い出せない。向こうの世界で男だったときの自分の名前は・・・ 記憶からすっかり消え去っていた。

「お前らは、少しだけこの世界のことを掴み始めたみたいだけど、まだまだだな。」

「あの、私はいったい・・・」

リーダーは立ち上がると私の肩に手をおき、

「あまり無理をしないことだ。せっかく女になったのに。」

リーダーは向こうを向くと去っていった。

私はリーダーの後姿、括れたウェストと豊満なヒップ、タイトスカートから伸びる美しい足に見とれていた。頭の中で疑問に感じたり色々考えていたことは、リーダーの姿をみるとすっかり思考停止に陥ってしまい、頭の中はリーダーのことで一杯になってきて、股間がまた潤ってきたのだった。


家に帰り着いて、シャワーを浴びて少し冷静になったところでもう一度振り返ってみた。

私、長身の娘、リーダー、誰もが「代名詞」か「普通名詞」であって、「固有名詞」ではなかった。たぶん背景と思われる、あの宿舎にいた厚化粧の女や奇声の老婆、かのオフィスにいた上司やネイルの女、誰も「姓名」を知らなかった。名前らしきもので呼び合っているのも聞かなかった。すなわち「固有名詞」がわかっている人が自分も含めて全くいなかった。

それは人名だけでなかった。あの最初に掃除婦として雇われた学校も、そしてOLとして通っていて消滅してしまったあの会社も、そして長身の彼女といつも会っているあのコーヒーショップも、何という名称なのかさえわからなかった。

もちろん、この国の名前、県名、町名、一切わからなかった。通りも地下街も公園も一切何という名称なのかわからなかった。この世界に「固有名詞」というものが存在していないのだろうか。

身の回りのものを見てみた。冷凍食品の包装を、お菓子の袋を、ストーブの銘盤を、服のタグを、かたっぱしから固有名詞が書かれているはずのものを調べた。ハンバーグであり、クッキーであり、温風ファンヒーターであり、ウール製のセーターであったが、商品名や製造社名、販売社名は一切書かれていなかった。あわてて、コンビにのレシートを探し出した。パン、缶コーヒー、ストッキング・・・品名は書かれている。店名も販売員の名はなかった。

それはなぜ?

先日、長身の彼女と話し合った「この社会のしくみが存在していない」ためなのか?

あらゆる人たちや町の風景が単なる背景だから?

じゃあ、なぜ触れても消えることがない自分自身や長身の娘やリーダーまで名前がわからないのか? 背景でない人たちまで名前がないのか?

必死になって深い森の向こう側の世界で男だった時のことを思い出そうとした。住んでいた場所、働いていた会社、町の様子、全て思い浮かべることができた。じゃあ、何ていう町だったの、何ていう会社だったの、全くわからなくなっていた。

両親や親しかった人たちの顔も思い出すことはできた。でも名前はわからなかった。一度、城郭から放り出されて森を抜け出した時のことも思い返した。たしかに、町の雰囲気はわかったが、地名や社名や駅名はわからなかったし、具体的に自分のいた場所に行こうとしてもできなかった。

具体的な「モノ」「場所」が特定できなかった。そして、どうしても自分の名前も思い出せなかった。


翌日いつものコーヒーショップに行った。

背景とわかっている店員とは普通に会話ができた。でも、お互いに「名前がわからない」長身の娘とどう接していいのか不安だった。お互いに生身の体は存在しているけど、架空の存在ではないのか。架空の人にどういうふうに話をしたらいいのか。会いたくてたまらないこの世界で唯一の友人なのに、会うのが怖かった。いや、本当にこれからも会うことができるのだろうか。

「よかった、会えて・・・」

私は長身の彼女の姿をコーヒーショップの入口に見つけたとき、深くにも涙が溢れた。

「どうしたの? 突然泣き出して、いったい何があったの?」

「会えて、よかった・・・ほんとに。もう会えないかと思った。」

「いったいどうしたのよ。昨日の夕方別れたばかりじゃない。何があったか、順を追って話してみて。」

「昨日、あなたと別れたあとリーダーにあって・・・」

「えっ、何だって? リーダーに会ったの?」

「そう、あの公園で。」

「いつごろ? 1時間くらいしてから?」

「たぶん、10分くらいしかたってないと思う。」

「うそ、ほんとに?」

「ほんとよ、何で?」

「実は私も会ったの。デパートの前で、それもやっぱり10分後くらい。」

「まさか、公園とデパートって全然別の方角じゃない。で、何を話したの?」

「仕事のこととか、これからの予定とか・・・」

「私の話は出なかった?」

「ううん、なかった。」

「実は私、リーダーからあなたのこと聞かれたの。友達ができたんだねって。そしてその友達なんていうんだいって聞かれたの。」

「なんて答えたの?」

「答えられなかった。あなたのこと何もしらないから。あなたがなんていう人なのかもわからないの。そしたら、自分のことも何もわからないってこと気付いたの。何でなの?」

「あなたも気づいていたのね。」

「わかってたの?」

「そう、でも怖くて言えなかった。」

「自分のことも分からないってこと?」

「そう、私もわからないの。自分が何ていう名前なのかも。ただ、向こうの世界にいたときの記憶はあるのよ。私も向こうでは男だったんだけど、でもどこで何をしていたのか具体的な記憶が全然ないの。」

「よかった。私と同じで。昨日初めて気が付いたの。何も具体的なことがわからないってことが、私のこともあなたのことも、この町のことも、昔あの森の向こうの世界で男だったときのことも、全然。」

「で、リーダーは何て言ってたの?」

「この世界のこと分かりかけたみたいだなって、でもまだまだだ、無理するなって。」

「やっぱりリーダーは分かってるのね。」

「たぶんね。じゃあ、どうする? リーダーのこと探る?」

「無理みたいね。リーダーは私たちのことすべてお見通しなんじゃないかしら。」

「それに、ひょっとしたらリーダーというのがほんとに生身の人間なのかどうかも・・・」

「なんで?」

「だって、昨日ほとんど同じ時間に公園とデパートの前と、全く同じ時刻に別の場所にいるなんて。」

「そうね。でも、リーダーのことわからないと私たち自分のこともわからない。」


長身の娘に昨日の事実をすべて話して、自分と彼女が同じ状況にあるということがわかり少しほっとした。なぜこういう状態になっているかということは全く分からなかったが、少なくとも自分ひとりではないといことでかなり気分は楽になった。

でも、彼女に告白していないことが一つあった。リーダーに会うたびに、リーダーの姿、仕草、言葉、すべてに気持ちが行ってしまうということだ。リーダーに会うたびに心がときめいた。いや、ときめくなんて生易しい状況じゃなかった。リーダー以外のことはすべて脳内から遠のき、自分のすべてがリーダーに覆われてしまっていくようだった。体はすべてがリーダーに反応した。目も耳もそして股間の女の大事なところもリーダーに反応した。私は女になったんじゃないのか? 女になって、女のリーダーにこんな反応を示すのか。自分でも理解できなかった。

確かに私を女にしてくれたのは(性的な意味ではなくて)リーダーだった。いきなり切断されたのも、女になる手術をされたのも、だからリーダーに惹かれるのか?

リーダーの、体型を強調するようなダークスーツ、スーツの下に隠れた大きいわけではないが形の整ったバスト、丸いふくよかでかつ引き締まったヒップを包むスカートの裾からすらりと伸びた形のよい脚、そんなに濃いわけではないけど決して他人に素肌を見せることを拒絶したようなメイクを施した顔、すべてが私のとりこだった。

私はリーダーに抱かれたかった。でもリーダーも私も女。


私は、何をしていいかわからなくなっていた。

どうもこの世界のすべては私たち(私と長身の娘とリーダーとその他何人か・・・)が存在するための単なる背景でしかないということがわかった。何も具体的な「名称」が存在しないということも、元々具体的に存在しないものだからないのではないか、ということもおぼろげながらわかってきた。じゃあ、私たちは何でここにいるの? なぜここに来たの? 疑問だらけだった。

することもなくなっていた。学校での掃除婦、地下街のトイレ清掃、あの悲惨な宿舎、意地悪女だらけのオフィス、すべてが私たちの背景らしいということが分かった。そしてそういうことがおぼろげながら分かり始めた。

長身の彼女と例のコーヒーショップでおしゃべりをする以外することがなくなった。本来であれば生活するための経済基盤がしっかりしていなくてはならないはずだが、今のところ食べるのにこまるようなことはなかった。あのOLからいじめられていた不可解な会社から、あの程度の仕事にもかかわらずきちんと給与として支給されて、まだ財布の中に残っていたからだ。しかし、あの会社が消滅してしまえば、さすがに給与もなくなるだろう。自由にしていられるのもほんのわずかな期間だけだ。

原点に戻ってみようと思った。あの城郭に行ってみるのだ。長身の彼女も言っていた。深い森を通り抜けてから、城郭のようなところからこの世界に入ったと。その前に長身の娘が会ったという元男の女性も森のようなところを通ってこの世界にきたらしい。ということは、単なる背景ではないようだった。無限に続くように思われる森はともかくとして、「城郭」だったらこの世界の一部だし何かつかめるのではないかと思った。

今までは兵士に担ぎ込まれたり、突き落とされたり、監禁されていたりしていて、どんな施設なのかもよく見ていなかった。

自分ひとりでもいいから、明日は城郭をじっくり調べてみようと思った。





ここまでは旧作(H30年9月中旬削除予定)と同じです。

若干の修正と追加で8話から10話に増えてしまいました。

今週から、新たに書いた続きを掲載します。

よろしくお願いします。


ちなみに削除箇所はありません。

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