文化祭当日編
秋晴れの広がる九月の中頃。
ついに文化祭の日がやってきた。
二人ともクラスの出し物には全くと言って良いほど関わっていない為、クラスでの仕事は午前中に少し客寄せをした程度で終わった。美波に至っては衣装も食品も何でとは言わないがすぐ赤く染めてしまった為、客寄せ以外は何もしないでとクラスメイトに懇願されてしまったと少し落ち込んでいた。
だが、今日はお祭り。先日の暗い顔は何処へやら。二人とも楽しむ気満々だった。
「ぶーんーかーさーい……だー」
「分かったから落ち着け。お前、ちょっと前までは展示できなくなって落ち込んでた癖に今日はやたらとハイテンションだな」
最近は空元気を出していた美波だったが、どうやらお祭りの雰囲気に当てられてすっかりいつも通りのハイテンションに戻っていた。むしろ、いつもよりうるさいくらいだ。その一方で、花咲の方はだんだん静かになっていった。
「だって、せっかくのお祭りだよ? 楽しまなきゃそんそん!」
「はいはい。それで? どこ行くんだ? 金なら姉貴から貰ったからあるぞ」
「えーっとね、取り敢えず食べ物は全部食べたい。あとは、お化け屋敷行きたい!」
「良いよ……。付き合ってやる」
「わーい」
美波はまるで幼稚園児かと思うくらいのはしゃぎようだった。二人でぶらぶら歩いているだけにもかかわらず、美波の方は今にもスキップをし始めそうなほどはたから見ただけでも手に取るように感情がわかった。そして、そんな美波はある一つの屋台を見つけた。
「あ! 和泉くん和泉くん。これ食べたい」
「これか? ロシアンたこ焼きて……」
「いらっしゃーい」
運動部だろうか。かなり体躯のいい男子生徒がいかにもという格好でたこ焼きを焼いていた。そして、遠くまで響く程の大きな声と眩しいほどの笑顔を見せた。
「ジャンボロシアンたこ焼き1つ!」
「はいよ」
「これ、一個何入ってるの?」
「大量の生姜だ。熱いから気をつけてな」
見た目と相反して丁寧な接客ぶりに花咲は感心した。側で幼稚園児のようにはしゃぐ美波といるためなおさらそう感じたのだろう。
「ほぇー。って、あちっ」
「ほらみろ、落ち着いて食えっていつも言ってるだろ。あ、これ二百円」
「まいど」
「うぅ……。あ、そだ。和泉くん、あーん」
「はぁ?」
花咲が会計を済ませていると、目の前には突き出されたたこ焼きと満面の笑みを浮かべた美波がいた。何も知らない人間が見ればどこからどう見ても初々しい恋人同士に見えなくもない。屋台主も例外ではなくそう感じたらしい。
「おいおい、いちゃつくなら店の前じゃないとこでしてくれ」
「いちゃいちゃなんてしてないよ。和泉くんと付き合ってるわけじゃないしどっちかと言うとしもべだよ!」
「何言ってんだ?お前は。散々俺に世話になっておいてよくもまぁそんなこと言えるな」
「和泉くんのいじわるぅー」
美波と花咲は今いる場所が外であるということを忘れていつものような言い合いを始めた。そのせいで一つ二つと次第に目線が集まっていった。
「夫婦喧嘩もよそでやってくれ。ギャラリーが増えてしゃあねぇ」
「……ほら、行くぞ」
花咲は屋台主に言われ、やっと今おかれている状況を理解した。そして、花咲は美波の腕を引っ張り慌てて屋台の前から離れ、落ち着いてたこ焼きを食べられる場所に移動した。美波の方はというと相変わらずぽやんとしている。
「で? 次どこ行くんだ?」
「お化け屋敷行きたい」
「ん。じゃあ、それさっさと食え」
「んー」
先ほどまで熱いと文句を言いながらもリスのように頬を膨らませ、頬張っていた美波だったが、最後の一個を残してジッとたこ焼きを見つめていた。
「如何したんだ?」
「6個入りで5個食べて大量の生姜入り出なかったの」
「つまり……」
「和泉くん、あーん」
「いや、巫山戯るなよ。責任持ってお前が食え」
美波の強運が働いたのか、残った一つがまさかの大量の生姜入りたこ焼きだった。しかも、その生姜入りたこ焼きを自分ではなく花咲の口の中に入れようとしたが、当然必死になって拒んでいた。
「えー」
「えーじゃない」
「うぅぅ。あ、和泉くん」
「ん?」
「京都の刀匠のあのなんとやら吉光っていたじゃない。あのなんとやらの部分って何が入ったっけ?」
ここで古都宮は知恵を使った。口をそこそこ開けて発音しなければならない「あ」から始まる単語を言わせれば良いと。
「は?あわ……。ぐえぇぇぇ」
「やった。入った」
「テメェ、いきなり口に放り込むんじゃねぇぇぇぇ。って、辛っ」
「ごめんごめん。はい、お水」
まさか花咲がこんなにむせ込んでしまうとは思っていなかった美波は、とりあえず最初に買っておいた水を差し出した。花咲はそれを受け取ると凄いスピードで水を口に含んだ。
「クソッ。それで? どうせ粟田口吉光のことは分かってたんだろ?」
「うん」
「はぁ……。今度博物館行く時お前持ちな」
花咲は、いつもとは比にならないほど淡々と言った。それに美波はいつも以上の動揺っぷりを見せた。
「えっ? うそ。私お金ないのに!」
「冗談だよ」
面白いものを見たと言わんばかりの表情で花咲は冗談だと言い放った。当の美波はというと心底安堵しきった表情だった。
「良かったぁ……。あ、次あれ行こ。二-五でやってたお化け屋敷!」
「はいはい……」
花咲の顔はさっきの顔とは打って変わってだんだんと曇っていった。だが、美波はそんな花咲の様子に気づくことなくお化け屋敷まで手を引いた。
「おっばけやっしき〜」
「え? これ文化祭のレベルか?」
「何言ってるの。文化祭だよ」
「いや、でも本格的すぎじゃ……」
「うだうだ言ってないで行こうよ〜。二人で二百円だって。ふっふっふ。ここは私が払ってあげよう。では、しゅっぱーつ」
美波は得意げな表情でかえるのがま口財布から二百円を出した。
お化け屋敷の内容としてはこうだ。まず、受付で札を貰い、ゴール直前にある棚に置いてくるという至ってシンプルなものだった。
そして、運良く空いていたためすぐにお化け屋敷の中へと入っていった。
「ねぇ、見て見て。あのぬいぐるみ可愛い! どこに売ってるんだろ」
「……」
「あ、ほら人がいる! 動くんだね。暗くてよく見えないのが残念だなぁ……」
「……」
「あ、ここにお札おけば良いんだね」
「うがぁぁぁぁ」
「おぉ! 最後の最後で驚かすやつだね。良いね。ぐっじょぶ。あ、出口そこか」
「……」
「はぁ。楽しかった。……ねぇ。和泉くんずっと静かだったけど、どしたの?」
ここでようやく美波は花咲の異変に気がついた。
心なしか花咲が少し震えているように見える。
「……せぇ」
「ん?」
「うるっせぇな! なんだよ! お化け屋敷怖くて悪いかよ! たかだか文化祭レベルだから大丈夫だと思ったんだよ! やめろ!そんな楽しそうな目で見るな!」
「和泉くん……かわいい」
花咲は、全てを誤魔化すように喚いた。ただ、そんな花咲を見る美波は一段とキラキラ輝いていた。そして、今までで一番顔がにやけていた。
「かわいい言うなぁぁぁ!」
「かわいいものはかわいい。うちにあるかえるさんぬいぐるみくらいかわいい」
「かえるのぬいぐるみと同レベルかよ……」
そんな美波に花咲は無駄だと分かっていながら、自分自身に向かられた可愛いという言葉を否定した。しかも、かえるのぬいぐるみくらい可愛いというよく分からない例えをされた花咲はもはや諦めモードに入った。
「あ」
「なんだよ」
「女装ミスコンのエントリー……」
「は? お前女だろ?」
あ。などと唐突に声をあげた美波に花咲は何事かと話を聞いてしまった。花咲は後日、このとき聞かなければよかったと語った。
「和泉くんの名前で出しちゃった……。てへぺろ?」
「なーにーが、てへぺろだ! 許可なしに出してんじゃねぇ! 誰が出るか!」
「えー。だって実行委員の子が誰もエントリーしてないって嘆いてたんだもん」
美波は、まるで捨て犬のような目で花咲に訴えかけた。これに花咲は冷静に応答した。
「つまり、俺しかエントリーしてないことになってると?」
「せーかーい」
「……衣装は?」
「ここに」
美波は、待ってましたと言わんばかりに素早く衣装を持ち出した。今までスルーし続けていた大荷物の中身はどうやらこれだったらしい。
「なんだよこれ。……セーラー服?にしては見覚えが……」
「私の!」
「はぁぁぁぁぁ? お前の着ろと?」
「タイツもあるよ!」
「ったく……。しょーがねぇなぁ。……なんてなるかぁぁぁぁ」
今まで美波のボケっぷりに散々付き合わされてきた花咲はノリツッコミのスキルを習得していたようだ。もはやお家芸と言っていいほど綺麗にツッコミを入れた。
「冗談だよ。新品新品。新調したやつだからまだ袖通してないよ! それに、和泉くん細いしなんとか入るよ!」
「そんな問題じゃねぇよ。どっちにしろお前のじゃねぇか」
「大丈夫だから。ほら、はい。着て。和泉くんなら優勝間違いなしだよ!」
その後、無理やり美波に丸め込まれてしまった花咲の女装姿は、男女ともに好評を得た。そして、花咲の女装姿は年々語り継がれるほどの伝説となった……。
「散々な目に遭った……」
「なかなかにかわいかったよ。ぐっじょぶ」
「なにがぐっじょぶだ
「あ、ちなみに女装ミスコン今年で廃止だって」
被害者、花咲氏に思わぬ言葉がかけられた。まさか己の男としてのプライドを捨ててまで出場した女装ミスコンが今年で廃止になってしまったとは。だが、美波の前で情けない姿を見せまいと平静を装った。
「だろうな。人いねぇし」
「違う違う。逆だよ」
「逆?」
「和泉くんに影響されて来年分のエントリー者数が殺到しすぎて中止だって」
「意味わかんねぇ……」
これには花咲も素で驚いた。人がいなさすぎて廃止になると思ったミスコンがまさか逆の理由で廃止になるとは。
「和泉くん人気者だねぇ。……ちょっと寂しいかな」
「何がだ?」
「だって、和泉くんが取られちゃう気がして……」
「だいたい誰のもんでもねぇよ。まぁ、お前なら……」
花咲は、少なからず想いを寄せていた古都宮の口からそのような嫉妬まがいの言葉が出て来るとは思っていなかった。だが、ここで引いてはもうチャンスはないと思い、思い切って想いを伝えようか、そう思った。
「……和泉くんが。……和泉くんが取られちゃったら。……私。宿題とおやつどうすれば良いの!」
「そっちかー」
しかし、花咲の考えは後に続いた美波の言葉によって見事なまでに玉砕されてしまった。もう花咲には怒る気力も感情を起伏させる気力も残っていなかった。
「和泉くんいないと数学の寒い冬の日に降り積もった雪のような白さと冷たさを備えた宿題どうすれば良いの……。あんな極悪非道な……。数学が得意な和泉くんだけが最後の砦、希望なんだよ!」
「はぁ。お前は変わんねぇな」
「ん? そう?」
「あぁ。全然ブレてない。腹たつくらいに」
花咲は諦めたような口調でこう言った。寧ろ、この美波を相手にして一度でも諦めずに対応するのは無謀であると花咲は感じた。当の美波の方はというと、イマイチ状況判断ができていないようであった。
「え? なんで?」
「ほら、もうすぐ祭りも終わりだ」
「うん……。和泉くん大好き。ずっとお友達でいてね」
「はいはい」
「はいは一回だよ」
文化祭という特別なイベントを経ても相変わらずほのぼのとしている二人。これからも変わらずほのぼのらいふは続く。