小話 連れ帰ったあの日
ラックメイア子爵領の領主、ミミーナ・ラックメイアは普段は酒を飲まない。
飲むのはパーティーのような場に出席した時だけで、それ以外ではある場合を除いて酒を飲まない。
この日はそんな、数少ない酒を飲む日だった。
「そう。そういう事だったのね」
応接室のソファーに座り、グラスに注がれた酒をチビチビと飲みながら呟く。
決して独り言ではなく、対面に座る話相手から聞いた内容の反応として。
「それならそうと、もっと早く言いなさいよ」
「言ってただろうが。テメェが聞かなかっただけだろ。遂に耳まで遠くなったか、このババア」
悪態をつきながらグラスの酒を一息で呷ったのは、話相手のルーディアン。
彼の顔には引っかかれたのか、赤い痕が薄っすらついている。
「誰がババアよ! 私はまだ百六十四歳よ!」
「充分ババアじゃねぇか! このババア!」
「言ったわね! これで三度も言ったわね! エルフからすればまだ若輩の私をババアと!」
「自分でも、もう二度も言ってんじゃねぇか!」
グラスをテーブルに叩きつけながら激しい口論をする最中、突如部屋の扉が勢いよく開く。
二人が扉の方を向くと、ミミーナの秘書のエリアナが無表情で怒っていた。
理由は彼女の腕の中にある。
「お二人とも、もう少しお静かに。起きたらどうするのですか」
エリアナの腕の中には、スヤスヤと眠る赤ん坊がいた。
その子の名は、エディオン。
遠出から帰ってきたルーディアンが連れて帰ってきた竜人族の赤ん坊。
「うぐ……すまん」
「悪かったわね」
二人の謝罪を聞くと、静かに扉を閉めながら去っていった。
「ところでいいのか? メイドじゃなくて、あいつに世話させて」
「あの子がやりたいって言い出したのよ。意外と子供好きなのよね、あの子」
説明をしながらグラスの酒をチビリと飲み、脱線していた話へと戻る。
「それで、あの子はどこから連れて来たの? まさか本当にどこかの女に産ませた子なの?」
睨みながらの質問だが、ミミーナ程度の睨みではルーディアンはなんとも思わない。
テーブルに置かれていた瓶から酒を注ぎ、それをまた一気飲みして答える。
「違うって何度も言ってんだろ。つうか、光魔法の看破を使えば嘘かどうかなんて、すぐに分かるだろ」
光魔法の看破を使えば、しばらくの間は虚偽を判別できるようになる。
勿論ミミーナもそれを使えるのだが。
「しょうがないじゃない。あなたが赤ん坊連れて帰ってきたって聞いて、気が気じゃ無かったのよ」
視線を逸らして恥ずかしそうに言った通り、報告を受けた時のミミーナは目の前と思考が真っ白になり冷静さを失った。
どれくらいかというと、止める間もなく仕事を放り出して外へ駆け出し、馬車にも乗らず自らの足で全力疾走してルーディアンの家に向かい、戦闘向きでは無いのに扉を蹴破って突入するくらいに。
轟音と共に開かれた扉の先には、空腹と轟音に驚いて泣き叫ぶエディオンと、どうあやせばいいのか分からず四苦八苦するルーディアンがいた。
そこに冷静さを失ったミミーナが加わったとなれば、もう混沌としかならなかった。
誰に産ませたと一方的に問い詰め、説明しようにもなかなか聞いてもらえず、空腹と周りがうるささで泣き叫ぶという混沌とした悪循環に発展して、後を追ってきた家臣一同が止めに入るまで続いた。
その後、事情を詳しく聞くために屋敷まで連れて行かれ、こうして二人で話し合っている。
「で、結局あの子はなんなのよ」
「さっきも言ったろ。拾ってきたって」
「そんな犬や猫じゃないんだから、そこら辺に落ちている訳ないでしょ」
呆れながら反論し、続いて頭に浮かんでいた可能性を尋ねる。
「尤も、帝国内での話だけどね。確か王国で国境付近を治める領主は、亜人嫌いだったわよね。そしてあなたが行ってきたのも、王国だったわね」
暗に王国の方から連れてきたんじゃないかと問いかける。
それに対してルーディアンは。
「おうそうだ。王国の、その亜人嫌いの領主の町で拾ってきた」
あっさりと認めた。
「やっぱりね。大方、その領主のせいで居場所が無くて、育てるのに困っていた子ってところ?」
性格からしてこうなると予測していたミミーナに驚きは無く、普通に受け入れて会話を続ける。
「違うぞ。あいつはな、取り替え子らしい」
「取り替え子なの? じゃあ両親が、そういう領主の下じゃ育てるのが難しいから」
「それがどうにも面倒な事情がありそうでよ。面倒だから聞かなかったし、考えるのも嫌だけどよ」
「そこは聞くか考えるかしなさいよ」
また一口チビリをやりながらミミーナは呆れる。
対してグラスの中身を一息で全部飲みながら、ルーディアンは説明をする。
飲んで夜風に当たって帰る最中、ゴミ捨て場に赤ん坊を捨てようとしているメイドと遭遇し、事情を聞いて引き取って来たと。
「確かに面倒そうね、その話を聞くと」
話を聞いたミミーナは、エディオンの本当の両親が身分の高い人物か、大商人のような富裕層ではないかと予想する。
理由はメイドを雇っているから。ただそれだけである。
「でも、どうしてあなたがあの子を引き取ったの? 普段なら、面倒だって言うはずなのに」
一番気になったのはそこだった。
普段から面倒事を嫌っているルーディアンが、面倒な事この上ない子育てをしようというのだから。
まさか変な趣味か性癖を持っているんじゃ、と不安になるミミーナ。
だが、そんな心配は杞憂だった。
「俺の勘がそうした方がいいって告げたからだ」
「あっ、そう」
勘での行動も割とあるため、軽く流して心配も吹き飛んだ。
しかし、衝撃はその次に待っていた。
「それに、ちょっと考えていた事もあったしよ。引き取った方がいいと思った」
お代わりを注ぐルーディアンの言葉を聞いて、ミミーナはまたチビリと飲みそうになる寸前で手を止める。
あの、考えるより感じろ。口より先に手を出せ。魔法を唱えている暇があったら、その間に殴った方が早い。などと言っていながら、考えて行動したと言われたら驚くしかなかった。
「アンタが考えて行動したああぁぁぁっっ!?」
いつものあなた呼びが、冷静さを欠いた時限定で変化するアンタ呼びになるほど、今のミミーナは驚いている。
「おいコラ、その反応はどういう意味だ」
「だってアンタ、アンタが考えて行動するって。明日の天気は大丈夫でしょうね!?」
「知るか、んなもん」
怒りから、お代わりを注いだグラスを一気飲みする。
強めのアルコールで胸の中がカッと熱くなるが、ルーディアンにすればこの程度は大したことがない。
何回も深呼吸してようやく落ち着いたミミーナは、チビリを酒を啜った後におそるおそるといった感じで尋ねる。
「それで、何を考えていたの?」
ゴクリと唾を飲み込み、どんな返答がきてもいいように心の準備をする。
「この一年近く、ずっと思っていたんだ。あいつとの戦い以外、心躍る勝負って奴は久しくしてねぇってな」
ルーディアンの言っているあいつとは、約一年前に戦った、暴走して竜の聖域から飛び出したエンデュミウォンという竜のこと。
聖域で二番目に強かったという竜との戦い以前も、強者と呼ばれる相手との勝負は何度もしてきた。
しかし当代最強の亜人戦士と呼ばれている彼にすれば、そんな相手達にも一撃で勝てる。
まだ未熟だった頃は何度もやってきた心躍る勝負は、エンデュミウォンとの戦い以外久しくしていない。
それも当然ねとミミーナは思ったが、それがどうしてエディオンを引き取る事になるのか分からなかった。
「だからこう考えたんだよ。いないなら、育てちまえばいいってな」
「……あなたと互角に戦える相手を?」
「おう」
「……バカ?」
真剣に聞いて損をしたとばかりに一刀両断した。
そんな事のためにあの子を引き取ったのかと、呆れを通り越して冷めた目でルーディアンを見ている。
「どこがだよ。名案じゃねぇか」
「どこがよ。大体、何でそれで赤ん坊から育てるのよ。あなたに弟子入りしたい人なんて大勢いるじゃないの」
竜撃者となって以来、ルーディアンの下には弟子入り希望者が殺到した。
しかし、全員がルーディアンが適当に決めたにも関わらず激しすぎる修行について行けず、早々に去っていった。
今でもたまにそういった者が訪れるが、同じように激しさから逃げ出している。
そもそも我流なので教えることなどなく、できるのはとにかく徹底的に体力作りと組手を繰り返すことくらいなのも、原因の一つだった。
「あんな根性無し共なんかいるか。それに俺が欲しいのは弟子じゃねぇ、俺と互角以上に戦える奴だ。必要なのは、俺に対する対抗心と越えようとする向上心、そんで尊敬なんか欠片も持たずにいるとなおいいな」
彼を師としたい面々には、誰もが尊敬心を持ってやって来ていた。
さらに誰一人としてもルーディアンを越えようなどと考えず、腕利きになることしか考えていない。
そんな弟子入り希望者達はルーディアンにとってくそつまらない連中に見え、だからこそ適当に決めた激しく厳しい修行で追い出した。
師匠を越えようとしない弟子なんかいるか、という考え方が原因で。
「じゃあ何? 赤ん坊の頃から、あなたを越えることが目標だって刷り込みさせる気なの? バカのあなたが?」
「バカは関係ねぇだろ! 毎晩耳元で囁いてやれば、勝手にそう思うようになるだろ」
「……やっぱりバカじゃない。というか、下手すれば洗脳だから止めなさい」
それからしばらくは、悪影響しか与えないと思われる行為を止めるための説得が行われた。
その甲斐あって変な刷り込み行為は止めると言わせ、代わりに父の背中に追いつき追い越せと思わせるように育てる方針で結論がついた。
「そのためには憧れさせつつ、対抗心を煽るため突き放す要素もね」
「めんどくせぇ……」
やるからには徹底的にというミミーナによって教わる事になったが、結局面倒くさがって行われることはなかった。
それでも将来的にルーディアンを越えたいと思わせられたのは、ちょっとした奇跡なのかもしれない。
ある意味奇跡の無駄遣いとも言える。
「ところで、これが一番の疑問点なんだけど」
改まってそう言い出され、もうルーディアンはうんざりしていた。
これ以上何があるんだと。
「あなた、一人で育てる気なの?」
「……ああ」
返ってきた反応はそれだけ。
「育てられるの? 私は子育ての経験無いけど、大変よ子育てって」
そんな事はルーディアンとて分かっている。
だが、独り身の彼に頼る相手はいない。
「あなたさえ良ければ、ここに住んで使用人に世話をさせても」
「断る。こういう所に住むのは性分に合わないし、何か勘違いする輩も出そうだからな」
竜撃者となる以前からルーディアンにアプローチをしているミミーナの屋敷に住めば、当然関係を疑われる。
あらぬ噂を立てられ、外堀を埋められでもしたら貴族社会へ仲間入りしてしまう。
万が一にもそれだけは避けたいルーディアンが断るのも、当然の反応だった。
「じゃあ、実家へ帰」
「あんなとこ! 誰が帰るか!」
一息で飲もうとしていた酒を半分のところで止め、テーブルにグラスを叩きつける。
衝撃で波打った酒がグラスから少量こぼれるが、そんな事を気にしないほどルーディアンは怒っていた。
「あんな場所に帰るくらいなら、まだこの屋敷に住むほうがマシだ」
表情を変えることなく、残っていた酒を一気に飲み干しすぐさまお代わりを注ぎ、それも飲み干す。
(やっぱり。そんなに嫌なのね、あそこは……)
遠い目をしているミミーナは知っていた。
ルーディアンがどこ出身で、どうしてそこを出てきたのか。
それについて聞いた時もあったが、今と同じくらい不機嫌になって酒を瓶から直に飲んでいた。
出身地についてはミミーナも知っているし、そこがどういう場所なのかも、住人達がどういう人達なのかも知っている。
だからこそ、ルーディアンがそこを去った理由にも納得がいった。
彼はそこに合わないのだと。
「分かったわ。だから落ち着いて、もう一本開けるから」
「……悪い」
普段は飲まない酒だが、贈り物とかで貰っているため量はある。
その酒を使用人に持ってきてもらい、開けてグラスに注ぐ。
「で? やれるの? 子育て」
「やってやるさ。まっ、周りの母親経験あるのに頼ればなんとかなるだろ。いざとなったら、ここに来るしよ。住みはしねぇけど」
最後の砦として頼られたのは、少しだけ嬉しいミミーナは照れを隠すように酒を普段より少し多めに口に流す。
強めのアルコールで舌がピリッとするが、嬉しさから特に気にならなかった。
「分かったわ。もう何も言わない。だけど、一つだけいいかしら?」
「何だ?」
「今夜一晩は泊まっていかない? エリアナがエディオン君を離してくれそうにないし」
先ほどの世話っぷりからして、おそらくは一晩は預からないと手放さないだろうと思っての提案。
同じくそう思ったルーディアンはこれを承諾した。
「んじゃ、今夜は飲み明かすか」
「そういう訳にはいかないわ。明日も仕事だもの」
「んだよ相変わらず堅ぇな」
「あなたが気楽過ぎるのよ。そのお酒は全部飲んでいいから、それで終わりに」
しなさいよと言う前に、直に飲んであっという間に飲み干されてしまった。
全部飲んでいいと分かった途端のこの行動に呆れ、一応は結構いい酒だからもっと味わえという怒りも湧いてくる。
だが、それを口に出さない辺りは、そういう所も含めての惚れた弱みなのか、それとも諦めているのか。
「ふぅ。ごっそさん」
満足そうにしている表情に大きく溜め息を吐きつつ、小さく微笑んだミミーナは歩み寄る。
「ねえ、部屋は私と一緒でいい?」
「……何にもしねぇし、させねぇぞ」
「構わないわよ。あなたの傍で眠れれば、充分だから」
予想通りの返答に、さほど期待していなかったミミーナは頷く。
その後、二人はミミーナの部屋で寄り添って眠りに着いた。
本当に添い寝をしただけで、何も起きていない。
そして翌日からルーディアンは、子育てという未知の領域へと足を踏み入れた。
なお、翌朝の帰り際にエリアナがエディオンとの別れを心底惜しんだのは、誰もが意外に思う光景だったとか。