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何かが変わった日


 普段からエディオンとルーディアンが早朝の修行で使っている広場に、息を切らす声と風斬り音が聞こえる。

 ここ数日はルーディアンがでかけているため、ここで修行をしているのはエディオンただ一人。

 拳を突き出し、手刀を振り抜き、回転しながら連続蹴りを繰り出し、尻尾を振るう。

 その全ての速度がとても十二歳が放つ攻撃には見えないほど速い。

 何か的のような物に攻撃をしている訳ではないため、どれほど威力があるかは不明だが、直撃すれば只では済まないのは感じ取れる。

 それだけの速さと威力を有した攻撃を、上手く連携させながら行っているというのにエディオンの表情は冴えない。

 真剣、というよりは苦しんでいるかのような表情で修行をしている。


「っ! はあっ!」


 最後に右の正拳突きをして動きを止める。

 しんと静まり返った広場に聞こえるのは、息を切らしながらの呼吸音だけ。


「~~~! 違う!」


 歯を食いしばった後に発した声の大きさに、付近を通りかかった農夫や牛乳配達の少年が驚く。


「親父がこんな動きをするはずがない。もっと、もっと凄い動きで俺をぶっ飛ばしているはずだ!」


 大声を上げながら地団駄を踏み、イメージトレーニングで自分の都合のいいように動くルーディアンに不満を口にする。

 頭ではこんな動きをするはずが無いと分かっていても、勝ちたいという気持ちがどうしても都合のいいようにルーディアンを動かしてしまう。

 留守の間は一人で修行するしかないエディオンは、ずっとイメージの中のルーディアンと戦っていた。

 だが、回数を重ねる度に苛立ちは大きくなっていく。

 自分のイメージでは、どうしても都合の良さが混じる上に予想の付かない動き、想定以上の動きがイメージできない。

 そしてそれが、エディオンにルーディアンとの差を余計に実感させた。


「くそっ! くそっ! こうじゃないんだ!」


 今の一連の動きのイメージの中では、最後の正拳突きは片手で止められているイメージだった。

 しかし、それは自分に都合のいいイメージをした結果だとエディオンは分かっている。

 以前に魔力強化もした上での渾身の正拳突きを、片手の小指で受け止められ、しかも押し返されてしりもちを着いた記憶があるからだ。


「今のだって、同じことをされてもおかしくないんだって。くそっ!」


 苛立ちをぶつけるように、目の前に敵がいると想定し、前進して敵を追いながら拳を左右順番に突き出す動作を繰り返す。

 ルーディアンは誰かに師事した訳ではなく、我流で強くなった。

 そんな彼に鍛えられているエディオンもまた、流派のようなものを教わってきた訳ではなく我流。

 なにせ師匠が我流なのだから、教えられることなど無い。

 唯一教わったのは。


『結局殴る力ってのは、殴る動作を繰り返さなきゃ強くならねぇんだよ。蹴る力もな』

『尻尾も?』

『ん? ああ、そうだな。お前のように、尻尾でも攻撃できるならそうだな』


 ということくらいである。

 ただその分、内容がとてもハードだった。

 まだ十二歳のエディオンがやっているのは、まだ腕利きの探検者や軍人ならできる。

 しかし、ルーディアンが個人的にやっている修行は、聞いた人が正気の沙汰じゃないと思うほど厳しく辛い。

 その修行をエディオンが成人になる頃までにできるようにしようというのが、ルーディアンの育成計画。その事はルーディアンを除き、エディオンも誰も知らない。


「はあっ! はっ!」


 普段の早朝の訓練よりずっと多い量をこなしたエディオンはその場に座り、量よりも内容に対する気持ちが納得しきっていない事に不満を持った。

 いつものルーディアンを相手にした修行は、毎回充実した気持ちになっていたのにと。


「親父がいないだけで、修行ってこんなに違うのか……」


 ポツリと呟き、満たされない気持ちのまま家への道を歩き出す。

 これから学校があるため、帰って朝食を摂ったら登校しなくてはいけないのだ。

 勝手に休んだら、適当な所はあるがサボりだけは絶対に許さない校長により、どんな罰を与えられるか分からない。

 前にサボった生徒の一人は、震えて思い出したくもないくらいの説教をされた後、厳しい補習授業や山のような課題を与えられたという。

 あまり勉強が好きではないエディオンだが、それだけは避けたいために遅刻だけはしないようにしていた。


(……親父の背中は、どれだけ遠いんだよ)


 改めて実感した力の差に悔しさが湧いてくる。

 その悔しさからある事を決意して、帰路をゆっくり歩いて帰った。

 内側に重りが縫い付けてある、修行用のズボンと上着から、歩くのに合わせてガチャガチャと音を鳴らしながら。


 ****


「なるほど、夢を追うのも大変なのだな」

「当たり前だ。そんな簡単に叶う夢追ったってつまらねぇだろ」


 学校での昼休み。

 早朝の修行の事をバレルに話していた。

 周りには幼馴染二人とモレットもおり、最近はこの五人で休み時間や放課後を過ごしている。

 というよりも、本当の意味での友人がエディオンしかいないバレルが、毎回のようにエディオン達のクラスに押しかけているとも言う。というかそれしか言えない。


「つか、バレルは夢とかねぇの?」

「漠然と父の後を継ぐことしか考えていなかったな」


 苦笑いをしながら後頭部を掻くバレルの言葉に、モレットが補足を加える。


「ついこの間までは、考える余裕すら無かったですからね」

「ああ、ボッチだったからな」

「グッハァッ!」


 物理的に殴られていないが精神的に殴られたバレルは、吐血したかのような声を発して身を翻すという派手なリアクションの後、ガクリと崩れ落ちた。

 彼にとって友人がいなかった数日前までの過去は、まだ吹っ切れていない。


「バレル様あぁぁぁっ! しかっりしてくださいぃぃぃっ!」


 崩れ落ちたバレルに駆け寄ったモレットは、叫びながら肩を掴んでガクンガクンと前後に揺する。

 それは逆効果じゃないかと、野次馬している周囲は思うが誰も口にしない。

 次期侯爵候補という、彼らにとって雲の上のような立場の人物という認識がそうさせていた。


「ディオ、友達の過去の傷を抉るのはやめなさいよ」

「だって事実だろ?」

「事実はねぇ? 言っていい事実と、言わない方がいい事実があるんだよ~」


 特に主従のやり取りを気にせずエディオンと会話するこの二人は、幼馴染で想い人のエディオンがこういう人物だと分かっているからか、冷静に状況を受け入れていた。

 このやり取りは予鈴の鐘が鳴るまで続き、バレルは気にするなと言い残し、足を怪我した訳でもないのに足を引きずって自分の教室へ戻ろうとしている。


「そうだ。約束忘れるなよ」


 呼びかけに立ち止まり、右へ左へとふらつきながらも笑みを向けて親指を立てる。


「も、勿論だ。友人との約束を忘れるはずがあるまい……」


 返事はしたものの、あまりに弱々しい姿に周囲は約束以前の問題じゃないかと心を一つにした。

 そのままモレットに支えられ、よろよろとバレルは教室を出て行った。


「ねぇ、約束って……あぁ、アレか」


 聞こうとした最中に思い出した、数日前にエディオンとバレルが交わしていた約束。

 遠出しているルーディアンが帰ってくる日に招待し、持ち帰ってくるであろうシーサーペントの肉を食おうという約束だ。

 当然ながらフィリアとウリランも誘われており、即座に行くと返答している。


「私、シーサーペント食べるの初めてだよぉ」

「それ以前に海にすら行った事が無いじゃないの」


 周囲を山々に囲まれたラックメイア子爵領の住人達は、海には全くと言っていいほど縁が無い。

 元探検者や現探検者の一部、行商人からの情報を聞いた事があるだけという住人ばかり。


「そういえば、ディオ君はルーディアンさんに連れて行ってもらった事があるんだよねぇ?」


 さりげなく腕に抱きつきながら尋ねるウリランの胸がエディオンの腕を挟むと、羨ましいと心の中で叫ぶ男子が大勢いた。


「一度だけな。行商人から、とある港町でクラーケンが船を襲って困ってるって聞いた親父が、旅をしていた頃に一度食ったが揚げるとすげぇ美味いぞ! って言って、俺が食いたいって行ったら連れて行ってくれたんだよ。今思えば、そこへ行く理由にされたのかも」


 そんなで理由で海まで行ったのかよと、クラスメイト一同は心の中で叫んだ。

 食べた感想を呆れるフィリアと楽しそうなウリランに説明する中、いつの間にか教室に現れた地味な見た目で影も薄いハーフエルフの女教師は小声で呟いた。


「あのぉ、授業なんですけどぉ……」


 あまりに小さい声とあまりに地味で薄い存在感で、誰にも気づかれず、彼女は教室の隅で微かな啜り声を上げて泣いた。

 話を終えたエディオンが彼女に気づき、授業が開始されたのは十五分後の事である。

 そんな彼女が先輩教師からお小言を言われている頃であろう放課後、エディオン達五人はルーディアンが帰宅しているであろう家へと向かう。


「シーサーペント、シーサーペント」


 楽しみなのかウキウキした様子を隠せないウリランを先頭に、五人は雑談をしながら歩く。


「バレルはシーサーペント食べたこと無いのか?」

「無いな。そもそもエルフの血族であるうちでは、肉を食べる機会は少ないからな」


 すっかり打ち解けた様子でエディオンと喋るバレルに、ついこの間までのような暗い雰囲気は欠片も無い。

 まだ少しぎこちない感はあるものの、本当の意味での友人ができた彼の調子は良い傾向にあった。


「ところでさ、今気づいたんだけど、ルーディアンさんがシーサーペント持ち帰らなかったらどうするの?」


 何気なくフィリアがした質問にウリランの歩みが止まる。


「……どうするの?」


 大きく期待していただけに、泣きそうな顔をしてウリランが尋ねる。

 それに対してエディオンは即座に答えた。


「その時は親父が秘蔵しているアイアンバッファローの肉を引っ張り出してやる」

「「アイアンバッファロー!?」」


 出てきた名前にバレルとモレットが驚いた。

 前にご馳走してもらったクレイジーベアが、王侯貴族の普段の食事でたまに食べる肉ならば、アイアンバッファローはそういった身分の人達だけが集まるパーティーでよく振舞われる超高級な魔物肉。

 生息域に行くのも大変なため、探検者が大儲けするために狩りに行くか、依頼を受けて狩りに行かない限りは市場にも出回らない。

 勿論、このアイアンバッファローはとても強いため、返り討ちに遭う探検者は多い。


「い、いいのか? そんな肉を出して」

「シーサーペント持ち帰らなかった親父が悪いから大丈夫だって」

「意味が分かりませんよ、その理論!」


 理論は関係無い。

 主に気分でそういう事を決める。それがエディオンであった。

 ここ数日はルーディアンとの修業ができず、少々不機嫌だったために、保存している中で一番貴重なアイアンバファローを選んだ。


「なんか、それを聞いたらシーサーペントを持って帰ってくれなくていい気がしてきたわ」


 ポツリと漏らしたフィリアの呟きに、言いだしっぺのエディオン以外の全員が頷いた。

 しかし、そう簡単にいかないのが世の中というものである。


「おう、帰ってきたぜ! 見ろよ、このシーサーペントの肉! いい肉質だろ!」


 帰るなり大きな声で出迎えたルーディアンが披露したシーサーペントに、エディオンが舌打ちして他四名はちょっとがっかりした。


「ん? なんだ、その反応は。つか、そっちのエルフと人間は初めて見るな」


 初対面のバレルとモレットに目を向ける。

 有名な人物に声をかけられ、肉の事ばかり気にしていた二人はハッとして自己紹介をする。


「初めまして。バレル・ラックメイアと申します。ルーディアン様のご高名は耳にしています」

「付き人兼護衛のモレットです。ルーディアン様の偉業を記した本は、何度も読み返しています」


 相手が貴族関係と分かり、貴族社会が嫌いなルーディアンの視線が鋭くなりエディオンに移る。

 雰囲気そのものも変化して、慣れているエディオン以外の体が恐怖心で硬直する。


「安心しなよ。こいつらとはただのダチだから。向こう側とは無関係だ」


 貴族社会に関わるような事になっていない事を伝えると、雰囲気は霧散し視線も鋭さが失われた。


「そうか。入んな、息子のダチなら無下に扱う事はしねぇさ」


 ホッとしながら家に入る。

 相変わらず中は古ぼけていて、朝には無かったはずの脱ぎ捨てられた上着が散らかっている。


「親父、いい加減に床に適当に置くのやめろって。雑巾代わりに使うぞコラ」

「とっくに使ってんじゃねぇか! 何だよ、あの埃まみれのシャツはよ!」

「初めてこいつらを招いた時、椅子拭くのに使った」

「そん時だな? そん時にクレイジーベアの肉も食ったんだな!?」

「よく分かったな。同じく初めてこいつらを招いた時、ダチになった記念に焼いて食った」

「こんっの野郎! よくも人が苦労して狩った魔物を」

「この程度の魔物に、親父が苦労するはずないだろう」

「まあな」


 普通の家に普通のやり取り。

 それをしているのは有名人と、その息子。

 てっきり、ちょっと変わったやり取りでもしているのかと思っていたバレルとモレットは、あまりに普通すぎてちょっと拍子抜けだった。


「にしても良かったな親父。もしもシーサーペント持ち帰らなかったら、アイアンバファロー食うつもりだったから」

「待てやコラァァァッ!」


 悪びれもなく告げた内容にルーディアンは激怒し、そのまま口喧嘩が始まる。

 生息域に行くのがどれだけ面倒だとか、まだたくさんあるんだからとか、ああ言えばこう言うを繰り返す。


「思いっきり、普通の親子だな」

「そうですね。僕達、ちょっと身構え過ぎみたいです」


 緊張気味だった二人は目を閉じ、肩に入っていた力を抜くために大きく深呼吸する。

 それで完全に緊張が解ける訳ではないが、幾分マシになったかと目を開けると。


「「なんで腕相撲してるんだ!?」」


 親子はテーブルの上に腕を置き、腕相撲をしてした。しかも上半身裸で。

 全力を振り絞って幼馴染コンビから声援を貰っているエディオンに対し、余裕過ぎるルーディアンはニヤニヤと笑っている。

 どうしてこうなったのか激しく知りたい主従コンビだが、とてもそんな事を聞ける雰囲気じゃない。


「こんのおぉぉぉっ!」

「がっはっはっ。ほれ、どうしたどうした」

「頑張れ~、ディオ君。勝ったらフィーちゃんとチューしてあげるよぉ」

「何で私まで!? 待って待って、心の準備が」


 色々な意味で聞ける雰囲気じゃなかった。

 殺気丸出しの友人と、余裕から鼻をほじっている英雄、そして親友を巻き込んで想い人を応援する幼馴染その一と、巻き込まれて驚きながら照れる幼馴染その二。

 聞いたところでまともな回答が返ってくる気がしないと判断した二人は、大人しく腕相撲の決着が着くのを待った。

 決着はこの十秒後、ほいっと言いながら軽く力を入れたルーディアンの圧勝で終わる。


「百年早いわ! はっはっはっ!」


 負けて悔しがるエディオンを見下ろしながら、腕を組んで鍛え上げた肉体をアピールする。


「ちっくしょう!」


 悔しさから床を叩く。

 そんなエディオンにウリランが歩み寄り告げる。


「残念だったねぇ。じゃあ、元気付けに私とフィーちゃんの胸の中で泣く?」

「ウリちゃん、それはアタシも泣きそうになるから止めてくれない?」


 想い人を慰めようとする幼馴染コンビのやり取りは、今日も平常運転である。


「あの、どうして腕相撲なんてしてたんですか?」


 勝負の決着が着いたため、どうしてそうなったのか気になっていたモレットが尋ねる。

 聞こうか聞くまいか迷っていたバレルは、心の中で勇者だと呟いた。


「あれ? そういやなんでだっけ?」

「言いあっていて頭に血が上って、勢い任せにやったからなぁ。何がきっかけだっけ?」

「気づいたら、いつの間にか腕相撲の準備してたよね~」

「上着を脱いだ所まで、聞き流してたから……」


 目を閉じて深呼吸していた、あの僅かな時間で何があったのか。

 主従コンビは本気で気になってきた。

 残念ながら、明確な回答をくれる相手は一人もいないが。


「よっしゃっ、そんじゃ遊ぶのはここまでにして、シーサーペント食うぞ」


 上着を着たルーディアンはシーサーペントの肉を台所に運び、調理していく。

 調理と言っても、彼は高度な調理技術を持ちあわせていない。

 今も切り分けた身肉に塩を振って焼いているだけだ。

 それを見ていたフィリアとウリランは調理を代わってもらい、揚げたり炒めたりし始めた。


「親父、いくらなんでも焼くだけってのは駄目だろ」

「俺と同じ焼くしかできないお前に言われたくねえ」

「いやいや、炒めるくらいはできるから」


 さほど変わらないじゃないかと、上着を着た後にエディオンが用意したジュースを啜りながらモレットは思った。


「ルーディアン様。水棲であるシーサーペントを、どうやって仕留めたのですか?」


 台所から戻ってきたルーディアンに、バレルからの質問が飛ぶ。

 その目は輝いていて、どんな凄い話が聞けるんだろうという希望に満ち溢れていた。


「海割って、陸地になった場所に落ちたそいつにパンチ一発だ」

「……はい?」


 色々と聞き捨てならない事を聞いたバレルの動きが止まる。

 ルーディアンの説明によると、海中にいるシーサーペントの位置を把握し、タイミングを計って海に手刀を振り下ろしたのだという。

 魔力によって強化されたこの一撃で海は割れ、海中を移動中だったシーサーペントは陸地に落下。後は海が元に戻る前に接近し、顔面にパンチを一発叩き込んで倒したそうだ。

 尤も、陸に戻ってくる前に海が元に戻ったため、帰りはシーサーペントを引っ張って泳いだらしい。


「泳いで陸まで持ち帰るのは面倒だったが、港町の連中に感謝されてタダ酒とタダメシたらふく飲み食いできたのはツイてたぜ」


 そう言いながら、地下収納から持ってきた酒を瓶から直接飲んでいく。

 未成年ながら貴族のバレルでも知っている、度数の高さで有名な酒をまるで水のようにラッパ飲みする。


「あの、海って手刀で割れるものなんですか?」

「割れるから割れたんじゃねぇか。何言ってんだ」


 質問にさも当然のように返され、何かおかしいのかと思いバレルの視線がエディオンに向かう。


「親父ならそのくらい、息を吸うのと同じくらい簡単にやってのける」


 視線に気づいたエディオンの回答に、当然だと上機嫌に笑ったルーディアンは残りの酒を一気飲みし、新しい酒を取りに地下収納へ行った。

 色々とついて行けなくて取り残された感のあるバレルとモレットは、無理矢理にでも話題を変えるために、幼い頃に読んでいたルーディアンの本について尋ねた。


「あ、あの、そういえばルーディアン様の事を綴った本に、竜撃者として名を挙げたばかりの頃、高名な剣士との勝負で純オリハルコン製の剣を拳で受け止めた、っていうのがありましたよね」

「うん? ありゃ嘘だぞ」


 同じ酒を取って戻って来たルーディアンは、あっさりと嘘だと言った。

 やっとまともな会話ができるかと思った矢先、その気持ちは裏切られる。


「本当の所はデコピンで、受け止めたつうか折ってやったから」

「「はあぁぁぁぁっ!?」」


 拳で受け止める、という話ならまだ理解できたが、デコピンでどうやってオリハルコン製の剣を折れるのか二人には全く分からなかった。

 しかも、その話に出てきた剣の使い手は、当時剣の腕前は随一と言われていた剣士と書かれている。剣も、名のある鍛冶師に作ってもらったばかりの新品だったとも。

 それほどの使い手が繰り出す、最高品質と言ってもいい素材のみで作られた最高の剣をデコピンの一撃だけで折った。

 とてもじゃないが信じられなかった。


「なんでそんな嘘に書き換えられてんだよ」

「相手の名誉を守るためだとか、そんな理由でだよ。くだらねぇ」


 ルーディアンはくだらないと言い切ったものの、名工に作ってもらったばかりのオリハルコン製の剣を、デコピンの一撃だけで折られた相手はどれほど絶望したことか。

 それを考慮して本の中では拳で受け止めたとされたが、当の剣士はそれを機に引退して田舎で実家の農家を継いだらしい。

 本の中ではちょっといい勝負をしてルーディアンが勝ったとされている勝負は、実際はデコピンで剣を折られて戦意喪失した剣士の降参で終わるという結末だった。


「じゃ、じゃあ、廃墟に住み着いた大量のレイスを教会の加護で殴れるようになった拳で、全て殴り飛ばしたというのは」


 驚いたまま言葉を発しないバレルに代わり、今度はモレットが尋ねた。


「そいつも嘘だ。ったく、なんだって都合が悪い事はこうも平気で書き換えるんだ」


 なんの都合が悪いんだろうと、大人の事情をまだ詳しく知らないモレットは気にしていた。

 真実を知る怖さから逃れるために。

 ところがそうは問屋が卸さない。


「俺も聞いたこと無かったな。実際のところは?」

「門を潜った所で気合い入れて、うおぉぉぉっ! って吼えたらなんか塵みたいになって全部消えていったぞ」

「あーあーあー! 聞こえません、何も聞こえません!」


 父親のやらかす事を知っている息子の質問への返答で、真実は明かされてしまった。

 耳を塞いで声を出し、自分を誤魔化そうとするモレットの挙動に、調理中のフィリアとウリランは昔の自分もそうだったなと思った。


「えっ? レイスって、声で消えるものなんですか? あれ? でもレイスって浄化するしか、あれ?」


 混乱しているバレルはもはや、何が常識で何が非常識なのか分からなくなりかけていた。


「何を騒いでんだよ、お前達は」


 良くも悪くもルーディアンという存在に慣れているエディオンには、今の二人の気持ちを理解することはできない。

 友人としては助けてあげるべきなのだが、生憎と助けられるような案件ではなかった。

 結局二人が落ち着いたのは、シーサーペントの調理が終わった頃だった。


「ルーディアン様の話を聞いていると、本の内容が嘘だらけだって分かりました」

「そうだろう? ったく、どこに問題があるんだっての」


 文句を言いながらシーサーペントのから揚げを食い、既に三本目に突入した酒瓶から酒を直飲みする。


「親父の非常識は今に始まったことじゃないから、載せたって問題無いと思うんだけどな」


 一応非常識だという認識をしていたエディオンは、気に入ったのかシーサーペントの肉と野菜の炒め物をガツガツと食べていく。

 それを作ったフィリアの尻尾と耳は、気に入ってもらえたのが嬉しくて激しく揺れている。


「ディオ君にはそうかもしれないけどぉ、知らない人が呼んだら作者さんが嘘つき呼ばわりされるかも~」


 同感だとばかりにバレルとモレットは力強く頷いた。


「そんな事知ったことか。信じねぇ奴らが悪い」

「言えてる」


 横暴な事を口にする親と、それに同意する息子。

 これがこの親子の日常的な会話なのかと、もう納得するしかないバレルとモレットの主従コンビは、大人しく食事と会話を楽しむ事にした。

 しかし、彼らが完全に楽しむことはとても困難だった。

 次々と明かされるルーディアンの非常識っぷりに、徐々に言葉を失って機械的に相槌を打って頷くだけとなっていく主従コンビ。

 さも当然のように受け入れられているエディオン達を少しだけ羨ましく思いつつ、これまでに積み上げたルーディアンへの尊敬を崩されながら、二人は色々とやらかした過去を聞き続けた。


「じゃあ、お邪魔しました」

「おう、また来いよ」


 酒と料理を楽しんで上機嫌なルーディアンに対し、疲れきった表情を浮かべるバレルとモレットを見て、無理もないかとフィリアとウリランは思った。

 彼らが帰るのを見送った後、瓶を片付けだしたルーディアンにエディオンは決意を込めて告げる。 


「親父……今から手合わせ大丈夫か?」


 いつになく真剣な表情をしている様子に、留守中の修行で思うことがあったなと直感的に思ったルーディアンは頷く。


「いいぜ。ちょうどいい酔い覚ましだ」


 笑みを浮かべる表情に酔っている様子は欠片も無い。

 家を出た二人は無言で歩き、いつも修行で使っている広場へやって来た。

 夕暮れ時の広場に親子で師弟の二人が向き合い、構えを取る。


「留守中もちゃんとやってたか?」

「当然だ。でなきゃ、親父を越えるなんてできねぇ」

「くくっ。これまでに何度も聞いたが、今回聞くのはゾクゾクするなぁ」


 思わず笑みをこぼす。

 これまで何度も聞いた中で一番重く、どんなものかは知らないが決意が籠もった言葉に心が躍る。


「一つ確認する。修行、じゃなくて手合わせでいいんだな?」


 その確認の意味をエディオンは理解していた。

 手合わせ、つまりは試合をするという意味なのだと。


「ああ」

「いいだろう。俺の全力だと死ぬだろうから加減はするが、悪く思うなよ」


 笑みを浮かべるルーディアンだが、発している雰囲気はエディオンに寒気と恐怖心を植え付ける。

 修行で何度も対峙しているエディオンでさえ、今のルーディアンの発している雰囲気に呑まれそうになっている。

 修業ではなく手合せというだけで、纏う空気まで一変した様子に背筋が震えた。


(いつもとは……違う)


 これまでの修行で対峙した際は、常に余裕綽々といった雰囲気で向い合っていた。

 それが今日のこの修行で、初めて闘志を見せた。

 初めて対峙する父親の姿に膝は微かに震え、握った拳の中には薄っすら汗が浮かぶ。

 だが、表情だけは笑っていた。

 若干腰は引けて、如何にも強がっている風に奥歯をかみ締めて、頬は引きつりかけているのに、表情は笑みを浮かべている。

 そこに強がりは混じっていない。


(なんでだ……怖いはずなのに、凄く楽しい!)


 震えと汗は止まらず、恐怖心も抱いているはずなのに楽しい。

 相反する二つの気持ちが混ざり合っているエディオンに対峙するルーディアンもまた、僅かにだが楽しんでいた。


「くくくっ。いつだ、いつお前は俺を越える。いつお前は、俺を楽しませる強者になるんだ」


 竜撃者となってからの十三年、ずっとルーディアンは探している。あの時に戦った竜、エンデュミウォンのように自分と互角に戦えるかそれ以上の実力者を。

 そんな時に出会ったのがエディオンだった。

 気まぐれで育てると決めた子供が成長し、いつか父を越えると言い続け、修行にも音を上げずについてきた。

 しかも本人にはまだ伝えていないが、その実力は既にかなりのものになっている事にも気づいている。

 そして今日、エディオンの中で何かが変わろうとしている。

 同じ父を越えるという目標でも、今までは子供の夢の延長線のような感覚だった。

 それが何か変わった時、明確な将来の目標であると同時に強さにも変化が訪れると、いつもの直感で感じ取っていた。


「……さあ、ね!」


 先手を仕掛けたエディオンの拳は遠慮無しに顔面に向かうが、軽く受け止められ、片腕で投げ飛ばされる。


「ぐっ……!」


 空中で姿勢を整え着地したエディオンが俯いていた顔を上げた瞬間、真ん前には既に右手を拳に握ったルーディアンがいた。

 いつの間にと思いながら、体が反射的に回避行動を取る。

 空気の壁を突き抜けたんじゃないかと思うぐらいの強烈な突きがエディオンの左頬を掠め、切り傷ができて出血した。


(やっぱり修行と手合せは、違う)


 カウンター気味に左の膝蹴りを腹部にやるがそれも受け止められ、突いた状態から戻って来た右拳が再度左頬を掠めると、強烈な痛みが走ると同時に切り傷が増えて血液が頬を染めた。


(爪!?)


 引き戻した右拳は握られておらず、手を広げて爪を剥き出しにしていた。

 その爪が頬を引っ掻き、傷を与えたようだ。


「まだまだぁっ!」


 離れないよう、受け止めた左膝に指を食い込ませ、再度右拳を突き出す。

 これを両腕を十字にして防御したが、受けた瞬間に今までとは比べ物にならない衝撃が走って防御が吹っ飛ばされる。

 両腕に走る痛みと痺れにエディオンの顔は苦痛に歪み、次の行動が取れなかった。


(まずっ)

「ボディがガラ空きだぜ!」


 叫んだ言葉の通り、ガラ空きになったボディに素早く戻った右拳が襲い掛かる。


「あがっ!」


 命中と同時に掴んでいた膝を手放したため、エディオンの体は後方に吹っ飛んで地面を数回弾み、転がって土塗れになってようやく止まる。


「うぶっ……うえぇぇっ」


 腹部への強烈な一撃で、さっきまで飲み食いしていた物を全て吐き出す。

 立ち上がれないほど膝はガクガクになっていて、腕は痛みと痺れ以外の感覚が一時的に失われている。

 起き上がろうとしては崩れを繰り返すエディオンの下に、雰囲気はそのまま余裕の笑みを浮かべたルーディアンが歩み寄る。


「どうした、俺がいない間の成果をちっとは見せてみろよ」

「くっ……。お望みどおり、見せてやるよ!」


 震える脚を意思の力で無理矢理押さえつけ、ありったけの力と魔力を込めて前方に跳躍する。

 前方に進む力と自身の腕力、そして魔力の強化を込め、全力の右拳をルーディアンの腹に叩き込む。

 しかし、その一撃を受けてもルーディアンは一歩も下がらず、体が仰け反ったりもしない。

 逆に殴った方のエディオンの拳に痛みが走った。


「いっ……てえぇぇっ!?」


 思わず後退して殴った右拳を押さえる。

 右拳は赤く腫れていて、先ほどの防御の時とは別種の痛みが走る。


「なんだ、今のが全力かぁっ!」

「っ!」


 容赦なく振り下ろされる左拳を避けられないと判断し、痛むのを覚悟で左手で受け止めようとする。

 しかし左手に当たった瞬間、左腕が後方に吹っ飛ばされるように弾け飛んだ。


「ぎいっ」


 手だけでなく腕全体を痛みが駆け抜け、肩が外れるんじゃないかというほど関節とその周辺の筋肉が悲鳴を上げる。

 肩は外れなかったものの、左腕を上げられそうにないほど肩が痛む。

 右手に続いて左腕までまともに使えなくなった。

 それでもエディオンは負けじと、使える脚で蹴りを繰り出すが、苦し紛れの蹴りはあっさり掴まれ、ジャイアントスイングで振り回される。


「ほれほれほれーい!」


 振り回された挙句に空中へ放り出される寸前、エディオンは尻尾を振った。

 だが投げ飛ばされた勢いの方が強く、尻尾は虚しく空振りする。


「ちっくしょおぉぉぉっ!」


 これまで以上に何もできなかった悔しさから、思わず叫んだ。

 そして地面に叩きつけられた衝撃に襲われた次の瞬間には、エディオンの意識は失われていた。

 気絶から目が覚めたのは、数十分後だった。


「ん……あっ、つっ!」


 目が覚め体を起こそうとしたら体のあっちこっちに痛みが走った。

 特に痛むのは左肩で、動かすことはできてもその度に痛みを発している。


「おう、起きたか。どうだ、今の気分は」


 近くで寝転がっているルーディアンに声を掛けられた。


「……今までで最高に悔しくて、最高に楽しかった」


 何もできなかった。

 これまでの修行がさせてもらっていたと思うほど、容赦が無く一方的な展開の手合せ。

 それでも楽しいと思えたのは不思議だったが、理由は分かっていた。

 例え僅かとはいえ、目標としている人物の本気に触れられたことを、楽しいと感じたのだと。

 そしてこれを越えたいと、心の奥底から思っている。

 理屈は全く無く、感情がそう感じさせていた。


「親父、改めて言うぜ。俺は、親父を倒す。今は無理でも、いつかな」


 これまでの軽い感じとは違い、重みを含んだ言葉と表情にルーディアンはゾクゾクした。

 今はまだ無理でも、いずれは自分と同じ領域に辿り着けるかもしれない可能性を秘めている、若い存在に。

 その若い存在が、今まで以上の速さで自分の背中を追い出したのだと直感的に確信して。


「だったら早くしろよ。俺がジジイになって弱くなる前にな」

「親父が弱くなるとか、正直想像すらできないんだけど?」


 軽口を叩きあい、互いに微笑む。

 拳を軽くぶつけ合い、腫れていた右手が痛むエディオンが少し苦い顔をするが強がって我慢をした。

 それ以上に強がって我慢しながら体を起こし、寝転んだままのルーディアンに告げる。


「さあ、まだ時間は大丈夫だ。修行やろうぜ、親父」


 エディオンの言葉にそうこなくちゃと起き上がったルーディアンは、手持ちの魔法の袋から液体の入った小瓶を取り出す。


「傷とかの回復用の魔法薬だ。飲んでおけ。そんなボロボロじゃ、鍛えがいがねぇからな」


 痛む右手で小瓶を受け取り、中身を一息で飲み干す。

 強い渋味が口中に広がって直後、体中に痛みが引いていく。

 右手の腫れは引いていて、左肩にあった痛みすら無い。


「サンキュ」

「いいってことよ。さあ、鍛えてやるよ。言っておくが、こっから先はこれまでとは一味違うぞ」


 手合せの時ほどではないにしても、これまでの修業とは違う雰囲気にエディオンは構えを取る。

 互いに笑みを浮かべ、新たな段階に入った修業は始まった。

 それから当分の間は目に見えて生傷が絶えない日々を送り、フィリアとウリランを心配させた。


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