小話 一夜の語り合い
まだバレル達がラックメイアの町に滞在していたある日の夕方、エディオンは領主の館を訪ねていた。
何かをやらかして領主のミミーナに呼び出された時以外、滅多なことでは訪ねないそこを訪ねたのは、領主のミミーナに用があるのではなく、ここに滞在している友人達にあった。
「よく来てくれた、ディオ!」
「ダチの誘いを断るかっての」
顔を合わせた二人は挨拶代りに拳を合わせる。
この日、エディオンが領主の館を訪ねたのは、友人であるバレルからの誘いだった。
間もなく留学を終え、帝都へ戻る予定の彼から、最後に友人らしく共に一夜を語り合おうという話が上がった。
あくまで友人と集まって語り合うという目的、という事でエディオンはこれを承諾。
そして帝都へ帰る二日前、こうしてバレルの下を訪ねてきた。
「食事はどうする? 食べるのなら、部屋に持ってこさせるが?」
「いや、いいや。どうせ部屋で菓子とか食いながら喋るんだろう?」
「それもそうだな」
自分のやりたい語り合いとは、部屋で菓子とかを食べながらとめどない話をするものだ。
そう力説していた。
「安心しろ、それほど豪華な物は用意していない。その方が気楽に喋れるだろう?」
今夜の集まりはあくまで、友人同士による気楽なもの。
そういうつもりでいるバレルの気遣いに、エディオンも自然と笑みが浮かぶ。
これで豪華な食事や菓子が出てきたら、貴族らしい振る舞いを感じ、この場で引き返していただろう。
「モレットはもう部屋か?」
「ああ。メイドと共に準備をしてもらっている。もう終わったかな?」
喋りながら歩いているうちにバレルの部屋に到着し、扉を開けてみる。
既に準備は終えていたようで、エディオンとモレットのために用意した即席の寝床、簡単な菓子や食事、それと飲み物も用意されていた。
中にはモレットが待っていて、二人が来たのを出迎える。
「お待ちしていました、エディオンさん。バレル様、ご覧の通り用意はできています」
「ああ、すまないな。それと、ここには我々しかいないのだ。いい加減に敬語はやめていいんだぞ」
「いえいえ、こればっかりはもう染みついているので」
主従関係にあるバレルとモレットだが、人前でなければ砕けた付き合いをするようになった。
最初はエディオンを挟んでの強引な友人関係だったのが、今では敬語以外は普通に友人として付き合いつつある。
「よし! それでは寝間着に着替えて、語り合いを始めよう!」
この場を一番楽しみにしているバレルを中心に、語り合いは始まりを告げた。
全員が寝間着になった頃には外は暗くなっており、全員が寝床に座ったり寝転がったりする。
「で、何を語り合うんだ?」
用意された即席の寝床に寝転がり、傍らに置いた菓子を食べながらエディオンが尋ねる。
「私の仕入れた情報によると、こういう時は恋愛話が定番らしい」
「恋愛って、僕もバレル様もそういった相手いませんよ?」
モレットからの指摘にバレルは視線を逸らす。
「あれ? 貴族なのに、婚約者とかいないのか?」
「そうか、ディオは知らないのか。貴族の婚約者は成人した後、期日までに申し込んできた相手の中から当主たる親が候補を選別し、さらにその中から正式な婚約者を子が自分の意思で選ぶのだ」
初めて貴族の婚約者の決め方を知ったエディオンだが、さほど関心は無く適当な相槌をうつ。
家柄がどうだの、気に入られるため猫を被っているだの、ありもしない色仕掛けをされるだの、父親から聞いた過去の不満話を自分の事のように語るバレル。
一応申し込む側も成人を用意してはいるらしいが、中には余り物のずっと年上の娘や、夫に死なれて出戻って来た娘を勧める家もある。
さすがに年上すぎるのは趣味じゃないと、持っているコップを強く握りながらバレルは力説する。
「どう思うディオ! 私も男だ、女性に囲まれるのは嫌ではない。しかし私自身ではなく、実家を見ているような女性など、選びたくはない。どうすればいいのだ!」
飲み物を片手に真剣に悩むバレル。
適当に聞き流そうと思っていたエディオンだが、友人の真剣な表情に少し考えた後、起き上がって答える。
「そんなん、選ばれた女がそういう女かどうか、お前が見抜けばいいだろ」
この返答にバレルは、おおっ、と大げさな反応を見せた。
「見抜けられなければお前の目が節穴だった、て事で諦めろ」
「な、なるほど。しかし、候補者の選別は父上が」
「だったら希望出しとけばどうだ? こういう女がいいって。それで希望通りの女がいなかったら、お前の親父の目が節穴か、お前の希望以外の何かを優先させたって事で諦めろ」
友人の悩みだからこそ答えたが、内容は完全に他人事のような感覚だった。
望み通りの相手でなくとも、それは候補者を選別したバレルの父親か、候補者の中から相手を選んだバレル自身の責任。
そもそも、貴族の婚約なんて何かしら面倒事が絡むものと思い込んでいるエディオンは、いくら友人の悩みとはいえ貴族の婚約相談に応じるつもりはない。
貴族絡みでなければ、もっと真剣に考えていただろう。
(つうか、そもそもなんで実家を見ている女云々、って話になってるんだよ)
話の軸が微妙にズレている事は気になるが、友人としてエディオンは黙っておくことにした。
その時に、ふと気づいた。
「あれ? でも領主様はまだ未婚だよな?」
この地の領主たるミミーナは、未だに独身を貫いている。
長命なエルフ族とはいえ、成人に達する年齢は他の種族と変わらない。
そこからの若い姿での時間が長いというだけで、十六歳から成人扱いを受ける。
「うむ。私も父から話を聞いただけなのだが、なんでも選ばれた相手はどれも気に入らず、その後で申し込んできた相手も全員拒絶したらしい」
「なんでだ? その時に親父はまだ生まれてもいないはずだぞ?」
ミミーナがルーディアンに惚れ込んで未だに求婚しているのは、領内の住人どころか貴族ならほとんどが知っている事。
しかし百歳を越えるミミーナに対し、ルーディアンはまだ四十年やそこらしか生きていない。
婚姻を断る理由がルーディアンでない事は明白。
だとすれば何が理由なのかと、エディオンはバレルからの返答を待つ。
「うむ。これも聞いた話なのだが、一目見て、気に入った男がいないと一蹴したそうだ」
「なんだそりゃ?」
「確か、自分の勘がそう言っているとか、言っていたそうだ」
「……なるほど、親父に惚れこむわけだ」
似たようなものを感じたから魅かれ、追いかけ続けている。
どういった出会いをしたのかまでは知らないが、そういう事だろうとエディオンは思っておくことにした。
追及した所で喋るはずが無いと判断して。
「そういや、モレットは相手とかいないのか?」
「僕ですか? 僕の場合は、まず主のバレル様のお相手が決まってからですね」
付き人という立場である以上、主であるバレルの後というのは当然の事。
仮にそういう相手がいるとしても、主より先に婚約も結婚もできるはずがない。
それがモレットの考えなのだが、バレルはそんな事を気にしない。
「別に先に相手を見つけてもいいんだぞ。同い年だからって、そんな事まで気遣わなくとも。第一、そういう風習や暗黙の了解とかがある訳でもあるまい」
バレルの言う通り、そういった風習や暗黙の了解は王族にも貴族にも存在しない。
遠い昔は主より年下の場合はそういう風潮は存在したが、今では無くなっている。
「そう言われましても。そもそも、相手がいませんから」
「結局はそこなんだよな」
「そうだな。という訳で、相手がいそうなディオも、その辺りをぶっちゃけろ」
矛先が自分に向いた途端にエディオンは黙る。
「……ぶっちゃけなきゃ、駄目か?」
「ほう?」
しばし黙った後に見せたエディオンの反応から、特定の相手がいると察したバレルの目が光る。
こうなった彼は、せっかくの獲物を逃すつもりは無い。
面白そうなものを見つけたとばかりに笑みを浮かべ、腕を組んで胸を張る。
「ああ、駄目だ。私が友だと言うのなら、それくらい打ち明けてもいいだろう? それとも、お前の言うダチとはその程度のものなのか?」
外堀を埋めるかのような言い回しに、どこか悔しそうなエディオンは反論できない。
いかにノリのいい彼であっても、乗れないノリは存在する。
「さあどっちだ? ウリランか? フィリアか? それとも別の第三者か? 個人的に、大穴はエリアナさん辺りだと思うのだが」
「バ、バレル様……」
明らかに悪ノリしている雰囲気にモレットが止めようとするが、それを手で制したのはエディオンだった。
悔しそうな表情は笑みに変わっている。
「そうだな。ダチだからこそ、こういう時にはぶっちゃけなきゃな」
先ほどのバレルの言葉はエディオンに、改めて自身の中での友人という存在を確認させた。
だからこそ笑みを浮かべ、話に乗る事にした。
待っていたとばかりにバレルも笑みを浮かべる。
「そうでなくては。で、誰なのだ?」
「フィリア」
迷っていたのは何だったんだ、と言いたいくらいにアッサリ言ってのけた。
「ほう? 我が友は胸派ではなく脚派だったか」
「あのバレル様、そんな風に言うのは」
「いやいや、胸も悪くないとは思っているぞ。勿論尻も」
「エディオンさんまで何を言っているんですか!」
この日もモレットのツッコミは絶好調だった。
というよりも、これで彼がツッコミ役をやらなければ、二人はどこまでも暴走していたかもしれない。
彼の存在は何気に重要ということには、誰も気づかない。
「では、フィリアのどこを気に入ったのだ?」
手元にある菓子をつまみながらバレルが尋ねる。
エディオンも手元の飲み物を一啜りし、質問に答える。
「正直に言うと、フィリアもウリランも昔っからの付き合いだからな、何の感情も抱いていないって言ったら嘘だ。どっちも魅力的だし、俺には勿体ないぐらいだ」
前置きのように、双方に想いを寄せている事を明かした。
しかし、彼らの住むガルガニア帝国は王族であろうと貴族であろうと、一夫一妻制が敷かれている。
そのため双方を取るという選択肢は存在せず、どちらか一方しか選べない。
「ならば、その上でフィリアを選んだのは何故だ?」
「……俺とは逆方向を向けるから、かな?」
明かした理由にバレルとモレットは意味を理解できず、首を傾げた。
「あの、どういう意味なんですか?」
小さく挙手しながらモレットが尋ねると、エディオンは手元にある菓子を齧りながら説明を始める。
「なんつうかさ、俺って親父を倒すって目標に一直線なわけよ」
「うむ。それはよく知っている」
「でもさ、その目標にばっかり向かっていて、周りどころか自分も見えなくなる事も多いんだ」
そう言われて思い浮かぶのは、何度か見学した無茶とも言える修業。
父であり師でもあるルーディアンがいる時はともかく、いない時の個人的な修業は時に度を過ぎていた。
とうに限界を超えているのに鍛錬を続け、大怪我をしそうになったり、体力切れで倒れたりした事が何度もあった。
その光景を思い出した二人は、自分が見えなくなるという点に頷いて同意する。
「ウリランはさ、俺の目標に対して同じ方向を見て、応援してくれると思うんだ。でもフィリアは、同じように応援してくれていても、別の方向を見ながらなんだ」
その点についてはなんとなく納得できた。
エディオンを乗せようと色々やってくるウリランと、二人のノリに乗っていけなくとも、自分なりに付いて行けているフィリア。
同じ方向を見ているからこそ乗せられるし、違う方向を見ているからこそ乗らずとも付いて行けている。
「いざという時に、別方向を見てくれている奴が傍にいると安心するんだ。俺が無茶を通り越して無謀な事をしようとしても、それに付き合わずに止めてくれるだろうからな」
無茶をしようとした時に同じ方向を見ているから、傍から見ても無謀に気づかず止められない。
別方向を見ているからこそ、傍から見て無謀に気づいて止められる。
自分が無茶をしていると自覚し、無謀に足を踏み込み兼ねないと分かっているからこその選択。
この選択にバレルは手を顎に当て、考える素振りをしながら頷く。
「なるほどな。さすがは幼馴染、双方の事をよく理解している」
「当然だ。だからこそ惚れたんだ。でもあいつらが揃って告白してきた時は、さすがに少し驚いたけどな」
「でも、ルーディアンさんに勝つまでは、返答する気は無いんですよね?」
真剣な表情になったエディオンは一回だけ大きく頷く。
「ああ。なんでかは知らないけど、俺の心の奥底で何かが叫んでいる気がするんだ。親父を倒せってな」
握りしめた拳を見つめながら、告白してきた二人にそう言った日の事を思い出す。
どっちも勇気を出しての事だとは分かっても、心の奥底から響き渡る叫びには、何故か勝てなかった。
それでも待っていてくれる辺り、自分は恵まれてるとエディオンは再認識する。
同時に、自身の中から時折聞こえてくる、ルーディアンに勝利したいという声は何だという疑問も改めて抱える。
周囲には倒せと言ってはいるが、実際は倒せではなく、倒したいという願望のような叫び。
それに気持ちが揺さぶられ、他の何よりも優先してルーディアンに勝てるようになりたい、という気分になってしまう。
まるで本能的にルーディアンからの勝利を欲しているかのように。
「それか。エリアナさんから話を聞いた時は、ちょっと痛い系な発言だと思ったぞ」
「……言うな、一応自覚はしてるから」
拳に向けていた視線を明後日の方向へ向ける。
いくら本能的な呼びかけとはいえ、口にしたら痛い奴と思われるというのは、彼自身も理解していた。
「しかし、ディオはてっきり胸派だと思ったのだがな。よくウリランに引っ付かれて喜んでいたからな」
「いやいや、さっきも言ったろ? 脚もいいけど胸も悪くないと思っているってな。勿論、尻も含めてだ」
「またその話題ですか!」
話題の方向性が戻った事にモレットが鋭く突っ込む。
「いいじゃないか。どうせ男ばかりなんだ、そういった話になってもいだろう」
「そうだぞモレット。お前だって、ウリランの胸が揺れる度に、目を外すフリしてチラ見してるだろうが」
「なっ、な、なぁっ!?」
本人はバレていないつもりだったのか、顔を真っ赤にして過剰な反応を見せる。
それを見て聞いたバレルは、面白いネタを見つけたとばかりに目を輝かせた。
「そう言われればそうだったな。なるほど、モレットは胸派か」
「ち、違いますよ! というか、あんなの男なら誰だって目が行っちゃいますって!」
「やっぱり見てるんだな、このムッツリ」
「む、ムッツリと違いますよ!」
必死になって否定しているが、彼がウリランの揺れる胸やフィリアの脚線美に目が行っていたのは事実。
今も顔を真っ赤にしている辺り、思い出しているのかもしれない。
「しかし、自分とは別方向を見ているか。なかなかいい話を聞いたな」
「元々は親父から聞いた話なんだけどさ」
「どんな話なんですか?」
二人のコップに飲み物のお代わりを注ぎながらモレットが尋ねる。
さして隠すような事でもないため、エディオンはお代わりを受け取りながら喋りだす。
「信頼している相手に対して、背中を預けるとか言うだろ? 背中を預けるのは自分が見る方向とは別方向を見て、そいつに見えない方向を守ってもらうためだ」
自分とは別方向を見ているからこそ、前しか見えなくなっている時にそれをフォローできる。
「親父曰く、そういう奴をダチにしておけば、戦闘でもそれ以外でも無茶しそうな時は止めてくれる。だから、そういうダチを一人は持っておけよって、酔いながら言ってた」
酔いながらという、最後の一言で少しばかり雰囲気が台無しに思えてしまうが、内容そのものはバレルもモレットも共感できた。
特に、ただ普通の友人を求めていたバレルにとっては、普通の友人にも色々とあるんだなと感心させられた。
今のエディオンのように身分も関係無く、一緒にバカな事をできる友人がいれば、行き過ぎたことを止めてくれる友人もいる。
そういった存在は、バレルにはすぐに思い浮かんだ。
本人が付き人兼護衛という立場を貫いているため、友人という関係にはなりきれていないものの、自分とは別方向を見て傍にいてくれるモレットの存在が。
立場という点を踏まえても、彼は別方向を見て危険そうな事を止めたり、会話が暴走しそうになったらツッコミを入れてくれる。
(やはり、モレットとも友人にならなくては)
難攻不落と分かっていても、逆に挑みたくなってくる。
そういった所は、ルーディアンに勝とうとしているエディオンの影響を受けていた。
「はっはっはっ。いやあ、思っていた以上に楽しいな。友と一緒にこういう話をするのは」
上機嫌なバレルは手元にある軽食のサンドイッチを摘まみながら、この状況に満足を示す。
同意するようにエディオンも微笑んで頷き、モレットもツッコミやムッツリ疑惑で疲れてはいたが、現状を楽しく思っている。
この場には貴族としてのしがらみも何も無く、ただ友人と喋って親交を深めるだけでいい。
そんな空気こそバレルが求めていたものの一つだった。
「さて、次は何を喋ろうか」
「やっぱり怖い話とかじゃね? こういう時は」
新たな話題についての提案に、自分の分の菓子を確保したモレットの顔色が変わる。
「そういう話をするには、季節が違うと思うんですけど!? もっと別の話題は無いんですか?」
実は怖い話のようなものが苦手で、ツッコミつつ話題を逸らそうとするモレットだが、それをバレルが知らないはずがない。
知らないフリをして、エディオンの提案に乗ることにした。
「いいじゃないか。そういう話をするのも、こういう時の定番らしいからな」
「えっ、ちょっ」
「じゃあ俺からいこう。これはこの町に古くからある話なんだが」
「やめてください!」
結局モレットは二人を止められず、部屋からも出してもらえず、怖い話を延々と聞かされるのだった。