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たまには遊んでも


 いつの間にか町を出ていたグレイオスにブツブツ文句を言い、鬱憤を普段より厳しい修行をエディオンに課すことで晴らしたルーディアンは、その日の修行が終わった後で疲れきったエディオンに告げた。


「明後日は修行休みだ。たまには遊んで、気分転換しておけ」

「……なんで、明後日?」

「明日はいつもの奴らと、何して遊ぶか決めておく日だ。いきなり言われても、碌な遊びできねぇだろからな」


 日取りの理由は尤もだが、突然の遊べ通達に戸惑うエディオンは、翌日になってからフィリア達に相談してみることにした。

 夏季長期休みに入って以降、領主の館はバレルの部屋で行われている、課題をやるための集まり。

 全員がそこに集まり、休憩時間になった所で切り出す。


「という訳なんだ。明日は午前中から遊びに行かないか?」

「「「賛成」」」


 提案に乗ったのはフィリア、ウリラン、バレルの三人。

 返事をしなかったモレットは、護衛としてバレルと一緒にいるつもりのため、行くか行かないかはバレル次第だと言った。


「では、全員参加だな!」


 友人と遊びに行くというシチュエーションに、やたらとバレルは張り切る。


「それで、どこに行くのだ?」

「どこって、いつも通り森で狩りを」

「アホか!」


 さも当然のように狩りを提案しようとしたエディオンの頭をフィリアが叩く。


「狩りのどこが遊びなのよ! ディオにはそうなのかもしれないけどね、私達にとっては修行じゃない!」


 言われた文句に反論は無かった。

 つい、いつもの感じで狩りを提案してしまったが、怒られてから狩りはないなと気づく。


「ディオく~ん。私もフィーちゃんもね、ディオ君といられればそれでいいんだけどぉ、さすがに狩りは遊びじゃないからね~」


 擦り寄って色々と押し付けながら、ちょっと怒った口調でウリランも文句を言う。

 だが、言っている事はともかく、この行動にフィリアの怒りの矛先が変わる。


「ちょっと、くっ付きすぎよ! この暑いのに!」

「恋の炎はね~。夏の暑さも凌駕するんだよぉ。ディオ君も、気にならないよね~」

「そうだな。今は暑さよりも柔らかさが気になっている」

「コラーッ!」


 いつの間にか話が脱線する、いつものやり取り。

 段々とこれに慣れてきたバレルはそれを見て笑っているが、真面目なモレットはイマイチ慣れずに止めようかどうしようか迷っている。

 そんな事をやっている間に休憩は終わり、話はこの日の分の課題が終わってからになった。

 毎日少しずつやっているお陰で、もうすぐ終わりそうな課題。

 勉強が苦手なエディオンとウリランも、周りに教わってどうにか解いていく。


「はい。今日分は終了ですね」


 終わったと同時にエディオンとウリランが、いかにも疲れたといった様子で背もたれに寄りかかる。


「それじゃあ、明日の相談の続きをしましょう。どこに遊びに行きたい?」


 フィリアが遊びの話を再開すると同時に、まるで疲れが吹っ飛んだとばかりにウリランが元気よく反応する。

 その際に胸が大きく揺れ、それを見てしまったモレットは顔を赤くして顔を伏せた。


「はいはぁい! やっぱり夏だしぃ、湖に行って泳ごうよ~」

「泳ぎか。それなら俺も賛成だ」

「私も賛成よ」


 泳ぎに行くという提案にエディオンとフィリアが賛成する。

 続けてバレルも賛成と告げるが、それを聞いたモレットは伏せていた顔を上げるほど驚く。


「えっ、ちょっ、バレル様?」


 何か伝えようとしているが、誰も耳を貸さない。


「そうと決まればぁ、水着買いに行かなくちゃね。フィーちゃん、帰りに服屋さん寄って行こ~」

「分かったわ。でもその前に一度帰らない? お金取ってこないと」

「バレルは水着は?」

「生憎持ってきていないんだ。後で買いに行かないと」

「あの!」


 誰も話を聞こうとしないため、大声を上げて呼びかける。

 さすがにこれには無反応ということはなく、全員がモレットの方を向いた。


「どうかしたのか?」


 急に大声を上げた以上、何かあるのかと思いバレルが尋ねる。


「どうしたもこうしたも、バレル様も僕も泳げないじゃないですか」

「……あ」


 重要な事を思い出したバレルの動きは止まった。

 泳げない、というのは単純に泳ぎが下手という意味ではない。

 こっちに来るまで帝都暮らしだった彼らは、今までに水泳というものをやった事が無い。

 つまり泳げる泳げない以前に、泳ぐという行為自体を経験していない。

 そんな状態でいきなり泳げるはずがない。


「しまった……。友人と遊びに行くという、友人ができたらやりたかった事ランキング三位の出来事の発生に、すっかり失念していた」


 がっくりと膝を床につき、そのまま手も床に着いてしまうほどバレルは落ち込んでしまう。

 しかし、それを救うのはやはり友人という存在であった。


「だったら俺が教えてやるよ。バレルにもモレットにも、泳ぎをよ」

「……いいのか?」

「俺達はダチだろ? だったら遠慮すんな、沈んでも潜って助けてやるよ」

「友よ!」


 感動からエディオンの手を握る。

 そこへ、部屋の扉が開いてマリーエルが飛び込んできた。


「お兄様がどこかへ遊びに行きそうな予感がしました! 私も連れて行ってください!」


 特徴的な尖った耳をビンビンに反応させて現れたマリーエルはともかく、言い放った内容はエディオン達を凍りつかせた。


「どこですか!? どこへ遊びに行くのですか!?」


 目をキラキラさせ、飛び跳ねるように縋り付くマリーエルの姿はとても微笑ましい。

 だが、先ほどの発言がその微笑ましさをかき消していた。

 まるで全てを見通して現れ、愛する兄に構ってほしい小悪魔のようだ。


「えっと……ちょっと湖へ泳ぎに……」


 妹の知りたくなかった一面に呆気に取られ、つい予定を言ってしまう。

 予想が的中したマリーエルは、キラキラさせていた目を、より輝かせて懇願しだす。


「お願いです! 私も連れて行ってください!」


 こうなっては梃子でも動かないのは、兄であるバレルが一番知っている。

 しかし妹の恐ろしい一面を見てしまった彼は、なんとかして断れないかと考える。

 だが、そう都合の良いように策は思い浮かばない。

 すがるようにエディオン達へ視線を向けるが、揃って首を横に振られてしまった。


「……分かった。その代わり、ちゃんと言う事を聞くんだぞ」

「はい!」


 元気よく返事をした表情は実に年相応なのに、先ほどの発言がそれすら台無しにしている。


「では早速、水着を買いに行きましょう! フィリアさん、ローウィさん、案内してください!」

「えっ? あっ、はい……」

「分かりましたぁ?」


 半ば流されるように返事をした二人は、手を引っ張られて部屋を出て行った。

 部屋に残った男三人は黙って椅子に座り、額に手を当てて力なく俯く。

 漂う暗いオーラは、周囲を震え上がらせるほどだが、幸いな事にこの部屋には他に誰もいない。


「妹の予感が予言レベルの怖いのだが」

「俺も恐ろしいと思った。親父とは別な意味で」


 子供ながらに感じたその恐ろしさを忘れるため、三人は翌日の遊泳の準備に取り掛かる事にした。

 落ち込みながらのろのろと歩く姿に、屋敷の使用人達は何があったのかと、その日のうちにあらぬ噂話がいくつか屋敷内に広まることとなった。


「という、訳、で! 湖に、泳ぎに、行ってくる!」


 午後の修行中、魔力強化無しでの組み手をしながら、翌日の予定を伝える。


「ああ、そうか。俺は魔物の領域行ってくっから、ちゃんと遊んでこいよ」

「分かってる、よ!」


 エディオンの繰り出す鋭い拳も蹴りも尻尾も、全ての攻撃をルーディアンは一歩も動くことなく片手で捌く。

 しかもその視線は攻撃でもエディオンの動作でもなく、自分を睨むようにしている目に向けられている。

 厳しくなった修行の日々は、確実にエディオンを成長させていたが、同時に心の余裕が無くなっているのにルーディアンは気づいた。

 危なっかしい目をして、同じく危なっかしい雰囲気を発しながらの修行は鬼気迫るものこそあるが、自分の身と心への負担を考えていないように見えた。

 普段なら学校で友人達や、フィリアとウリランとの触れ合いで発散させているそれは、長期休みで一日の大半を修行に費やすようになってから休み前より発散できていない。

 どこかで息抜きをしなきゃ、必ずどこかで体か心が壊れる。そう思ったからこそ、気分転換に遊びに行けと言い出したのだ。


「そんで、どうせ今日は、明日の分も、って言うんだ、ろ!」


 いつもならそうなるはずだった。

 しかし、今はエディオンが危なっかしい状態。

 とてもじゃないが、父として師として、それはできなかった。


「いや、今日は休みに入ってからの分で終わりだ。明日遊べるよう、休んでおけ」

「……へっ?」


 思いがけない言葉に気が抜けて、渾身の力を込めたはずの蹴りから力が抜ける。


「だからって、気ぃ抜くんじゃねぇ!」


 情けない一撃は当たったが、当然ルーディアンにダメージは無い。

 それどころか気が抜けた攻撃に怒り、ちょっとだけ力を入れてエディオンを殴った。

 直撃を受けて吹っ飛んだエディオンは、見事な放物線を描いて地面に落ちる。


「この程度で気ぃ抜くたぁ、まだまだだな。もっと気合い入れろや、気合い!」


 精神論な教育的指導を叫ぶ中、起き上がったエディオンは信じられないものを見る目でルーディアンを見ていた。


「? なんだ、どうした?」

「お、親父が……あんな事を言うなんて、明日は槍のような雹が降るか? それとも雷の乱舞か? やべぇ、泳ぎに行くのどうしよ」


 困惑する息子であり弟子を見てちょっと落ち込む。

 ガラにも無い事を言った事は自覚しているが、自分なりの優しさから言った言葉を、そう受け止められるとは思っていなかった。

 あたふたするエディオンと、俯いて暗い表情をしているルーディアン。

 この二人の珍しい光景に、通りがかりの人々や広場の隅で訓練している探検者達は、翌日の天気は大丈夫かと少し気になった。

 そして翌日、天気は見事な快晴。


「良かった、親父のせいで泳ぎに行けなくなったら、皆にどう謝ろうかと思った」

「テメェ、さすがにそろそろ殴るぞ?」


 若干怒り気味のルーディアンから、逃げ出すようにエディオンは集合場所へと出て行った。


「という訳で、本当に晴れて良かったと思ってるよ」


 笑いながら前日の出来事を話すエディオンの手には、湖に向かう途中に襲ってきた豹の尻尾が握られていた。

 湖は森の中にあるため、虎や熊なんかは出てこないが、狼や猪といったくらいの動物は現れる。

 その程度ならば、武器を持って大人が付いていけば対処できるため、湖に遊びに行く子供は割といる。


「そこまで珍しい事なんですか?」

「珍しいわね。ルーディアンさんにしては」

「普段なら、今日の分も修行した疲れで、ディオ君が来るのが遅刻ギリギリになっちゃうもんね」


 幼馴染のフィリアとウリランからすれば、本当に晴れて良かったと思えるほど珍しい事だった。

 イマイチそれが分からないモレットは首を傾げるが、まあそういうものなんだろうなと思うほど、彼もこの手のやり取りに慣れてきた。

 なお、バレルは友人と遊び行けること、マリーエルは兄と遊びに行けることが嬉しくて、そっちはさほど気にいない。

 それよりも、早く湖に着かないかと、楽しみを押さえられないでいた。


「見えたぞ、あそこだ」


 襲ってきた狼の群れを拳に溜めた魔力を撃って吹き飛ばした向こう側に、湖が広がっていた。

 畔では家族連れや、大人に付き添われた子供達が何組かおり、水遊びをしている。


「やあ、エディオン君じゃないか。さっき爆裂音が聞こえたけど、君かい?」

「ええ。ちょっと狼の群れがいたもので」

「そうかい。追い払ってくれて助かったよ」


 付き添いの大人とそんな会話を交わした後、一行は湖の傍に立つ小屋へと向かう。

 ここは遊びに来た人達の着替え場であり、狩人達が急な悪天候の時に逃げ込める小屋でもある。

 そこに入って男女別の着替え場で着替えをする。


「いつも思うのだが、ディオの腕はそこまで太くないのに、どうしてあんなに強い攻撃ができるのだ?」


 鍛えられているのは引き締まった様子から見て取れるが、エディオンの腕はそこまで太くない。

 それでよく、ブラッドベアを倒せるほどの一撃を繰り出せるものだと、常々バレルは思っていた。


「魔力で強化しているってのもあるけど、竜人族って筋肉で体が太くなったりはしないんだって、親父が言ってた」

「そうなのか?」


 竜人族の体格が、筋肉により大きくならない理由。

 それは体にある鱗にある。

 この鱗は硬く、物理的衝撃から身を守ってくれるが、ちょっとした特徴がある。

 剥がれたり抜け落ちても、同じ大きさの鱗が新たに生えてくるのは早いのだが、それが筋肉による体の膨張さえも押さえ込んでしまう。

 そのため、普通に成長して体が大きくなる分には問題が無いのだが、体を鍛えても腕や脚が筋肉によって盛り上がったり、太くなったりはしない。


「それでは鍛えるのに限度があるのではないか?」

「実はそうでもないんだよな」


 鱗の特徴に対応するように、竜人族の筋肉も変わった特徴を持っている。

 外部から強力に押さえ込まれている分、鍛えれば筋肉そのものの力だけが増していき、同じ箇所の同じ大きさの筋肉でも、他の種族の何倍もの力を発揮できる。勿論、ちゃんと鍛えていればの話だ。


「だから、これくらいの太さでもバレル達の数倍の力が出るんだよ」


 ただ、鱗の無い腹は太れば出てくるんだけどなと、最後に付け加えた。


「ほう? 初めて聞いたな」

「竜人族は数が少ないですからね。そんな話、聞く機会はそうそうありませんよ」


 それもそうかと呟くバレルが着替え終わり、先に着替えを終えていたエディオンとモレットと揃って外へ出る。

 三人の方を振り向いた何人かは、引き締まったエディオンの体に目を奪われている。


「やっぱり鍛えていると違うのね」

「見てよ、うちらの旦那の弛んだお腹とは大違いよ」


 太くなり難い代わり、鍛えれば鍛えるほど引き締まるエディオンの腹筋は、とても十二歳とは思えないほど割れている。

 それを見た奥様方は、子供達と遊ぶ自分の夫の弛んだ腹を見て、酷くガッカリした。


「しっかしモレット、お前思ったよりもひょろいな」

「エディオンさんが鍛えすぎなんですよ! 僕は平均です、年齢的には平均ですから!」

「平均程度で私の護衛が務まると思っているのか? もうちょっと鍛えろ」

「そんなぁ……」


 落ち込むモレットに、冗談のつもりだったエディオンとバレルが笑い出す。

 そうしていると、着替え終えた女性陣も小屋から出てきた。


「お兄様! 見てください!」


 真っ先にバレルへ突撃してきたマリーエルは、年相応なワンピース型水着。

 兄に甘える姿に、周囲の大人達から暖かい視線が集まる。

 だが、その視線の、主に男達の視線は続いて出てきた二人の、主にウリランへ移ることとなる。


「ディオ、お待たせ」

「ディオ君~。見て見てぇ」


 無駄の無い見事な脚線美を晒している、競泳水着のような水着のフィリアはともかく、牛人族特有の大きな胸を持つウリランはビキニ系で攻めてきた。

 それを見た周囲の目、特に男達の視線はエディオンに駆け寄る度に揺れる胸に釘づけとなり、男達は心の中で雄叫びを上げる。

 勿論、奥さんや恋人にそれを見抜かれ、子供相手に何て目と顔をしているんだと怒られる事となった。

 そんな事が起きているとは気づかず、ウリランはエディオンの下に駆け寄り、思いっきり胸を押し付けながら抱きつく。

 柔らかさと共に、少なめの布地から体温が伝わってくる。


「えへへぇ。どう? 似合う~?」

「とても似合ってる。フィリアもな」

「あ、ありがとう……」


 聞いてもいないのに褒められると思っていなかったのか、頬を染めたフィリアが視線を逸らしながらお礼を言う。

 一方のウリランは、褒められたのが嬉しくて、だらしない笑みを浮かべながら体をさらに押し付ける。


「でへへぇ。お礼にもっとくっ付いたよ~。感想は?」

「これ以上ないほど最高だ」

「って、コラーッ!」


 いつものやり取りと分かっていながらも、つい反応してしまうフィリアが回し蹴りをエディオンに向けて放つ。

 しかし、あっさりと受け止められてしまう。その上、脚を掴まれたまま手を放してもらえない。


「ちょっと! 放しなさいよ!」

「いやいや、放したらまた蹴ろうとするだろ?」


 それはゴメンだと言おうとしたが、その前にウリランが口を挟んだ。


「わぁおぉ。やっぱり直に見ると、いい脚だよねぇ。ディオ君、怒らせたお詫びに頬ずりしてあげたらぁ?」

「えっ? ちょっ、何を」

「ナイスアイディアだ。じゃあ失礼して」

「ひにゃあぁぁぁっ!?」


 言われるがまま脚に頬ずりした途端、狼人族なのに猫っぽい悲鳴が上がる。

 その悲鳴に視線が集まり、エディオンに抱きついたウリランと脚を掴まれてそこへ頬ずりされているフィリアを見て、ああいつものかと遊びを再開する。

 この光景を唯一見たことが無いマリーエルだけが、過剰に反応する。


「ひゃあぁぁっ。お外でそんな、なんてスキンシップをしているのでしょう」


 顔を真っ赤にし、バレルの陰に隠れながらも三人のやり取りからは目を離せないでいる。


「こんっの! いい加減にしなさい!」


 怒ったフィリアの拳を避ける際、ようやくエディオンの手がフィリアの脚を解放した。

 やっと脚を下ろせたフィリアは頬を膨らませて二人を睨むが、慣れている二人はその程度の睨みは気にしない。


「ほら、ディオ君。お詫びに頭撫でてあげなよ」

「よしきた。ほら、悪かったな」

「はにゃあぁぁ……」


 本当に狼人族なのかと思うほど猫っぽい声の連発に、思わず耳と尻尾が猫系でないか確認してしまう。

 だが、エディオンに頭を撫でられて嬉しそうに動いている耳と尻尾は、どう見ても狼のものだった。


「さてと、ふざけるのはここまでにして、そろそろ泳ぐか」


 簡単に準備運動を済ませた六人は湖へと入っていく。


「わっ、わっ。思ったよりも深いです」


 バレル同様に泳ぎの経験が無いマリーエルは、足は付いているが胸元まで水に浸かった事に若干慌て、繋いでいる兄の手を強く握る。


「落ち着けマリーエル。足は付いているんだ、沈みはしないぞ」

「分かっています。けれどやはりちょっと怖いです、お兄様」


 恐々と水に浸かる様子に、水面に顔をつけさせるのも一苦労しそうだと、教える側のエディオン達は思った。


「マリーエルちゃん、向こうのもうちょっと浅い所で練習しましょう?」

「はい! さぁ、お兄様も!」

「いや、私はここくらいの深さでちょうどいいのだが……」


 身長の低いマリーエルにとっては深くとも、バレルの身長からすればさほど深くない。

 ごねるマリーエルをどうにかフィリアとウリランが引き剥がし、男女別でそれぞれに泳ぎの練習を始める。

 妙に力んでいるからか、上手く浮けないバレルを水中から支えたり、泳ぎ方を頭で考えすぎて沈んでいくモレットを救出したり、練習の一環で潜って溺れかけたマリーエルを救出したりと、多少のトラブルはあるものの水泳の指導は順調に進む。

 そして泳げない三人が休んでいる間は、泳げる三人が思いっきり泳ぐ。


「うおぉぉぉっ!」


 ようやく思いっきり体を動かせるエディオンは、湖の対面側に行きそうな勢いで泳いでいく。

 そのあまりの速さに遊んでいた子供達が騒ぎ、追いかけようとするのを親に止められる。


「わあぁ。やっぱり速いねぇ、ディオ君は~」

「年々速くなっている気がするのは、アタシの気のせい?」


 幼馴染二人が見守る中、本当に対面側まで行ったんじゃないかというほど、遠くまで泳いで見えなくなる。

 やがて向かった時と同じ勢いで帰ってくると、子供達から歓声が上がり、到着と同時に拍手が巻き起こった。


「凄いな! さすがは我が友だ!」

「そんなお友達を持つお兄様も凄いです!」

「あの、その言い方は何かおかしいような……」


 かなりの距離を泳いだにも関わらず、さほど息も切らさず戻って来たエディオンは湖から上がって、フィリアの差し出した水筒の中身を飲む。


「プハッ! はぁっ、スッキリした」


 修行の日々の鬱憤や負担から解放されたこともあり、表情は晴れ晴れとしている。

 もしもこの場にルーディアンがいれば、予定通りストレスを解消させられたと笑っているだろう。

 そうとも知らずに溜まっていたものを発散させたエディオンの下に、子供達が駆け寄ってくる。


「ねぇねぇディオ兄ちゃん、アレやって! アレ!」

「アレ見たい! 見たい!」


 騒ぐ子供達の様子に、何の事か分からないバレル達は首を傾げる。


「フィリアさん、ウリランさん。アレとは何の事ですか?」


 分からずに尋ねるマリーエルに、二人は見れば分かるとだけ返す。

 子供達の期待に頷いて応えたエディオンが、湖の淵に立って腰を落とす。

 まるで今にも走りだしそうな姿を見て、まさかなと思った三人だが、そのまさかが実行される。

 大きく息を吐き、脚に魔力を集中。

 勢いよく駆け出し、そのまま水面を走り出した。


「「はあぁぁぁぁっ!?」」


 さすがにそれは無いだろうと思っていたバレルとモレットが驚きの声を上げ、マリーエルは言葉を失ってポカンとしている。


「ふぬぬぬぬぬっ!」


 本当に水面を走っているのかと思うほどの速度で動き続け、途中でターンをして戻ってくると、再び子供達から歓声が上がった。


「やっぱりスゲェな、ディオ兄ちゃんは」

「去年より長く走ってたんじゃねぇの?」

「すごぉい、すごぉい」


 楽しんでいる子供達の一方で、走ったエディオンは膝に手をやって息を整えている。

 さっきは浮かんでいなかった汗が浮かんでおり、どれほど集中していたのかが窺える。


「ディ、ディオ、あんな事ができたのか?」

「まあな。親父の見よう見まねだけどな」


 まだ驚きが抜けないバレルの問いかけに、今度はウリランから水筒を受け取って水分を摂りながら答える。


「でもまだまだだ。親父はもっと長い間走れる。それも、魔力での強化も無しでな」

「魔力強化無しで!? ど、どうやって?」


 驚きっぱなしの二人に、水分補給を終えたエディオンは笑いながら答える。


「親父曰く、片方の足が沈む前に上げて同時にもう一方の足を水面につけるのを繰り返せばいい、だとさ」


 理屈で言えばその通りなのだが、実際にそれをやる人物などバレルもモレットも聞いたことが無い。

 人が水面を走れるわけがない。つい数秒前までそう思っていた世界が打ち砕かれた。

 生ける伝説とも言われるルーディアンと、それにはまだ遥かに及ばないが彼に鍛えられているエディオンによって。


「アタシも見た事あるわ。正直、自分の目を疑ったわ」

「私もだよぉ。ディオ君が出来るようになったのは、二年前だっけ~?」

「親父は八歳でやったらしい。本当かどうか知らないけど」


 さも当たり前のように話しているが、内容はバレル達にすれば衝撃の連続。

 水面を走れるだけでも衝撃的な光景なのに、それをやったのが同い年の友人。

 その父親で師匠でもある人物に至っては、八歳で成し遂げたという。

 留学して以来、これまでにいくつも非常識な光景を見て事実を知ってきたが、それでもなお驚くほどの光景と事実だった。


「? どうした?」

「いや、これまで私達が学んできた常識は、何だったのだと思って……」


 思わず零した言葉に、エディオンはクスリと笑う。


「親父曰く、常識を打ち破らなきゃ成長なんて望めない、なんだとよ」


 だからこそ、ルーディアンは竜をたった一人で、しかも素手で倒すという偉業を成し遂げた。

 だからこそ、未だに生ける伝説のようにその名を轟かせている。

 だからこそ、こんな息子で弟子を育ててしまった。


「常識なんて殻に籠もってたら、それ以上にはなれないだろって、修行を始めたばっかの頃はよく言われたぜ」


 本人は苦笑して言っているが、それを実行するのは生半可な事ではない。

 そう思ったモレットは、改めてエディオンの恐ろしさに唾を飲んだ。

 やらせたルーディアンもルーディアンだが、実際にやってのけたエディオンもエディオンだと。


「さてと。もう充分休んだだろう? 泳ぎの練習再開しようぜ」

「そうね。行きましょう? マリーエルちゃん」

「ゴ~ゴ~!」

「えっ? あっ、はい」


 まだ呆け気味のマリーエルに続き、バレルとモレットもエディオンの後に続く。

 会うたびに、会話するたびに色々と驚かせてくれる、友人に驚きを通り越して尊敬の眼差しを送りながら。


「よし! ディオ! 私も今日中に泳げるようになってみせるぞ!」

「言うじゃねぇか。よっしゃ、こっちも気合い入れて教えてやる。モレットも覚悟しろよ」

「えっ? 僕もですかっ!?」

「当たり前だ! 私がやるんだ、お前もやらなくてどうするんだ!」

「いやでも、だからって今日中はちょっと無理が!」


 結局、この後も熱心に練習はしたものの、やはり一日で泳げるようになるほど甘くはない。

 しかし、当人達は知らない当初の目的であるエディオンのガス抜きはできた。

 練習の合間の水遊びと、長期休みで減っていたフィリア達との長時間の触れ合いが、修業の日々で溜まったものを発散させた。

 帰ってきた息子で弟子の目を見てそれに気づいたルーディアンは、これで明日からの修行も大丈夫だなと頷く。

 ちなみに、数日後にも行われた水泳練習で最初に泳げるようになったのは、マリーエルだった。

 喜んでバレルに抱きつくマリーエルが、妹に先を越されて兄の威厳がと悔しがるバレルの気持ちに気づくことはなかった。


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