来訪者
学校が夏季長期休みに入って以来、エディオンの修行は厳しさを増している。
腕立て伏せの時に背中に乗せる物はどんどん重くなり、追いかけっこは後方から小石を投げつけられるようになった。
勿論、重くなったからといって決められた時間は縮まらないし、小石を避けながら走るので、当たったらその後の修行がより厳しくなる。
そんな修行をこなしつつ、午前中はラックメイア子爵邸で課題に取り組み、数日に一回は狩りに行って小遣い稼ぎと連携の訓練をし、実戦経験も積んでいく。
狩りには、しばらく逗留するというマリーエルも加え、六人で向かうようになった。
初めての狩りに興奮し、普段以上にバレルに引っ付き話しかける姿を笑いつつ、出てきた獣を狩っていく。
さすがに熊や虎に遭遇した時はマリーエルは悲鳴を上げたが、そこへエディオンがあっさり片付け、残った一頭をフィリアとウリランが連携して倒して事無きを得る。
件のブラッドベアと遭遇した一件以降も、なんでもなく普通に狩りをする様子から、誰にも魔物と遭遇した事による精神的問題は起きていないように見える。
「凄いです! ディオさんも凄いですけど、フィリアさんとウリランさんも凄いです! お兄様、負けていられません。さあ、お兄様も勇ましい姿を」
「いや、無理だから」
鼻息を荒くして兄をけしかけるが、今のバレルの弓の腕では熊や虎などを倒せるはずがない。
本人も自覚しており、そういった相手の場合は牽制や、機動力を削ぐため脚を狙っている。
「何を言うのです! やってやれない事はありません! さあ、レッツトライ!」
ちょうど繁みから現れた熊を指差す。
しかし、やれないものはやれない。
結局、その熊はフィリアとウリランが連携して倒してしまった。
「お兄様は諦めるのが早すぎます」
移動中、バレルの腕に引っ付いてむくれる姿は年相応なもの。
それが適度にエディオン達に微笑ましさを提供し、和やかな雰囲気になる。
「無茶を言うな。普段から狩りをしている狩人ならともかく、私にはまだ無理だ」
「まだ、ということはいずれはできるのですね! 明日ですか? 明後日ですか?」
「……妹の期待が大きすぎて辛い」
「げ、元気出してください、バレル様」
落ち込むバレルとそれを慰めようとするモレットに対し、エディオン達はそのやり取りが面白くて笑う。
その間にも、空を飛んでいた鳥を魔力を拳から撃ち出して落としたり、襲い掛かってきた毒蛇を火魔法で焼き払ったり、ダガーで切り裂いたりしている。
一見和やかそうでも、やはり狩りは狩りだった。
「さてと、そろそろ引き上げるか? 量的には充分だし」
魔法の袋の中には、狩った動物達が詰まっている。
ここにいる六人で分けても、一人頭それなりの値段にはなる。
「まだです! お兄様に私の勇姿を見せていません!」
持って来た身長と同じくらいの槍を手に、今日はまだ何も狩っていないマリーエルが主張する。
一応彼女も、森の浅い所で狩らせようとしたのだが、必要以上に気合いが入って空回りして何も狩れていない。
少しでもいい姿を兄に見せたい彼女としては、このまま収穫無しというのは嫌なようだ。
「そう言われてもな……どうする?」
個人の意見に全員が簡単に従う訳にはいかない。
この場ではリーダー的立ち位置のエディオンは、他の全員にも意見を求めた。
「いいんじゃないか? 何事も経験だ」
「さすがはお兄様です!」
主張が兄に認められた嬉しさから、勢いよく抱きつくが飛びついた場所が悪かった。
運悪く鳩尾に抱きつかれたバレルは、あまりの痛さに膝を着く。
「バレル様あぁぁぁっ!?」
「……フィリアとウリランはどうだ?」
とても意見どころじゃないモレットをスルーし、残りの二人に尋ねる。
「私は構わないわよ。まだ時間はたっぷりあるし」
「い~ぎな~し~」
「なら、もうちょっとやるか」
二人からも賛同を得られたことで、もう少し狩りは続く事になった。
「皆さん、ありがとうございます!」
「いいって。とりあえずは、浅い場所に戻って何か探すか」
森の奥でマリーエルが狩れる獲物はいない。
いつもと同じように奥地に来て狩りをしていた一行は、マリーエルが収穫を得られるように森の浅い所へ戻る。
途中で出くわした動物達は、死なない程度に攻撃して追い返すか、気絶させて放置しておく。
必要以上に狩って、種を絶滅させないようにしている事をマリーエルに説明しながら、一行は森の入り口付近に戻って来た。
「どうだウリラン、何かいるか?」
「うん。ウサギとぉ、これは……あれ? 人かぁ」
探知魔法に引っかかったものを教えていると、人の存在があった。
それを聞いてエディオンの脳裏に、以前の奴隷商の件が過ぎる。
「まさかとは思うけど、前みたいな事は……」
いささか不安になったエディオンが尋ねると、ウリランは数回首を横に振った。
「大丈夫だと思うよ~。一人だけみたいだし」
それを聞いて安心する辺りは、まだ子供だった。
これが探検者なら、例え一人だとしても油断はしない。
腕利きの中には、一人で仕事をしようとする者は珍しくないからだ。
そこの辺りをまだ理解していないエディオン達は、探知魔法に引っかかった人物を気にせずウサギを狩りに向かう。
しかしこの時、彼らは気づいていなかった。
件の人物はエディオン達に悪事を働くような人物ではないが、少し前から狩りの様子を離れた位置から監視している事に。
「そっちに行きました!」
逃げるウサギをモレットが追いかける。
「任せて~」
「分かった」
連携の練習も兼ね、逃げるウサギを仕留め役のマリーエルが潜んでいる繁みへと誘導する、という作戦で狩りする。
別方向へ逃げようとしたら、バレルの矢とウリランの弱めの魔法が行く手を阻み、素早いエディオンとフィリアが回り込み目的の方向へ向かわせ、それを常にモレットが後ろから追う。
そうして誘導されたウサギが予定のポイントへ足を踏み入れた瞬間、隠れているマリーエルへ合図を出す。
「今です!」
合図となるモレットの呼びかけに、槍を手に繁みから飛び出す。
驚いたウサギが急停止した隙に槍を突き出し、見事に一撃で仕留めた。
「や、やりました、お兄様!」
まだ若干緊張が残っている様子はあるものの、笑みを浮かべてバレルの下へ駆け寄る。
「ああ、よくやったな」
こればかりは褒めるしかないバレルも、笑いながらマリーエルの頭を撫でてやる。
撫でられたマリーエルは、まるで至上の喜びを感じているかのように蕩けた表情をした。
「えへへへへ。お兄様に褒められましたぁ」
微笑ましい兄妹のやり取りに、様子を見守っているエディオン達にも笑みがこぼれる。
「確かに、今のはなかなかの一撃だったね」
穏やかな空気に和む中、突如聞き慣れない声がした。
周囲に気を配っていなかったとはいえ、完全に不意を突かれたエディオン達は驚き、思わず距離を取る。
反応できなかったマリーエルはバレルが抱えて逃げ、武器を構えて相手の出方を窺う。
声を掛けたと思われる相手は、近くの木に寄りかかっている見覚えの無い、灰色のマントを羽織った褐色肌をした熊人族の中年の男。
以前に魔物や違法奴隷商と遭遇した経験から過剰に反応しているが、相手はラックメイア子爵領の住人ではない。警戒をしておいて間違いは無い。
「おやおや、いらぬ警戒をさせてしまったようだね。安心したまえ、君達をどうこうするつもりは無いよ。私はただの通りすがりの探検者だ」
人の良さそうな笑みを浮かべるその男に、隙らしい隙はエディオンにも見えない。
もっと腕を上げれば見えるかもしれないが、今のエディオンには見抜けない。
(駄目だ……敵だったら勝てない)
相手の実力はルーディアンよりはずっと弱い。だが、確実にエディオンよりも強い。
先ほどの言葉から敵ではない事が窺えるが、その言葉が真実の保証も無い。
構えは解いても警戒は解かず、相手が一歩近づけば一歩距離を取る。
場の空気をまだ読めないマリーエルだけが、何故こんな状況になっているのか分かっておらず首を傾げている。
「ふむ。やはり初対面の相手の言葉は信じられないかね。仕方のない事とはいえ、どうしたものか」
腕を組んで考える男の様子に、本当に悪い人じゃないのかなという程度には、毒気が抜ける。
「君達、悪いのはこの格好かね? ずっと旅をしているんだ、どうか外見だけでの判断は勘弁してもらえないかね」
男の格好はボロボロになった灰色のマントを羽織り、無精ひげを伸ばして、髪も洗ってはいるようだが伸び放題でそれを一纏めにしているだけ。
見ようによっては浮浪者にも見える。
「無理です、小父さん。人の第一印象は見た目で決まるのですよ」
男に対してズバリと言い放ったマリーエルに、余計な事を言うなとエディオン達は心の中で叫んだ。
もしも今ので機嫌を害したりしたら、それこそどうなるか分からない。
おそるおそるといった感じで男の反応を待つが、男は思ったよりも気さくだった。
「はっはっはっ。お嬢さんの言う通りだ、確かにこの見た目では仕方がありませんな」
笑いながら、自身の身だしなみの悪さを認める。
怒らせなかった事にホッと胸を撫で下ろし、敵対するような事態にならずに済んだことに安堵した。
「それで、何か俺達に用ですか?」
警戒をしたまま、いざという時は皆を守れるよう、敵わないと分かりつつもエディオンが前に進み出て尋ねる。
「特に用は無いよ。ただ、君達の狩りを興味本位で見物していただけだよ」
全く敵意の無いおおらかな笑みを見せられ、警戒心は少しずつ薄れていく。
肩に入っていた力も抜けていき、張りつめていた空気も弛緩しだす。
「そうそう、自己紹介がまだだったね。私の名前はグレイオス。ラックメイアの町に住む、同じ探検者の飲み仲間を訪ねて来たんだ」
その道中で狩りをしているエディオン達を発見し、興味本位で見物していた。
移動しながら説明や、初めて飲み仲間の住む町を訪れるのだという話を聞いているうち、いつの間にか警戒心は解けており、一行は和やかな雰囲気で町へと到着した。
後はここでグレイオスと別れるかと思いきや、向こうから質問をされた。
「ついでだから聞きたいのだが、飲み仲間の……ルーディアン殿の自宅を知らないかね? 彼は有名人だから、知っているだろう?」
思いがけない人物の名前が出てきた事で、別れる流れは止まる。
先ほどからグレイオスが言っている飲み仲間というのが、まさかルーディアンだとは思ってもみなかったため、反応が遅れてしまう。
「知っています! というより、ここにいるディオさんはルーディアンさんの息子さんです。ねっ、お兄様」
即行で親子関係までバラしたマリーエル。
グレイオスはそれを聞いてエディオンに視線を向け、ジロジロと観察。
「ほう? だが、彼には妻はいなかったはず」
「……血は繋がっていませんから」
「むっ、それは失礼したね。申し訳ない」
子供相手にも素直に謝罪し、頭を下げる。
こういう実直さが、エディオン達に警戒心を解かせた理由の一つなのかもしれない。
「気にしないでください。いまさらですから」
「そうかね? そう言ってもらえると助かるよ」
しかし、ここで一つ困った事がある。
エディオン達がこうして狩りに行く日は、大抵ルーディアンは魔物の領域へ狩りに行っている。
食料確保と、獲物を売っての生活費確保のためだ。
特にエディオンという息子もいるため、自分が食えればそれでいいは通用しない。
そのため、帰ってくるのは大抵夕方ぐらい。
まだ日はそこまで落ちておらず、今すぐ帰ってくる可能性は低い。
「親父は今、魔物の領域に行っていて。帰ってくるのはもう少ししてからだと」
それを聞いたグレイオスは少し考える素振りを見せた後、じっとエディオンを見る。
何か用かと聞こうとする前に、向こうから用件を告げてきた。
「エディオン君と言ったね、どうだい? 彼が帰ってくるまでの時間つぶしに、私と手合わせをしてみないかい? 見たところ、だいぶ鍛えているようだから、彼に鍛えられているのだろう?」
突然の申し出に、今すぐに受けるべきか、フィリア達と狩りの成果を売却しに行くのを優先すべきか悩む。
個人的にはすぐにでも手合わせをしたい。しかし、そのために友人達との予定を勝手に変えていいのかと、グレイオスとフィリア達を交互に見ながら考える。
なかなか結論が出ずにいると、仕方ないといった表情をしたフィリアがエディオンの背中を叩く。
「やりたいんでしょ? だったらやりなさいよ」
物理的にも背中を押し、後押しの言葉をかけられる。
いいのかと視線で訴えると、構わないから行けともう一言背中を押す。
フィリアだけでなくバレル達も頷いてみせると、考えるのを止めて感覚に従った。
「お願いします!」
コブシを握りしめての返事にグレイオスは微笑む。
「こちらこそ、頼むよ。さて、どこかいい場所は……」
「俺と親父が修行に使っている広場で良ければ」
「そこで構いません。連れて行ってください」
それなら早速とばかりに歩き出すと、その後ろにフィリア達も付いてきた。
「お前達も来るのか?」
てっきり今日の獲物の換金に行くのかとばかり思っていて、付いてくるなど微塵も考えていなかった。
「一応、ディオの背中を押したのはアタシだから、その責任を、その……」
「ディオ君の傍にいたいから~」
「友の戦う姿を、一度は見ておきたいと思ってな!」
「僕はバレル様の護衛なので、お傍にいないと」
「お兄様のいる場所が、私のいる場所なのです!」
それぞれがそれぞれの理由を口にする。
エディオンが構わないかという視線をグレイオスに向けると、構わないという返事のつもりなのか頷いた。
了解されたと理解したエディオンは、じゃあ一緒に行こうと告げて広場へ歩き出す。
やがて到着した広場には、いくらかの人影があった。
彼らは探検者かそれを目指す少年少女達。各々で修行に励む中、探検者らしき犬人族の青年がエディオンに気づく。
「おい、エディオンが来たぞ」
「皆、端に寄れ! 巻き込まれたら軽傷じゃ済まないぞ!」
呼びかけを耳にして、修行をしていた全員が広場の端の方に寄った。
彼らはエディオンとルーディアンの修行による余波に襲われるのを恐れ、それ以上に巻き込まれて大怪我をするのを恐れていた。
探検者は体が資本。ぶっちゃけ、体がしっかりしていれば多少頭が足りなくともなんとかなる。
それゆえに、体の安全は何もよりも優先事項として守ろうとする。
呼びかけに対して全力疾走で端に寄る辺り、よほど余波に巻き込まれたくないと思われる。
そして対峙する二人を見て、いつもとの違いに気づいた。
「って、おい。相手はルーディアンさんじゃないぞ?」
「誰だ、あの熊人族のおっさんは」
「ここらの人じゃないッスね」
広場の中央でエディオンと向き合う、羽織っていたマントを魔法の袋に片付ける相手が、ルーディアンではない事に気づく。
見たことの無い人物の登場に、どういう人物なんだと周囲がざわめきだす。
「君が来ただけで場所が空くとは、一体どういう修行をしているのかね?」
「それはまあ……察してください」
視線を逸らして暗くなる様子から、よほどの修行なのだろうとグレイオスは察する。
「さて、それじゃあ始めようかね。でもその前に、その重い物を外しなさい」
重い物と聞いて、反応は三つに分かれた。
何の事だと首を傾げる、先に広場にいた傍観者達。
やっぱり今日も付けていたのかというバレル達。
そして初見でよく気づいたなと、ただの飲み仲間じゃないと気を引き締めるエディオン。
「安心したまえ。私が彼と飲み仲間になったのは……」
おもむろにマントを外し、上着の右袖を捲くる。
出てきたのは、腕に刻まれた大きな傷跡。
「今から十年ほど前に彼と戦い、意気投合したからだ。尤も、私は一撃で負けてしまったがね。この腕の傷は、その時に僅かながら防御した時にできた傷だよ」
僅かでもルーディアンの攻撃に反応し、防御したと聞いて周囲はざわめいた。
ルーディアンは狩りやエディオンとの修行では手加減をしているが、戦うときは相手が誰であろうと全力は出す。
その一撃を僅かでも防御したということは、反応できたということ。
この場にいる最も実力のある探検者でさえ、全力を出したルーディアンの攻撃は見えない。それどころか、移動する瞬間さえ分からない。
それに反応したというグレイオスに、自然と注目が集まる。
一方のエディオンは、それだけの実力者相手に、今の自分がどれだけなのか試す絶好の機会だと思った。
「分かりました! 全力でいきます!」
躊躇無く上着とズボンを脱ぎ、ひっくり返して揺さぶり中に仕込まれていた重りを地面に落としていく。
一見なんでもない服とズボンから重りが現れた事に、その事を知らない探検者達は驚き、知っているバレル達はやっぱりと思う。
一部の女性達がズボンまで脱いだ事に小さく悲鳴を上げ、手で顔を隠すが、下着を穿いているので特に問題は無い。
全ての重りを落とし終え、改めて上着とズボンを着たエディオンは、久々に軽くなった体で構えを取る。
「お待たせしました」
「……実に彼らしい鍛え方だね。まあいいか、では始めようか」
さりげなく取った構えに隙は見当たらない。
周囲で見ている探検者達は構えを見て、グレイオスが本当に相当な腕前だと気づく。
対峙しているエディオンも、それを一番実感していた。
「さあ、かかってきたまえ。先手は譲ろう」
余裕からそう言ってるのだと思ったエディオンは、ならば遠慮なくと魔力で身体能力を強化する。
このまま全速力で接近し、少し驚かせようと踏み出す。ところが。
「どわあぁぁぁっ!?」
エディオンの姿が僅かな残像を残して消えたと思った瞬間、グレイオスの隣を凄い勢いで転がっていった。
「……」
思いっきり自滅した様子に、誰も何も言えない。
てっきりグレイオスが何かしたのかと視線が集まるが、何もしていないと首を横に振る。
「くそっ、どうなってんだ?」
起き上がったエディオンは、不思議そうに自分の脚を確かめる。
「……どうかしたのかね?」
「いや、なんか上手く加減ができなくて」
どういう事だと首を傾げていると、少し考えたグレイオスが尋ねる。
「君は、ここ最近ずっとあの重りを付けていたのかね?」
「えっ? そうですけど」
「普段の生活の中でもかね?」
「外すのは体を洗う時と、寝る時ぐらいで、それ以外は修行のために四六時中付けて……ああ、そうか」
「気づいたかね? そういう事だ」
当人達と話を聞いていた探検者達は納得したが、バレル達はイマイチ納得できなかった。
どうしてそれが、激しく転んで自滅した事に繋がるのか。
「どういう事ですか?」
近くにいた女性探検者にマリーエルが尋ねた。
「えっとね……。ずっと付けていた重りを急に外したものだから、軽くなった体での感覚の調整が上手くできずに転倒して自滅、ということよ」
説明を聞いてようやくバレル達も納得する。
あれはグレイオスに何かをされたのではなく、完全に自滅したのだと。
これでは手合わせにならないかと、中止を申し出ようとしたグレイオスだが、立ち上がったエディオンは目を閉じて大きく深呼吸をする。
何をしているんだと待つこと僅か数秒。
目を開けて鋭い目つきになったエディオンが構えを取る。
「まだやる気かね? 意気込みは買うが、感覚の調整はそうすぐにできることじゃない。せめて数時間は体を慣れさせないと」
「……いきます」
また自滅するのがオチと分かっていながら、まだやると言う。
ならばせめて、迎撃して自分に負けた事にしてやろうとグレイオスが構えを取った瞬間、エディオンが眼前に現れた。
「なっ!?」
驚きながらも、今にも自分に打ち込まれそうな拳を咄嗟の反応で防御する。
「えっ?」
「何?」
周囲にはエディオンが移動する瞬間が完全に見えなかった。
また転ぶだろうと思って油断していた事もあるが、見えなかったのは事実。
次に見えたのはグレイオスに攻撃をしかけ、それを受け止められている姿だった。
(バカな、あんな短時間で感覚の調整が?)
「だあぁぁぁっ!」
魔力で強化した拳、蹴り、尻尾も含めた攻撃を次々と繰り出す。
一撃が次の一撃に繋がって、絶え間の無い攻撃となってグレイオスを襲う。
しかし、それらの攻撃を全てグレイオスは捌いていた。
避けることもせず、全て素手で捌きながらエディオンの動きを観察するように見ている。
(まだ若いからか技の練度は粗く、一撃一撃の精度も粗さが見える。いずれはもっと強くなるが、何だこの子は)
攻撃そのものはグレイオスの目から見れば、まだ伸び所があるものの未熟。
だがそれ以上に、攻撃する箇所に注目していた。
防御した際に生じた死角や、僅かに作ってみせた隙を的確についてきている。
(こういった事は、よほど経験を積んで戦闘勘を養わない限りは……)
経験を積むには時間が必要。
いかに生ける伝説のルーディアンに鍛えられているとはいえ、時間だけはどうにもならない。
(ククッ。なるほど、彼でなくとも鍛えてみたくなる素材だ)
防御から伝わってくる強さは、今からでも充分に探検者として魔物相手に通用する。
それが更に強くなり、技を磨き、経験を積んで戦闘勘を今より養ったらどうなるのか。
考えただけでも楽しくなってきたグレイオスは、思わず口の端を上げる。
(では次は!)
攻撃を防ぐのではなく弾き、がら空きになった箇所に殴りかかってみる。
「つっ!」
防御から一転、攻撃に転じたことで完全に不意は突いたはず。
それをエディオンは、弾かれたのとは反対の腕で防いで見せた。
防がれたグレイオスは楽しくなってきた。
理由は不明だが、目の前にいるエディオンという少年の戦闘勘は、何か天性のものを感じる。
これに力と技が伴えば、どれだけの戦士に育つのか。できることなら、自らの手で育ててみたいとさえ思った。既に師がいる以上は、それは無理だと分かりつつも。
「はっはっはっ! やるじゃないか、少年」
「そりゃどう、も!」
激しい攻防を繰り広げながら、会話する二人だが、周囲にはその動きを捉えきれていなかった。
動いている様子や残像は見えても、どんな攻撃や防御をしているのか明確に分からない。
分かるのは、攻撃したんだろう、防御したんだろう、避けたんだろう。この三つだけ。
距離を置いてこれなら、あれだけ接近した状態では何もできないんだろうなと、誰もが思った。
「すげぇな、アレ……」
「何者なのよ、あの男は……」
「駄目だ、アレ見てたら自信無くなってきた。実家に帰って、畑でも耕そうかな」
「おいおい、しっかりしろよ。アレは戦っている二人が規格外なんだって。そう思い込んでおけ!」
そんな周囲の声すら耳に入らず、エディオンとグレイオスは戦い続ける。
「なるほど、なるほど。これは将来が楽しみだ。ではそんな君に敬意を表し、全力でやろう。できるだけ粘りたまえ」
「おぉっ!」
元気よく返事をしたものの、意気込みだけで実力差は埋まらない。
それをこの後、エディオンは痛いほど思い知った。
なんなく避けられるかいなされる攻撃、防御も回避も思うようにできず、次々と当たるグレイオスの攻撃。
距離を取ろうとしてもすぐに追いつかれ、魔力を拳や手刀、蹴りから放っても通用しない。
重りを取って軽くなった体でのスピードも通用せず、徐々に攻撃を受けることが多くなっていく。
「くっ、はぁっ!」
傷だらけになって痛みに耐えながらも繰り出したカウンターは、見事に腹部に命中するがグレイオスは怯みもしない。
自分の拳を握り締め、一言告げる。
「よく粘ったね」
その言葉を送った直後、全力の一撃が直撃し勝負はついた。
吹っ飛んだエディオンは地面を何回も跳ね、転がり、やがて広場の柵さえもぶち破って止まった。
「ディオ!」
「ディオ君!」
真っ先にフィリアとウリランが救護に向かい、バレルとモレットは手持ちの回復薬を魔法の袋から取り出してから駆け出す。マリーエルも兄に付いていき、広場に残ったのはグレイオスと、観戦していた探検者達だけとなった。
「嘘だろ……。エディオン君が一方的にやられるって」
「駄目だ、もう実家帰る。剣を鍬に持ち替えて、魔物じゃなくて畑に振り下ろすんだ」
「しっかりしなさい! 世界は広いのよ、あれぐらいの人は探せばいるって!」
周囲が色々と騒ぐ中、マントを魔法の袋から取り出して羽織ったグレイオスは、ある気配に気づく。
「さすがはあなたの息子さんですね、相当に強かったです」
「そりゃあ当然だ。俺の息子だからな」
いつの間に来ていたのか、気配の主であるルーディアンがグレイオスの背後に立っていた。
「つっても、あいつはまだまだだ。実際、さほど手こずる相手でもなかっただろう?」
「いやいや、そんな事はありません。もう何年か修行すれば、私など軽く追い抜いてしまうでしょう」
お世辞ではなく、本心で言っている。
最後に受けた一撃の痛みは、まだ腹部をジンジンと痺れさせ、もう少し続いていたらもう数発は浴びていた。
それ次第では、僅かながらエディオンにも勝機があった。そうグレイオスは思っている。
「オメェがそう言うとはな。で、今日はどうしたんだ?」
「いやね。近くを通りかかったものだから、久しぶりに君と酒を飲みたくなった。そしたら彼と出会ってね、手合わせをしてみたくなったんだ」
経緯を説明するとルーディアンは笑った。
「がっはっはっ、そういうことか。よっしゃ、いい飲み屋に連れて行ってやる。その前に、うちのガキを連れて帰ってからな」
酒よりも息子を優先した事にグレイオスは目を見開いた。
何よりも戦いと酒と美味い物が好きなルーディアンが、酒よりも息子を優先する。
初めて見るルーディアンの親らしい姿に、よほど気に入っているのだろうと思った。
同時に、思ったよりもエディオンが厄介かもしれないとも。
(あの年でこれか。将来有望だが、少々厄介だな)
その理由は当人以外、誰も知る由がなかった。
****
同日の日没後、ルーディアンとグレイオスは町で一番と評判の飲み屋に来ていた。
適当に頼んだ料理を食べながら酒を飲み交わし、近況やなんかを話す。
「ほう? あいつは引退したのか」
「そうなんだよ。この前に出かけた時に会ったらよ、引退して漁師やってやがったぜ」
なかなか尽きない話題に酒は進み、気づけばもう二桁の杯を飲んでいた。
しかし、二人にまだまだ酔った様子は無い。
次のおかわりを頼んだタイミングで、新たな話題がグレイオスから出た。
「ところで彼、エディオン君だが」
「おう。あいつがどうした?」
「彼の将来はどう考えているのかね? 親なら、それくらい聞いたことがあるだろう?」
急に真面目な話になったことで、あまり小難しい事は好きではないルーディアンは面白くない表情をする。
「ああ。俺に勝ちたいんだってよ。そのため、武者修行のため探検者になって、旅に出るとさ」
「それはまた……大きすぎる夢だな」
かつてルーディアンに負けたグレイオスは、その実力を体感しているからこそ、大きすぎる夢どころか無謀じゃないかとも思う。
あれ以降戦った事は無いものの、今でもルーディアンが現役で、さらなる高みを目指しているのは見て分かる。
それに勝とうなど、一体何年の月日とどれだけの命がけの戦いが必要になることか。
「いいんだ。強くなり続けるのは大変だけどよ、破れない限界はねぇ! それにあいつはまだガキだ、だからこそ前だけ見て突き進ませときゃいいんだよ」
破れない限界云々はともかくとして、親と師としてのルーディアンの育成方針を聞いたグレイオスはなるほどと思った。
夢を追うからこそ、人はより成長し続ける。
エディオンの強さの秘訣は、そこにあるのかも知れないと思いつつ、酒を啜る。
「なるほどね。君に勝った後の事は、勝った後で考えさせようというわけか」
「その通りだ。まっ、そう簡単には勝たせねぇけどよ!」
上機嫌になって、運ばれたばかりの新しい酒を一気に飲み干す。
後先を深く考えないのも相変わらずかと思ったグレイオスも、酒を飲み干した。
「「すみません、おかわり!」」
結局この日、二人は合わせて三十杯の酒を飲んだ。
翌朝、泊まっていた宿を出たグレイオスは誰にも見送られず、町を出て行った。
近くにある山道を上りながら周囲の気配を探り、近くに知り合い一人だけだと分かると、羽織っていたマントを魔法の袋に片付け、代わりに紅のマントを取り出して羽織る。
そこへ、茶色のマントを羽織ってフードを被った人物が現れた。
「師匠! お迎えに上がりました」
「別に来なくともよかったのに」
「いいえ! 師匠を迎えに行くのも、弟子の仕事です!」
「やれやれ、隠れ家で出迎えてくれれば充分なのだがね」
呆れながらフードを被ったグレイオスは、隠れ家とやらに向けて歩き出そうとして、ふと立ち止まって町の方を振り返る。
「ルーディアンは衰えた様子を見せず、加えて奴の息子が成長したら……」
歩き出そうとしないグレイオスに、弟子を名乗る茶色のマントの人物はどうしたのかと思いながら待つ。
やがてグレイオスが踵を返して歩き出すと、その後に付いていく。
(あの方に、計画の修正を進言してみるか)
心の中でそれを決めたグレイオスは、弟子を連れて山道を歩いて行った。
次に会う時は、ルーディアンともエディオンとも敵同士かもしれないと思いながら。