F氏の仕事
A~Zまで悪人を並べ立てようとしててやろうと思っています。
自分の中の悪を並べ立てれば、書いている本人の私は毒が抜けきって真っ当になれるかも知れません。
願を掛けながら、意外と悪が出てこないことに焦りながら、Fです。
このFは、歳はともかく、ある意味、私です。
世の中には、いろんなタイプの人間がいる。
頭が良くて、どんな難しい数学の問題でも解こうとする奴と、数式を見ただけで頭が痛くなる俺みたいな奴。
嘘が全くつけない正直者と、嘘をつくのにまるで何の罪悪感も抵抗もない奴、その中間の俺のような奴。
小説が好きな奴、コミックが好きな奴。巨乳が好きな奴、貧乳が好きな奴。
生まれてからこっち、そりゃ誰だって色々あって、色々考えも変わる。その結果として数学が好きだったり、嘘がつけなかったり、巨乳が好きだったりするのだろうが、果たしてそれだけだろうか。
元々、そうだったと言うこともあるんじゃないだろうか。つまり、生まれながらの部分だ。
俺はずっと血を見るのがダメなタイプだと思っていた。自分の鼻血を見ても、気分が悪くなった。まして、他人が怪我をして血を流しているのを見ると、気が遠くなるようだった。俺は、そんな真っ当な人間を、ただ自分に対して演じていただけなんじゃないだろうか。
ボスが俺に軽く頷いてみせる。俺も軽く頷き返して、予めスライドストップさせておいたSIG P220を手にする。そう、俺は始末屋だ。まるで血がダメだったくせに、気が付けばこんなことを生業にしている。
俺は靴音を立てないように、背中を見せてソファーに座っている男に近付く。そして、軽く革の手袋をした左手を男の頭に乗せる。男がビクリと体を震わせる。
「怖くありませんから。」
俺は低く、温かみを込めた声を出す。柔らかい物腰、心のこもった仕事はボスの信条だ。俺もそれを踏まえて仕事をする。
大体この左手を乗せた段階で、これからこの男がどうするかが分かる。
ヒーヒー泣き喚いて命乞いをする者。何も言わずに、ただなすがままにされる者。ごにょごにょと念仏だか何だかを唱える者。母親だか妻だか子供だかの名を叫んで気合いを入れる者。分類すると、大体そんなところか。一番厄介なのは、逃げ回って命乞いをする奴だ。
ボスは美しい仕事を常に心がけている。
「顧客がな、逃げ回るようじゃ、俺の仕事がなってないんだよ。」
そうボスはうそぶいてタバコの煙を鼻から長く勢いよく吹き出す。俺は美しく仕事をすることに、きっとボスとは違う意味を見出している。俺の場合、後始末が楽であればそれで良いと思っている。
この男は、なされるがままのタイプだ。実際、小さく溜息をつくと、何も言わない。きっと、目もつむっているのだろう。
もう一度ボスを見やる。ボスは小さく頷く。俺は後頭部にサイレンサーの付いた銃口を軽く押し当て、引き金を引く。右手に射撃のキックが返ってくる。左手には男の断末が響く。
銃を撃つにもコツがある。後頭部の少し窪んだところから、慣れ親しんだ角度で撃ち込めば、
「見事だよ、相変わらず。眉間を撃ち抜いてらあ。」
となる。顧客にも苦痛を与えず、血も撒き散らさない。そのためには、実包にも気を使っている。大口径銃だけに、パウダーを少なめにして反動を抑える。
反動が大きいと、顧客に余計な苦痛を与える可能性がある。弾道がずれたりするためだ。それに、顧客の向かいに座っているボスに顧客の血がかかることも避けたい。
大口径の銃を使うにも意味がある。デカイ方が、やっぱり確実に顧客を死に至らしめる。
弾道には最も気を使っている。顧客に苦痛の無い死をもたらし、顧客の真向かいに座っているボスに弾丸や顧客の血が当たることを避ける。
俺は何度も、ボスに最後の瞬間だけは顧客の真向かいにいるのを止めてくれと言ったのだが、ボスは聞く耳を持たない。
「そいつはあ、ダメだ。俺はな、相手に最期の最期までちょっとでも安心していて欲しいんだ。それが、俺の美しい仕事の流儀さ。最期まで、真正面から微笑んで見送ってさし上げるのさ。」
顧客は自分の命を売りに来るのだ。それくらいのサービスは、当然と言えば当然なのかも知れない。
だが、どうせこの部屋に来たのなら、もう自分の足で歩いて出ていくことは無いんだ。さっさとアルあたりに足腰へし折らせて、胸と頭に銃弾をぶち込めば仕事はサッサと終わる。だが、それでは色々と困るのだ。
「よし、賈さんを呼べ。」
俺は頭を下げて、部屋のドアを開ける。窓のない部屋は壁紙も真っ黒だ。調度品も黒で揃えてあり、俺もボスも背広からワイシャツ、靴下、パンツに至るまで黒で統一している。四畳半ほどの部屋には一対のソファーがあり、その間にはガラスの天板を持った小さな机がある。その上には契約書がつらつらと並べてある。
机の両脇には背の高いランプが置いてある。ステンレスの味気ないデスクライトが、首だけを伸ばしたようになっていて、それがソファーに座った顧客のちょうど耳の辺りにある。薄暗く、窓もない息の詰まるような部屋だ。
「今までの俺の経験からさ、こんな感じの部屋が、一番顧客がアッサリ逝ってくれるのさ。」
俺がこの仕事を始めた時には、もうこの部屋だった。ボスが今までどんな部屋を使ってきたのかは知らない。きっと、俺が銃や実包で試行錯誤したようなことがあったのだろう。
ドアを開くと、外の眩しい光が一気に部屋に流れ込んでくる。目が眩んで、相手の顔が良くは見えない。俺はなるべく目をしかめないようにしている。賈に隙を見せたくはないのだ。
「チッ。毎度毎度、お前ら小日本鬼子はのろまで役に立つないな。外、待たせる車、1分幾らかかるか知ってるか?
サッサと殺す、サッサと運ぶ、サッサとバラす。これだけよ?全く、お前達小日本鬼子は中華の偉大の前にいつまでもバカあるサルままな。」
この賈と言う男は、中国では医師としての免許を持っているらしい。どこからどう見てもただの悪人顔で、コミックに出てくる悪人の要素を詰め込んだような、それこそ漫画のような顔を持っている。この顔で医師免許を持っていると言われても、悪い冗談にしか聞こえない。
この男はいつも日本の悪口を喚きながらやって来て、そのまま帰っていく。
「中国四千年の歴史に酔ってやがるのさ。その栄光は、とうの昔に消えちまって、今の中国は、水も空気も、いやはや人心も人体も、政治も警察もみーんな毒まみれの汚染国家さ。
だから、ああやって日本人の体を買いに来るわけさ。」
賈は人体のブローカーだ。臓器を扱うチャイニーズ・マフィアの下っ端と言えば分かりやすいだろう。ただし、この男の信条として、使えるものは全て使い尽くすというのがある。
「血液は全部抜いて、検査してエイズにかかってなけりゃ輸血や血液製剤を作るんだそうだ。骨髄液は移植できるし、その他の骨も色々加工できる。心臓、肝臓、膵臓、腎臓、膀胱、角膜、肺まで移植に使うッてんだからな、中国の医療も妙なところは欧米を抜いているかも知れねえぜ。
後な、髪の毛も無駄にしないそうだぜ。何に使うかは知らねえけどよ。
皮膚はな、全部剥ぐそうだぜ。移植に使うそうだ。」
ボスは俺に話す時だけは、ややくだけた口調になる。穏やかなトーンはそのままだが。それ以外の時は、それが例え相手が顧客であれ、賈であれ、口調はこの上なく丁寧で、穏やかだ。
「賈さん、お待たせしてしまって。私どもと致しましても、遺体をなるべくきれいに、損傷の無いままにお渡ししたいがためで御座います。
余計な傷が付きましては、お使いになられる部位が減ってしまいましょう?それは何としても避けるべきかと存じまして。」
揉み手はしないまでも、ボスは腰を折って、満面の笑みを浮かべて賈を迎える。
賈はフンと鼻を鳴らすと、
「周、急忙地运送。」
と後ろに控えている男に言った。
その男は、これ又いかにもマフィアといった風貌だ。猪首短躯。がっしりした体つき。賈もこの周と言う男も、これ見よがしに高そうなスーツを着ている。似合っているかどうかは言うまでも無い。ちぐはぐさ加減は、もはや笑いどころだ。
周は俺に鋭い眼光をくれると、小さく首を傾けて挨拶をした。ただただ横柄な賈に比べれば、無愛想この上ないこの男の方に俺は好感を持っている。俺は、彼よりかは深く頭を下げて迎え入れる。
「これ、生命保険か?小さい仕事だな。」
賈が机の上の書類を見て、見下したようにボスを見る。銃を手に入れるにも、実包を手に入れるにも、金がかかるしツテも要る。となると、上がりを納めるべき相手が出来る。何度か上からボスに、俺を貸すようにとのお達しがあったらしい。つまり、誰かを殺して来いってことだが、ボスが懸命に庇ってくれたとか。これはボスに使われているという一点だけで俺と繋がっている、アルの言葉だ。アルは日本人だ。本名は知らない。ナイフ使いだ。アル・マーというアメリカのカスタムナイフ作りの名人を心底敬愛しているから、呼び名はアルだ。アルは顧客に頼まれて、顧客の殺して欲しい相手を殺すのが仕事だ。俺とは領分が違う。アルは眼鏡をかけた長身の男で、よくも今まで捕まらなかったものだと思うくらいに目鼻立ちもハッキリしていて目立つ存在だ。
「誰かにバレるようなバラし方じゃあ、長生きできないッスよ。」
と俺よりも年長と思われるのに、俺にも敬語らしき言葉で話す。どこから湧いてくるのかは知らないが、いつも自信満々だ。
「『自分の仕事しかやらせられません。我が儘言わせていただいている分は、しっかりと納めさせて頂きます』っツーて頭下げてましたよ。矢敷さんに。ええ、若頭ッスよ、あの関西弁の。」
だから、金はけっこう要る。賈は遺体を引き取って、そこからの上がりのいくらかをこちらに回す。チャイニーズ・マフィアと言っても、日本のヤクザとの繋がりを反故にすると後がそれなりにややこしいらしい。賈はその点、「誠実」なのだそうだ。どこでどう誤魔化されても分からないようなものだが、ボスが口調を変えずに穏やかに
「彼はな、そこら辺は誠実なのよ。」
と言うのだから、その通りなのだろう。ボスはこの世界で長年生きてきただけあって、まず間違えることが無い。
目の前では、周が顧客の体をパキポキ言わせながらあり得ないような体の畳み方をしている。人間の体の関節を外し、折りたたむとこうも小さくなるのかと、毎度のことながら驚く。俺は自分の所行を棚に上げて、周の所行に気味の悪さを禁じ得ない。
周の手つきは見た目とは違って、がさつさは一切無い。そう、まるで整体師が患者の体をパキポキ言わせているような感じだ。見る見る俺が殺した男は小さくまとまって、小さめのスーツケースに入ってしまった。とても大の大人が一人入っているとは思えない。流石は雑伎団の国の人間だ。
周が賈に目配せをして、賈が大きく頷く。
「キャッシュは矢敷に渡しておくよ。」
賈はそうぞんざいに言い残すと、サッサと出ていった。周は俺とボスに軽く頷くような会釈をするとスーツケースを手に提げて出ていった。
ボスは俺を誘うように部屋の外に出た。狭い廊下の左がすぐ突き当たりで、非常階段に出られる。
ボスは非常階段に出ると、タバコに火をつけ、フーッと煙を鼻から吐き出す。その煙が、ベルトのあたりまで一直線に下りていく。一仕事終わると、ボスはここで必ずタバコを吸う。
「賈は一体どこでバラしてるんだろうな。人間バラすんだから、それなりに設備のあるところだろうし。
ひょっとして、どっか近くの病院だったりしてな。」
おんぼろビルの最上階に近いところからは、町がある程度見渡せる。とは言っても、すぐに他の背の高いビルに視界は遮られるのだが。その範囲の中でも、小さくない病院は幾つか見える。ビルの地下駐車場からは、頻繁に車の出入りがある。それも、ここから見える。どれが賈の車かは分からない。セダンもワゴンも、車の出入りはかなり多い。
「ボス、聞いたことないんですか?」
「ああ、無いなあ。どこの大学で医師免許を取ったとかと言うことは、自慢たらたら喋ってたけどな。それも、アメリカだったか、オーストラリアだったか。あいつら、ヤクザだよなあ。」
今更なことを言って、ボスはいたずらっぽく笑う。
一度、何故チャイニーズ・マフィアがわざわざ日本で人体を欲しがるのか、賈に直接聞いたことがある。
「中国の水は毒いっぱいね。それ飲んだ人間の体、お金持ち欲しいない。欲しいは毒無い体。日本、水も空気もclearね。狗にも劣る小日本鬼子の体。でも毒無い欲しい。
だから私、狗の体買うよ。腑分けして、飛行機に入れて持って帰る。高く売れるよ。」
腑分けってところで、俺はもう少しで噴くところだった。お前は杉田玄白か。いつも通り勧められるタバコを断って遠くを見る。
「タバコ覚えろよ。一回むせたくらいで何ビビッてんだよ。」
激しくむせたのも断る理由の一つだが、その後指が痺れた。仕事に差し支えては洒落にならない。
「今月、仕事多くないですか?」
「多いね。三月だからね。年度末は、どこも忙しいものよ。」
ボスは暢気にタバコの煙を吐き続ける。
「年度末だから、どうしょうもなくなっちゃうのよ。お前も俺も、それはよく分かってんでしょ。」
そう、分かりすぎるほどに分かっている。だから、俺はこの世界にいる。春になりきれない三月の空気が、黒いスーツを突き通って肌を刺す。
俺の親父はしがないサラリーマンだった。しがないって言葉がどういう意味かは辞書で調べたことは無いが、良い意味じゃないことだけは分かる。
親父の朝は少しゆっくりだが、夜は毎晩午前様だった。まだガキだった俺は、いつもくたびれ果てて、ボロボロの親父の姿を見て、ゲンナリしたものだ。家族のために頑張ってくれているのだから感謝するとか、そんな気持ちにはなれなかった。
周りには、もっとスマートに金を稼いでいる父親がいくらでもいた。一応外車に乗り、小洒落たマンションに住み、子供は私学だ。週末にはシャナリとドライブに行きやがる。だが、俺の親父には土曜日はなく、日曜日と言えばサザエさんが始まるまで寝ていやがった。サザエさんを、茶碗と箸を持った手を動かすこともなく凝視していた親父の横顔は、いまだに忘れられねえ。
目がくぼみ、髪はふけだらけで、どれだけピリッとしたスーツを着ても中身があれでは無駄に思えた。
その親父が、あっさりとリストラに遭った。会社の業績不振の責任を、管理職だった親父は取らされたのだ。ま、見た目があれでは仕方がないと思ったものだ。それが高校を卒業しようかという秋だった。全く、お気楽すぎて今では同じ自分だとは思えないが、俺は親父を心の中で嗤っていた気がする。
親父は転職先を探したけれど、全然見付からなかった。お袋は毎日毎日親父をなじっていた。それまで聞いたことのない、ヒステリックな甲高い声だった。
「これからどうやって食べていくんですか。子供たちもこれから大学に行くのですよ。
どうして会社にしがみつかなかったの。他の方でクビになっていない人もいるのでしょう?どうせ良いカッコウでもしたのでしょう。それで家族を養えなくなって、どうするのです?あなた、男なんでしょう?
どうしてあなたはいつもいつも・・・
今までは黙っていましたけど、本当に情けないッ。」
親父が何を言い返したかは覚えていない。ただ、何かボソボソ言っていたように思う。背中が、それこそ芋虫のように丸くなっていた。
親父は何度もハローワークに通い、仕事を見付けて帰ってはお袋にダメ出しをされていた。その給料では食っていけないというのだ。お袋は親父を責めるばかりで、自分は何かと理由をつけては働きに行こうとはしなかった。パートにさえ、出たがらなかった。
俺はバイトを始め、学費の足しにして貰おうとしたが、親父は、そんなことは気にしなくて良いと、力なく笑って言った。俺はその言葉を無視した。親父をこけにしたのではない。ただ、そうした方が良いと思っただけだ。
俺には弟がいたが、当時中学生だった。何も出来ない自分を、申し訳なく感じていたようだ。自分には何も出来ないのかと泣いていた。あいつは、俺より親父のことを分かっていたのか、それともただの同情からか、自分をとても責めていた。その点は、父親譲りだったのだろう。
親父の無職の期間が長くなるにつれ、お袋のヒステリックなわめき声はエスカレートした。
ほどなく、変な電話が良くかかってくるようになった。俺は直接取らなかったが、お袋の怯えた様子から、相手がまともじゃ無いことだけは分かった。
電話がかかるようになってから、お袋は声を潜めるようになった。
ほどなくして、俺が学校から帰ると、お袋が居間で呆然と座っていた。視線の先には、ぶら下がった親父の姿があった。お袋はものも言わず、ただただ惚けたように座っていた。
見苦しくも居間の真ん中を渡っていた梁に荷造り用の安物のロープで輪っかを造り、親父は首を吊った。胃液だか唾液だかの酸っぱい匂いと、大便と小便が漏れた臭いが、閉め切った部屋の中に充満していた。俺もしばらく、ただ呆気にとられてそれを眺めていた。
親父が死んで、最初に俺の家にやって来た家族以外の人間は、警察官でも消防隊員でも無く、証券会社の男だった。
「ごめん下さいよっと。声をかけても誰も出ないから、上がっちゃったよっと。」
男は抑揚の無い声でそう言いながら、ズカズカ部屋に入ってきた。俺とお袋は、何かを期待するように、その男を見つめたことだろう。
テカテカと光る変なスーツを着て、髪をオールバックにした男はまず匂いにむせたように鼻に手を当て、親父を見上げた。
「ありゃりゃ~、吊っちゃったか。これじゃあこないだかけた保険金は入らないなあ。参っちゃうなあ。
死ぬなら死ぬで構わねえけど、一言くらいかけて欲しいよなあ。」
男は不愉快そうに歪めた顔を俺に向けた。ヌッと突き出した名刺には、知らない証券会社の名前が入っていた。肩書きには回収班とか、書いてあったように思う。
「そう思うでしょう?ボクチンもさ。お父さんの借金、全部ボクチンがこれから払うんだよ?
ああ、遺産継がないとか?無いから、この世界で。
いっぱいあるぞ~、お父さんの借金。
それとも現物をボクチンが自分で捌く?期日が来たらガソリンがドラム缶に入ってゴロンゴロン来るからさ、仕入れ値以上で売れたら、儲けが出るよ。って無理だわなあ。現物を買い取るためには、まず現金要るしねえ。
先物って、怖いのよ、ボクチン。現物を買う権利を買うの。だから、その権利を売り損ねたら買わなきゃ、現物。お父さんの場合、現物はガソリン。ガソリンで張ったんだけどね、誰もその買う権利を買ってくれなかったのさ。分かるか?先物って、だから怖~いのよ。その怖~いのに、呑み込まれたのさ、君のお父さん。」
男は親父の遺体を見上げる。
「でもさあ、一言相談してくれりゃあ、君のお父さんも借金をきれいにして死ねたんだよ。知ってるかな?鉄砲玉になるとかさ、死んだ後に臓器売っぱらうとかあるわけさ。
つくづく残念だよ。遺憾だね、遺憾。」
俺達家族とは、全く違う方向で残念そうだった。そう言うと、男はしゃがみ込んでお袋に声をかけた。俺はふいと台所に足を向けた。背中に男の声が聞こえた。
「奥さん、何かない?金になるもの。じゃないと、息子さん、借金のカタに貰ってくよ?
あららダメだ。あっちに行っちまってる。」
台所から戻った俺に方を見て、初めて男はニヤッと笑ってお袋に目を戻した。
「お~い、一年以上前からかけてる生命保険とか、何か証書みたいなもの、無いですか~」
惚けた表情で肩を揺さぶられていたお袋は、いきなりスイッチが入ったように男に食って掛かった。
「何を、何を言っているんですか。その人の生命保険は、私たち家族の命綱ですよ。それがなかったら、明日から何を食べて生きていくんですか。
あの人は勝手に借金作って、勝手に死んだんですよ。私に関係ありますか?」
「これまたエグイ物言いですな。ご主人が死ぬ前に離婚したわけじゃないでしょう?だったら、ご主人の借金は奥さんの借金なんですよ。息子さんも同罪ですよ~。金返すまで、返しきるまで、きっちり型にはめさせてもらいますね。」
「そんなの知りません、そんなの知りません。そんなの知りません!」
「はあ、めんどくせえなあ。
保険金でスッキリ返済!って行かねえか?リアルにスッキリ脱糞してるものな、このオッサン。こりゃ厄介です。」
男が俺に振り向いた。
「結構、メンドっちいのよ、君達を型にはめんのも。」
俺は男に近付いて、右腕を伸ばした。ほぼ、何の抵抗もなく、右手に持っていた文化包丁は男の胸に沈んでいった。俺はいつからこいつらを殺そうと思ったのだろう。何の緊張も無く、何の感慨も無く、何の感傷も無く。ただ、俺は男の目を見つめたまま、包丁を男の心臓に突き刺した。右手には、何の感触も伝わらなかった。
みぞおちを狙って右腕を伸ばした。ビンゴ!男の顔から血の気が失せ、鳩みたいに目を丸くすると、唇を小さくわななかせていた。
男の体重が重く感じられて、俺はすぐに右手を引き抜いた。引き抜いたその手は血まみれ。ぬるぬると温度のある液体は、僅かに煩わしかった。
男は胸に空いた穴から大量の血を流して、崩れ落ちていった。何かを掴もうとしたのか、中途半端に上げた腕は目的地を失い、惚けたような目には、既に命は無かった。
俺は、右手に男の命の抜け殻がこびりついているように感じた。ベラベラと喋っていた男が、たった今まで動いていた男が、今ではただの肉の塊だ。生き物では無く、物体。その不思議さに、俺は少し戸惑った。命を奪う。命の火を消す。命って、結局は血なんだろか。いや、血が流れるってことなんだろうか。
怯えたような目で俺を見上げているお袋が目に入った。これも殺っちまうか?再び自然に体が動きそうになるのを、意識で止めた。
手を離すと、からんと言って文化包丁が床の上に落ちた。簡単なものだ。台所にあった包丁を持って腕を伸ばすだけで命が消えた。俺は何も感じなかった。
そう、俺は人を殺しても、何も感じないタイプの人間なのだ。
あれから何度も考えてみたが、どうしてあの男を殺そうと思ったのか。お袋も殺そうと思ったのか、分からない。親父に同情したのだろうか、親父を侮辱されて怒ったのだろうか。どうも自分ではその理由ではしっくり来ない。
どれほど時間が経ったか覚えていないが、警察が来た。俺はその場で逮捕されて、留置所へ入れられた。後で聞けば、成人と間違えられたようだ。俺の高校は私服で登校だったのだ。手錠をかけられ、パトカーの真ん中に座らされ、両脇には町でよく見かける制服を着た警察官が逃げないように座る。手錠は、警官の体温でぬくかったように記憶している。
留置所は、寒かった。まだ桜も咲かない季節だ。俺は備え付けのゴワゴワでケバケバの毛布一つをひっかぶり、震えていた。コンクリの打ちっ放しの建物は、それからは見るのも嫌だ。
翌朝早く、俺は留置所から出して貰った。人の良さそうなおばさんが、俺の手を押し抱いて言う。
「かわいそうに、あなたはまだ大人じゃ無いのだから、こんなところに入らなくて良いのよ。」
自分をかわいそうだとは思わないが、あのコンクリートの打ちっ放しから解放されるのは嬉しかった。
俺は地裁に送られること無く、家庭裁判所で少年院に入ることが決められた。この辺のことはよく分からない。いろんな人が丁寧に説明してくれたが、実際のところ結論だけ言ってくれれば、俺にはそれで充分だった。
それにしても、可笑しなことだと思った。自分は確かに子供なのだろう。世間も知らなければ、二十歳には達してはいない。だが、二十歳には達していないと言うだけで、俺は裁判にかけられることもなければ、牢獄に放り込まれることもない。実名で報道されることもなく、留置所に迎えに来てくれたおばさんには、どこか自分が被害者であると錯覚させられるようないたわり方をしてくれた。少年院では教育は受けたが、正直罰を受けている実感は無かった。
少年院にはお袋も弟も会いに来なかった。俺も期待していたわけじゃない。ただ、周りで親が来たとか言う話を聞くと、俺のところには誰も来てくれないなと気付いたくらいだ。
出所の時には、叔父が迎えに来ると教官に教えられた。自分に叔父はいないはずだと不信には思ったが、口には出さなかった。そして、迎えに来たのがボスだった。
どうやって俺のことを知ったのかは分からない。何故俺を選んだのかも聞いてはいない。ただ、俺達のやるべき仕事を、ボスは教えてくれた。
「お前、全然悪いことしたって実感、ねえだろう。」
ボスは近くの茶店に入って、開口一番そう言った。くだけた口調だが、穏やかで聞いていてうっとりするような声だ。
「人殺してさ、ええ?しかも心臓を躊躇いも無く一突きで殺しておいて、殺した奴にも申し訳ないなんて、これっぽっちも思ってないだろう。」
何を言い出すのかと、俺は少し気味の悪さを感じた。それは、心の底を見透かされた気味の悪さだった。少年院では、正直であることは悪だった。
「よしんばそいつに家族がいたとしてさ、さっぱり悪いとか、思ってないだろ。」
俺は自己防衛のため、呪文を唱えそうになった。散々少年院で学習させられたことだ。「私はとんでもなく悪いことをしてしまいました。被害者に取り返しの付かないことをし、命を奪った責任は取り切れるものではありません。これからは被害者のご冥福を心から祈り、少しでも被害者のためにも社会に尽くして、生きていきます。」バカバカしくって、俺はそれを口にするのを止めた。
「ええ」
俺は、ただそう答えた。実際、何も感じていない。殺したことに後悔も無ければ、人を殺してしまったことに対して自己嫌悪にも陥っていない。
少年院の中には、それこそ発狂したのかと思うほどに殺人を後悔している者もいた。俺はそいつに同情した。根は良い奴なんだろう。そして、人を殺しても、何とも思わないタイプではないのだ。だから、同情する。
だが、俺の目から見れば、そんな良い奴ってのはごくごく一部だ。盗みを働いた者、強姦した者、殺した者。そのほとんどが後悔もしていなければ、悪いとも思ってはいない。ただ、この窮屈な世界からは出て行きたい。もっと自分を発揮したい。ありのままの自分でいたいから、ここから出ていきたい。そのためには呪文を唱える。頭を下げ、髪で自分の表情を隠して呪文を唱える。こみ上げる笑いを必死にこらえながら。
「稀有な存在なんだよ、お前はさ。その特質を、最大限活かさないじゃ、もったいないじゃない。」
ボスは心底楽しそうに言葉を紡ぐ。俺はその穏やかな話し方に、心地良さを感じた。
出所したのも、まだ桜の咲く前だった。寒かった。掌に載せたコーヒーカップは熱いくらいで、俺は文化包丁を捨て拳銃を持つようになった。
初仕事はすぐにあった。
何せ、三月だったから。金が回らなくて、どうにもならなくなった人間が、ボスを訪ねてくる。
ボスはあの部屋に顧客を迎えるために仕事をする。そして、ゆっくりと旅路に就けるように心の整理を手伝う。最後に、旅に出すのは俺の役目だ。
初めての仕事の時にはコルト・パイソンを使った。好きなアニメの主人公が使っていた回転式銃だ。弾倉が回転することで、次弾が装填される。特にどうしてという訳じゃ無いが、俺はその銃が良いと思った。だが、俺はこの仕事で二度と回転式銃を使わないことを決めた。
初めての顧客は、やはり借金がどうにもならなくなった男だった。俺はあの部屋で待機していた。ボスがどこでどう顧客を斡旋してきたのかも知らない。ただ、俺は言われた通り、あの部屋で待っていた。ガタガタと体を震わせた男が、ボスに背中を押されて入ってきた。
「なに、大丈夫です。何も怖いことなんてありません。何も心配することもありません。
死ぬと言っても、みんないつか死ぬんですよ。遅いか早いかはありますが、考えても見て下さい。癌にかかって、自由を奪われて、痛い思いをして、やせ細っていく自分の姿を見つめながら死を待ちたいですか?私なら御免ですね。
自分がこの時と思った時に死を決する。これが侍じゃないでしょうか。大和魂ではないでしょうか。鹿児島の知覧をご存知ですか?特攻隊の基地だったところです。
ええ、彼等も怖かったでしょうね。まさに死ぬための訓練をしていたのですから。でもね、あそこの記念館に行きますとね、彼等の写真があるのですが、どの若者達の目もとても澄んでいて綺麗なんですよ。胸をつかれるほどです。きっと、死ぬことに意義を見付け、それに殉じたのでしょうね。桜のように咲いて、美しいままパッと散る。これは日本人の美学ですね。」
男は歯の根も合わず、相変わらず体を揺すっているかのように震えている。
「まあ、リラックスして下さい。なんでしたら、恐怖心を抑える薬も用意していますよ、いかがですか?いえ、この薬で死ぬなんてことはありません。
いえいえ、大丈夫。まだ書類にサインもいただかないといけませんからね。」
そう言ってボスは生命保険にサインをさせる。男はここですぐに死ぬわけだが、ある程度の期間は生きていたと、何かと証拠をばらまく。そして、何らかの事故にあったかのように見せかけて、認定死亡を受けさせる。失踪では七年かからないと死亡が認定されない。だから、何らかの事故に巻き込まれて行方不明に仕立てるのだ。その辺は、ボスが上納金を納めている組織のお得意だ。遺族に渡るようになっている保険金は、全てボスの手に入る。
「食っていくためさ。」
とボスは言う。食っていくために、やりやすい仕事をしている。ボスは金融会社に男の負債を一気に肩代わりして返済する。このことこそが、ボスの仕事なのだ。金融会社からも一定の手数料というものが入るが、ここにからくりがある。顧客を殺しても、すぐに顧客にかけた保険金は入らない。だが金融会社はすぐに返済をさせたい。娘を風俗に沈めたりってのは百万にもならないってことも聞いたことがある。この世は不景気なのだ。命を売りに来る奴の借金は、桁が違うのだ。
だから、やっぱり借金を作った奴には死んで貰う。
「この保険金でね、ご家族は救われますね。きっと、ずっと感謝されますよ。
あなたは、一家の大黒柱として、家族を守ったのです。立派です。男です。日本男児ですよ。その精神、私もあやかりたい。」
男はユーロジンか何かをいくつか口に含む。それで、何とか字が書けるまで待つ。シャブやヘロインをやらせれば、もっと楽に仕事は出来るが、賈が嫌がる。マイナ-・トランキライザーが賈の許容ギリギリだ。しばらくすると、少し落ち着きを取り戻した男が、大きく息を吐いて自分の名前を書く。まるで、自分の処刑執行命令書へのサインだ。
男の保険金は、認定死亡がなされればすぐに払われる。だが、仕込みに時間がかかる。ここで賈の出番がやって来る。奴は人体を即金で買う。金は上部組織に払われるが、そこから男が借金を作った金融機関へ金を出してやることが出来る。無論、上納金もサラリーマンの税金よろしく天引きされる。となると、俺達の仕事料はまず出ない。
そこで保険金だ。後年入ってくる保険金から、やはり上納金を払い、遺族にいくらかの口止め料なんだか慰め料なんだかをくれてやり、残りが俺達二人の給金になる。こんな稼業の割にペイは悪いが、危険はまず無い。
もう一人の仲間のアルだが、アルはこの仕事に手を貸さない。ボスが引き受けた殺しの仕事をこなすだけで、仕事は一人でやる。
俺は割とアルとは気が合う。いや、アルは誰とでも気を合わせられる奴だと思う。だから、ナイフを使ったヒットマンでいられるのだろう。相手も、殺される瞬間まで、生命の危険を感じていないことだろう。
男が大きく頷くのを見て、ボスが俺に目配せをする。俺は銃を手にとって、まだ撃鉄を上げていなかったことに気付いた。男の狼狽え切った様子から、撃鉄を上げる音に気付きはしないと思ったが、一応慎重に撃鉄を上げた。その音に、男はブルリと体を震わせた。
ボスの眉間に軽くしわが寄った。
俺は少し慌てた。だから、少し強く男の頭を抑えてしまった。男は頭に手を乗せられると、大声で喚きながら逃げ回り始めた。俺はすぐに男を追った。狭い部屋だ。逃げ場所はない。
「落ち着け。追い回すな。」
ボスの声を聞いた。10分も逃げ回ると、男は薬の効果もあってか、体が言うことを聞かなくなったようだ。俺は追い回している間の暴発を恐れ、撃鉄を下ろしていた。俺はそのまま、ダブルアクションで一発、男の眉間に正面から撃ち込んだ。だが、弾が僅かにそれてしまった。弾丸は頭部を貫通することなく、あろう事か弾いてしまった。回転式銃の場合、ダブルアクションだとどうしてもバレルの回転のトルクが生まれ、弾道が僅かながら思い通りにならない。俺は撃鉄を起こし直すと、間際まで近付いて眉間に再度撃ち込んだ。これが、俺の初めての仕事だった。
「ふーっ。いやいや、参ったな。ま、こんなこともあるわな。さ、賈さんを呼んでくれ。」
俺に男の死に顔を見せないように、ボスは俺を早々に部屋の外に追いやった。
「アイヤー。小日本鬼子、バカあるか。頭グチャグチャ、使えないね。」
反射的に血が上り、暴れそうになる自分を落ち着けるのに時間が少しかかった。ようやく賈に対する怒りが消え、自分たちに入る金が減ることに思いが至った。それは、建物のベランダでタバコを勧められてむせた時だった。
殺したのは二人目だったが、やはり何も感じなかった。そんな俺を、ボスは嬉しそうに眺めていた。
三月は忙しかった。日に二件なんてこともザラだった。世の中、どこまで景気が悪いのだか。それとも、騙されるお人好しが多いのか。俺は世の中の一番底辺にいる実感を持っていた。そして、それが俺の生きる場所だと感じていた。
今思い返せば、最初の仕事はボスの気に入らなかったはずだ。だが、ボスは何も言わなかった。ただ、こうして欲しいという要求は、ハッキリと言ってくれた。これは、俺としては有り難かった。言わなくても分かるだろうってのは、家族の中でも、学校の友達同士でも、苦手だった。自分自身が察しが悪いとは思わないが、自信を持って対応できないと言えば良いのか。
俺はなるべく顧客に余計な苦痛を与えないように、努力と研鑽を積んだ。
アルと初めて会ったのは、初仕事のすぐ後だった。俺達三人は居酒屋に集まって、飲んでいた。俺も少年院を出る直前に、法的にも飲んで問題ない年齢になっていた。細かな打合せはこうはいかないが、ちょっとした調整なら居酒屋でやることも多い。酒飲んで騒いでいる人間が多いところなら、話しを盗み聞かれる心配も少ない。
アルは背が高く、目鼻立ちがスッキリとして、また着ているものもお洒落だ。俺のように、店で売ってあるものを適当に買って、適当に何も考えずに着ているだけでは絶対に真似が出来ない小綺麗さがある。きっと、女にももてるんだろうな。
「女ッスか?ああ、たま~に、ターゲットになるッスね。
命乞い?まあ殺されるって分かってたら、やるんじゃないッスかね。でも、俺の場合、ないッスね。気が付いた時には、あの世ッスから。
え?どうせ殺すんなら、ファクッてから殺したらって?ダメッスね。DNAが残っちゃうでしょう~、あそこに。ダメッス。ゴム着けてもダメ。」
女とはよく遊んでいるようだった。全く不自由していないとは本人の談だ。悔しいが、その通りなのだろう。俺も、俺なりに狂おしいほどに女の肌が欲しいとは思うのだが、出会いが無い。それに、俺に人を殺すことに躊躇いはなくても、こんな人殺しが、人を殺すことに何も感じない真性の人殺しが、命を作る行為を行うってのも滑稽に思えてしまう。俺は他人の行為を、平らな画面で見て自分を満足させる。画面で喘ぐ女は、きっと俺には巡っては来ない。
「いつか、俺達もこんな店持つか?
三人で、居酒屋、どうだな?」
「え?なんて居酒屋するんスか?必殺!居酒屋、とか?」
これには三人とも吹き出してしまった。
「俺はパスッス。立ちっぱで重労働じゃないッスか。で上がりが今より悪いって、考えられないッスよ。」
「でもよ、アル。一生この稼業ってのも、無理じゃねえか?」
「う~ん、ッスね。でも、当分はいいッス。」
俺はアルの仕事を見たことは無い。別に見たいとも思わない。俺が見るってことは、どこかアルの仕事場の近くに俺がいるってことになる。つまり、アルに足が付くリスクを負わせることになる。そんなのは御免だ。
ボスはたまに立ち合うらしい。男でも、女でも、はたまた子供でも、みんな楽しそうに笑ったままの死に顔をしているそうだ。
アルの仕事は、俺達の仕事のように死体が見付からないようにやったのでは顧客、この場合は殺しの依頼をした人間だが、に仕事の結果を示すことが出来ない。だから、必ずメディアが報道するように死体は晒すことになる。見付かりやすいようにすると言うことだ。
発見時に腐乱していようが、土左衛門になっていようが、日本の警察は優秀だ。身元はしっかりと割り出してくれる。すると、アルに支払いが入る仕掛けになっている。
こんな生活をしていると、この上なく生と死の境目が分からなくなってくる。生きているって、何だろう。死ぬって、生きていることの、ほんの延長線上なのだろうか。命が消える瞬間に、何度立ち合っても分からない。
人間の体だって、考えてみれば物質が作り上げているに他ならない。水や鉄やカルシウム。タンパク質だって言い換えれば炭素に何かが複雑に結合している物質だ。そんなものが、生き物を、人間を構成する。何の縁があってか知らないが、分子や元素が複雑に合成され、絡み合って、そうやって俺達の体はできている。つまり、意識も自我も持たない物質が寄り集まって、考え、思い、動く人間が出来ている。俺が弾丸を撃ち込んだり、アルがナイフを突き立てたりすると、その命が消える。考えも、思いも、動きもなくなる。
体を構成している物質は、ほとんど何ら失われることはないのに、命が消える。それは、命を運営する器官、脳であったり心臓であったりが機能を破壊されるからだ。そして、たった今まで考えていた、意識のあった、動いていた誰かがいなくなる。体はそこにある。消えてなくなっているわけではない。でも、いない。命って何なんだろう。死ぬってことは何なんだろう。
地球がドロドロのマグマの塊として出来たのが何億年前かは知らない。それが対流を繰り返し、今の地球になった。地球には色々な物質が出来た。金属や水、岩石。それがまた干渉し合って、もっと不思議なものが出来た。水晶や金や、そして生命体だ。何かと何かがぶつかったりして、それが又何かとぶつかって、複雑に絡まり合って生命体が出来た。だが、元はと言えば、マグマのドロドロだったわけだ。生き物は、そうやって生まれてきた。それが、もっと複雑に発展して、恐竜が生まれ、滅び、人間がいる。
死ぬのが怖いと言って恐れ、生きるのが辛いと言って死ぬ。そんな不思議な生き物を、俺やアルは殺す。何の躊躇いもなく、殺しても何の罪悪感も抱かず。
「DNAに支配されないってことじゃないッスか?」
DNAは生き物の設計図だ。それに、死ぬのは怖いと書いてある。そうじゃ無いと、誰もが簡単に命を捨てることになり、生命体という複雑な構成が折角出来たのに、無になる。
「死にたい奴は、だからDNAに支配されていない、最も自我があるってことじゃないッスか?最先端の生命体ッスよ。独立!カッケーじゃないッスか。俺は尊敬しますね。」
アルが殺すのは、死にたくない奴ばかりだ。アルは軽蔑をもって殺すのだろうか。それとも、死にたがらないターゲットを、いかに簡単に殺すかに興味を集中させているのだろうか。俺は、アルの言う最先端の生命を殺しているのだろうか。
「死ぬのが怖い奴は、殺すのも怖いわさ。だって、目の前に自分の一番怖いものがあるんだからな。殺すってのはな、いつ自分が殺されても仕方ないってことの裏返しさ。だから、普通は怖いものなのよ。」
俺は、いわゆるどこかのネジが緩んだ、生命体としての欠陥品なのだろうか。死にたくはない。だからと言って、自分の人生で何をしたいわけでもない。だからって、死んで良いとも思わない。殺されても仕方ないとも思わない。幾ら他人を殺しても、思わない。俺は卑怯者なのだろか。
三月だ。桜が咲くには早くて、何となく空から降ってくるのは雨だったり雪だったりして、地面が気持ち悪く濡れている。寒くて、だからと言ってダウンのコートばかりじゃ暑くって。三月は死にたがる奴が多い。いや、死ぬしかない奴らが多くなる。俺の前で死んでいく奴らは、全員金が原因だ。金って何なんだろう。元々は、紙幣なり硬貨なりは、これでものが買えますよって言う約束だった。もっと言えば、価値が無くなることがないと歴史が証明した金、即ちゴールド、もっと言えば元素記号のAuと交換できることを政府が保証するものだった。これは理解に易く、俺にも納得がいく。
つまり、カネはキンだった。その事をそこの政府が保証する。即ち金本位制度だ。だが、金本位制度も破綻した。何でかは分からない。公民かの教科書に書いてあった。金は紙だったり、ニッケルとなんかの合金だったりになった。誰が何を保証するんだ?数字ばかりが動き、今じゃ電子化もされている。なんてことは無い、実体すらなくなってしまった。そのために、命を捨てる。意味が分からない。
借りたものは返す。金が記号であったり、金が実体でなかったりは関係ない。それでも借りたのなら返す。それは、例え命をはったとしても。だけど、それが電子の海の中の藻屑じゃあな。
その日は仕事の日だったので、俺は先に部屋に入っていた。サイレンサーをつけ、銃のスライドをバックさせておく。一体何人がここで命を散らせたのだろう。俺はそんなことを思いながらボスが顧客を連れて入ってくるのを待っていた。死んでいった奴らの魂は、ここに漂っているのだろうか。だとしたら、今俺が鼻くそを飛ばしたのも、見ているのだろうか。
ガタンと音がして、戸が開いた。いつものように、暗い部屋にいる俺は、明るい外の光で目は幻惑される。ボスの声がする。続いて、男が入ってくる。大柄な男だ。割と良く知っているシルエットだ。誰だ?
「賈さん?」
仕事は延期なのか?続いて姿が見えたのは、ヤクザの矢敷だ。その後に、周も控えている。矢敷は、部屋に入るのをためらったが、周を見やって顎で入るように指図した。その周の後について、矢敷も入ってきた。
「よう、ボン。元気け?」
矢敷の張りのある関西弁が、部屋の雰囲気に全くそぐわない。
「ボス、今日の仕事は無しですか?」
正直に言うと、俺は心持ちホッとしていた。それが、自分でも案外意外だった。
「いや、そうじゃないんだ。今日はね」
その後は矢敷が引き継いだ。
「せやねん、ボン。今日も仕事でっせ~。今日はコイツを殺っちゃってちょ。」
矢敷は自慢のレイバンのサングラスをかけたまま、顎で賈を示す。
俺は動揺した。それは、殺しを前にして、初めてのことだった。
賈はいつも顧客が座る二人掛けのソファーにでんと足を組んで座って、後ろに立っている俺を見上げている。
「鬼子、問題ないか?ちゃんと狙うよ。膾なる、たまらないよ。」
相変わらずぞんざいな口調だ。
「ダハハ、かめへんかめへん。今日は穴だらけにしてええで。どうせコイツのパーツなんざ、欲しがる奴はおれんわ。せやな、周よ。」
パーツとは内蔵のことだ。周は彫像のように固まって動かない。だが、俺の様に動揺して動かないわけじゃないことは、目を見れば分かる。
矢敷は賈の前に仁王立ちにたって、デコピンすると、
「お前が死んだら海に沈めて魚のエサじゃ。
あ、あかんわ。コイツの体なんか食うたら、魚下痢しよるわ。」
ダハハと矢敷が大笑いする。
賈がチッと大きく舌打ちする。
「しかし、なんで?どうして?」
今まで顧客を殺すことに疑問を挟んだことなんて無い。死ぬほどのことですか?死なないとダメなんですか?他に方法はないのですか?なんて、一切俺は口を挟まなかった。ただ、ボスが目で合図すれば、俺はその指示に従うだけだ。
「あ?こいつな、酒で体ボロボロなんや。体が腐らんのは、酒のお陰やちゅうことや。全身、体内からアルコール消毒!ぶわー。」
聞きたいことはそっちじゃない。
「賈さんはね、ちょっとまずいことになったんだ。それで、中国の組織からね、命令が下ったんだよ。」
「命令って、誰が誰に命令しとんねん。うちのオヤジは中国のオヤジに頼まれたんやで?」
「ええ、もちろん。組織からね、賈さんに命令があったんだよ。」
「おお、せや。死ねっちゅう命令や。そんなわけや、賈、さっさと死んチャイナ。」
「小日本鬼子ども。下品、無能、無力。お前らに殺される、愉快無いね。」
「せやろな。せやろな。せやけど、下品、無能、無力はお前ら中国人の専売特許やで。それが世界の目、ちゅうこっちゃ。いつもサッサと殺せとやいやい五月蠅いお前やないか。その線でお前もサッサと死ねや。
ボン、どこでもエエから撃て。周が退屈しとるやないか。」
俺はボスを見やった。ボスが頷く。
「周さんは見届け役だ。」
俺は銃を手に取り直した。賈は濁った、それでいて鋭い目で俺を睨み付けている。俺は賈に恐怖を抱いた。
「能死、小日本!」
賈の体が踊った。目の端に映ったのは、キラリと光る何かだった。
俺は反射的に引き金を引いた。
賈の体は吹っ飛んで、机に大きな音を立ててぶつかった。俺は用心しながら近付いた。
「おうおう、エエやないか。土手っ腹にまずは一発や。ボン、ええ腕しとるのお。」
賈は細く長い刃物を右手に持っていた。俺は賈の顔を見下ろし、ゆっくりと眉間に狙いを定めた。
痛みに顔が歪み、何やら分からない言葉をブツブツと言っている。俺達を罵っているのだろう。俺は、もういつもの俺に戻っていた。
「さようなら、賈さん。」
俺は引き金を引いた。右手にショックが完全に伝わる前に、眉間に穴が空いた。賈は死んだ。
「矢敷さん。今回うちの上がりは無しだ。あの話し、良いですよね。」
矢敷が眉間にしわを寄せてボスに詰め寄る。
「ああん?あの殺し稼業辞めて、北海道に引っ越すっちゅうアレか?お前、本気にしとんのか。」
「ええ。だから、引き受けたんじゃないですか。賈さんの始末。」
「はッ、分からんのう。楽な商売やないか、お前らの商売は。
ま、オヤジが受けた話しや。俺がどやこや言うこっちゃ無いわ。オヤジがエエゆうたら、エエんじゃ。」
矢敷は俺に方を向くと、顔は笑っていた。
「ボン、北海道で店開くんやて?ワシらかてな、北海道に出張くらいあるんやで~。店あんじょうしたら、メール寄越せ。わいわい賑やかしに行ったるわ。」
俺は何のことか分からなかったが、賑やかしには来て欲しくないと思った。
矢敷は猪首短躯の周の肩をぽんぽんと叩くと、
「ほなな」
と部屋を出て行った。
周は賈の側に膝をつき、首筋の脈を診ているようだった。
「完全死了。」
初めて周の声を聞いた。
「契約、終了ですね。私のこの言葉意外に、何もありませんが、よろしいですか?」
周は全くよどみのない日本語を発した。ボスは深く二度ほど頷く。
「死体の始末はこちらに任せて貰って構いません。この部屋の後始末は、日本の組の方でやってくれるそうです。もう、お出になって結構ですよ。」
ボスの顔を見ると、目があった。ボスが頷く。賈の死体の側に立つ周に軽く頭を下げて、俺は出口に向かった。
「今まで、お世話になりました。」
周の言葉に、ボスが「いえこちらこそ」と応じている。
この一件で、俺達は俺達の稼業から足を洗うことになった。俺は何も聞いていなかったのだが、何でも急な話だったそうだ。俺に断らずに済まなかったとボスが言っていた。
アルは一緒には来なかった。その後連絡を取ったが、まだこの稼業で生きていくそうだ。
話しがいきなりで、俺も戸惑わなかったわけじゃない。でも、俺は清々しい気持ちになっていた。胸には愛用のP220がまだどっしりと存在を示している。俺は殺し屋、だった。俺はこのP220を十字架にして生きていく。でも、もう殺しはしなくて良いのだ。そう思うと、おかしいほどにホッとした。俺も、まともな人間になりつつあるのだろうか。
「ねえ、ボス。俺達、口封じを喰らうんじゃないんですか?」
ボスはおかしそうに笑った。
「お前、それっていつの時代だよ。古いなあ。」
今時は、足が付かないようにお互いに念を入れるものなんだそうだ。相手の氏素性はもちろん、興味を持たない、調べないがマナー。金もロンダリングした後の綺麗なもので現金払い。口封じなんてすれば、余計な殺人が増えるだけで、足が付くリスクだけが微増(殺しには念を入れるからバレるリスクは限りなくゼロに近いが、ゼロじゃない)して意味が無いのが今時の考え方なんだとか。
「俺ももちろん、念を入れていたわけだ。」
街で、俺達は別々のところに住んでいた。お互い、どこに住んでいたのか知らない。アルに至っては、本名も知らない。連絡はいわゆる飛ばしの携帯。
「俺は九州の実家に戻って居酒屋でもやるさ。なあ、お前も一緒に来ないか?」
俺はポカンとボスの顔を見た。
「必殺!居酒屋ですか?」
「あはあ、名前はともかくな。」
それも悪くないか。
そう言えば、お袋と弟はどうしているだろうか。殺し屋稼業をやっている間は、全く思い出しもしなかった。「必殺!居酒屋」が軌道に乗れば、葉書でも出してみよう。




