8.吸血鬼
「うーん、あんな天真爛漫な動きにはついていけないなぁ」
ロズはレイピアを収納してレピートに笑いかけた。男たちはとりあえず適当に転がしておくことにする。
「…さっきの、弱いって言葉も綺麗に嘘ですねぇ。」
「怒ってる?」
「結構?」
自分が騙されたのは、まぁ、まだいい。だが、師であるレイスにも嘘をつき、騙したなど。
そのレピートの様子に察しがついたのか、今まで戦闘を傍観していたレイスはぼそりと呟く。
「…いや、怪しいのは気付いてたんだけどな……」
思案しているレピートには気付かないようだが。
さてと、と。
ロズは腰に手を当てて、改めてレイスとレピートを見た。
「とりあえず、謝罪を。…さっきは、急に斬りかかってごめんね?ほんとーにちょぉっと、貰いたかっただけでね」
「貰いたかった?」
ロズは「歩きながら話すよ」と続いた暗い道にレピート達を促す。次第にかすかに灯っていた電灯も少なくなってきた。
「君たちは、吸血鬼って信じるかい」
「…吸血鬼、ですか。えっと、あの伝承の?」
「そう、20年前、この大地から立ち去った、ね」
やけに強調して、ロズは笑う。レピートは自分の言葉に違和感を覚えた。
後ろを歩いていたレイスが呟く。
「…たかが20年ばかりで、伝承なんてつけられるわけがねぇだろ」
「……あ」
伝承、というのはもっと古く、長い歴史から付けられる言葉だ。それに気づいたレピートに、ロズは頷く。
「…この地には、吸血鬼の魔術が掛けられている。―――思い込ませるように、吸血鬼という存在をあやふやに設定するために」
「つかレピート、本の知識をそのまま喋るな。ちったぁ考えろ」
軽く背中を小突かれ、レピートは「あぅ」と眉を寄せた。確かに、先程の言葉は本からの引用だったが。
どうしても、知識が少ないレピートは本の内容を丸呑みしてしまう傾向がある。反省しなければいけないことだとレピートは一人心に決めた。
「それで、吸血鬼がどうした。実際そいつらは天に、既にこの大地には居ないんだろ」
「………まあ、そうだね。僕もそう思っていた」
――ロズは家の前、立ち止まった。家、というか使われていない倉庫のような建物だ。古く、灯りも少ないのか光もほぼない。暗闇の中では余計に視界が悪かった。扉を開けてロズは二階に踏み入れていく。
―――二階のドアを開くと、布団に横たわる女性の姿が目に入った。
長い白髪を惜しげなく垂らし、頬白い顔を布団に沈ませている。入ってきたのを感じたのか、ふるりと長い睫が震えた。
「………、ん………」
うっすらと開いた瞳は血のように赤い。赤、というよりも…紅色、というのだろうか。赤のように鮮やかというより濃い色が際立つ瞳は焦点が定まらないのか、幾度か瞬きを繰り返した後にロズを見た。
「おはよう、プレネス。…気分はどう?」
「…………ロズ」
プレネス、と呼ばれた女性は肘で体を支えて起こそうとする。それを支えてやりながら、ロズはレピートとレイスに目を向けた。
レイスは真正面からプレネスを見るとやや目を見開き、軽くレピートのマフラーを後ろに引いた。
「…吸血鬼か」
「………お客、様?ロズの?」
たどたどしく呟く声には覇気がない。レイスは怪訝そうにロズを見た。ロズは苦笑して、プレネスの頬にかかった髪を払ってやる。
「彼女は吸血鬼。紛れもない、正真正銘吸血鬼だよ」
「…随分衰弱してるみたいだけど。」
レピートはこそりとレイスを見上げて小さく尋ねた。
「師匠どうして吸血鬼だと…?」
「マナの流れだ。人と吸血鬼、それにピクシーは体内に流れる計量範囲のマナの量が違うからな。…人と吸血鬼じゃ体内のマナはまるっきし違う。」
マナの流れ、というものはレピートには良く分からないが、魔術使である師が言うのであればとレピートは自然と納得する。改めてプレネスを見ると、紅の瞳は片方が眼帯で隠れていた。しかし片目でもわかるほど、熱に浮かされているかのように揺れている。
「話すと、長くなるんだけど…聞いてくれるかな」
「それが、…私たちを襲った理由になるのなら」
レピートの言葉にロズは頷いて、それからちらりとレイスを見上げる。
「レイスは何となく、察していたみたいだけど…改めて、自己紹介させて貰うね。僕は―――ヒトとピクシーの間に産まれた、ハーフだ」
ぱちり、
レピートは、瞬きをした。
ハーフ。
それは―――それは、何て珍しい。
本来人は人と、ピクシーはピクシーと、吸血鬼は吸血鬼と。それが道理だった。何故なら、同種族同士が馬鍬うことで所持しているマナの供給や効能を上げることも可能であると言われてきたからだ。特にピクシーはその傾向が強い。元々マナを扱うのに長けているピクシーはより強い力を求める。
何より――ピクシーは誇りが高い。自身の矜持が強いのだ。
レイスがロズに対して必要以上に不信感を抱いていたのは、恐らくロズに宿るマナの不可解さが原因だろう。納得がいった、とレイスは心の内で頷く。
ロズに支えられていたプレネスは、彼の手をやんわり振り払うと一つ息を吸ってレピートとレイスを睨み付けた。
「ロズのこと、知らないってなると…貴方達は只のお客様、ってわけじゃないのかしら」
ぱち、――プレネスの赤いネイルが張られた指先から僅かに火花が飛ぶ。
「プレネス!」
叱咤するように声を張ったロズに、プレネスは一瞬怯み、しかし眉を寄せるだけで敵意は相変わらず二人に飛ばしていた。
その様子にレイスがはぁ、と重いため息を吐く。
「状況を把握してから動いてくれ。……めんどくせぇ。………さっき、俺達から貰いたかったのは、血か?」
それはレピートも薄々把握していたことだ。吸血鬼、とくれば同じぐらい血が思い当たる。吸血鬼は血を媒介にして放つ手段を持っている。
肯定するように首を縦に振って、「でも」と困ったようにロズは吐息を零した。言葉を紡ぐ前にプレネスは舌打ちをこぼす。
「嫌よ、血は、嫌い」
「…は?」
ぽかん、と。レピートとレイスは二人して固まってしまった。
苦笑したロズが頬を掻く。
「プレネスは…血が、苦手なんだ…」
「…だから、弱ってんのか…」
レピートにかけていた力を緩め、レイスは脱力したようにぼやく。プレネスが――吸血鬼という寿命も長い種族の立場であるはずの彼女が衰えたかのように横たわり、顔色が良くないのは貧血が原因だろう。吸血鬼は定期的に血を摂取しなければ体を悪くする、という話も文献には載っていた、気がする。レピートは大分前に読んだ本の内容を思い出しながら頭を整理することにした。
吸血鬼は血を好む。普通は。その血で様々な行動をすることができるとされている。だが、プレネスは血を好まず、飲めない。
…確かに、ロズが言っていた「病」とはまた似て非なるものか。
そこでプレネスはロズに睨みを移した。
「あんた、こんな子達から血を貰おうとしたわけ…?」
「う」
「血は飲まない、って言ってるし、そもそも子供から血を貰おうなんて…ヒトとしてどうなのよそれ」
「う、うううう………」
全くの正論だ。言い返せず、ロズは眉をへの字にさせて項垂れた。さすがに同情を覚え、レピートは「あの」と声を張った。
「ロズは、プレネスの為に、私たちを騙した、でいいんですよね」
「しかも騙したわけ?!!」
「わああそうですごめんね…」
追撃の言葉に、見事、撃沈。
レピートはそんなやり取りを交わした二人を見てから、考え込む。
二人の事情は何となく分かった。どちらにせよ、トリエ鉱山には行かないといけない。……そこではたと思い浮かべる。
「あれ?プレネスは、血を摂取しないと体が限界なんですよね。どうしてトリエ鉱山に?」
「…トリエ鉱山には、血の代わりとなりうる、マナの植物がある…と言われているんだ」
「鉱山なのに?」
正確には、鉱山の上でも生息する特殊な植物なのだという。
血には血、それは仕方がないことだが、吸血鬼はそもそも血の中にあるマナを巧みに操る。つまり根本的に言えばマナを摂取できればいいのだ。だが血のごとく限りなく液体に近いマナなどそうそうあるものではない。マナの植物――植物の構成はほぼ水である。もしかしたら血の代わりになるかもしれない、それがロズとプレネスの考えだった。
「…けど、トリエ鉱山には魔物も出る。それに運悪く、あんな魔物もいちゃあねぇ…」
産卵時期で苛立っている、ツイルバード。ロズは口惜しげに唇を噛みしめる。
「…無理は承知で、頼ませて。プレネスを…このままにしてはおけない。あんなことをしでかした僕が言うのは全くずうずうしいかもしれないけど、……助けてくれ」
―――ロズの緑の瞳がレピートを見詰める。
レピートは深呼吸をした。
チラリとレイスを窺うと、目で「お前が決めろ」と促される。
――この旅は、レピートの旅だ。レピートは、何の為に旅を始めた。コアを奪取すること、そして。
――後悔、しないように。
「私たちにも、手伝わせてください」
だから、レピートは力強く応えた。