6.夜空を徘徊する魔物
――まるで、悪夢の真ん中に立っているようだ。
見渡す一面は地獄絵とそう変わらないものだった。血と肉が、死体と魔術の痕跡が。あちこちに散りばめられた大地は枯れ地のごとく衰えている。
その中で少女は呆然自失の状態で座りこんでいた。
「……っ」
肉を切り裂いた感覚を思い出し、思わず口元に手を当てる。その手からも血臭がして――少女はたまらず、吐いた。
吐瀉物が地面を汚し、少女は呻きながら涙を零す。
「う、ぅ、うあ…」
一体――何人、殺したのか。
それさえ、もうわからない。
とりあえずここから離れようと少女は手の甲で口元を拭い、立ち上がる。未だ異臭が漂う中、貧血状態で立ち上がったものだからくらりと揺らぎかけたが何とか踏みとどまった。集合場所まで身を翻し、歩き出す。
―――ふと、視線を感じて振り返った。
そこには、幼い外見をした少女が立っていた。
「……や、る…」
肩を震わせ、纏う服を血だらけにした少女は――この戦の存命者。そして、自分の敵――だったもの。戦は両社の長が中止を呼びかけたため、互いに魔術の行使を強力な結界で封じられている。そのため、戦うことはできない状態だった。だからお互い撤退するしか道はないはずだが―――…。
ボロボロな少女から発せられる殺気に、よろめきながら逃げ出す。
怖かった。
怖くて、怖くて仕方がなかった。
「殺してやる………!!!」
後方で悲痛気な声を上げる少女を背に、走る。
――嘆く少女が、怖かったのではない。
自分がしでかしたことが――どれほどなものだったのか、自覚してしまった。
(……ああ、あたしは、もう…)
武器の一つを、失ってしまった欠落感を抱いて少女はその地を後にした。
―――20年前、ファレスト国では歴史に残る大戦が起こった。
人里離れた場所の荒野で起こった――ピクシーと、吸血鬼の全面戦争。
互いを滅ぼさんとするかと思われたそれは幸い、というべきか。互いに満身創痍の戦力の状態で戦は強制的に終了され、かろうじて残った同朋を引きつれた吸血鬼たちは空の彼方に消えたとされている。
果たして、何が原因でどうして起こってしまったのか―――それさえも、謎に包まれたまま。
×
「お待たせいたしました、ミルクとコーヒーです」
ことりと置かれた二つの飲み物。少女が「ありがとうございます」と笑顔で頷くと、店員も笑顔を返し戻っていく。それを見てから、レピートは目の前に置かれたミルクとコーヒーを吐息を零しながら入れ替えた。
「…どこにいってもコーヒーを置いて貰えないことに、私は少しショックを覚えるです」
ぼそりと呟いたレピートにレイスはホットミルクを軽く揺らしながら表情変えずに言葉を返す。
「背のびねぇぞ」
「うっ、だ、大丈夫です、師匠こそまだ身長伸ばしたいんですか?!」
「コーヒーは嫌いだ。苦いし」
「ううん、師匠のその子供っぽい理由にいつも私ハテナマーク浮かべます…!!!」
味覚に子供も大人も関係ないとは思うが、ともあれ。
――レピートとレイスは、リライクと呼ばれる街に辿り着いていた。
これまでいくつかの村などにも寄って来たのだが目ぼしい情報もなく、このリライクまで旅をしてきた。道中魔物に襲われることもあったがレピート一人で対処でき、特に損害もなく順調に旅は進んでいると思う。だが、やはり情報がない。
「…それにしても、ここ、酒場のはずなのにお客さんあんまりいないんですね」
レピートはキョロリと周囲を見渡してから小さく言った。2人がこの街に着いた時は賑わいを見せていたのだが、夕方になると途端ひっそりとしだし、気が付けば人の気配もほとほとなくなっていた。2人は宿を取っていたのでこうして戻ってきたのだが、その宿も連接している酒場も人気は少ない。
レイスも同じことを思っていたのか、木製のテーブルに頬杖をついて頷いた。
「…何か、あるんでしょうか」
「教えてあげようか」
レピートは顔を上げた。
にこりとこちらを見下ろして微笑む青年が、1人。
黄色の髪に、穏やかな緑の瞳。歳は20代前半ぐらいだろうか、物腰も柔らかそうな、いかにも優男、といった印象が強い青年だ。
「えーと…?どちら様でしょうか…」
「僕はロズ。君たちと同じ、旅人だよ」
レイスが僅かに目を細める。ロズと名乗った青年は四人席の空いている椅子に腰掛けると持っていた緑茶を呷った。…渋い。レピートは横目で見ながら、けれど口には出さずに思う。
ロズは、旅人である証拠、という意味も兼ねてか手荷物をチラリと振ってみせた。
「この街について何かご存じなんですか?」
「もう少しだけ、待ってごらん」
言葉の意味を測り兼ね、小首を傾げる。
――しかし、その意味はすぐに分かった。
ビリ、と肌が泡立つ。
「なっ…?!」
ガタン、と立ち上がったレピートは短剣の柄に手を当てながら窓際に駆け寄った。そこから空を見上げると―――
夜空の中、大きな鳥が羽ばたいていた。
もう少しよく見ようと窓の鍵を開けようと思ったがロックが掛かっていて開きそうにない。それでも、室内でもわかるほど甲高い鳴き声と鳥の影にレピートは身震いをする。
それは恐怖だった。
「――何ですか、あれ…っ」
「ツイルバード。…産卵の時期でね、気が立っているらしい。夜になると徘徊しだす魔物なんだけど、ヒトには手を出さなかった…これまでは」
ロズは見慣れたものなのか、同じように窓際から影を見上げて呟く。レイスは「これまでは?」と一人椅子に座りながら反復した。
「つい二週間ぐらい前のことらしいんだけど、突然あの鳥が空を徘徊しだした。それ自体は毎年のことだったようだけど、今年はヒトを襲ったらしい。幸い命に別状はなかったみたいだけど、それ以来街の人は警戒してこうして家に立てこもるようになった、だと」
鳥――ツイルバードは一声鳴くとどこかに羽ばたいていったようだ。
「…そうだ、君たちはなかなか腕が立つみたいだよね」
ロズが思いついたように言う。レピートは少なからず眉を寄せた。自分が、というより師が、なのだろう。未熟である自分自身のことは良く分かっているつもりだ。
「実は、共に旅をしている仲間が病を患っていてね。…その治療薬がこの近くのトリエ鉱山にあると言われているんだけど…如何せん僕は弱い。だから、良かったら協力してくれないかな?」
「人助けですか!」
レピートがパチリと肩を上げる。反対にレイスは渋るような表情を浮かべた。
もちろん、先程のツイルバードの話もそうだが恐らくヒトに襲った経緯からコアが関係していると思われる。普段この周囲にあるべきではないコアというマナの塊が魔物を、ツイルバードを刺激したのだろう。だから気が立っている…つまり、近くにコアはある。
「ツイルバードっつうのは、確か、トリエ鉱山辺りを巣にしていたな」
「良く知っているね。…そう。だから、徘徊している今、あの親鳥が居ないトリエ鉱山まで近づくには夜しかないんだ」
ようやく本題が言えてほっとしたのか、ロズは苦笑する。レピートも状況を把握してレイスを見上げた。
その視線を受けて嫌々気に息を吐く。
「…ついでだな」
この街からはコアの気配を感じないが近くにある、ということであればトリエ鉱山も怪しいところだ。手がかりは少ないのだからしらみつぶしにあたるしかない。
レピートは嬉しそうにロズに頷いて見せた。何にせよ、人助けが好きなのだ、このレピートという少女は。
「ありがとう。先にその仲間に合わせてもいいかな。…ああ、病といっても感染とかする類のものではないから」
そういってドアを開けたロズに、レピートは頷いて見せた。