5.青空の元、旅立ち
歩いていたレイスが立ち止まった。
レピートは首をそちらに向け、自身も足を止める。
「ししょー?」
「…やはり、コアがないと不安定だな…」
ぽつ、ぽつ、レピートの目にもマナの粒子を確認する。それは先ほどの風景と変わりなく、やはり安定さを欠かしていた。
「師匠、コアがないとマナって安定しないものなんですか」
「…つーよりは、コアがあるお陰でマナが安定してた、っつうんだろうな。…元々この世界にはコアがなかった。けど、コアが現れより強度なマナに従うように辺りのマナがコアに集まった。統一されたマナは長いこと安定を保っていた…」
見ろ、とレイスは指を差した。その先では野兎が身を捩じらせ――レピートはひぃっと短く悲鳴を上げた。その口を片手でレイスは塞ぐ。
二人で息をひそめる中、野兎の変化は続く。体が震え、突き出された岩石のような何か――それが野兎を囲み、
「…解放されたマナが動物に取り付いて、魔物とさせる。…必要以上のマナを摂取した生き物はああなるんだよ」
完全に魔物と化した、野兎ではない生き物がのそりと動き始め、二人の視界から消えていく。
完全に姿と気配が消えたのを感じ取り、レイスは手を離す。ぷはっ、と小さく息を吐いてレピートは鳥肌立った腕を摩った。あんなものを見せられてしまえば、明日から野兎など食べれそうにない。
「うう、じゃあコアがないと私たちもああなっちゃうかもしれない、ってことですかっ」
さすがレピート、察しがいいなとレイスは感心する。
何も動物だけではないことに気付いたか。
「ヒトにももちろんマナの吸収限度はあるからな。」
「それは知ってますが……マナ中毒の成れの果てが魔物だなんて笑えない…」
委縮したように項垂れるレピートの頭を軽く叩いて、レイスは思考する。
コアが一つなくなっただけで、魔物化がこんなにも早く始まるとは。
「…師匠」
されるがままになっていたレピートが自分を呼ぶ。
レイスが小柄な彼女を見下ろすと、紫の瞳を瞬かせてレイスを見上げていた。
「コアを、放っておけません」
「…言うと思った…」
「だ、だって!」
レピートはびくりと体を震わせて気丈に叫ぶ。
「私たちはコアが実際に持ち攫われるところを目撃しました…見過ごし、取り返すこともできませんでした。せめて、あのコアだけでも取り返したいと思うんです…ッ」
「あの男が何者かもわからないのに?どうやって」
う、とレピートは押し黙る。
レイスの言うことはもっともだ。項垂れてしまったレピートの頭を軽く叩きながら、レイスは身を翻す。夕日が傾き、辺りはすっかり夜更けの気配が見えていた。
「ほら、帰るぞ」
レピートは押し黙ったまま、コクリと頷いた。
×
レイスのことを師、と仰いではいるが、実際のところレピートにとってレイスはただの保護者のようなものでしかない。
あの灼熱のような痛いから目を覚ました時、レピートは記憶を失った――産まれ、育ち、どうしてここにいるのか、何もかもわからない状態で傍にいたレイスはレピートに自らの名前と、それから「ここにいていい」と言ってくれた。
話にきくと崖から落ちたところを介抱した、らしいのだが本当かどうかは定かではない。
それからずっと、レピートはレイスと共に居た。命の恩人でもあるが、何よりもレイスは独りだったから。
独りぼっちで、生活をしていたから。
(………コア………)
夜の森に響く梟の鳴き声。レピートは目を瞑ることなく、布団の上で膝を抱えた。
レピートがレイスを心配するように、レイスもまたレピートを案じている。そのことが分からない程レピートはバカではない。
あの青年リースと、その魔物リック。
(…とても、強かった…)
レピートにとって――世界はレイスを中心に回っていた。これからもそうだと思っていた。だが、今日彼等と出会い、シプロと話して思ったのだ。
(…いつまでも、ここにはいられない…)
強くならなければと思った。
本当に大事なものが、手からすり抜ける前に。
レピートは小首を傾げる。そう思う、考えるということは以前失ったことがあったのだろうか。
思い出せない記憶の縁を開けてみようとするが、どうもうまくいかなくていつものことだと諦める。
「………うん」
一歩踏み出してみなければ、世界を見ることなんてできやしない。
躊躇いがちな、しかし力強ささえ感じるノックの音にレイスは目を向けた。
「どうした」
「……師匠、寝てました?」
こそりと隙間から顔を出したレピートに首を振って否定する。布団に寝そべって本を読んでいたレイスは、手に持っていない方の左手で布団をぽんぽんと叩く。レピートは少々遠慮がちに入ってくると柔らかい布団の上に腰を下ろした。
「眠れないのか」
「……師匠、私、コアを探しに行こうと思うんです」
夜風が頬を撫でる。レイスの散らばった黒髪がパサリと揺れた。瞳は揺らめかず、レピートを見詰める。
「…今日、改めて思ったんです。強くなりたい、…何も失いたくない、そんな強さが欲しいって」
もしもあのとき、シプロが助けに入ってくれなかったら自分は死んでいただろう。
何も守れず、命を落としていた。
「初めて師匠に会ったとき、師匠はわたしを守ってくれました。手を繋いでくれていたり、看病してくれたり、覚えています。…だから、私もそんな風に誰かの為に在りたいと思うんです」
コアが一体どうして必要としたのか。その理由や動機はわからないが、もしもあのコアが不幸を催されるというのならば。
昼間のうさぎのように――生物の循環を脅かし、いずれ人の身にまで伝うこととなれば。
「…後悔、したくはないのです…」
あのとき、ああしとけばよかっただなんて台詞を吐きたくはない。
「……後悔………」
レイスは復唱し、徐に布団を抜けた。突然動きだすものだから、布団に腰かけていたレピートも慌てて飛び降りる。
「し、師匠?」
「…わかった、お前がコアを探したいのは。俺も行く」
「えっ…」
ガサゴソと衣装箪笥を漁ってレイスはぽつりと言う。箪笥はごちゃごちゃと色々入ってはいるがようやくお目当ての探り当てたらしい、それを引っ張り出した。
「これは…」
取り出したのは――短剣だった。
それをレピートに投げつけ―慌ててレピートはキャッチする。鞘から刃が出ていたら大変なことになる。恐る恐る柄を掴んで抜いてみて、
「……って、錆びてるじゃないですか!!!」
ぎゃん、とレピートは吠えた。
短剣は柄や鞘は異常がなさそうだったが、如何せん重要な刃がダメだった。赤錆びに塗れ、さすがの達人でも扱いなどできないだろう。最早修復さえ不可能な物のようにも見える。
うるさく叫ぶレピートに少しげんなりとして、レイスは視線を合わせるという意味でもその場にしゃがみこむと赤錆びに指をあてた。
「……!?」
その途端、赤い光が一瞬光ると同時に錆びは銀色へと変化をする。
――先程とは全く異なった、美しい刃。思わずレピートは感嘆の息を漏らした。
「昔知り合いに貰った、特殊な短剣だ。ちょっとばかりのマナを与えることで刃を取り戻す…銘は…」
「………アマラント…」
ぱちり、とレイスは瞬きをする。レピートは嬉しそうに刀身を撫でた。
「この子はアマラントです、だってこんなにきれいな赤を弾いているんですもの!」
「いや…それは俺の主なマナが火で…」
「だったら、師匠の色でもあるんですね!素敵です、やっぱりアマラントです!」
嬉しそうなレピートの様子にレイスはやがて「まあいいか」と嘆息をする。
もう一度短剣――アマラントを撫でると、すぐに色を失ってしまう。
「レピート、今度はお前が自分でやってみろ」
「……え」
師からの言葉に文字通り固まるレピート。それもそうだ、レピートは魔術操作が苦手なのだ。
だが拒否権はないらしい。しどろもどろになりながらもレピートは集中してみる。
「………」
「……………無理です!!!!」
しかし無理だ。
刀身は一向に光らず、レピートは何だか情けなくなってきてしまった。
先程の明るい色、とまではいかずとも少しは光ってくれてもいいじゃないかと不貞腐れる。
が、レイスもあまり期待はしていなかったようで肩を竦めるだけだった。
「まー……いつか使えるようになるだろうし、お前持ってろ」
「師匠がお使いになれば…」
「無理無理、俺物騒なもん持てないし…」
「最初からあきらめの姿勢!!!」
レイスとは対照的に、肩を怒らせるレピートに苦い表情を浮かべて部屋の外まで背中を押す。
「ほら、もう寝ろ。行くんだろ、探しに」
「………っ!はい!!!」
おやすみなさい、とアマラントを大事そうに抱えたレピートが扉の奥に消え、レイスは身を翻して布団に戻る。
徐に指先を見詰めてみると、ぽつぽつと赤い炎が光った。
「………後悔は、したくない、か………」
炎と同じ色をした瞳を、ゆっくりと、閉じる。
×
空は蒼天晴天快晴日和。レピートは小さく背伸びをして満足げに微笑んだ。
「それで、あの男もといコアを追うにして…どこに行くんだ」
「………」
鍵を掛けたレイスにレピートは満面の笑みで小首を傾げる。ガチャリ、と音がしてロックがかかり、暫く家を空ける居場所を見上げながらレピートの反応にため息を零した。行先不安定すぎる。
「…ここからそう遠くないところに確か街があったな…まずそこ行くか…」
「さすが師匠です!」
レピートはくるりと回って嬉しそうに叫んだ。その腰には光を帯びないアマラントが、恐らく背中には彼女の愛用している短剣が挟まれていることだろう。
「ではいきましょう!」
「はいはい…」
かくして。
少女レピートと青年レイスは旅立つ。
目指すはコアの奪取、目的は後悔をしないように。
レイスはもうもう一度――家、を見るためではなく空を見るために顔を上げた。
(…あおい)
踏みしめた大地は固い。
「えへへ、師匠と旅だなんて楽しみです」
「目的、忘れねぇようにな………」
レピートはレイスの横を歩きながら、「はい!」と元気よく頷いた。
これは、青年が少女と、最後に笑って別れるまでの物語。