45 ピクシーの里
思い出せない記憶が幾つかある。その記憶が空白なのが、消えてしまったからなのか、それとも、
元から、無かったのか。
それさえも、分からない。
歌が聞こえるのだ。ずっと、聞こえるように、途絶えることがないように。この世界全てを包み込む歌だ。この歌があるから、世界は守られているように。
歌をずっと、胸に抱いている。
…
……
………
ピクシーの里は、森の奥深くにある。近づくためには、茂みの強い魔物の森を抜けていくしかない。段々と霧も濃くなる中で、ようやくピクシーの里が見えた時、プレネスが立ち止まった。
両の腕を組み、小さく囁く。
「あたし、この先は行けないわ」
「…ピクシーの里、だものね」
吸血鬼とピクシーの隔たりは、未だ深い。魔力の差異に敏感なピクシー等には、すぐに気付かれてしまうだろう。となれば、外で待っているのが得策である。
しばし考え込んだロズが口を開いた。
「僕も残ろうかな」
「気遣って残ってくれなくてもいいのよ」
対して、肩を竦めるプレネスに、違うと頭を振るロズが、茂った森を見回して、ぽそりと言い捨てた。
複雑な感情を宿して。
「ここ、帰りたくないな、って」
「かえ………えっ、ロズの故郷ですかっ?!」
「え?別に不思議じゃないでしょ?」
ロズがレピートに笑いかける。
ピクシーは各所に場所を置いてはいるが、基本、現と関わりたくないものも多い。特にそれが、戦争を終えてからはより顕著になった。半分とはいえど、ピクシーの血を持つロズがここで産まれたとしてもおかしくはないだろう。ロズは端的にそう言うが早いか、近くの株に腰を下してしまった。
「行っておいで、皆」
動く気を微塵も見せないその姿に、レピートが口を挟める筈もなかった。
レピート達の姿が見えなくなって、プレネスがロズを向く。
「故郷で、帰りたくない。追及しないのは、優しさかしらね」
「……女々しい男だという?」
「今更じゃない」
「手厳しい」
苦笑を滲ませ、ロズは息を吐いた。故郷、と、口にはしたが。
「……ここを故郷だなんて思ったこと、一度もないよ」
それに対して、プレネスは何も言わない。プレネスにとっての故郷は、雲の上、吸血鬼の城だ。シプロにとっては王都だろう。ティは、記憶喪失だというが、恐らくピクシーの里か。レピートの故郷も、訊いたことは無いが、恐らく近くに在ったと言う村辺りだろう。
ふ、と思う。
寡黙な黒髪の術士――レイスにとっての、故郷とはどこなのだろう。
…
……
………
入口へ近づくと、甲冑を見に付けた騎士の容貌なピクシーが槍を構えた。咄嗟に身構えそうになるものの、自分達が敵でないことを証明しなければならないと改め直す。
「何者だ」
「旅の者です。族長にお会いしたいのですが」
訝しげな様子で、騎士の男がティを見る。しばし考えたのち、「待っていろ」と言い捨てて、里の中へ入っていった。やや違和感を覚えたレピートは、ティにこそりと尋ねる。
「ティはこの里出身ではないのですか?」
「…そうみたい?ううん……所々記憶が抜けてて」
ああ、そうかと納得する。ティの記憶は所々穴がある。無理もないだろう、20年、眠り続けていた時間は短くはない。しばし待った後、奥から戻ってきた騎士がレピート達に言った。
「お会いなさるそうだ。入れ」
族長の家は、更に奥の屋敷だった。
ピクシーの寿命は長い。人の倍生きるピクシーは、成長速度も人間とは比較できない。族長は老人の装いをしており、そこに居るだけでも貫録があった。かなりの長生きで、なおかつ、強力な魔力を宿していることが感じ取れる程だ。
…と、レピートはティから聞いた。生憎と、マナの微々は相変わらず分からない。どうやらシプロもそう得意ではないようで、これは最早体質の問題なのだと思う。
「どのような要件ですかな」
「早速ですが、お聞きしたいことがあります」
開口一番ティが声を張る。ティを見やって、族長は「何でしょう」と促した。ティの目を受け、レピートは拙いながら、コアを探していること、ここいらで見かけはしなかったかと尋ねる。それでも、レピートの足りない言葉を付け足すようにシプロやティが口を挟む。やがて、族長は理解したように頷いた。
「事情は大体理解できました。……コア、確かに我々は一時、所持していた」
「一時…?」
頷き、族長はティを見る。
ふ、とティは何らかの既視感を覚えた。ノイズ混じりの声が微かに聞こえるような気がしたが、見回しても何もない。
「そもそも、コアとは王家が勇者一行から譲り受けた物、というのはご存知でしょう」
「はいっ、ええっと、コアを手にした勇者一行が……魔王討伐後に、王様に全て、お渡しして……それで、五つの場所に、五つのガーディアンによって守られている…いた、んですよね」
覚えた知識を手繰り寄せながらレピートは呟く。それが、書の記録だ。
「だが、我々とて、それは不公平と物言いした。人ばかりが力を持つということを、危惧したのだ。よって、我々は一つのコアを貰い、吸血鬼にも一つのコアを与え、三つを箇所に埋めた。吸血鬼は、大戦の際に、雲の上へ行くと同時に――コアを埋めてしまった。」
「コアの力が強大すぎたせいか。吸血鬼たちにとっては持て余していたのかもしれないな…」
シプロが思案する。強すぎる力は身を滅ぼす。左様、と頷いて、族長は続ける。
「我々が所持していたコアは青だ」
「……これ、のこと」
ティは自らが持つ青いコアを見詰めた。
五つの場所を守る、ガーディアン。レピートは引っ掛かりを覚えたが、それをうまく言葉にできずに小さく唸る。どうした、とシプロが首を傾げた。
「ガーディアン……コアを守るガーディアン自体は、どこにもいるのですよね…」
「そうじゃ。コアは強力だ――故に、我々もガーディアンを与えた。結局は、持てあましていたのだ」
「んん…?」
違和感を、言葉にできずに首を傾げる。そんなレピートを他所に、ティが口を開いた。
「じゃあ、ピクシーの族長にも、他のコアの居場所はわからないのですか」
「……桜の木の下を探してみよ。それが最後の一つなのかは定かではないが、吸血鬼が埋めたものが在る筈じゃ。儂から言えるのは、この程度」
屋敷の入り口まで送ってくれた族長に礼を述べ、扉を潜っていく。始終口を開かなかったレイスの背に、族長が口を開いた。
「もし、そこの術士よ」
軽く、レイスは目を向ける。赤く光を宿す瞳が、族長と交わる。その色を見詰めながら、族長は首を振った。
「…なんでもありませぬ。人違いじゃった」
「………」
結局、口を開かないまま、レイスもまた扉を潜った。
賑やかな客人が過ぎた後、一人、魔王がこの世を支配していた時代から生きていた族長は呟いた。
「……もう400年が経つ。アレはただの人間じゃった。…そ奴が、生きている筈など」