4.女性騎士
――全身を覆う痛みに目が覚めた。
「う、うぇえ…」
体の節々全てが痛い。まるで引きちぎられそうなほど、体は悲鳴を上げている。嗚咽と共に涙が零れ、歪んだ視界が覆った先で―――ふいに抱きしめられた。
「う、うう、ううう」
「……どこ痛い?ぜんぶ?」
「いたい、いたい…いたい………」
困惑したような声に返された自分の言葉はうわ言で、ぴたりと冷たい手が額に触れた。冷たい、重いものを持ったことや振るったことがない、誰かにやさしく触れることができる手だ。柔らかさに痛みも忘れてふと思ったが、すぐに痛みは発せられ涙は止まらない。
自分が横たわっている場所が布団の上であることはわかったが、それ以外は全くつかめない。思い出せない。
痛いと愚図る自分をあやすように抱きしめながら、――やがて冷静になりつつある頭がこれは初めてじゃなくて何度も起こったことだと思いながら。
「よし、よし」
控えめに、恐る恐るといった感じで自分をあやしてくれる男に触れられるのは何度目か―――彼女は堕ちていく意識の中でぼやく。
ごめんなさい、と。
痛みが無くなり、目を覚ましたとき――そこで初めて男を見ることができた。
痛んだ黒髪と鋭利な赤い瞳。自分を映す彼に、彼女は言う。
「………あなたは、だれ、ですか」
それが――レピートの、レイスと出会った初めての記憶。
ただ印象的に残っている彼女の記憶。
×××
「………ん、」
パラパラ、と天井から――まぁもうほぼ欠片のようなものだが――細かい粒が落ちて頬に当たる。何かが乗っている感覚――に急速に意識を取り戻す。
「――おねーさん!」
勢いをつけて身を起こし、自らの盾となった女性を起こすと彼女も何度か瞼を震わせて目を開いた。くしゃりと髪に指を絡ませながら、「くそ…」と悪態をつく様子に無事であることを確認する。それからレピートは周囲を見渡した。
「師匠…師匠、無事ですか、師匠!」
あのとき、爆発が轟く寸前に彼が自分の名を呼んだのは恐らく発火の気配を感じ取ったからだろう。レイスは火に異常に敏感な男だ。本人曰く、火のマナとは相性が良いらしい。
レピートの叫び声に一つの瓦礫が動いた。
「…うるさい…」
「ししょー!!」
ほっとした声音を浮かべてレピートはレイスに抱き付く。多少汚れはしているが怪我はなさそうだった。咄嗟に彼お得意の火のバリアーでも張ったのだろうか。レイスは魔術を使いたがらないが、先程のレピートに見せた火のマナのように少しのことであれば容易にこなす。良かったと安堵しているとその様子を見ていた女性が埃を払って立ち上がった。
女性もまた、丈の長い衣の下に纏った軽鎧のお陰か怪我をしている様子は見られない。
「これはまた派手な爆発を………」
「あの、先程は助けていただいてありがとうございました!…良かったら、名前を教えて貰ってもいいですか」
レピートはレイスから離れて頭を下げる。女性は小さく頷いて囁く。
「騎士たるもの、当然の行いだ。そう固くなることはない。…私の名前はシプロという。貴方達は?」
「私はレピート、こっちは師匠もといレイス師匠です!シプロさんは騎士…だったんですか」
騎士、と聞いて思い浮かぶのは王国騎士団の存在だろう。国の全てを守り、時には裁く騎士団――それを聞いたシプロは少しだけ困った表情を浮かべる。
「かつては、だけれど。…今の騎士団のやり方に賛成できず、抜けてしまったよ」
「……今の、やり方…」
治世に疎いレピートは首を傾げる。シプロもそれ以上は何も言わず、さて、と周囲を厳しく見渡した。
「リース殿は逃げたようだな…」
「さっきの人…一体…シプロさんの知り合いですか?」
レピートの問いかけに沈黙をするシプロ。やや間隔をあけてから、「そんなものだ」と言い紡ぐ。
それから話題を変えるようにシプロは二人に言う。
「村まで送っていこう。ここもいつ崩れるかわからないから」
結局コアを取り戻すことができなかった。
少し項垂れたまま、レピートはシプロの後ろを歩きながらため息をこぼす。それからチラリとシプロを見た。
(…シプロさんのように、強ければ)
あの青年を止めることができただろうか。
村までの分かれ道、シプロは立ち止まって目を細めた。
「…まずい」
「え?」
シプロの呟きにレイスは察したのか、顔を覆って深々と息を吐いた。
「忘れてた…村、騎士団に占拠されるんだったな…」
「…あっ」
おばちゃんが言っていた、村はこれから騎士団の元、調査が進められ検問も始まる、―と。
幸いというべきか、二人は村はずれに家を持っている。迂回していけば何とかなるだろう。
「そうか、貴方達はあの村の出身ではなかったのだな。…それでは、そちらまで」
「ううん、もう大丈夫ですシプロさん。むしろここまで送ってもらっちゃってありがとうございました。シプロさんには何か目的があってあの場所に訪れたことぐらい、私わかります」
シプロは目を瞬き、それからふっと小さく笑みを浮かべる。つくづく美しい女性だなぁとレピートは感慨深く思った。
「…貴方は、何も追求しないのだな。」
裏切り者、の意味を。
「私、所構わず突っ込むの好きじゃないんです。シプロさんは、私を助けてくれました。それで十分です」
「……ふふ、そうか。レピート、貴方の言う通り、私には目的がある。目的のためにも、今は騎士団と顔を合わせるわけにはいかない。…すまない」
それからしばし考え、シプロははっと顔を上げた。レイスとレピートを見てにこりと笑う。
「貴方達に何か危機的なことが起これば、必ず駆けつけよう。約束する」
「…あんたは千里眼か何か持ってるのかよ…」
思わずレイスが呟くと、「いいや」と笑顔で首を横に振った。あまりにも堂々とした態度にレピートは顔を引きつらせる。
「しかし、約束は約束だ。私は自らの誓いに対して反することは決してしない。」
「期待しないで待ってるわ…」
欠伸をかみ殺しながらレイスが言うと、「そこは期待してくれよ」と苦笑じみてシプロは言い、踵を返す。
軽く手を振って去っていくシプロの姿を見送って、レピートとレイスは迂回路を見詰める。
「さ、帰りましょう師匠」
「だな…」
気だるげな表情を浮かべるレイスの背中を押して、レピートは歩き出した。
×
――気分が良さそうな鼻歌が瓦礫の中、届いている。
ふいに――その音が途切れたかと思うと、歌の持ち主は足元の瓦礫を勢いよく蹴った。
「……乱暴な。」
ボソリ、―――その下に、埋まっていた青年は憮然として呟く。
「ふふふー、ふふん、っと。どうも、こんなとこで埋まってどーしたんっすか」
夕日の色がそのまま染めたような長い髪をポニーテールに結い上げ、若草色の瞳を足元に向けた青年は笑いながら尋ねる。ずり、…と、片手で携えた鎌が音を立てた。その鎌を、軽々と二回ほど背中で回すと肩に背負う。
瓦礫に埋もれ――強いて付け足すのであれば、もふもふとした魔物の毛に埋もれていた青年―リースは体を起こす。
「珍しい、貴方ともあろう人がここまで大事になさるとは」
おどけたような様子で紡がれた言葉にリースは眉を寄せる。瓦礫には二人と魔物以外の気配しか感じない。自分がここで横になっている間にあの少女達は去ったか――まぁ、考えつかないが、瓦礫で埋もれ死んだか。
リースは小さく舌打ちをして白髪を掻く。
「…シプロ。……邪魔入った。…………何にせよ、目的は達している」
割れぬよう――抱え込んだリースの掌では黄のコアが輝いている。リースは莫大なマナを感じ取り、呑み込まれそうだと息を呑む。
かつて勇者一行はこれを一人で抱えて持ち帰ってきたというが、信じられない。…この塊一つでも、人の手には身に余るようなものを。
「シプロォ…?」
鎌を携えた青年が喉の奥で小さく笑う。
「ああ、あの、裏切り者。あいつ、近くにいるんだ」
愉快そうに笑い、青年は身を翻した。リースは体に降りかかっていた小石の破片などを払い落しながら、問いかける。
「どこに」
「―――どこって、裏切り者を、殺しに?」
青年の姿を見送りながら、またリースは舌打ちをした。「リック」と短く声を掛けると、その姿は溶けるかのように揺らぎ札へと変化する。ひとりでに彼の手に戻ったその式を振りながらぼやいた。
「騎士団長殿は全く、身が軽いこと…」
しばらくして聞こえてきた鼻歌に、リースは報告をしなければと端末を取り出した。