32 輝かしい王都
おいで、と、愛おしさを伴った声で手招きをされた。
ぺたり、と冷たい、しかし熱を帯びた掌が右顔部分を摩り、するりと巻き付いていた白い包帯を紐解いていく。ゆっくりと、慎重に。全てが解けきると、ふぅ、と大げさに息を吐いて、声の主は安堵したように再度頬に手を当てた。布を通さず体温が直接伝わる。
それが嫌じゃなかった。
「良かった。綺麗になってる。回復術もちゃんと効いたみたいだし、ここが一番ひどかったのよね?」
問いかけに無言でうなずく。傷だらけだった体は、傷痕残さず治癒が完了したようだった。
少年は、物心がついたときに捨てられた。人が溢れる王都に、明るい世界から切り離された路地裏に。雨が降る、冷たい雨粒が自身を流れ尽くそうとする。
何の優しさも、温もりもない世界にひとりぼっちだった少年は、一人の少女と出会った。
「貴方、こんなところにいちゃ風邪もひいちゃうわ。酷い怪我もしているのね。おいで」
そういって。
何度も、おいで、と、少年の手を引いてくれた。
「誰にだって生きる理由があるわ。魔物も、この世界に生きるすべてのものも。だから私は守りたい。それが、私の夢なの」
「………夢?」
少女は笑う。
「夢はない?」
「…そんなもの、考えたことはなかった」
「じゃあ、とりあえず生きましょう」
生きて、生きて。
それから、貴方が本当に叶えたい、心の底から願う夢を探しましょう。
遠い遠い、懐かしい記憶は、忘れたくても忘れられない程、暖かい。
×
ガタン、と車輪が道に乗り上げたのか、荷台が音を立てた。荷物の影に身を滑らせていたレイスが呻きながら目を覚ます。レピートはそれに気づいて、そっと声をあげた。
「師匠、景色変わってきました。お城近くなってきましたよ!」
はしゃいだようにレピートが言えば、レイスは頭を押さえながら沈黙する。レピートは小首を傾げた。ややあって、レイスはレピートを見、それから城門へ目を向ける。
「………無事入れるといいな」
「不吉なこと言わないでください……っ」
やがて呟いた言葉に、レピートは肩を強張らせながら言い返した。
一夜明け、エリンに報告を終えた昼間。レピート達は、村から資材を運ぶための荷台に揺られながら王都を目指していた。そう遠くはないと言う王都だが、門前では検問がある。潜り抜けるのに不安を覚えながら、城に近づく興奮と緊張を押し殺す。
「止まれ」
外でいかつい声があがった。きた、と、レピートはレイスに目くばせをする。レイスは静かに、と指を立てて口元に当てた。こくこく、とレピートは神妙にうなずく。暫く、外での話し声が続く。やがて、再び車は動き出した。
門を潜っても、まだ、安心はできない。賑やかな雰囲気を感じ取りながら声を押し殺して進んでいく。
―――ようやく止まり、光が差し込んだ。
「もう大丈夫だぜ、おたくら」
に、と笑いかける男に頷き――肩越しに見えた世界に、目を輝かせた。
祭りだ。
一面華やかに飾られ、空には催しだろう風船や花吹雪も舞っている。晴天がひしめく空を自由に鳥が羽ばたいていく。
沢山の出店や、多くのヒトが集まっていた。ピクシーと人間が笑い合い、子供たちは無邪気に走り回っている。
「………すごい」
今まで寄ったどの町でも、ここまでの喧騒はなかった。人々が笑い合い、手を叩き、生き生きと呑んで食っている。
驚愕に、それ以上言葉が続かないレピートの肩を叩いて、レイスは宿屋に引っ張った。
それぞれ違う台車に乗り合わせていた他のメンバーも、無事に集合場所、つまりは宿屋にて集まることができたようだ。特に吸血鬼であるプレネスへの緊張はかなり募った様で、疲れたように肩に手を当てている。
「ここの王様ってどんな人でもお会いしてくれるんでしょう。どうせ会えるなら、単刀直入の方が良いわね。」
「らしいネ。何とも寛大な王様ダ」
肯定しながら、ティはそわそわと窓の外を見ていた。その様子に、レピートは尋ねる。
「ティもお祭りはじめてですか?」
「ちょ~~~っと違うんだけド…ねぇねぇ、どうせお祭りは今日まで、せっかくだから明日王様に会うことにしなイ?」
「!わたし、お祭り堪能してみたいです!!」
元気だなぁと目を細めるレイスの視線を受けながら、レピートが手を大きく振るえば、ロズは苦笑して頷いた。プレネスも異存はないようだ。
「じゃあ各自、だネ!」
「あんまり目立った動きはしないよう……っていねぇし」
「はや?!」
言いかけるより先に、ティの姿は消えていた。キョロキョロと周囲を見渡してもいない。感心したようにロズが瞬きをする。
「風より早い………」
「あたし、宿で休んでいるわ。ロズはどうするの?」
「どうしようかなぁ………気分転換に歩いてみるよ。その…騎士団とか、間近で見てみたい、のもある…」
後半部分は声を潜めて、ぼそりと呟いたロズにプレネスは噴き出した。う、と睨み付けるロズにプレネスは笑みを隠そうともせず、浮かんだ涙を指先で拭う。レピートとレイスが理解できないと言う表情を浮かべれば、プレネスは説明してくれた。
「ロズは元々騎士団志望だったもんね」
「ええっ、その我流の剣でですか?!」
「その性格でか…?」
「うっ、うるさいなぁ!っていうか性格って何?!人格の否定しないでくれない?!」
ロズが耳を塞ぐように首を振り、叫び散らしてから、レピートもレイスが誰を差しているのか気付いた。
もうずいぶん昔のようだ。初めて見つけたコア、獲り返せなかったコア。間一髪、レピートを助けてくれた金髪の騎士。
「…シプロさん、どうしているんでしょう」
「さぁな。が、どっかで野垂れ死にするようなやつじゃなさそうだったし、生きてるよ」
「そうですねっ!」
――貴方達に何か危機的なことが起これば、必ず駆けつけよう。約束する。
かっこいい女性だった。堂々として、振る舞いも凛々しく。レピートも、あんな風に。
(強く、在りたいです)
「っていうわけだから、イッテキマス!」
「ふふ、いってらっしゃい。二人は?」
ロズが早足で去っていく。
プレネスの問いかけにレイスが欠伸をした。それが答えだ。
「…あんまり暗くなる前に帰って来いよ」
「わかってますよぅ!子供扱いしないでください!」
レピートもまた、外のにぎやかな世界へ―――足を踏み出した。
出て行った面々を見やってから、プレネスは二階へ促す。既に取ってあるベッドへダイブすると、あー、といううんざりしたような声が零れ出た。
ぴょこり、と話に入れても貰えなかったラックは顔を出す。
「ラックはどうするの?」
「コアの気配を探しにいくみ」
「仕事熱心ねぇ…」
ぱたぱたと飛んでいく後姿に、とうとうふたりっきりになった、とプレネスは体を起こす。
レイスは向かいのベッドに腰掛け、揺らめくコアを取り出した。白いコアは透き通る美しさでレイスの掌に乗っている。プレネスは眉を寄せた。
ここにいてもわかる。マナの塊、圧倒的な威圧感。今は術でマナのこぼれを押さえているものの、解放すればあっという間にマナ中毒になってしまう程だ。
「問題は山積みね。王様に会うにしても、よ。早速コアが云々言い出せばすぐに捕まりそうだし」
「………コアは五つ……内二つは俺とティが。一つは…式神使いが。」
「…グルートの一人に、式神使いがいる話を聞いたことがあるわ」
グルート。
聞きなれない単語にレイスは眉を寄せる。その反応に気付いたらしいプレネスが続ける。
「あたしもロズから聞いたんだけど。今の王にはグルートと呼ばれる控えの四人が居るみたいなの。それぞれ、≪盾≫、≪剣≫、≪心≫、≪生≫を司るらしい。多分だけど…式神使いさんは、≪生≫」
「…吸血鬼狩りのトップなら入ってそうだな。≪剣≫か、≪心≫か」
「…多分、≪心≫よ。≪剣≫なら、騎士団団長辺りじゃないかしら。残る≪盾≫…」
見当もつかない。盾、というぐらいだから、恐らく―――最強の守りのことを差すのだろうが。
何にせよ、グルートと呼ばれる連中がコアを探しており、なおかつコアを既に手に入れている可能性は高い。
そのうえ、一つは確実に向こうに渡っている。
「…残り二つ、か」