3.魔物を操る青年
――ピ、ピ、…ピ。
電子音が途切れ途切れで響いている。
大きなモニターはヒビが入っているが見れないというわけではない。手元の機械も十分動き、扱う者の指に反応し情報を映し出していた。
電子機械を動かしているのは青年だった。短く、僅かに編み込みをした先からははみ出た毛は白い。モニターを見詰めるのは紫と青のオッドアイで、情報を逃すまいと追っている様子が良く分かる。左半身は露出部分が多く、腕まくりをした先からは幾重にも巻かれた包帯が際立っていた。
「………、ッチ」
青年は舌打ちをするとモニターの接続を切った。それから後方を振り返る。
足元に転がる機械―――通称、ガーディアンと呼ばれるモノ――を蹴飛ばし、白い球体の中に包まれた宝石、コアを見上げる。
コアは黄色に煌めいており、宝石自体にも、球体さえも傷がついていない。
「情報…検索、かけてみれば………出てくると思ったのに」
ぼそりと呟いて青年は包帯に巻かれた掌を球体に当てた。ひんやりとした冷たさに暫く目を瞑り、ゆっくりと開く。
「…………コアは、マナの集結体のようなもの。………つまり、壊れても、マナが四散するだけ…………」
だから、と。
青年の掌から―――青い炎が揺らぐ。
「―――壊して、持ち帰ろう」
ピシリ――亀裂が入った球体を見て、青年は言った。
レピートとレイスがその神殿…だったであろう場所に辿り着いた時には、無残な姿となっていた。足場もない程の瓦礫の山と、入口さえ見当たらないその惨状にレピートの足が止まる。
「コア、…あるんですかねこれ」
「………マナの集中的な塊を感じる……あっちだな」
指さされた方向を見ると、瓦礫の山だが隙間がいくつかある。それを利用しようとレピートは息を吸った。狭いには狭いが、レイスの身長としても通れない、ということはなさそうだ。
「師匠、コアのことについて聞いてもいいですか」
「…俺も詳しく知らねぇぞ。本に書いてあった通りだ」
コアは、マナの塊だ。
この世界にはマナが巡っているが、400年前、勇者一行が王に献上したとされている五つのコア――白、黄、青、桃、そして、赤。この五つはマナの塊と呼ばれる程多大なマナを含んだ宝石である。その巨大すぎるマナに一人が持つには重すぎて、実際当時献上した勇者一行の一人以外は二つ以上を持つことさえ敵わなかったとされている。マナを摂取しすぎるとマナ中毒というものが起こされるのだ。マナを取り過ぎた結果、神経が壊死してしまう類の病気だった。王国が管理することになった五つのコアは五ケ所それぞれバラバラの場所に放たれたという。
「その一つがこんなところにあったなんて」
レピートは思わず驚きを飲み込んだ。
一般市民にはもちろんコアの場所など聞かされていない。知っている者といえば近くの住民や組織ぐらいだろう。マナの塊、コアは確かに危険的なところがあるが、実際手を出すことは不可能だったのだ。コアを守るガーディアンと呼ばれる機械――何と400年前の技術全てをかき集めてできた歴史的遺産である――が常に守っていたのだから。もちろん時代が変わり技術も変化をしたけれど、今まで400年前の技術が破られたことはなかった。
それが今、どうして。
「…えっ」
レピートは足を止めた。それに倣い、後方でレイスも立ち止まる。
そこは同じように瓦礫が降り注いではいたが、まだ安全な方だった。しかし見える範囲の足場にはガーディアンだっただろうモノが倒れふし、機械独特の電子音を出している。真ん中には球体――
だっただろう、ものが残されていた。
「われ、てる…」
無理矢理開け放たれた穴にレピートは絶句した。
――足音に、目を向ける。
「……誰?」
青年が立っていた。
白髪を揺らしてこちらを見下ろすその手には、黄色に輝く宝石が握られている。
「――コア!」
「……ああ、……つまり、なんだ」
青年は小さく息を吐いて呟いた。
「邪魔をする、………ってこと」
「さすがに、目の前で盗難されそうになっているのを見逃すわけにはいかないです!」
レピートは短剣を抜きはらい、油断せず青年を睨み付ける。青年は尚も涼しげな瞳をこちらに向け、左手を腰に添えた。
ぴ、と紙が擦れる音がして、青年の指に挟まれたのは一枚の紙―――否、札である。
「おいで、……リック」
ぽつりと囁くと、札は青年の指からひとりでに離れ、床に付着する―――その瞬間、吹き荒れた風が札を覆った。レピートは腕で風圧から庇い、隙間から見詰め息を呑む。
先程まで札があった場所には一匹の犬が居た。真っ黒で毛を逆立て、鋭く咆哮するその姿は―――。
「魔物…?!」
青年が眉を寄せて獣の毛を撫でる。
「…魔物じゃない、友達だ」
レピートは未だ咆哮の名残で際立つ肌を感じながら、思案する。
(あの男の実力は…わからないけど、魔物の方はほんっとやばい感じがする…)
握りしめた短剣の柄に力を込めて、魔物――青年の言う、友達リックに目を向けた。青年はまた数枚札を取り出すが構えることなく、指に挟み込んだ。
魔物を使役する謎の能力。それらを目の前にして、レピートはゆっくり深呼吸をする。
自分が今成そうとしていることは、あのコアを取り戻すこと。
(……今、手放したら、良くない気がする…)
それは予感でしかなかったけれど――レピートはその勘を信じることにした。
先程も述べた通り、レイスが戦うことはない。少し引いた身で戦況を見詰めていた。
――先に動いたのは、魔物だった。
「―――ッ」
瞬く間に大柄な体がレピートに迫った。レピートは引き抜いた短剣で打ち払う。
「――くっ」
重い、ビリビリと痺れた指先に一瞬だけ目を落として、二度目の猛撃に備える。その様子を青年が見詰め、それからレイスに目を向けた。
「…あんたは、…参戦しないの」
淡々と紡がれた言葉に、レイスは肩を竦めた。
ぱらりと彼の長い髪が零れる。
「俺は魔術は使わないんだ。あと、武術系はてんで苦手でな。」
「…邪魔をしなければ相手にする理由もない。」
「あっそ」
そして青年はそれきり興味を失ったのか、レイスから目を逸らす。相も変わらず彼の手にはコアが握られていた。
「あっ…!」
レピートの手から短剣が飛ぶ。その隙を逃さない魔物ではなかった。思わずレピートは目を瞑る。
助けて、とは言わない。
ただ―――申し訳なく、思うだけ。
(せめて、師匠だけは)
「リック」
魔物の牙が喉に突き刺さる寸前――正にギリギリのタイミングで、青年が名を呼んだ。
それだけで使役されていた魔物の動きがピタリと止まる。
レピートは恐る恐る目を開いた。眉を寄せた青年を見て、レイスが小さく笑った。
「何だ、女子供は殺さないのか。邪魔者でも」
「……少し躊躇う。少女、身を引け。」
レピートはきつく唇を噛みしめた。彼等は強い、それは分かっている。……それでも。
大切な師の、レイスの世界を迫害しようとする原因は全て無くさなければ。
(――それ、は)
痛む体を奮い立たせる。
それは、彼が望んでいないことだとしても無意識下のことだとしても。
…レイスの支えになることは、レピートの生きる生きがいだから。
「コアを、返してください…!」
また明日から、師匠と笑って「おはよう」と言う為に。
青年はため息をこぼして、呟いた。
「リック」
同じ言葉でも、重みが変わる。レピートは次いで襲ってきた爪を避け―――次の瞬間、足場を抉られた。
「あっ…!」
揺らぐ体、宙では身じろぎが辛うじてできる状態で―――次いでの攻撃が襲い掛かる。
その瞬間、ふわりと自分の体が抱き留められた。
スン、とした甘い匂いが鼻孔を擽る。そんな状況ではないはずなのに、レピートは温かみに目を瞬いた。
「―――ギャンッ」
リックの体が何かに切り裂かれたように出血し、体は床に叩き落される。合計三つの切り傷は恐らく斬撃によるものだが――レピートの目には全くとらえることができなかった。
少し遅れてレピートの足も床につき、そこで体が離れた。
「あ、ありがとう…ございます」
ようやくその姿を窺え、整った顔に息を呑む。レピートの茶髪よりも綺麗な金色の髪は短く束ねられ、赤いリボンが風に揺らいでいる。女性にしてはかなりの長身だろう体躯はすらりとしていて、青の瞳がレピートを優しく見下ろしていた。にこりと微笑みを浮かべてレピートの頭を撫でると、前に出る。
青年がリックに駆け寄り、女性を見て呟いた。
「………なぜ」
青年の指先から光の束が漏れる――治癒術が施され、リックの体の切り傷は形を消していく。女性が先程とは打って変わった鋭い目つきに変えると青年を睨み付けるように見た。
「こちらの台詞だ、リース殿。ここで何をしている?…その手にもつ黄の輝きは何だ」
青年リースは治癒の施しが終わると立ち上がり、肩を竦める。
「………予想外、これは面倒くさい乱入者」
懐から取り出した、複数枚の紙。それを四方向に放ち、リースは初めてうっすらとした笑いを浮かべた。
「生憎、裏切り者と話す…趣味はない」
「―――レピート!」
レイスが叫ぶ。レピートはレイスの方を振り向こうとして、次に響いてきたのは爆発音だった。放たれた式が爆発を次々と起こす。
上から誰か――恐らく女性―――が覆いかぶってくる中、リースがリックにひらりと身を乗せたのが目に留まる。
「待っ―――!」
レピートの叫び声は、爆発の衝撃の元途絶えられてしまった。