12.雪
少女がその戦争に参加をしたのは、ピクシーだったから。その一言に尽きた。
少女は自らのピクシーという種族に誇りを抱いていた。彼女の親友もまた、ピクシーであることに誇りを抱き、共に、戦場を駆け抜けた。だが、戦場の最中ではぐれてしまい、辛うじて生き残った少女が見たのは―――地獄だった。
地獄。
正に、その一言に尽きる、惨状。
辺り一面は炎と弾丸の痕で埋め尽くされ、幼き草花は踏み散らかされている。散らばった死体のいくつかは形を伴っていないものさえあって、生々しく戦火の痕を引きずらせていた。ずり、と、重たい体を揺らして少女は歩いた。
親友は。
あの子は。
―――彼女を見つけることができたのは、きっと奇跡で、だけど、それは少女にとって悪夢でしかなかった。
酷く、目にも当てられない状態の彼女を見て。少女は、慟哭した。悲鳴を堪えた。復讐の念に支配された。
殺してやる、と。
沸々とした恨みを抱いて、少女は復讐者になった。
×
もぞり、と眠りにつかない体を動かした。疲れている筈だ。十分、体は疲労している。幾ら体力はそこそこあっても、レピートはまだ年若い少女の身。旅路に不慣れなレピートは、早く眠りにつかないといけないとは分かっていたけれど、どうしても眠れなかった。神経が尖っているのだろうか。それとも、ここら一帯が寒いからか―――掛かった毛布をぎゅ、と掴む。
リライクの街から離れ、次なる目的地、ルーティアに向かうまでの野宿は今日で二度目だった。だが、昨日とはっきり違うのは、気温の変化だ。段々と寒くなっている気がする、という予感は当たったようで、少し先は灰色の雲が覆っている。大方、雪さえ降り注いでいることだろう。だが、雪が降るには少し早いと、レピートよりも地形に詳しいロズは言った。益々、コアが影響しているのか、という予想が膨らんでいた。
ロズとプレネスは既に眠りについているようで、寝息が聞こえている。ということは、今日、寝ずの番をしているのは。
「………眠れないのかレピート」
耳を打ったのは、聞きなれた声だった。もぞもぞ、レピートは体を起こす。
「うぅ、ししょ~~~…」
レイスは呆れたような赤い瞳を瞬かせて、火の前に腰を下し、時たま消えかけそうになれば新しい枝を追加した。パチパチと炎に照らされるレイスは、端的に言えば綺麗だった。レピートの目から見ても、レイスは綺麗、という部類に入る顔立ちをしていると思っている。それに、何と言うか、若い、というか、そうじゃない、そういえば、レイスはいくつなのだろう。彼の年齢さえ知らない。だが、レピート知っている限り、彼の姿が変化しているようには見えなかった。
「…師匠、いくつなんです?」
何となく、聞いている。
レイスは、ゆっくり口を開いた。
「昔、悪魔に魂を売ったから、年を取っていない」
「嘘つかないでくれませんか!」
「よくわかったな、確かに冗談だけど」
至極真面目な表情をされたが、レイスの言葉にレピートは肩を竦めた。
それから、もぞもぞと毛布を掴んでレイスの隣に腰を下す。
「…おい」
そこで、瞼を下せば短い非難が飛んできた。だが、それを無視する。レピートの様子に、レイスは深々とため息をついたようだが、やがて、合間を空けて、ぎこちない動きで髪を梳きだした。梳いて、それから、ぽんぽんと優しく叩いてくる。壊れ物でも扱うような優しい叩き方。レピートは、そのぬくもりが大好きだった。とても、とても、安心する。
どうしてだろう。
綺麗な人で、いくつなのかも分からない、不思議な人。でも、どうしてか、一人にさせたら、気が付いたらどこかに行ってしまいそうな人。
彼の優しさに包まれて、いつの間にか、レピートは眠りについてしまった。
…
……
………
とうとう、雪が積もっていた。
「さ、さささささっむい………!!!」
プレネスが眉を寄せて身を震わせた。レピートもこくこくと頷きながら、異常気象に顔を顰めてしまった。
ルーティアは、決して雪国の街ではない。どちらかというと温暖な気候であると聞いていた。だが、おそらくマナの乱れによる影響か、降り注ぐ雪は世界の異常を示していた。
はあ、と白い息が零れる。
「とりあえず、教会に行ってみよう」
ロズの言葉に振り向く。ロズは入口で手にしたらしい案内地図を持っていた。
無宗教なレピートは、どうも、教会という響きに慣れずに小首を傾げてしまう。
「司祭様がいらっしゃるようでね。この街の責任者、でもあるらしいからさ」
「とりあえず、早いとこ暖かくなれるとこに行きたいわよね……」
プレネスは重々しくため息を吐きながら、自身の剥き出しの太ももをさらりと撫でた。
教会の扉を開いた先では、途端、温かみのある空気が流れてきた。だが、聖堂内は無人で、静かすぎるほどだ。――何となく、聖堂の空気が居心地悪く感じてしまう。聖堂の扉が重々しい音を立てて閉じた。ロズが歩く後ろを歩きながら、レピートはキョロリと聖堂内を見渡した。ステンドグラスが眩しい輝きを放っている。埃も無いと言っても良い程、綺麗に清掃された机や棚。
―――キラリ、と、ステンドグラスが光を反射した。
咄嗟に、レピートは何とも言い難い殺気を受け、目の前を歩くロズの背中を突き飛ばした。
「―――わ?!」
「危ない…っ!」
どこからか、飛んできたのは氷だ。――氷のナイフ。レピートの視界に入った、床に突き刺さったそれは実体を持たないのか、見る間に砂のように細かく消えていった。冷や汗の余韻が消え終わらない内に、残念そうな声が耳に届く。
「うまく避けるのねぇ、勘がいいのね」
――声は、入口からだった。
美しい向日葵色の羽が形を露わにしている。切りそろえた肩に垂れる髪は羽より少しばかり明るい金色だ。ゆるりと結ばれたネクタイの下にはふんわりとレースが散りばめられたスカートを身に着けている。
すらりとした足先を包むブーツを鳴らして、少女はこちらに足を踏み入れた。少女の背後で、扉が閉まる。
――気付かなかった。
さっきは、確かに、閉じた扉だったのに。全く、開く気配を感じなかった―――レピートが唾をのみ込む。ボソリ、とレイスが「幻術か」と呟いた。
「そ。貴方達が入ってきて、扉が閉まった。素敵な幻術だったでしょう。でも、アタシは幻術なんかじゃないわよ?」
「…この子、どこかで…?」
プレネスが警戒しながら―――そう、囁けば。
少女の青い瞳が憎々しげに―――ギラリと、殺意の色を宿した。
「吸血鬼の女って、あんたね」
「――――?!」
息を呑むプレネスの前に、ロズがレイピアを抜いて立ちふさがった。その様子を見て、少女は少しばかり嬉しそうな表情を浮かべる。
「貴方、ピクシー?ピクシーの血が流れているでしょう。嬉しいわ、同族さんね」
「…生憎、僕は半ピクシー、ハーフでね。君みたいな純粋なピクシーじゃないんだよ」
「それでもピクシーでもあるのでしょう?アタシ、同族想いなの。まぁ、人もそれなりに嫌いじゃないわよ」
ちらり、とレピートやレイスを見る。いつでも抜けるように、レピートは短刀の柄に手を置いた。そして、少女はプレネスに視線を戻す。プレネスの紅と少女の青が交差した。
「―――でも、吸血鬼は嫌い」
さぁ、と、少女は手を鳴らした。腰元に括られた鞭を引き抜いて、床に垂らす。
「アタシはツイッセ。吸血鬼殺しが筆頭、肩書に応じ、――――貴方を抹殺する」
「吸血鬼殺し……筆頭?!」
ツイッセと名乗ったピクシーは、鞭を振るった。床を強く打った途端、魔法陣が発動する。そこから生み出されたのは氷―――氷の魔物。
「媒体か何かを使ってるな。そこから氷のマナで形を作り上げてる」
「つまりは、ゴーレムみたいなもんってことか!」
ロズがレイスの言葉に身構えた。レイピアの先に風のマナが急速に宿る。ツイッセは――可愛らしく、こてり、と小首を傾げた。
「あんまり甘く見ると、―――痛い目見ちゃうわよ?」
―――次の瞬間、氷の刃が足元に降り注いだ。
「―――ッ!」
レピートは咄嗟の判断で、レイスの手を引く。あ、と思った瞬間には、足元が覚束なかった。綺麗な装いだと思っていたが、老朽化が進んでいたのだろうか――床が衝撃に耐えきれず、軋みを上げる。
崩落。
「わ、わ……!!!」
「―――レピート!」
ロズの叫び声を聞きながら、レピートとレイスは奈落の底へと落ちていった。