第46.5話(第92.5話) 新たな決意
真っ白な部屋。
寝台も、椅子もテーブルも、全てが白に統一されていて、ここに居る自分だけが穢れているような気さえする室内。
そこはアストリアに在る星団連合軍の調査部に併設されている独房で。
今現在収監されているのは先の戦、テレンティアとの戦においてARKHEDにて暴虐の限りを尽くし、戦の前には星を一つ消し去った大罪人である久城蔵人であった。
「――――では、次の質問を」
「……」
天井近くの壁にあるスピーカーからは別室のモニタールームに居る調査官からの質問が流れるが、椅子に座ったままの久城は沈黙を保ったままでいて、全く答える気配はない。
彼が収監されてから数日が経っているが、問いに答えることは無く、自白剤までも用いられもしたが、余程意志が強いようで彼の口を割る事は出来なかった。
ただ黙したままであるように思われた久城だが、彼は時折、調査官の問いには答えない代わりに一つの要求を述べていた。
自白剤が効果も無く、軍規約で拷問は出来ず、最後の頼みである対象者に近しい者を呼ぶ手もあるが、それは彼女の事を思えば躊躇われて。
取り調べが円滑に済むならば彼の要求を呑むべきなのだが、その要求は承諾しかねるものであった。
調査部との根競べが続く中、少々やつれ気味である久城はこれまでにあった事を思い返していた。
ヴィルト・ルイーネで命を落としたかと思われた久城。
彼自身もそうなる事を、その身を以って罪を償う事を覚悟していたが、彼の搭乗するARKHEDは彼の真意を汲み取ったようであった。
瓦礫に埋もれた筈の機体は搭乗者の精神力を枯渇させるほどの力を使い切り、落石を障壁で防ぎつつ地下に穴を開け、遺跡を模したレース会場から脱した。
どうにか一命を取り留めた久城だが、先の戦いで精神をすり減らし、更にこれまで行ってきた事が間違いであったと気付かされて。
無意識下で今までの自分という存在と決別を、気を失って目覚めた時には記憶を封じ込めてしまっていた。
ヴィルト・ルイーネで一番人口密度が高い都市から離れた郊外。
そこには都市部に並ぶ建物とは一風変わった屋敷と|ARKSを整備する作業場があり、更にその裏には緑豊かな山があった。
「ここは……」
久城が目覚めた場所はARKHEDのコックピット内で、機体の外には鬱蒼とした森が広がっていた。
これまでの行いも、自分が何者であるかも忘れてしまった彼は何故自分がここに居るのか理解できず、真っ先にこの閉鎖的な空間から脱しようとする。
ARKHEDのコックピット内は|ARKSとは違い、開閉スイッチやレバーの類は無く、あるのはモニターとハンドグリップと操縦席と後部補助席のみであった。
取り敢えずこの中で操作を受け付けそうなのはハンドグリップのみで、久城は恐る恐る手を伸ばして握ってみる。
すると機体は彼の考えを読み取るかのようにハッチを開閉させた。
「(……これは戦闘機……? 何故僕がこんなものに……。それに……僕は一体……)」
機体から降りて改めてその姿を確認する久城。
木々が生い茂る山間に少しばかり開けた場所にあるエメラルドグリーンに白いラインの入った戦闘機。
それは全く見覚えのないものであって、自分が何故このような機体に乗っていたのかも全く思い出せなかった。
自身の事も思い出せない中、身に着けている衣服の懐にあった小型通信機を見つけるも、大した情報は得られず、途方に暮れる。
「(取り敢えず、誰か……人に会えば……)」
記憶を失ったとはいえ、久城が分からないのは自分自身が何者であるかという事と、これまで何をしてきたかという事であって。
それ以外の事は、足元の悪い山道を下るなどは造作もなかった。
「(水の流れを辿ればこの山を下れるか……)」
藪を払いのけ、見つけた川を流れに沿って歩く久城。
暫くは順調に歩みを進めていったが、陽が落ちかけ、夕日に照らされだした頃、身体に異変を感じ始めた。
「……っ、これは……」
全身を襲う気怠さ。絡まる足元。
フッと意識が途切れかけたかと思えば身体は川へ。
直ぐに体勢を立て直そうにも踏み留まろうとした場所にはびっしりと苔が生えた岩があり、足を滑らせてしまう。
身体は川へ。万全の体力ならまだ泳いで戻る事も出来たが、今の身体では流れに抵抗できなかった。
久城が体調を崩した理由。それは彼がここに至るまで置かれていた状況下に原因があった。
あの戦で死を覚悟してからは数日が経過しており、その間久城は栄養補給をしていなかった為、身体に限界が来たようだ。
そしてこれまでその事に気が付かなかったのは、自分の置かれている状況に混乱していたからである。
行き倒れといった状況になるであろう彼は運よく滝壺から少し先の川辺に身を打ち上げられ、そして一人の少女と出会う。
「(アリサちゃん達には悪い事をしたな……)」
気を失って倒れていた久城を見つけて助けてくれたのはアリサと彼女の祖父であるギンジロウであった。
記憶が無い状態であった久城に対し、彼女らはただ助けてくれただけでなく、得体の知れない者であるにも拘らず、温かく迎え入れてもくれた。
アリサ達と過ごす日々は穏やかであって満ち足りた日々であった。
安寧の時を過ごす中で時折過去の自分がどのような者だったのか気になりもしたが、深く考え込むことは無かった。
それはあまりにも大きな罪に向き合えないと、受け止めきれそうでなかった心が無意識下でそうさせたのだろうと、今では分かる。
ギンジロウの仕事を手伝いながら、アリサの勉強を見てあげたり、彼女と遊んで過ごす日々が続く中、大規模なARKSレースが開催される一週間前くらい、その者達は久城の前に現れた。
その少女。栗皮茶色の髪をえんじ色のリボンでツーサイドアップに括り上げた彼女……鳴鳥は、先にあった戦で英雄と呼ばれるほどの戦績を上げたそうだ。
初めて会った筈だが、初めてのようでない感覚。
妙な感じ方に戸惑う所であったが、何故だか彼女の事を思い出そうとするのは躊躇われて、それでも自然と目線は彼女に向くことが多く、その存在は頭から離れずにいた。
そして程なくしてその感覚は封じていたものを全て解き放つこととなる。
真っ白な、穢れを知らない位に白いARKHED。
その機体が空を駆ける姿を見た久城は急激な頭痛に見舞われ、目を背け続けた己と向き合う事になる。
セルべリア達の襲撃に混乱するレース会場。
観客達が騒めく中で久城は封じ込めていた記憶を取り戻す。
不意に戻った記憶。
普通ならば混乱するところであったが、彼の記憶は今自分が何を成さなくてはならないのかを思い出させ、そして彼はすぐさま行動に移った。
久城がやるべき事。
それは贖罪で、その対象は最も傷つけてしまったであろう者に対してで。
彼女、鳴鳥の身を守る為にソフィーリヤとスティングに銃を向け、縋り付くような眼差しのアリサを残して走り出す。
その行動は身勝手で、恩知らずで、更に罪を重ねるようであったが立ち止まっている暇は無かった。
これ以上傷付けさせはしない。
彼女に対する想いを思い出した今ではその願いを止められる筈はなく、その想いにARKHEDは応えてくれた。
セルべリア達の意図は見えなかったが、やはり鳴鳥に危機は迫っており、どうにか彼女を救い出すことが出来た。
「――――久城……センパイ……?」
以前とは機体の色が変わっていて、音声通信のみでこちらの顔は見えない筈でいて分かる筈もないのだが、鳴鳥は搭乗している者が久城であると気付いていた。
すぐ傍に大切な者が居る。
今すぐ機体から降りて彼女に直接会いたいとも思うが、これまでの行いを思い返せばのうのうと出ていく訳にはいかなかった。
自分はあくまで陰から彼女を守れさえすればいいのだと、久城は彼女の問いには答えず、目の前の敵を退ける事を優先して刃を交える。
鳴鳥を捕えようとしていたデクセスとデクセプをどうにか退けられたが、そこへ駆けつけたのは今現在、鳴鳥の傍に居て彼女を支えているであろう者、ジルベルトであった。
「(……そうだ。今の僕は鳴鳥の隣に居る資格など無い。彼女の傍に居るべきなのは――――)」
今の置かれた状況は全て自身の過ちによるものであって、ジルベルトの事を疎ましく思うのは筋違いである。
所属不明である久城の機体。
鳴鳥の機体は損傷していて、彼女を傷付けたデクセス達もここには居ない。
軍人であるジルベルトは当然として警戒する訳で、彼と戦わなくてはならないのかと思われたが、鳴鳥を悲しませる訳にはいかず、久城は回避に徹して一先ずこの場を去ろうとする。
運が良かったのか、追撃は免れたようで久城は脱する事が出来た。
だがその場に残した鳴鳥の事が、そしてこれまで世話になったアリサ達の事が気に掛かった。
それでも彼は己の罪を償う為、ただ大切な者を陰ながら守りつつ一人で生きていこうと、未練を断ち切り宙を駆け抜けた。
ヴィルト・ルイーネでの一件から暫く経って。
久城は単身セルべリア達の目的を探りつつ、彼女らの目論見を阻止して鳴鳥を守ってきた。
リゾート小惑星での襲撃を退け、次に敵と会い見えたのは懐かしさも感じられる星、ジャポーネ。
そこでもどうにか鳴鳥を守ろうと立ち回るが、己の力の限界を見せつけられ、大切な者を奪われるという危機的状況に陥った。
結局敵はジルベルト達によって退けられたが、負傷した久城は拘束され、鳴鳥に無様な姿を晒す事となる。
「(……とうに失望されているだろうと思っていたんだけどな)」
セルべリアとデクセスに追い詰められた際、鳴鳥は叫んだ。
どんなことがあろうとも久城は鳴鳥にとって大切な者であると。
そんな筈はない。自分の身勝手な思いや行動がどれだけ彼女を傷付けたか忘れる訳はなく、そのような相手を許せる道理はない。
そう思っていたが、鳴鳥の瞳は真っ直ぐでいて、偽りを述べているようではなかった。
彼女に許されている。
そう分かった瞬間、重くのしかかっていた罪は少しばかり軽く感じ、そして改めて己が何を成さなくてはならないのかを確認した。
「(だから、ここで潰える訳にはいかない……っ)」
自分が知っている事を全て吐いてしまうと星団連合は久城を処分してしまうだろう。
そうならない為にもここは耐え、期を待たなくてはならない。
幸か不幸か、久城と共に居たセルべリアは彼に有用な情報を与えており、それは彼の想いを潰えさせない為の足がかりになりそうであった。
「(傍に居る事が叶わなくても構わない。そう思っていたけれど……)」
あの言葉が偽りでなければと願う久城は一縷の望みを胸に交渉をする。
相手は星団連合議会の議長であって、そう簡単にいく筈もない。
それでもこのまま死を受け入れるつもりは無く、彼は彼の罪と向き合い、そしてどれだけの時を費やしてでも大切な者へ贖罪を続けようと誓っていた。