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第三章 過去の鎖

 夜の帳がガランドールに下りようとしていた。暁の中で城下にひとつ、また一つと灯がともり始める。ガランドールの夜は遅い。「ロード」へ続く門は閉ざされるとはいえ、商談は続く。

 いつもと何一つ変わらない風景。城下は夜にして大変な賑わいである。

 その中心、とりわけ多くの灯りをまとったガランドール王城には異様な緊張が走っていた。明るく照らされているその中では、メイドというメイド、兵士という兵士が声を潜めて話している。大臣や宰相、女官長といった上に立つ人間は、表面上は冷静を保っているが、それはあくまで強固な自制心によって取り繕われたものでしかなかった。

 ガランドール王国第一王女にして、唯一の姫君である少女の結婚話は恐ろしい速さでその波紋を広げていた。

 

 時を忘れたかのように小声のざわめきが絶え間なく続く王城の、その核ともいえる一角は静まり返っていた。静かでありながらも、そこは城中で最も空気が張り詰めていた。異様な緊張感を作り出している一室に近づく者はいない。本来城の主を守るためにその部屋の門前で控えていなければならないはずの近衛兵たちは遠巻きにその扉を凝視しているのみである。それなりに実践を積んでいる彼らであっても、はなから殺気をみなぎらせて向かってくる倒すべき敵に向かってならいざ知らず、温和で冷静な若き国王の逆鱗を真っ向から受け止められる気はしなかった。もっとはっきりいってしまえば、誰もそのようなことができるとは思えなかったのである。

 その緊張で張り詰めた空気の中、ランゲルト・ザケルはわずかな躊躇もなくその部屋へ近づいていった。近衛隊服隊長という肩書きを持った20歳という若さの青年はこの状況下で、むしろ異常だとでもいえるような軽々しさで扉の前に立った。彼は確かに剣に優れ、その実力でその地位を手に入れた人物であるが、この場合彼がとりたてて勇敢であったというわけではない。

 ランゲルトはただ、王である以外の王を知っていただけだ。今の状況がおかしいのではなく、普段の王としての青年のほうがおかしいのだ、そう公言する彼にとって今の状況は全くもって恐れるに値するものではなく、それどころか近年まれに見る「楽しい」出来事でしかなかった。…その理由はどうであれ。

 ノックすらせずにその扉を開ける。遠巻きに見つめる観客たちからは声にならない叫びが上がるが気にも留めない。大体、返事がないと分かりきっていることをわざわざ行うような律儀さをランゲルトは持ち合わせていない。


 昼間から一向に減らない書類が積み重なったその奥にランゲルトの親友にしてガランドール王国国王であり、今回の騒動におけるある意味最大の犠牲者である青年がいた。妹姫ほどではないが、通常の美意識を持ってすれば文句の付けようがないほどに整った顔は、近づいてみる必要もないほど分かりやすく歪んでいた。相変わらず人の気配に疎い王は、ランゲルトが入室したことになどまったく気づかずに書類を見つめ続けている。ランゲルトは近づく。目の前に行ってさえその視線を上げようとしない主君にため息をつきながらその書類を取り上げる。

 「ったく、辛気臭い顔をしやがって。額のしわが伸びなくなっても知らねぇぞ。」

 全集中力を結集させて凝視していた書類がなくなったことでユースはようやく自分以外の人間が部屋にいることを知った。

 「…ランゲルト…ではありませんか。どうしたのです?この時間は近衛のほうの仕事についているはずでは…?」

 「ふーん。意外と冷静じゃないか。少なくともその気持ち悪い話し方に戻っているようだしな。ついでにその妙な殺気じみた緊張をかもすのもやめろ。どいつもこいつもお前のかもす空気のせいでびくついているぞ。」

 「貴方こそその話し方を少しは改めてはいかがですか?会議ものですよ?仮にも私は国王なのですから。」

 どうも今日の親友はかなり虫の居所が悪いらしい。当たり前といえば当たり前であるが。かなり攻撃的である。

 「国王陛下に置かれましてはご機嫌麗しゅう、とでも言えば良かったのか?」

 「…これはこれで気持ちが悪いですね。」

 姿勢と言葉使いを正せば、途端に上に立つ者にふさわしい威厳を纏うランゲルトではあったが、ユースに言わせれば気持ちが悪いらしい。結局のところ王がこのように感じているため、ランゲルトが会議にかけられたことはないのである。

 「大体、今日に関して俺の態度を咎めるやつはいないと思うぞ?信じられるか?お前のせいで俺の部屋に今日一日で1年分の客が来たんだぜ?大臣は無言でお前の様子を見て来い的な目を向けるし、女官長はお前の状況を嘆きに来るし、挙句の果てには婚約者に泣き付かれるし?俺の心痛を考えてみろ。」

 心痛というが、ランゲルトの表情は楽しんでいるときのそれに違いなかった。婚約者が泣きついてきたという部分だけは顔を歪めていたが。

 「…貴方の心痛はよく分かりましたから、その書類を返してください。明朝までに一番ましな人物を選択しなければなりませんから。」

 諸国の間でも若き実力者であり、優秀であるユースが頭を抱えているのはかなりのものである。

 「お前をそこまで追い詰めるたぁ、姫さんもやるじゃないか。というよりお前は過保護すぎだ。姫さんだっていつかは結婚しなければならないことをお前だって分かっているんだろ?それに姫さんが言うように、今が一番の適齢期だってことも。」

 「…そうですが、別に今でなくてはならないことはないでしょう?」

 それを過保護というんだ、という呟きをもらしてランゲルトは苦笑する。ユースがリーシャ自身よりもリーシャのことを大切に思っているのは周知のことであり、それにいちいち驚くこと自体がいまさらである。

 それなりに和やかな雰囲気となったが、ランゲルトが苦笑を抑えたところで空気は再び張り詰める。

 「それに、結婚することは姫さんにとって必ずしも悪いことばかりじゃないだろう。」

 「…国の繁栄が約束されるという見返りはありますよ?」

 ユースがかなりの皮肉を込めて言葉のナイフを投げつける。投げつけた相手はランゲルトか、それとも自らか。

 「国にとってじゃなくて姫さんにとって、だよ。」

 「…なんですかそれは。祖父とすら呼べるような年齢の人間と結婚することで得られるものなどありますか?」

 「…それはひどいな。…俺が言いたいのは結婚で得られるものじゃなくて姫さんが結婚してこの国を出ることで得られるものだ。」

 ユースは視線で続きを促す。

 「姫さんがこの国にいる限り…姫さんは自分を責め続けるだけだろう?決して過去の呪縛からは逃れられない。」

 ランゲルトは言葉を切り、そして続ける。

 「なぜならばこの国の状況こそが姫さんが自分自身を責めるべき結果であるからだ。」

 「あれはリーシャのせいじゃない。」

 「そうだろうさ。姫さんが責められるべき点じゃないのは分かってる。この城で分かってない人間などいないだろう。…だがな、姫さんにとってはそれが真実なんだ。誰かにとっての真実は、他人がどう考えていたって何にもならない。」

 それは、鎖をかけられた鳥を救う手立て。ならば、ユースは安寧が約束された鳥籠の扉を開くべきなのであろう。鳥籠は鳥を守るために作られた。しかしその中の鎖で鳥の心が壊れてしまうならば、扉とともに鎖が引きちぎるべきなのであろう。鳥の翼は大空のために存在するのだから。

 そのようなことはとうに気がついていた。

 足りないのは、その覚悟ばかり。

 「じゃあ…どうしろっていうんですか?その6人の中から結婚相手を選ぶべきだといいたいのですか?」

 「そうはいわねぇけどよ。でも少なくとも分かってんだろ?それが最善であることくらいは。」

 ランゲルトは暗くなった空気を払拭するように満面の笑みを浮かべる。

 ランゲルトは他がどう捉えていようとからかいに来たわけでも、嘲るために来たのでもなく、ためらう親友の背を押しにきたのだから。

 「…にしてもひでぇなぁ。このリスト。」

 「もう言わないで下さい。私もその方々の美点を探そうとしてすでに数え切れないくらい挫折しているのですから。」

 ユースは椅子にもたれかかる。豪奢な革張りの椅子にその体が沈む。

 「ある意味ここまでそろえると笑えるよな。見方を一歩間違えりゃ、『娘を嫁にやりたくない相手リスト』かなんかだろ、これ。」

 「もう少し…歯に衣を着せてはいかがですか?……私はこれからその内の誰かの元へリーシャをやらなくてはならないのですよ?」

 「どうもこうもお前が悪い。こうなる前にさっさと決めればよかったんだ。それこそ引く手数多だったんだろ。」

 リーシャがこのリストに載っている人間以外に断りの手紙を出したこともしっかりと伝わっているようだ。この調子だとユースが妹にしてやられたことは瞬く間にガランドール全域に伝わるのだろう。先が思いやられることである。ユースは今日何度目かもわからないため息をつく。

 明日までに1つでも多くの人間的に優れた点を有する人物を定めなくてはなるまい。

 そしてそれは来年度の予算編成よりも何よりも、はるかに難しいことであるに違いなかった。


 「なぁ、6人って言ったよな?」

 ランゲルトの視線は書類に張り付いている。

 「ええ。リーシャもそういっていましたし、私も何度も読みましたから。」

 「…リーシャが『結婚相手』としてみていたのが6人だったからだろう、それは。お前が6人だと思っていたのは先入観とあせりからだ。まぁ、これもリーシャの手の内、なんだろうなぁ。」

 ランゲルトはため息をつく。明らかな呆れの表情をユースに向ける。

 「…何が言いたいのですか?」

 「いや、別に。ただ親愛なる国王陛下に置かれましては、普段の優秀さがまるで消えてなくなるような失態を犯されたのですねぇ、というところだろうな。」

そのままユースの鼻先に書類を突きつける。開かれているのは最後のページ。ついでに付け加えたかのようなそれに書かれているものは。

 「どうする?やるなら今しかないぜ?姫さんが、気がついたらおしまいだ。」

 それは幼い頃厨房から林檎を掠め取る相談をしたときのような笑み。ならば…ユースが答えるべきは。

 「ランゲルト、申し訳ないのですが、内密に女官長と私の補佐官を呼んできてくれませんか?あと足の速い馬を7匹と信頼できる人物を。」

 「へぇ、やるのか?」

 「ええ。緊急事態につきロードを一時開放してください。これは勅令です。」

 「承知いたしました国王陛下。このランゲルト謹んで拝命いたします。」


 翌日、日も昇りきらないうちからリエセルに嵐が吹き荒れた。

 王妹リーシャリア・ティン・ガランドールと北の帝国皇太子ディアス・ベル・ユークリックの婚約が発表された。


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