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第二章 兄王の苦悩、妹姫の幸せ

 ユースは束になった書類を大雑把に一通りめくる。疑問は確信に変わりつつあった。

 リーシャに手渡された書類はかなりの分厚さを持っていた。そのことからも、結婚の申し込みをしてきた人物全員を国別などの箇条書きか何かで並べてあるものだと思っていた。はっきりいってしまうとリーシャの容姿を目にした、あるいは耳にしためぼしい貴族は国内外問わず手紙を送ってきた。その全員を並べればちょうどこの程度の厚さの書類になるだろうと予想された。

 だからその中身が調書のようになっていたことにユースは驚いた。

 5ページ目を通した現在、リーシャの結婚相手として名が挙がった人物はわずかに1人。その1人について身体的特徴、性格、家柄、家系図、ガランドール王国との関係、手腕、リーシャとの結婚において相手が求めるもの、リーシャが結婚することによってガランドールにもたらされる利益・不利益、等事細かに記されている。

 ユースは思わず唸った。その調書はあまりにも完璧であった。ユースは国王である。それも「ガランドール」の国王なのである。国内は無論各国の貴族の情勢にはそれなりに通じている。そのユースにしても知り得ない情報がその書類には載っていた。

 ふと、かつて王族の教育を担っていた学者の一人の言葉がユースの脳裏を掠めた。何十年間もの間王族に仕え、その教育を担ってきたその学者は老齢のためその任を解かれる時にユースに言った。

 「私は非常に安堵しております。もしも、殿下の妹君が王子としてその生を与えられていたのであれば、この国は決して平和であることはなかったでしょう。」

 幼き日のユースはその理由を尋ねた。学者は真っ白になったそのひげに触れ、わずかに躊躇しながら、しかしはっきりと言った。

 「殿下は非常に優秀です。…しかし…妹君はそれを凌いでおります。ご存知のとおり、妹君はあまり勉学をお好きではないようですが、その才は確実に頭角を見せております。もし王子であったのなら、妹君を王に、という声が必ずやあがっていたことでしょう。」

 そうして学者は去った。当時のユースには庭を駆け回ってドレスを泥だらけにしていたリーシャがそのような才を持っているとは到底信じられなかったが、今ならばその学者が言いたかったことがよく分かる。

 しかし、羨む気持ちや妬みは全く生まれてこなかった。むしろ、その当時のリーシャの様子を思い出して、やるせない気持ちとなった。もう、リーシャはドレスを汚したりはしない。庭へ出て庭師に薔薇の手入れの仕方を教えるようせがんだりはしない。目の前に立っているリーシャは髪を丁寧にすき、王族としてこれ以上は望めないような容姿や言葉遣いを身に付け、気品をまとっている。

 そして、それと引き換えるように、たくさんのものを失っている。

 ユースは軽く頭を振った。今はそのような感傷にとらわれている場合ではない。今は過去を振り返るときではないはずだ。

 書類から離れかけている頭を無理に戻す。

 考えるべきは書類の量である。事細かに書かれたその書類は到底リーシャに結婚を申し込んだ人物全員について網羅されているはずはない。1人分の分量を考えても、載っている人物は10人に満たないはずだ。

 「その書類に載っているのは6人ですわ、お兄様。」

 リーシャが絶妙なタイミングで言葉を発した。リーシャの青の瞳とユースの碧の瞳が合う。

 「6人?お前にはもっとたくさんの…手紙が届いていただろう?」

 結婚の申込書、ということに抵抗を感じたのかユースはかすかに間をあけて問い返す。

 「ええ。結婚或は婚約を申し込んでこられたお手紙はたくさん頂きましたわ。お兄様にお渡しした書類にはその中からわたしが選んだ人物がのっております。わたしの考える理想の高い順に配列してみました。」

 その言葉にユースは慌てて手元の書類に目を落とす。一番初めに載っているのは、国境は接していないものの「ロード」は通っている国の王太子のものであった。

 ユースは眉をひそめた。その王太子は遠く離れたこの国にさえその悪評を轟かせている。通常王族の評価はその国そのものの評価につながるため、多少の醜聞は外国へは漏れない。それにもかかわらず、彼の悪評は名高い。政治的手腕や容姿は悪くはない。しかし…

 ユースはリーシャがこの噂を知らないのではないかと考えた。むしろ知らないでいることを願った。それが無駄な願望であることを知りながらも。

 案の定書類にはひどく客観的にその噂…事実について完結に書いてあった。

 不利益:正妃を迎えていないにも関わらずその愛妾は10人を超える。正妃となった場合、その愛妾たちから毒を盛られる可能性は否定できない。

 残りの5人についても決してよくはない噂しか聞かない。その上、60歳を超える人物すら載っていた。

 このようなところへ妹を放り込めというのか?ユースは思わず深いため息をつく。

 それを聞いたリーシャは徐に口を開いた。

 「お兄様、確かにその方々との結婚でついてわたし…私が負うリスクはかなり高いですわ。…でも、かの国々に私という存在があることによって、ガランドール得る利益は無視できませんわ。かの国々の現状は知っておりますでしょう?…国王陛下」

 リーシャが王女として振舞うならば、ユースもまた王として振舞わなければならない。

 一個人のユースとしては答えたくないことであっても、公平に答えなければならない。

 「…あぁ。それらの国が協定を破って『ロード』を不正に利用しようとしていることは耳にしている。」

 「『ロード』が戦争のために利用されればガランドールはその立場をなくしてしまいますわ。」

 「ロード」。それこそがガランドールを支える基盤であり、その繁栄の源となっている。ガランドールが交易、交通の中心となり小国ながらもその地位を確固たるものにしているのはその恩恵である点が多い。

 「ロード」とはその名のとおり、道である。ガランドールを中心として網目のように周辺の国々をつなぐその道は、交易や交通に不可欠なものとなっている。「ロード」はガランドールに莫大な利益を生む。中心地であるリエセルには様々な国の一級品が集まり、それに伴って各国の貴族も集まる。

 しかし「ロード」は同時にガランドールの枷でもある。

 整備されたその道は周辺諸国にとって大変な脅威になる。そのため、ガランドールは協定を結んでいる。

 『ガランドール王国及び「ロード」は未来永劫中立的立場をとり、いかなる理由においてもその原則は守られる。また、ガランドール王国は領土の拡張を永久的に行わない。』

 そしてそれと引き換えに、他国による「ロード」の軍用及び私用を禁じた。

 ガランドール王国の王族はどの国の王族よりも公平である必要があった。大陸を無駄な戦火にさらさないように。周辺諸国の情勢を見極め、その上でバランスをとる。

 しかし、いくらガランドールが気を配ったとしても必ず綻びは生じる。リーシャが言ったように「ロード」を不正に利用しようとする国は後を絶たない。戦争をしようとしたときに「ロード」は最適な手段となる。

 協定を破るわけにはいかない。不正の芽は早いうちに摘む必要がある。しかし…

 「…だが、お前が嫁がずとも何とかなる。」

 「何とかはなるかもしれません。いえ、何とかしなくてはならないでしょう。ガランドールが駒として使えるのは私1人ですから…どちらにしろ国王陛下は手を打たなければなりませんわ。でも私が1つの国へ行けば、その国については気に病む必要はなくなります。それに私が嫁ぐ以上に確実な方法はありませんわ。」

 「…確かにそうだろう。だが…お前はそれで幸せになれるのか?」

 なれはしないだろう、という言葉を喉に押し込めてユースはリーシャを見上げる。迷いの影などわずかにも見当たらない青い視線がまっすぐに見つめ返してくる。

 「王族が私欲で幸せを求めた結果は国王陛下もご存知でしょう?」

ではリーシャの幸せは犠牲にならなくてはならないのか?ユースはリーシャの兄として口を開こうとした。その瞬間、リーシャは満面の笑みを浮かべる。

 「それに、私はその結婚で必ず幸せになれます。私はこの国を愛していますわ。国王…お兄様もティナも、優しきこの国の国民もみんな。わたしはわたしの身で、この国に降りかかる災いを退けることができるのならば、決して後悔はいわしませんわ。」

 言葉を切って息を大きく吸い込む。

 「わたしの幸せはこの国とともに。」

 何もいえないでいるユースにリーシャは再び笑顔をむけ、一礼する。

 「それではお兄様、明朝検討の結果を伺いに参りますわ。わたしは部屋の外で聞き耳を立てている皆様に事情をお話してまいりますわ。」

 いまだに無言のユースを一瞥して、もう一度礼をしてから退出を許可する返事を待たずにきびすを返す。扉の前で足を止め、振り返らずに口を開く。

 「そこに載っている方以外にはわたしのほうから、丁重に申し込みを断る手紙をださせていただきました。…ですからその方々の中から選んでください。」

扉のノブに手をかける。

 「……ごめんなさい、お兄様。…ありがとうございます。」


 王の政務室の入り口を飾る荘重な扉は静かに、しかしかたく閉ざされた。


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