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第十六章 静寂に浮かぶ闇

 眠ってしまえば、夢に苛まれる。

 思考を緩めれば、頭を侵食し始める想いがある。

 夢を恐れ、想いが重過ぎるならば

 常に起き、想いを抱かないほどに思考を研ぎ澄まし続ければよい。


 そうして堕ちていく闇には、夢も想いもやって来はしないのだから。



 一握りの燭台にのみ光が灯された部屋の中、ディアスは座っていた。

 本来ならば未だ政務を行っている時間。その政務に必要な最低限の光すら得られない執務室に音はない。

 政務を行うための広く重厚な造りの机は、珍しくも木目を顕にしていた。

 気を紛らわすための書類は手元に存在しない。採決を待っていた検案は勿論、取り立てて必要性のないものも、本来は次官レベルで事足りる政務すらも扱ったのにもかかわらず無情にも思考に穴が開いてしまった。

 その穴に、じわりと浮かぶ想いがディアスの苛立ちを駆り立てる。

 思考の隅へと追いやり、蓋をしていたはずの想いが静かに、思考を浸潤していく。


 力を付けたと思っていた。

 前に塞がるすべてを薙ぎ払い、我を通すのに十分な力を。

 それさえあれば、迎えに行けると思っていた。

 正しかったのか、もはや分かりはしないが。

 もっと、大切なものがあったのかもしれない。


 後悔、苛立ち、歯がゆさ。

 全てがディアスの中でない交ぜになる。信じて、歩んできた道が長かった分、自分がいつ迷ってしまったかなど見当もつかない。途中で見誤ったか、何かを落としてしまったのか。そもそもはじめから間違った道を選んでしまっていたのか。

 迷いが巣食うから、前になど進めはしない。

 ディアスの口の中で鉄臭い生々しい香りがはじける。食いしばりすぎた歯が口内を傷つけたことがぼんやりと認識された。


 忙しなく扉をたたく音が強制的に思考を中断させる。中断されたことでわずかな安堵がディアスの中に生まれ、その事実を認識してやるせなくなる。

 「入れ」

 入ってくるのは次官か近衛の者か。

「ディアス様っ」

 ディアスは目を見開いた。先ほどまでの思考が完全に霧散し、変わって疑問と不安が湧き上がってくる。

 城の中を歩いてきたはずであるのに、その息はずいぶんと乱れている。対して、その髪や服装に乱れは一切ないことからも、その息切れは精神的なものであることが予測される。顔色もずいぶんと悪い。

 「アイリス?どうした、何かあったのか?」

 幼馴染に声をかけつつも、ディアスの中では可能性というカードが幾枚も並べられていく。そもそもアイリスは言うならば魔の巣窟といってもよいほど人々の陰湿な念が交じり合った城で育ってきた。感情を覆い隠すのに長けているはずの彼女がこうまで取り乱す事柄であるならば。

 ディアスは頭が冷えていくのを感じた。思考の隅から凍り付いていく感覚。何度目とも知れぬ思考の負荷に脳が悲鳴を上げそうだ。



 「ディアス様」

 低い声が静寂を揺らした。

 「アリクか、入れ。」

 闇から浮かび上がるようにして、漆黒の髪と目を持った長身の青年が現れる。その目のうちの片方はつぶれているのか、眼帯で覆われている。着ている服すら漆黒であるためにその姿は容易に闇に溶けてしまうように思われた。

 「オルフィオの動きに関して御報告が。」

 辞令も、何もなく用件だけをただ紡ぎだす。同じアンターウェルト所属といってもエルとはまったく異なった姿、雰囲気を有する青年はディアスが目で促したのを確認し、淡々と空気を震わせる。

 「軍隊の増強、ならびに物資の運搬ルートを確立していることが確認できました。」

 「なに?」

 ディアスは中途半端に停止させていた思考を完全に押しやり、クリアにしていく。眼光をはるかに強くして、目の前にたたずむ闇に消え入りそうな青年を見上げる。青年・・・アリクはその眼光に瞬きひとつ返さずにディアスの言葉を待つ。

 「どの程度の増強だ?」

 一拍の間をおき、アリクが答える。

 「前回報告時より人数にして約2.3倍、軍備としては約3倍。単純な試算の結果戦闘能力はおおよそ5.4倍とでました。」

 顔色ひとつ変えることなく、ただ事実を述べる。先入観を入れたり、主観を混ぜ込んだりすることのないその報告は、報告としては非常に優れたものであったが、その内容は決して楽観視できるものではない。

 「・・・前回の報告は6ヶ月前だったと思うが?」

 「正確には168日前ですが。」

 半年足らずで5倍以上の軍隊の増強。この数値は明らかに異常である。どう考えても何らかの意図が働いている。

 ディアスは1年ほど前にオルフィオとの和解会議を行った際の王の顔を思い出す。最も、和解の締結は使者を立て、ディアス自身は影から覗いていたのだが。オルフィオ王は自らを追い詰めた張本人であるディアスを目の前にしているわけでもないのにも関わらず、明らかな恐怖と畏怖を浮かべていた。和解自体もユークリックが提示した条件を完全に呑んだ形で進んだことを考えるとあの王の指図であるとは考えられない。そして、この時期であることを踏まえれば。

 「首謀者は王太子シュタルトゥングス・ディグザ・オルフィオ、か。」

 二色の瞳をより細めてディアスは呟く。それはもはや疑問形ではなく、断定される形で零れ落ちた。

 アリクはそれを引き継ぐ形でさらに言い募る。

 「オルフィオ王国は『ロード』進出を目論んでいます。」

 ディアスは血の匂いの生々しい口の中、新しい赤が散ったのを感じた。アリクに言われるまでもなく、この時期の軍備の増強から導き出されるのはその目的以外には考えられなかった。

 自分の認識の甘さをディアスは責めた。オルフィオ王だけではなく台頭していた王太子を、むしろ王太子こそ潰さなくてはならなかったのだ。

アリクは沈黙を保ったまま、ともすればその存在感すら消えてしまいそうになりつつ存在している。

 その沈黙がディアスの頭を冴え渡らせる。後悔や自責の念が掻き消え、すべきことが明白に浮かび上がってくる。

 「『アンターウェルト』に現在待機中の人間はどの程度いる?」

 「現時点でどの任務にもついていない者は5人、そのうち1人は負傷のため療養中です。また任務を中断してもある程度差し障りないと考えられる者は18人。以上22人が現在任務を受けることが可能なものです。このうち1日以内にオルフィオに入ることが可能なのは16人です。」

 アリクはよどみなく数を連ねる。存在する駒をディアスの下に並べる。

 わずかな思慮の後。

 「明朝までに10人、王城、軍部両方に潜り込ませろ。シュタルトゥングスの動きが大きいのが気になる。オルフィオ王の所在の確認を晩までに報告させろ。」

 「優先度は」

 「ガランドール関係に就いているもの以外に最優先だと通告しろ。他の任務に当たっているものにも全員連絡を。変わったことがあればどんな些細なことでもかまわない。何1つ欠けることなく報告させろ。」

 「了承いたしました。」

 直立不動のままアリクが応える。

 「帝国内に対する接触には厳重に注意しろ。特に・・・」

 ディアスの言葉が不自然に途切れる。燭台の炎の揺らめきで2色の瞳が熱を帯びて煌く。思い出されるのは夜会でのかの王太子の瞳と微かに耳を掠めた言葉。気のせいであるならばそれに越したことはないが、楽観できる要素などどこにもない。

 「リー・・・皇太子妃に対して接触を図ってくる可能性が高い。まさかこの皇城においそれと入ってくることは考えにくいが、警備の強化を。」

 「では2人ほどまわしておきます。」

 アリクは表情の読み取れない右目をわずかに細め、口を開く

 「ディアス様。1つばかり質問をしてもよろしいでしょうか。」

 燭台を見つめていた異彩がアリクの漆黒の片目を映す。アリクが自発的にディアスにこのような問いを投げかけることは極めて珍しい。打てば響くように仕事をこなす影のような青年は表情を変えることなくディアスの返事を待つ。おそらくディアスが許さぬ、といえばあっさりと引き下がり退室するであろうと思われた。

 「・・・なんだ。」

 「リーシャリア・ティン・ガランドール様は貴方にとっての何ですか?」

 至極冷静に沈黙は守られる。とろり、と燭台の蝋燭がまた溶け落ちていく。

 ディアスの私兵隊、アンターウェルト。

 その存在は闇に伏せられており、所属する隊員同士であっても互いの情報は極めて少ない。多くはユークリック帝国内およびその周辺諸国で活動を行っているが、唯一の例外として国境も接していなければ、交流も皆無に等しいガランドール王国が存在する。アンターウェルトの中でも機密中の機密。その接点は副隊長であるアリクにすら明らかにはされていない。この問いを投げかけること事態、少し前には考えられなかった。

 ガランドールの名を冠した少女がこの地に舞い降りるまでは。


 ディアスは伝えるつもりはなかった。自分の本心を知るのは一握りでよい。そのつもりだった。

 しかし、事態はそれだけでは回らなくなってしまった。

 自分とエルだけでは守りきれない。


 「・・・・俺の全てだ。」


 アリクの瞳が僅かに、しかし確かに見開かれた。自らが主と仰ぐ、悪魔の色彩を持つとののしられてきた皇太子が愛おしそうに、言葉を搾り出す姿。

 ならば。

 「了承いたしました。」

 その信頼を自分は決して裏切ることなく、その言葉の下に命を賭してかの姫君を守ることを誓おう。

刻み込まれた小さな楔。

 「では伝令に行ってまいります。・・・先ほどエルの方から定期連絡が届きました。近日中に帰還するそうです。」

 アリクは音もなく漆黒の中に消えた。



 静かなる水面に投げ込まれた幾多もの石。

 その各々が波紋を生み出し、他の波紋を乱す。

 それらの波紋が何を生じさせるのか、全てはこれから。


2009年最後の1日にして今年初めての投稿になってしまいました。

情けない限りですが、このような辺境に足を運び続けてくれた皆様、心より感謝申し上げます。

次回は『この連載小説は未完結のまま約1年以上の間、更新されていません。今後、次話投稿されない可能性が高いです。ご注意下さい。』

が付くことのないよう善処いたします。

一年という歳月の結果、物語の雰囲気等変わってしまっていないことを心より祈りつつ。

感想などございましたら寄せていただけると励みになります。

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