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第十五章 深まる溝

 城内の中では比較的大きくとられた窓には白に埋め尽くされた世界が寒々と映し出されている。

 白は春を忘れたかのように、わずかに見える建物の茶色すらも埋め尽くす勢いで落ちてくる。絶え間なく窓へとぶつかっては溶け、滑り落ちていく。


 リーシャは読んでいた書物から視線を上げて、吹き付ける雪をその青い瞳に映す。花雪を眺めていたときに感じた既知感は浮かばず、あの鮮烈な赤の色彩も頭をよぎらないことに意味も分からず胸をなでおろす。それは、きっと見てはいけないものであると心が警鐘を鳴らしていたことを記憶のそこに押し込める。

 本来見えるはずの無い赤の色彩が、見えたという確信と

 決して見てはならない、忘れなくてはならない、という強迫観念にも似た矛盾な思いがせめぎあう。

 「リーシャリア様、いかがなされました?」

 アイリスの声が耳を震わす。

 知らず、閉じていた瞳を開きリーシャはアイリスの黒色の瞳を見る。ユークリックではさほど珍しくも無い、まとめられたその黒の色彩を持つ髪が、思い起こさせる。

 「いえ、本日は雪が強いのですね。」

 思考に無理やりふたをし、問いかけに最も自然であろう言葉をつむぐ。たとえ、その理由が明白なものであり、言語化の価値がないと分かっていても。心のうち、弱さなど見せぬように。

 「そうですわね。リーシャリア様がいらっしゃってからは、天候は落ち着いておりましたから・・・特に夜会の際は。こんなに降っているのをごらんになることはございませんでしたわね。」

 アイリスは降りしきる空を見上げながら、言葉をつむぐ。一瞬の躊躇を見せながら。


 そう。夜会から月が一回りする程度の時間が流れていた。


 最も、月など見えた日は夜会のその日くらいのものであるが。


 アイリスが言葉をとぎらせた、そのわけは・・・・・・

 その月日はそのまま、リーシャとディアスが会わなかった日々に相当するからである。

 「春の兆しの花雪、とは申しましてもユークリックは基本的に冬の国と称されるくらいですので、わずかな兆しはすぐに掻き消えてしまうのです。」

 当然、これは異例のことである。いくら厳格なユークリック帝国といえど、皇太子妃として認められた人物と皇太子の面会を禁ずる風習はない。むしろ、一刻も早い直系の誕生を重要視するためそれは責務ですらあり、歓迎されるものであった。

 にも拘らず、一向に訪いがないのはそれが皇太子・・・ディアスの意向に他ならない。

 実際に城内ではそれを危ぶむ声が上がってきているのをリーシャは知っている。


 努めて明るく、話題を振るアイリスには気どられないように小さく息をつく。


 こればかりは、リーシャの手には余る。ただでさえ信頼できる駒は少ない、否、無いに等しいのだから。そもそもディアスが他の権力に屈するような人物ではないのだから。


 そして

 『リーシャっ』

 思い出される、焦燥が色濃く滲み出す声。いや、わざわざ思い出すまでもない。常にリーシャの心の隅を引っ掻くその言葉。

 はじめて、出会ったときは完全なる敵意を向けられた。

 なのに、2度目に会ったときにはまるで。

 まるで、焦がれるように愛称を呼んだ。

 そもそも何故、呼ぶ人がいなくなったその愛称をディアスが口にするのか、リーシャには分からなかった。

 兄であるユースも、侍女であったティナも、自分を『リーシャ』と呼ぶ人物たちは他国の使者の前でその愛称は使わない。まして、リーシャがユークリックへと連れてきた侍女たちはその愛称を知りもしない。

 つまり、ディアスがその名を知る余地はない、はずなのだ。


 「あら、シア。どうしたの?」

 アイリスの声がリーシャを思考から掬い上げる。

 小柄で、無口で、でも人の思いを汲み取る能力に長けている、とリーシャが結論付けた侍女が立っている。自分から率先して話をするようなことは少ない、むしろ話を振られてもほとんど話をしないその侍女が、感情を読み取らせないような瞳を向けてつぶやく。

 「・・・・・・リーシャリア様、本日温室の管理者が申しているのを聞いたのですが、温室に大変珍しい類の花が咲いたようです。」

 それだけ言って、再び口をつぐむ。もっとも、これだけ長い言葉をシアが発することはめったにないのだから、それだけで十分に珍しいことであった。

 「そうゆうことでしたら、リーシャリア様!気分転換にその花を見に行きませんか?まだ温室にはいかれたことがございませんでしょう?ここは冬に閉ざされた国ですから、自生している花などはあまり見かけませんがその分温室は充実しておりますのよ。」

 アイリスがにっこりと笑みを浮かべながら、そう提案した。その表情から、確かに温室は誇るにふさわしいものであることが窺いしれる。何より、先ほどまでの無理やりつくったかのような明るさが霧散したことに、リーシャは気がついた。

 すでにシアの姿は隣室へと消えている。おそらくは温室へ行くのにふさわしい衣装を携えて戻ってくることであろう。リーシャの中で、シアに対する評価がまた少し積み重なる。

 言葉は少なくとも、その一言は重く響くゆえに。その響きは人を大きく動かす。



 ドレスは夜会のものよりは質素でありながら、皇太子妃にふさわしい上質なもの。温室という場所を考えてわずかに厚手に作られた深い緑色に、上品にあしらった白く細やかなレースはキィリアの手によるもの。

 彼女によるとリーシャの容姿は非常に創作意欲を掻き立てられるものであるらしい。否、一度でもリーシャに出会った仕立て屋はそう思うであろう。なにしろまさに理想の体型をしている上に、その色が珍しく、宝石のように美しいのだから。

 一般的な帝国のドレスよりも幾分か質素に、飾りが少なく作られているがそれがむしろリーシャの気高さを際立たせている。きっと、あと1年足らずでユークリックの社交界には美しい皇太子妃の纏うシンプルでラインの美しいドレスが流行するだろう、と思われた。


 キィリアは性格には若干の問題があるといえるであろうが、やはりその腕は一級品だ。おそらく帝国で1,2を争える。

 シアと並んでリーシャの後姿を見ながら、アイリスはそう思った。そして、新たにドレスを作るときはやはりキィリアに依頼をしようと心に決める。とはいうものの、キィリアが頼んでもいないのに勝手に作って持ってきそうではあるが。何を隠そう、今リーシャが着ているこの一着もそのような経緯でもたらされたものである。その時は常識はずれだと叱ったが、それ以上にドレスの出来栄えがすばらしかったので結局買い上げてしまったのであった。

 リーシャには言っていないが、皇太子妃に与えられている費用は膨大なものである。リーシャは自ら宝石やドレス、その他の装飾品を強請ることはないが、たとえ思いつく限りを挙げたとしても、その全てを買えてしまうほどに。もちろんそれは皇帝から提示された金額ではあるが、ディアスの意思が絡んでいることは間違えない。立太子当初から実質政務を執っているのはもっぱら皇太子であるのだから。

 皇太子妃の願いはすべて叶えようとしているともいえる行為を見せながらも、その姿を現さない皇太子。リーシャ付きの筆頭侍女になってからアイリスは幼馴染であるディアスに会う機会が減った。それは、そうだ。ディアスが徹底的にリーシャを避けているのだから。

 だから、ディアスの本意を問いただすことはできない。

 主に、あなたは確かに愛されています、と胸を張っていえない。


 『ディアス様は、確かにリーシャリア様を愛しておられます。』

 何度も口をついて出てしまいそうになる言葉をアイリスは、また飲み込んだ。


 一度も温室へ行ったことはないはずであるが、先行く主は迷うことなく広大な城内を歩む。

 通常侍女が主に先んじて歩くということはないことは確かであるが、リーシャは他国から迎えた皇族。まだ時期が時期だけに目くじらを立てるような人間がいようはずもない。仮にも帝国の名を冠しているユークリックの皇城は生粋の貴族ですら迷うことが多々あるのだから。

 どこまで、この主は完璧なのだろう。アイリスは一糸乱れずに歩んでいるリーシャを見て思った。



 隣に立つシアがわずかに目を見張ったのが分かった。

 非常に珍しいその反応に、アイリスはその視線の先を見る。

 「ごきげんよう、リーシャリア様。」

 アイリスの顔が困惑と、不吉な予感にかすかにこわばる。

 温室へと向かう回廊。わずかに寒さを感じる程度の、この時期には人通りのその道。ある程度以上の身分を持ったものであれば、自由に出入りすることが可能な区画ではあるが、まったく予期していなかったといってもよい人物。

 「ごきげんよう。ステラーナ様。」

 突然現れた、真紅のドレスに身を包み、嫣然と微笑んでいるスレラーナ・チュベラールにリーシャは驚くわけでもなく静かに、かすかな微笑を浮かべて応える。

 その様子に、ステラがわずかに手にしていた扇を握り締めた。

 リーシャの姿を間近でみたステラの侍女たちが戸惑いながらも礼をする。

 主の身分が相対的に高いアイリスたちに礼は必要ない。本来ならばこのような1対1の場面で格上の者に声をかけることは許されないことであるが、ステラの公爵令嬢という身分がその原則を揺るがす。問い立てするにはやや相手が悪い。

 アイリスはそう結論付け、リーシャを連れ出した自分を後悔した。

 「ステラーナだなんて・・・よろしければステラ、と呼んでいただけたらと思いますわ。近しい方々からはそう呼んでいただいておりますの。・・・皇帝陛下からも。」

 その自信にあふれた物言いと、含みのある言い方にリーシャはステラの持つカードを予測する。

 「分かりましたわ。ではステラ様と呼ばせていただきますわ。」

 ディアスの行動、公爵令嬢という身分にありディアスの婚約者候補として名が挙がっていたステラ、他国から皇族入りした自分自身。

 想定できる事態はいくつもない。

 「うれしいですわ。近いうちに父のほうから皇帝閣下に進言があると思いますの。」

 ステラの形良く整えられた紅い唇から、紡ぎだされる言葉は。


 「チュベラール公爵家はあたくしをディアス様の第二妃として皇城に迎え入れるよう、進言させていただくつもりでおりますの。どうぞよろしくお願いいたしますわ。」




 春の兆しは圧倒的な冬の前に掻き消えてしまうように見える。

 でも、決して消えるわけではない。

 少しずつ温められて、いつか春を運んでくるのだろう。


 でも、約束されていないかすかな響きは。





 大切に温めなくては、掻き消えてしまう。


本日で221日、半年以上も更新がなされていないという状況にありましたことをはじめに深くお詫び申し上げます。

以前凍結することはないと、そう申し上げたときよりもはるかに長きに渡り、停滞しておりました。

その間もこちらに足を運んでくださっていた皆様、感想を寄せてくださった方々、ランキングに投票し続けてくれた方々の力添えで、再び更新をすることができました。ありがとうございます。

次の更新は未定です。なるべく早く更新したいという気持ちはありますが、なかなかままならない次第であります。

このような作者ですが、これからもリーシャたちにお付き合いいただければ幸いです。


感想などがございましたら、寄せていただけると励みになります。

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