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第十三章 賽は投げられる

 鮮やかな色。意匠を凝らした繊細なレース。細かくとられた軽いひだ。綺麗なくびれを見せるか細い腰に豊満な胸。艶やかに結い上げた髪は暗色が多く、瞳の色もまたしかり。

 「シュタルトゥングス様。そのようにあからさまに女性を眺めるのはお止め下さい。」

 厳めしい声が背後から響いてシュタルトゥングス・ディグザ・オルフィオは溜息をついた。見ても面白いとも何とも感じられない声と同様に厳めしい顔をした従者を見る。自分よりもわずかに低いところにある深く皴が刻まれた顔はまさに無表情。

 「仕方がないだろう?ラナク。見てみろ。美しい女人ばかりではないか。彼女達も見られるために着飾っているのだろう?私はその目的に沿って行動しているだけだ。」

 言っている間にもその視線は近くにいる女性に向けられている。

 隙有らばそちらへ寄っていって手なり髪なりに口付けを落としかねない主にラナク・リドルは思わずこめかみを押さえた。どこで育て方を間違えたのか。

 「屁理屈をねないで下さい。外交問題を起こさぬようお願いいたします。」

 「ほぅ、では外交問題にならなければ良いのだな?」

 しめたとばかりに傍らの女性に話しかける。もとより女性…おそらくは夜会に不慣れであろう少女はこの顔の良い主人に見蕩れていたのであろう、頬を赤く染めて応対している。ラナクの記憶によれば確かこの少女はユークリック帝国貴族の末席…男爵家の次女であったはずだ。オルフィオ王国王太子であるシュタルトゥングス…シュタルトとの身分は大きく離れており、また帝国から重要視されることもない少女。つまり、たとえシュタルトが手を出して、そのまま…捨てたとしてもなんら問題にはならないような少女。

 このような少女が一番厄介なのだ、とラナクは思案する。夜会に不慣れな少女はすなわちこのような駆け引きにも不慣れといえる。悪く言えば世間知らずなのだ。領地にいれば領主の娘ということで当然のように敬われ大切にされる。しかし、その地位というものも所詮は男爵。貴族の中では底辺にあるとも言えるその身分は娘を守るためにはあまりにも頼りない。何かあったところで簡単にもみ消せてしまうのだ。そしてそのことを自覚していないのが何よりもまずい。ラナクは少女の父である男爵を睨む。すべきはどのようにして仲睦まじく会話しているようにしか見えない二人を引き離すか考えることであり、微笑ましく見守ることではない。おそらく娘が王位を約束された男に見初められたとでも思っているのだろうがそれはとんだ勘違いだ。もう少し、わずかにでも身分が高く外交に詳しければシュタルトについて回る甚だ恥ずべきこととしか捉えられない批評を知っているだろうに。

 「シュタルトゥングス様、そろそろ夜会の開会が述べられる頃合いでございます。」

 暗に場所を移動するようにとほのめかす。さして残念そうな顔もせずにシュタルトは少女に別れを告げる。男爵はラナクに鋭い一瞥を向けた。さしずめ折角の機会なのに邪魔をするな、というところだろう。頬を赤く染めたまま残念そうにシュタルトを見上げる少女に甘い言葉を囁き、自然な流れでその髪の一筋に口付ける。

 「シュタルトゥングス様。よろしかったのですか?今日はとても早くお別れなさったようですが。」

 ラナクは皮肉るように主に向かって言葉を発する。実際シュタルトの行為の皺寄せはラナクに来るのだから仕方のない反応と言えよう。

 「ラナクが早く別れるように言ったんだろ?」

 たまには殊勝なことをするものだ、とラナクは訝しげな表情をする。無表情からにじみ出るような視線にシュタルトはにやり、という効果音がつきそうなほどに嫣然と笑った。

 「それに…確かにあの令嬢は可愛らしかったがあまり好みではないのでな。素直なのは大変結構だが、それだけでは面白くもなんともないだろ?それに帝国人にしては彫が浅いな。」

 「貴方は…好みの女性ではないのならはじめから声をかけないで下さい。」

 ラナクは再びこめかみを押さえた。幼い頃からともに過ごしてきたが…もしかすると育て方を大きく誤ったのかもしれない、そういう後悔が滲み出る。日に日に頭が痛む回数が増えている。

 「なにを。女性は声をかけられてこそ華というものだろう。」

 「貴方に足りないのは倫理観です。」

 ラナクは自国…オルフィオの後宮に思いを馳せる。十人を超える美姫たち。文句のつけようがないほどに整った顔立ちに計算しつくされた肢体。金髪から亜麻色。瞳は碧から珍しい赤味がかった色まで。肌の色は白から褐色まで。ありとあらゆる地方の美女達がしのぎを削りあいむせ返るような香水を振りまいている華やかで、混沌とした場所。それはシュタルトが築き上げた負の領域。完璧にノルマをこなし、国政を左右する実力を有する王太子の唯一の欠点の具現化。

 ラナクは溜息を吐く。26歳にしてその傍らに立つべき人間がいない主を見やる。

 「ですからいまだに正妃がおられないのですよ。」

 「たった一人の女性に入れ込むつもりはないからな。もっとも…」

 夜会の開会を示す音楽が鳴り響き、ユークリック帝国現皇帝が登場したその壇上を見上げてシュタルトは口元を歪ませる。

 「あの銀の髪、透き通るような青い瞳。至宝と呼ぶにふさわしいかの姫君だったら話は別だが。」

 シュタルトの濃紺の瞳が鋭さを増して細められる。

 それはまさに狩る者の瞳。

 そして、ラナクは知っている。この主が本当に手に入れたいものに関してはいくらでも残酷に非情になれることを。そして、手段すらも選ばないということを。

 ガランドール王国で見たかの姫。神に愛されたとしかいえないような完璧な容姿。そして気高く、澄んだ瞳。シュタルトは他を圧倒的に突き放すその美しさに囚われた。

 「…シュタルトゥングス様、かのリーシャリア姫はすでに帝国の皇太子として入られているのですよ。本日の夜会の名目をお忘れなきよう。」

 ラナクにできるのは注意を促すことのみ。

 シュタルトは酷薄な笑みを浮かべ、それに応えた。


 ユークリック帝国で最も高い地位を有する人物の声が厳かに響く。華やかな談笑や優美な音楽もこのときばかりは静まる。それは建前ではなく皇帝の威厳がなせる業。

 

 まもなく時は訪れる。


 皇帝の招きに応じ、壇上の背後。荘厳かつ細やかな装飾がなされた重厚な扉が左右に開かれる。その先に広がる大きな空間。

 そして、かすかな二つの足音。


 音が消える。


 現れたのは黒。

 黒い髪を後ろへ撫でつけ、黒い服を纏った人物。少年のような細くしなやかなその姿。黒と白とのはっきりとした明暗の中に浮かぶ異質な色彩。ともすれば不安定にもなりがちなその存在を王者たらしめる輝き。左は冴え渡る金。陽のような温かなそれではなく、見るものを恐れおののかせるにたる鋭い輝き。淡いはずの色彩が煌き、見るものを圧倒させる。右は緑。しかしそれは光の下で金色を帯びる異彩。それにより硬質で冷たい印象を刻み付ける。

 瞳に灯るその異彩に幾人かが声にならない叫びを上げる。そのあまりの異質さは同じ人間ではなく別の、神話の世界に生きるモノがもつそれに似て。畏怖と恐怖の対象となる。

 それは忌むべき悪魔のものか。尊ぶべき神のものか。

 

 その黒は立ち並ぶ貴族達も向けられる様々な視線も、何も意に介さないかのように歩みを進める。異彩は背後の何かを気遣うように細められ、それを迎える。


 華奢な白い手が現れる。

 白い裾が現れ、白く華やかで細かなレースがひるがえる。どこまでも染まることを知らない白が人々の目に焼きつき、息を飲ませる。華奢な肢体は白で包まれ、それ自体も日を知らぬかのように白い。

 動きにあわせて揺れる、揺れる。

 白の中に幾筋もの煌く残滓。闇夜に浮かぶ月の光を思わせる清廉な輝き。纏わせた水晶や真珠すらも呑み込むような輝き。冬に愛された帝国では異彩とすら認識されうる神々しいまでの色。

 伏せた睫毛も鼻梁も唇も。その姿も。神が愛でるために創った人形を思わせる完璧な形。

 遠くに並ぶ貴族の間から溜息が漏れる。

 そして、瞳が上げられる。

 煌くのは獰猛なまでの青い光。前を見据え追随を許さぬ気高さのあらわれ。

 人は自らの認識の過ちを知る。その姫君は誰かに囲われて愛でられるものではない。多くを従え、屈服させるものなのだ。


 黒と白。相反する色彩を持った皇太子と、皇太子妃。

 相容れない二つの色彩が手を取り合って現れる。

 それはまさに奇跡と呼ぶにふさわしい光景。誰もを圧倒し畏怖の念を抱かせる神々しい一対の存在。


 食い入るように見つめるその視線を全身に纏わせてなお、軽やかな足取り。視線を向けられることに、注目を浴びることに慣れ親しんだ王者の風格。

 そして、皇帝の傍らに立ち並び、手を取り合ったまま一対は優雅に一礼をする。不敬になりかねない浅いものではなく、しかし媚びるような深いものでもない手本になるような絶妙な角度。

 いまだ歓声は上がらない。

 硝子一枚を隔てて存在しているものを見るかのようにひたすらに見つめるのみ。


 「紹介しよう。此度ユークリック帝国が迎えた皇太子妃だ。」

 皇帝の声が無造作に放り投げられる。どことなく楽しげに、しかし威厳を持ってその言葉は転がる。転がって転がって、貴族達を夢から引き出す。

 「紹介に与りました、ガランドール王国第一王女リーシャリア・ティン・ガランドールと申します。」

 流れ出るは軽やかなユークリック語。春風のようにあたりを吹きぬけ、そして。

 

 大歓声が巻き上がる。


 響くは歓喜か賞賛か嫉妬か溜息か。押さえられていた分の声を取り戻すかのように騒然となる夜会。あちらこちらでリーシャの美しさを讃える声。神話の再来のような一対について囁き合う令嬢たち。再三「不幸」であるとの噂がついて回る皇太子妃を見つめてはその噂の片鱗も見つけられないと笑う者。ディアスを「悪魔」と吐き捨てた者たちの驚愕。

 もはや本人達を忘れ去ったかのように上がる様々な声。


 「さすがは『ガランドールの至宝』たる姫君。」

 シュタルトは口元を歪めて壇上に立つ銀の髪の姫を眺める。求婚の書状に対してその意向には応えることはできないと丁寧な書状を送り返してきた王国の姫。

 その隣に立つ異彩を放つ青年を忌々しげに見据える。シュタルトよりも若いその姿は歓喜に顔を緩めるでもなく、隣に立つ姫君を愛しそうに見つめるでもなく。その無表情がやけに癇に障る。

 「さて、どうするか。」

 脳裏に自分が動かせる駒と帝国の持つ駒を並べて眺める。そして、新たに生まれた真っ白い駒。それは今帝国側にある。だが…

 「どうやって転ばす、か」

 もはやそこには優男の風貌はない。帝国のそばにありながらも決して飲まれることなく、むしろ虎視眈々と飲み込もうとさえする王国の事実上の最高権力者。

 ラナクは背筋が寒くなるような感覚に必死で抗う。永らく、その一生にも匹敵するほどの時間この王太子に仕えてきたが、いまだに身の毛のよだつかのような恐怖を覚える。

 シュタルトがどのような手を講じるのか、ラナクには想像もつきはしないがあまり穏やかな手であるはずもない。

 そして、それを受けるのは壇上に立つ帝国の皇太子。もはや退廃し、滅びるまで秒読み段階であった帝国を立て直した人物。台頭していたオルフィオすらも退け帝国を帝国として存続させた。その手の内は明らかではないが、ラナクの脳裏に警鐘が鳴り響く。

 あれは…手を出して良いものではない、と。


 夜会は始まりを告げたばかり。





詰めたいものが多すぎるためか「夜会」は一向に終わりを告げそうにありません。

もう少々お付き合い下さい。

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