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第十二章 はじまりの刻

 「…ステラ。痛いのですが。」

 ユークリック帝国貴族のほとんどを迎え入れての大規模な夜会。いたるところに早咲きの花が飾られ、磨き上げられた空間。貴族も張り合うようにその身を飾り立て、よりいっそう華やかである。

 本来ならば花雪舞うこの季節に帝国が夜会を催すことはない。特に理由はないがそれが慣例なのである。

 慣例破りの上に帝国の貴族全員を招待客とした破格の規模。弱小貴族のお飯事のようなものなどまで数えればどこかしらでは毎日夜会が開かれているとはいうものの、帝国の中枢である帝が自ら取り仕切る夜会はその絶対数がまず少ない。建国記念、帝の生誕記念その他。数にして両手で足りてしまうくらいだ。その数少ない夜会には身分を限るものも多く、今回のような規模で開かれるのはその半分にも満たない。

 それだけその主役である皇太子妃は重く見られている、そういうことだ。


 だから、この気性の激しい妹が憤慨するのも大いに納得できる。…できるとはいうものの。

 「ステラ。腕がもがれそうなのですが…」

 周りの令嬢や婦人に負けず劣らず煌びやかなドレスに身を包み、髪を結い上げにこりと微笑んでいる妹は傍から見ればたいそう愛らしく、美しく見られていることであろう。帝国では珍しい亜麻色の長い髪は人目をひきつけるには十分で。相変わらず幾人もの視線を一身に受けている。

 ここで問題になるのはあくまで『傍』から見れば、ということでありエスコートをしていてとてもではないが『傍』とは言いがたいアキラス・チュベラールからは恐ろしく見えて仕方がない。

 なにしろ妹、ステラーナは令嬢の鑑ともいえるような笑顔を振りまきながら、アキラスの腕を渾身の力でしめあげているのだから。

 「あら、お兄様。何か申されましたか?」

 アキラスを見上げて首をかしげる。その深い紺色の瞳は全く笑っていない。

 先ほどまではこの視線を受けてあきらめていたアキラスであったが、そろそろ何とかしなくてはまずい。掴まれた腕の指先がかすかに痺れ始めている。そして、ステラの鬱憤も頂点に達しそうである。

 

 周囲に会釈をしながら話しかけてくる貴族達をかわしていく。良くも悪くも公爵家の人間に挨拶をしてくる者は多い。長年の勘と身のこなしで不信にみえぬようにあまり人のいないテラスのほうへとステラを連れて行く。

 「もう、お兄様ったらこのような外れのほうへあたくしを連れてくるなんて。壁の花になるつもりはございませんよ?」

 「ステラ…いい加減にその手を放してください。エスコートしてくださいと頼んだのは貴女でしょう。」

 小さく頬を膨らませてステラは力を緩め、さっと周囲に視線を廻らせる。手にしていた羽根をふんだん用いた扇を優雅に開くとそれで顔を隠す。

 「信じられませんわ!なんで、あたくしが、ステラーナ・チュベラールともあろう者が、あたくしが主役となるはずだった夜会で、別の女が麗しのディアス様の横に並ぶのを見なければなりませんの!!」

 滑らかな白い肩があまりの憤慨に小刻みに震える。声は潜めながらも、恨めしげに呪いの言葉もかくや、という勢いでまくし立てるステラにアキラスは溜め息をついた。元来気性の激しいこの妹は社交界、というよりも身内以外の人間がいる場では猫を幾枚も被って慎ましやかで儚げな令嬢を演じてはいるものの、さすがに今回の夜会ではそれも完璧とは行かないようだ。だからこそ、エスコートなど頼めば逆に応募が殺到しかねないにもかかわらず兄であるアキラスに白羽の矢が立ったのだ。

 「ステラ。確かに貴女はチュベラール公爵家の令嬢であり、この帝国の中では貴女以上に皇太子妃にふさわしい人物はいないのかもしれません。実際父上はそうなさろうとしていたようですし…ステラも父上から何かを言われたからこその言葉なのでしょう。しかし…」

 ステラに腕を圧迫されていたときでさえ温和に緩んでいた茶色の瞳が細められる。暖色でありながら鋭利な光を宿したそれはいまだにぶつぶつと鬱憤を呟いているステラを射抜く。

紺色の瞳が動揺したように揺らいだ。

 「公爵令嬢であるからこそ、不用意な発言は慎みなさい。父上から皇太子妃の件に関してステラへ話があったかもしれませんが、それはあくまで公爵家内部でのこと。実際には帝へ進言もしていないことです。」

 赤く色づいたステラの唇が何か言いたげにかすかに動く。それをさえぎるようにしてアキラスは続ける。

 「そもそも例え、婚約をしていたとしても相手が皇太子ならばそれが覆されることくらい十分にありあることでしょう。そして…今ステラが『別の女』と吐き捨てた皇太子妃となる人物はガランドール王国の王女です。身分を見れば一国の公爵令嬢とは格すら違うことは分かっているでしょう?」

 ステラは開きかけた口を閉じ、唇を噛みしめた。ものすごく腹が立っているのに、公爵令嬢という枷がついているためにわめき散らすこともできない。しかし、そもそも公爵家という名がなければ争点にすら立てなかった。

 不燃焼な思いがひどく苦しい。

 帝国が選んだ皇太子妃は一国の王女。それも「至宝」と名高い少女ということはとっくに噂になっている。


 そんな国が決めた結婚相手よりもあたくしのほうがディアス様を愛しているのに


 はじめて会ったとき、その左右で色彩が異なる瞳に恋をした。周りがどんなに不吉なものと捉えていようとも関係なかった。そのまっすぐな輝きを自分に向けて欲しかったのに。

 「…存じております。少々取り乱してしまいました。もうこのような醜態は晒しませんわ。」

 血が出そうになるほどに噛み締めた唇。

 アキラスは必死に感情を押し殺すステラを見て溜め息を付く。少々厳しく言い過ぎたかもしれないが、これくらいは言わなければステラは止まらなかっただろう。

 妹が長い長い片思いをしているのは知っていたから。だからこそ父であるチュベラール公も婚約話を考えたのだから。


 今宵、帝国が選んだ姫君が現れる。



 ユークリック城特有の重厚感ある扉の前でディアスは立ち尽くしていた。

 その扉の先には、今回の夜会の主役にしてエスコートすべき相手が控えている。その部屋は皇族及びその側近達が、壇上に現れる際に控えるものである。幾度となく足を踏み入れた部屋であるため、いまさらそのことに緊張を抱いたりはしない。


 リーシャリアは『リーシャ』である。


 エルに言われるまでもなく、遠巻きにリーシャを見ていたディアスはそのことに気がついていた。あの気高いまなざしも身のこなしも、『リーシャ』にはほとんど見当たらないものではあったが、その瞳その姿。気の緩んだ瞬間にかすめる面影は間違えなく焦がれた少女のものだった。

 だからこそ、立ち尽くすしかなかった。

 「…一体どんな顔をしろと?」

 十年。十年ぶりにようやく会ったというのに。印象がわずかに違ったというだけで『リーシャ』だとは信じられなかった。少しでもよく見ていれば分かったはずなのに。

 あの瞬間に感じた絶望。

 頭の中を覆い尽くして、止まった。それは無用のものではあったが今でも生々しく思い出せる。

 次にあのような絶望を感じればどうなるか分からない。

 それだけは確かだ。

 「リーシャ」

 自分で呟いたその名前にすら愛しさを覚えて重症だと感じる。

 毎日毎日。リーシャのことを考えて生きてきた。それは唯一といっていいほどのディアスの糧。その少女の微笑みがあれば蔑みも中傷も気にならなかった。必死に地位を築き上げて、遠き春の国の銀の髪の少女を迎えにいこうと思った。次に出会ったら二度とその手を離さない。 その笑顔を死ぬときまで守り通す。あの闇濃い部屋に戻ってそう誓った。たとえ少女が異彩の少年を忘れてしまっていたとしても。

 なのに、ひどい言葉を投げつけ髪飾りを握りつぶした。その宝石でできた華奢な花はよく似合っていた。しかしそれが、無機的で冷たく美しい光を紡ぐそれが、白い花を髪につけていた 『リーシャ』との違いを具現化しているようで。


 後悔しても仕方がない。

 扉に額をつける。冷たい。頭が冷えていく気がする。


 静かに二回ノックをする。

 硬い音が廊下に木霊こだました。


 返事は、ない。

 焦燥感がディアスを貫く。あの完璧という言葉の似合う姫君が返事をしない。

 それがひどく良くないことを示しているかのようで不安にさせる。絶望が垣間見える。

 右手が震えている。ノブに手をかける。手袋をしているはずなのに冷たく感じるそれを性急にひねったつもりだったが、うまく動かずに少しずつしか動かない。

 それでも、扉は開く。


 息を呑む。

 暖色系の色でまとめられた部屋の隅、窓の前にリーシャは立っていた。

 暖かく保たれているはずの部屋の中で真っ白なドレスに身を包んでいるその姿は、どことなく寂しさと切なさを漂わせていて。長い銀色の睫毛の下からのぞく青い瞳は雪を映して水色にすら見える。

 なぜかその横顔が泣きそうになっているように見えて。それがひどくあどけなくて。自分が何故間違えたのか分からなくなるほどに。

 「…リーシャっ」

 世界から切り離されたかのようなその姿が振り返る。銀髪と水晶が舞う。

 迷子になったかのように瞳が一瞬揺らぐが、すぐにそれは消え去り静かな青を取り戻す。

 「…ディアス…様。」

 呼ばれた名に喜びとかすかな悲しみがディアスの心に浮かぶ。

 「申し訳ありません。少々…雪に見入ってしまっていたようです。」

 綺麗な笑みを浮かべてリーシャが言葉を紡ぐ。


 沈黙が支配する。

 皇子は伝えなければならない想いが多すぎるゆえに。失ったものと得たものの扱いに困るゆえに。

 王女は呼ばれた懐かしい愛称に狼狽したゆえに。そして自分がなぜ望まれたか分からぬゆえに。


 言葉はいつも、足りない。


 それでも時間は迫る。刻限を告げるかすかなノックが聞こえる。

 「…行くぞ…姫。」

 紡ぎだされたのはひどく短い言葉。闇濃い国の皇子の精一杯。


 白い手袋に包まれた華奢な手がディアスの手に重なった。


 

 夜会が、はじまる。


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