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第十章 平穏の破壊者

 帝国では春を忘れ去ったのかのように雪が降り積もる。

 真っ白なそれは、大量の雪など見たこともないはずの春の国の姫君の脳裏に焼きつき、静かに警報を鳴らす。


 それはまだ誰も、気がついていない幽かな鼓動。


 「リーシャリア様、あまり雪を眺めていますと眼を傷めますわ。」

 アイリスは白磁に細かな模様が浮かんだカップを主に渡しながら窓の外に目をやる。主である春の国からやってきた姫君は、ことあるごとに窓の外を眺めている。いつもと変わらずそこは一面真っ白に覆われた世界が広がっている。それでも日に日に雪は重さを失い、確かに春へと向かっていることを予感させた。

 もちろんそれは帝国で生まれ育った者だからこそ言えることであり、リーシャには分からないであろう。

 「そろそろ、春ですわね。」

 華奢な指先でカップを受け取り、それでもなお雪を眺め続けている主にアイリスは呟いた。

 リーシャが小さく反応して雪から瞳をそらす。

 アイリスは悟られぬよう安堵の息をついた。

 一ヶ月と一週間。アイリスがリーシャリア・ティン・ガランドールの筆頭侍女として生活をするようになってからそれだけの時間がたっていた。

 初めて目にした時にはそのあまりの美しさに息を呑み、ついでその聡明さに驚かされた。

 アイリスたち侍女が朝部屋を訪れる頃には目を覚まし、夜になって部屋を辞すまで常に完璧であり続ける少女。貴族というものは割合我が強く、人格が歪んでいる者が多い。侍女や使用人の前では態度を豹変させ、貴族階級にある者でなければ目も合わせない、という者さえ決して珍しくはない。

 その中で、リーシャは御伽噺に出てくるような完璧な姫であり続けている。

 儚く、柔らかな雰囲気をまとい微笑んでいる。

 教師陣の反応も良好。作法の教師はリーシャの物腰を見て、その場で教えることは何もないと驚き、語学の教師も流れ出る流暢なユークリック語に予定を変更しなければならないと嬉しげに呟いていた。偏屈であると囁かれている歴史教師でさえも、その覚えのよさと思考力に、そしてそれを誇示しない慎ましやかさに笑みを浮かべたということは、雪に閉ざされたユークリック城内をあっという間に駆け巡った。

 

 他の侍女や教師のガランドール王女に対する評判が高まれば高まるほど、アイリスはだんだんと心配になってきた。完璧な王女。「完璧」であることは容易ではない。アイリスから見たところリーシャは一刻も気を抜くということがないようである。その様子は細心の注意を払って積み立てたオブジェのような危険な美しさに見えてならなかった。それは、特に気をつけてなくては分からないほどの緊張。気がついているのは恐らくはアイリスとシアのみ。シアはその観察眼と感受性を買われてリーシャの侍女となっているわけだが、いかんせん無口であるがためにあくまで感じ取っているというだけにとどまっている。

 その常に糸を張り巡らされているかのような主が、雪を見ているときだけは変化を見せる。はじめのうちはもの珍しいためかとも思ったが、まもなく違うと気がついた。主のその姿には好奇心といったものが一切感じられないのだ。魅入られたかのように雪をじっと見つめて、離さない。生命感を強く放っている青い瞳が雪を映して白みがかり、ひどく鈍い光を放っているのに気がついたときには思わず揺さぶりそうになった。

 同じ人間ではないかのように美しい主は雪を見ているようで、雪を見ているわけではないと気がついてからは、そこはかとなく主の視線を雪からはがすようにした。そうしないといけないような強迫観念をアイリスに抱かせるほど、リーシャは異様に見つめていたのだ。

 「雪が軽く、細かいものになってきております。帝国の春の兆しですわ。『花雪』と皆は呼んでおります。」

 「そういえば、ユークリックでは雪の様子によって様々に呼び分けるのでしたね。『花雪』、綺麗な響きですね。」

 薫り高い紅茶から舞い上がる湯気がリーシャの吐息で乱れる。その瞳に先ほどまでの凡庸とした光はない。平常どおりの完璧な姿に戻っている。

 「花が散るように雪が舞い降りてくる、というところからついた名と言われております。帝国の冬は長いですから、雪を様々なものに例えるという風習ができたのですわ。」

 アイリスの言葉にリーシャは再び雪に目を向ける。確かにひらりひらりと舞い降りる様子は花びらと呼ぶにふさわしいものであろう。


 舞い散る白い花。そして、赤。……赤?


 リーシャは視界の中に突如として赤いものを見た、気がした。残像のように頭に焼きついたその色は、しかしどこにもない。あたりは変わることなく真っ白な雪に覆われている。

 ないはずなのに、あまりにも鮮烈に焼きついた色はどうしようもなくリーシャに不安を感じさせる。言いようのない焦燥感に囚われる。

 言い知れない気持ち悪さを感じ、その反動でかすかにリーシャの指が震えた。


 「リーシャリア様!大丈夫でございますか!?」

 アイリスの慌てた声がリーシャをつんざいた。脳裏から赤い色が消え、正常に戻ったリーシャは自分の指から熱い液体が滴り落ちているのに気がついた。思わず唇をかみ締める。ありもしない幻想に囚われ紅茶を零すという失態をしてしまった。

 それは完璧であれと自らにかけた枷から外れる行為。

 アイリスを筆頭に侍女たちがせわしなく駆け寄ってくるそれを制す。

 「大丈夫ですわ。少しぼんやりとしてしまったようです。驚かせてしまってごめんなさいね。」

 黒髪の侍女…シアが無言で差し出したトレイに上品な茶色を滴らせる白磁のカップを置く。リーシャの発した礼にシアは小さく頭を下げる。

 その落ち着き具合を見て、他の侍女達もだんだんと落ち着きを取り戻した。一流の侍女らしく、手際よく零れた紅茶をふき取り、主の手袋をはずして火傷の様子を調べる。若干赤くなってしまっているが、火傷とまではいっていない指先にほっと息をついた。


 安堵が場を占めた、瞬間。

 「こっんにちわぁ!!」

 ユークリック城特有の重厚な扉が蹴破られんばかりの勢いで開いた。限界まで開ききって、その外見にふさわしい鈍い音を響かせる。

 「リーシャリア・ティン・ガランドール様のお部屋はこちらですよねっ!?」

 勢いをそのままに、突然リーシャの部屋に乱入してきた人物は声を発する。まるで怒鳴っているようにも思われるほどに五月蝿い。

 帝国へ来てからはじめてとも言えるほどの大音量に襲われリーシャは思わず目をしばたかせた。侍女達も同じように言葉を失っていることから、ユークリック城の日常にこのような声はないことが容易にうかがい知れる。

 「……キィリアぁ?あれほど…あれほどっ!礼儀をわきまえるように言いましたのに、何なのですか!!せめてノックくらいして下さいっ。そして、部屋に入ってからその部屋の主を聞くようでは遅すぎます!!」

 アイリスがふつふつと俯いたまま怒りを浮かべ、そのまま大音量でその闖入ちんにゅう者に詰め寄った。

 闖入者…帝国では見かけない赤毛を有する少女はどうやらアイリスの知り合いらしい。赤毛の少女は綺麗に刺繍された布を張った大きな箱を抱えたまま、アイリスに叱られている。少女とアイリスの真ん中に大きな箱がきっちりと納まる形になっているのが何ともいえない。

詰め寄るアイリスにうなずき、謝りながら、その赤みがかった茶色の目を何かを探すように彷徨わせる。

 ある一点で止まる。

 丸くて大きなその瞳が細まり、満面の笑みとなる。

 アイリスはそれに気がつかない。


 赤毛の少女は抱えた大きな箱をアイリスへと押し付ける。そして、自分は手を離した。ぐらりと落ちかけた箱は慌てたアイリスの腕に中途半端な形で収まる。

 当然赤毛の少女の手には何も収まってはいなくなり、その上アイリスという彼女の行動を妨害する人間も足止めできたことになる。

 枷は、ない。


 ユークリック城において、いや基本的に城という建物の中で全力疾走する光景を見るような機会というものはなかなかない。城、というだけで階級と人物がかなり限られてしまうのだから当然といえば当然だ。

 赤毛の少女は毛の長い、どう見ても運動するためには作られていない絨毯の上を駆け出す。

 アイリスはその様子を見て、顔を顰める。が、もはやどうにもならない。

 侍女達は目まぐるしく変わる状態についていけてはおらず、唖然と見守るのみ。


 かくして。


 赤毛の少女は目標物、帝国が迎えた皇太子妃へ抱きついた。

 危機感を覚えて椅子から立ちかけたリーシャを上から押さえるような形で捕縛した。

 「可愛いっ!!なんて綺麗な銀髪っ!さらさら!きゃあこのウエストっ。サイズは…うらやましい!」

 あまりの暴挙に声すら出ない周囲を他所に、その少女は目標物の検分を始めた。右腕でリーシャをしっかりと抱きしめ、左手で頭を撫でたりその華奢さを確かめている。

 リーシャですら固まる中、興奮して騒いでいた少女は途端に静かになり、俯く。

 「むうぅ。綺麗だって聞いてたけど…想像以上。銀の髪に青い瞳。やっぱり青、がいいかな?でもそれじゃあ保守的だよねぇ。ピンク…もいいけど…うーん。何でもいけそう。皇子は黒なんだよねぇ。二人が並ぶんなら…。素材はベルベット…は違う気がするなぁ。もっと軽いほうが華奢で綺麗。ひだはもっと少なくて、レースを大目にとって…シンプルに」

 抱きしめる手はそのままで小さく呟き始める。目は休むことなくリーシャの上を彷徨い、何度も往復する。


 呟きだけが部屋を満たしてからどれだけたったのだろう。

 それはとても短い間だった。

 「キィリア!!リーシャリア様をお放しなさいっ。」

 奇妙に静まった部屋の中で押し付けられた大きな箱を置き去りにしてアイリスが叫んだ。そして叫ぶだけではなく、普段からは想像もつかないような荒々しさで元凶の少女の肩を掴み、力ずくで引き剥がした。

 粘着質な効果音が響いてきそうな様子で引き剥がされた少女は不服そうにアイリスを睨む。

 「アイリスっ。人が考えてるときに何すんのよ!」

 「貴女が考えている分にはかまいませんが、周りに被害を出さないで下さい!気に入ったものに即抱き付くのを止めなさいとあれほど言ったではありませんか。その上今その危害を被ったのは一国の王女ですよ!?不敬にもほどがあります!」

 「王女だろうがなんだろうが可愛ければいいの!被害って何よ!可愛いものを抱きしめるのは自然の摂理でしょ!?」

 「勝手に摂理を加えないでくださいっ。大体貴女は」

 侍女と謎の闖入者は途切れることなく言い争っている。互いの言葉の最後に重ねるようにして次の言葉を発する。ただの知り合いではなく、よほど親しい間柄なのであろう。


 真っ先に困惑から何とか立ち直ったのは被害を被った張本人、リーシャであった。今度ばかりは自分の不甲斐無さを責める気にはなれなかった。リーシャに割り切らせるほど、状況は想像し得ないものであった。しかし、このままであり続けるわけにはいかない。リーシャは早急に目の前で繰り広げられる喧嘩を止めるべく声を発した。

 「アイリス、この方は…?」

 震えも、揺れもしない凛とした声が場に響く。

 冷たい水をかけられたかのようにアイリスがリーシャのほうを向き、自らが如何に熱中していたかに気がつく。慌てて今まで言い争っていた少女の赤毛を押さえつけ、自らもまた、礼をとる。

 「申し訳ありません、リーシャリア様。御見苦しいところをお見せしてしまいました。」

 片腕は赤毛の少女を押さえつけたまま、精一杯頭を下げる。恥ずかしさにやや顔を赤くして、言葉を続ける。

 「こちら…許可なくこの部屋へ乱入してきたこの者はキィリア・ゼンと申します。情けないことながら私の従兄弟であり…」

 「ドレス等の仕立て人です!本日はリー」

 アイリスの言葉をさえぎって赤毛の少女…キィリアは顔を挙げて満面の笑みで続ける。

再び、アイリスはキィリアの頭を押さえつけて礼をとらせる。

 「…と、本人が申すようにオートクチュールを提供する仕立てをしております。このように軽薄かつ不敬な者ですが、腕は確かです。このたびは…」

 アイリスは顔を挙げてリーシャを見る。やはりいつもと同じように完璧な笑みを浮かべている主に告げる。


 「…一週間後にリーシャリア様の御披露目かねた夜会を催すと皇帝陛下がおっしゃったため、採寸に参りました。」


 リーシャの瞳がわずかに大きくなる。

 それはリーシャが初めてユークリック帝国の公的な場に姿を現すということ。

 平穏な生活に十分すぎるほどの衝撃を与えた仕立て人は、同時により大きな知らせを伴って現れた。


 時はからからと回り、来るべき時がきた。


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