1 ツリー死、いわゆる一つのエピローグ
「フォーーーっ!」
しんしんと雪の降り積もる静かな夜。
とある町の一軒家『王寺家』の二階の自室で、三十代ニートの歓喜の叫びがこだました。
「っしゃあ! よっしゃ! よっしゃよっしゃよっしゃー! ついにゲットだぜーーーーっっ!」
ネトゲの『ラグナレクオンライン』で伝説のアイテムを手に入れた俺は、興奮の余りイスから飛び上がり、自分の部屋に散らばったゴミを踏み付け滑ってすっ転んだ。
「ふごぉっ!」
禿げた頭頂部を強かに打ち付け多少の血を流すも、興奮冷めやらず、上着を脱いで上半身裸になって裸足のまま玄関を飛び出した。
時刻は夜七時、外はもう真っ暗だ。
「いやったぞーーー!」
今なら飛べる気がした。
俺は半裸で荒ぶる鷲の如く両手をバタ付かせ、近所迷惑も顧みずバタバタと奇声を上げて家の庭をぐるぐると走り回る。
「コケッコッコー!」朝ですよっ!
「あ、王寺さんですね。郵便屋です、荷物のお届けに参りました」
……郵便屋に見られていた。
一瞬凍り付いたが、気分が良いので気にしない。興奮度マックスの俺は、郵便屋が取り出した『人が入れそうな大きさのダンボール箱』を見て、またしても歓喜の声を上げそうになったが自重した。ピンと来た。ほら、アレだ。ネットで注文した待ちに待ったアレが届いたのだ! 今日はなんてラッキーな日だ!
「えーと、お名前は、王寺……」
俺は郵便屋からダンボールを奪い取り、名前を読もうとしていた伝票をクシャッと引っ掴むと、丸めてポケットの中に入れた。そして郵便屋にサインをして返した。その場でダンボールを開いて、中身を取り出す。
中身は、もちろん抱き枕だ。『マドカル☆リリヤ』のリリヤちゃんの限定生産抱き枕だ。
「いやっほー!」
レアアイテムゲットと待ち望んだ抱き枕の二重の歓喜のあまり、俺は外に走り出した。
道路には雪が積もり、裸足では足の裏が冷たかったがアドレナリンが出過ぎて気にならない。俺は蛾のように明るい街灯を次から次へと目指し、情熱のほとばしり続けるまま真っ直ぐ走って、走って、走って、
気付けば、町の大きな駅前まで来てしまっていた。
何だか今日は駅前の街路樹がキラキラと輝いて見えた。
『駅前が俺を祝福しているのだ!』と悟った。
俺はニヤけながら飛んで火に入る冬の豚のように駅前に進んでいった。
行き交う人の訝しげな視線など気にならない。それくらい嬉しい。
長かった。苦節十五年。
十五年やり続けたネトゲ『ラグナレクオンライン』の最終大規模クエストをソロで制覇して、やっと欲しかった限定一個のオーディンから貰える伝説アイテム『見えちゃうメガネ』が手に入ったのだ。
何が凄いかって? フフフ、見えちゃうのだよ!
まだ試してはいないが、気になるあのキャラもそのキャラもみんな見えちゃうに違いない。
三〇年生きてきて、こんなに嬉しいことはない!(断言)
ニートである俺はクエストの為にほぼ一週間ほど部屋に篭りっ放しだった。賞賛はよしてくれ、プロニートとしては造作もない事だ。
だから気付いてなかった、今日が何の日か。
「ぜぇ……ぜぇ……」
久しぶりに外に出て、しかも全力で走ってしまったのでちょっとした過呼吸に陥っていた。駅前のベンチに手をつくと、目の前のショーウィンドに自分の姿が写り込む。
ハアハアと半裸で息を吐きながら、こぼれ落ちそうな腹の脂肪を揺らす三十代のハゲ男、誰だコイツ?
ワタシです!
ベンチで少し休憩して体が冷えると、急激に興奮も冷めてきた。ブルッと体を震わせる。
強風が吹き、雪がみぞれに変わって体に激しくぶつかってくる。
……さぶ!
ヤバイ寒いどうしよう取り合えず構内に避難しよう。電車に乗れば早く帰れるが、冷静になった俺がこの恰好で乗る覚悟はない。駅の端っこで止むまで待とう。
俺は駅構内のエントランスに入った。左右に店舗のショーウィンドウが立ち並んでいる。この広場の隅で雨を凌ごう。
今やとても冷静になった俺は、やけに明るい周りを見回してみた。駅内全体はコカコーラのラベルみたいに紅白のカラーテープが貼り巡らされ、広場の中央には大きなツリーが無数の電飾でキラキラと黄金色に輝き、天辺に大きな☆を乗せていた。
そうか、今日は……クリスマスだったのか。
どうりで何かキラキラしてて、人通りも多いのか。
「ねーちょっと、何あれ、キモッ」
正気を取り戻し、エントランスの端っこで風雨を凌いでいた俺の耳に、コートとマフラーを着込んだカップルの女の声が聞こえた。
「なにあの裸デブ、キモいんですけど~」
彼氏に教える女。
(バカ、声がでかい!)
ツリーを楽しんでいたカップル達が一斉にこちら振り向いた。端っこにいた俺をガン見してくる。俺も釣られるように後ろを見た。これで何とかやり過ごせないか。無理だった。注目の的だった。止めろ、見るな、俺を見るな、リア充光線止めろっ。
しかも時計台を見ればもう九時だった。しまった、既に性の六時間に突入している!
ここにいては溶ける。ツリーめ、爛れたそいつらを照らした光で俺を照らすなっ、穢れた光で溶けるじゃないか!
よし、こうなったら最終手段の『安価で罰ゲームを強制的にやらされている人』に偽装して、事なきを得よう。そう、クリスマスにはあのイベントがあるじゃないか!
正拳突きで『性の六時間』を『正の六時間』に正すのだっ!
今この時より、俺は正義の戦士と化す! 萌え豚ニートとは余を凌ぐ仮の姿だったと知るがいい!
「聖夜っ聖夜っ!」
……あれ、なんだか右手が重いな?
「うっわー、あのおっさんキモ過ぎっ。萌えイラスト抱き枕とか、マジ無いわ」
ふと右手を見れば『マドカル☆リリヤ』ちゃんの抱き枕をしっかりと握り締めていた。
クリスマスバージョンのサンタさんコスのリリヤちゃんが半裸で俺を誘っているイラストだ。俺も半裸で赤いジャージのズボンだった。なんかだか恰好がおそろいだね。
じゃなくて、……あれ、なんでこんなの持って来ちゃったの? 興奮でつい一緒に掴んできてしまったようだ。しかも寒かったから抱き締めて、摩擦熱で暖まろうと上下に揺らしていた。
端から見れば、『クリスマスに駅内で半裸デブヲタが、萌え枕とセクロスする図』だった。
しまった、事なきを得るどころか本当の姿がバレ続けていたとは!
これはヒドい。
良く見れば、スマホで取られていた。は、もしやこれが孔明の罠!
――パシャパシャ。
ちょっと止めて! 事務所の撮影許可書持ってるんですか! 今プライベートなんです! 貴方たち、それで明日の纏めブログの一面を飾るんですね胸熱羞恥プレイです!
社会的にオワタ俺は混乱していたのだろう、なんとか誤魔化そうと思い、リリヤちゃん抱き枕を左手でサンタ袋のように背中に背負い、満面の笑みでサムズアップしてサンタのように言ってみた。
「フォッフォッフォ、メリークリトリース!」
周りの人間が一斉にサッと目を逸らした。
どん引きだった。
一瞬で冷静になり、血の気がサッと引いた。
俺は、こんな所で一体何をやっているんだ。少しばかりはしゃぎ過ぎたようだ。
そろそろお暇しよう。
……これではただのキチ○イ萌え豚だ。
周囲の視線が痛いが気にしない。
いいさ、俺にはゲームがあるじゃないか。伝説の『見えちゃうメガネ』だって手に入れたし、これからは見え放題だ。それにマドカル☆リリヤちゃんのクリスマス限定ボックスだって明日には届く。俺、明日はケーキを買って『リリヤちゃん抱き枕』とフィギュアの写真を撮って2ちゃんにアップするんだ。ああ、何だかやる気が出て来たぞ。そう、俺の人生これからじゃないか!
さて、全くみぞれも止む気配がないのでもう恥を忍んで電車に乗って帰ろう。今日は厄日だ。
もうシコって寝よ。
そう踵を返した所で、ドン、と人にぶつかった。俺がデブだったせいか、相手は反動でボヨンと吹き飛ばされて尻餅を付いてしまった。
「あ、スイマセ…」
手を差し出して俺は固まった。そいつはモヒカンで革ジャンの世紀末的な人だった。
――俺、ここを上手く切り抜けられたら、四日後の冬コミで嫁買ってくるんだ。
「イテェなゴラこの豚ァア!」
「ぶ、ぶひぃいいい!!」
オワタ。
◇◆◇
俺は不良な世紀末野郎にトイレに連れ込まれ、全財産の一万円を取られた。今日貰ったばかりでポッケに突っ込んでおいた今月のお小遣いだった。
どうしよう、財布は持ってきてない。それに例え持って来てても財布の中には三十五円しか入ってない。これじゃあケーキが買えない、ゴメンよリリヤちゃん。どころかネトゲの料金が払えない。
ネットに逃げ込むことしか知らない俺にとって、それは死刑宣告に近かった。しかもさっきよりみぞれが強くなってね? お金がなきゃ電車にも乗れない。歩いたらさすがに凍死しちゃう。
ああ、どうしよう。誰か助けて。
何だか現実が遠くて、フラフラと構内を彷徨い、呆然と駅内を見回すが、ケーキの箱を持って足早に家に帰る社会人や、何処かに遊びに行く若者達、特にカップルが多いが、目が合った途端に逸らされた。
誰も金をくれそうにない。
どころか駅前はホールケーキがならびサンタコスのお姉さんが飾り付けられた看板を持って、必死にケーキを差し出して俺から金を毟ろうとしている。メリークリスマスと祝福された煽り文字が目に刺さる。
近くでクスクスと笑い声が聞こえてきた。俺が連れて行かれるのを笑いながら見ていたバカップルだ。俺をキモヲタ呼ばわりした失敬な女がこれ見よがしに言う。
「ねー、マコト~今日どこディナー行く~?」
「今日はね、プリンセスホテルのディナー予約取ってあるんだ」
「キャー、ウレシー! マコトマジ勝ち組、あたし嬉しい! ねーマコト~あのキモイ害虫さっきからウロチョロして景色のジャマ~。どっか捨ててきてよ~、せっかくのツリーが腐っちゃう」
となぜか俺に見せつけるように言ってきた。
……腹が立ってきた。
何が聖夜だ! イチャつきやがって! どうせこいつらは予約しておいたディナーを食って食欲を満たした所で「実はホテルも予約してあるんだ」とか言って性欲も満たすのだ。世間はそんなだというのに、俺は家にも帰れず、クソ寒いここで一人寂しく一夜を過ごさなければならないというのか? ふざけるな! 不公平じゃないか! そもそも仏教徒の分際でクリスマス祝ってんじゃねぇぞバヤカロウ!
嫉妬、羨望、憎しみ、そんな負の感情が腹の中を駆け巡り、俺は地団駄を踏んだ。フンッフンッ!
その時、ビュッと突風が吹いた。一万円を取られた時にはみ出したのか、ポケットからポロリと落ちた伝票がコロコロと転がってバカップルの前に止まった。
い、いかん! 慌てて駆け寄ろうとしたが、カップル達のラブ空間に入るのを俺のATフィールドが一瞬拒絶した。その隙に女が伝票を拾った。
「え? なにコレ? このキモヲタの? って、うそ、こいつ名前が王寺……ジークフリート!? キャハハ、王寺ジークフリートだってー! マジウケル~!」
「マジ! 超カッケーネームじゃん! 英雄のジークフリート王子! まじパネェ!」
「ちょっと待ってよ、あんな顔で枕持って『拙者ジークフリート王子でござる聖夜!』とか正拳で戦うの? それどこのキモヲタ界の英雄様なのよ!」
でかい声で周囲を巻き込んでゲラゲラと爆笑している。
頭に血が上っていく。ちくしょう。あいつ、あの女。あいつのせいだ! 掴まえて土下座させてやる! そう、やられたら、百倍返しだっ!
「う、うをーーーっ!!」
俺は、両手を挙げてバカ女に掴み掛かろうと走り寄った。だが、咄嗟に女を庇うように前に出たイケメン彼氏が強そうだったので、慌てて方向転換、迂回して二人を通りすぎるも、勢い余ってそのまま頭からツリーに突っ込んだ。
「うぼぁっ!」
頭をすっぽ抜くと、上から落ちてきた☆が、血の乾き始めた俺の頭頂部にピタッとくっついた。
「おい、キモヲタツリーだぞ! 王子ジークフリートツリーだ!」
周囲に爆笑された。
「こ、このっ!」
俺は振り上げた拳の下ろし場所を探し、何か憂さを晴らせ無いかと周囲に目をやる。
暴力はダメだ。
力に屈したわけではないぞ。俺が本気を出したらみんな冥界に送られてしまうからな。
くそ、何か無いか。
邪魔なツリーが目に入る。
これだ!
あるじゃないか、目の前に!
俺は天啓を得た。我見出したり(エウーレカ)!
カップルどもがうっとりと眺めるキラキラと輝くツリー。
そう、お前だ!
お前を、仏教徒代表としてこの俺が清めてやる!
俺はおもむろにチャックを開け、その場で一物をとりだしクリスマスツリーにお水をあげた。
ほら、聖水だぞ☆
「キャー、何やってんのアイツ!」
周りのカップルが騒ぎ出す。
俺は勝ち誇ったように笑い、シャンパンのようにツリーに御神酒をかけまくる。ハハッ、汚物はアンモニアでお清めだ~!
「うわ、信じられない!」
「なにあれ! 死ねばいいのに!」
「デブヲタ爆発しろ!」
方々からカップルらしき男女の悲鳴が聞こえてくる。ふふふ、見たか! 貴様らの大切な聖夜を清めてやったぞ! お前達は今後クリスマスツリーを見る度に、俺のお清めの一物を思い出してハレルヤな気分になるが良いさ! ホテルで思い出して萎えるがいいさ! 南無阿弥陀仏万歳!
「きゃ、ちょっと何やってんだよデブヲタ! もうマジ信じらんない!」
俺の聖なる儀式に、さっき俺を笑い者にした心の爛れた女が騒ぐ。しかも何かを投げようとしてきた。俺は女の方に向け小便を振り回す。
「悪霊退散! 破ッ!」
尿がナイアガラの滝のように迸り、ビューッと女の足下を濡らす。滴が女のブーツにかかる。ほら、聖水だぞ☆
「ギャーーッ! 汚っ! 変態! もぅっ、最悪っ!」
女は逃げて行った。ハハッ、ざまぁ。心の穢れた女には、聖水が身に染みたのだろう。南無三。
聖水を限界まで溜め込んでおく聖者スキルがこんな所で役立つとは、芸は身を助けるとは良く言ったモノだ。ちょっと気が晴れた。
「おまわりさんこっちです!」
バカ女が警察を呼びやがった。
ちょ、待って、おまわりさんは勘弁です。
「ふん、仕方ない! 今日はこの程度で勘弁してやるか、サラバだ!」
とちょっと慌てて小便を切ろうと縦に振った瞬間、
――バチッ、とツリーの電源部がスパークした。
マズい!
俺は慌てて逸物をしまおうとしたが、白い放電がみるみる小便を駆け上がってくる。
ダイナマイトの導線のように俺の一物に死の接吻を迫ってくる。
俺は止まらない小便を強制終了させようと、疾風迅雷でチャックを引き上げるも、
「ぎゃっ!」
か、皮を挟んだ! 痛い痛い! く、これだから包茎は!
俺は痛みに耐えながら慌てて小便を止めようと両手で押さえ込むが、時既に遅く、濡れた両手を伝い全身に激しい電流が迸る。
「う゛わあ゛あ゛あああああ!!!」
十二月の聖夜。
駅前のクリスマスツリーを楽しむ恋人達の前で、俺はどの電飾より激しく輝きながら、
――クリスマスツリー死した。