6章 忘れられるわけない?
良平が瞼を開けた時、目の前には綺麗な夕焼けの空が広がっていた。
「痛ってぇ……」
自分が気絶していた理由を思い出して、勢いよく上体を起こそうとするとしたが、身体が鉛のように重い。額に触れようと手を伸ばすとメガネのフレームに当たってメガネを掛けていることに気が付く。触ってみると割れたブリッジ部分が何かで補強されていた。
――そりゃそうだよな。僕が表に出てるんだし……。でも一体誰が?
「あ、目が覚めましたか!」
突然声をかけられて声の方を見ると、ライダースーツで身を包んだ正宗が立っていて、良平にニコッと笑いかける。正宗が襲ってきたときのことを思い出して、一瞬身体が強張ったが、彼からは再度襲ってくるような感じは伝わってこなかった。
――まさか正宗君が僕のメガネを? でも正宗君はメイを連れ去ろうと最初に襲い掛かってきたんだ。敵なんじゃないのか。
良平は怪訝そうに正宗を睨みつける。しかし、正宗の方はそんな良平の表情に首を傾げたあとに、自分の姿を見てあ~と困ったように笑う。
「変ですよね、これ。僕も起きたら公園で寝てるし、変なスーツ着てるしで、いまいち意味がわからないんですよ」
――本気で言ってるのかな……。僕には良くわからないけど、ダークはどう思う?
元来人を疑うことが苦手な良平だったが、状況が状況だけにそんなことも言っていられなかった。しかし、やはり自分だけでは到底答えが出ないので、ダークを頼ろうとしたのだが、なぜかダークはそれに答えてはくれなかった。
「でもおかしいんですよね~。僕、学校を出たところで姉に偶然姉さんに会ったんですけど、そこからまったく記憶がないんですよ。気が付いたらさっき言ったようにこの場所で寝ているし、どうなってるんでしょうね? あ、もしかして僕また苛められていて櫻井さんに助けて貰ったんですか?」
――今、僕のことを櫻井さんって言った。確か、戦ってた時は櫻井君って言ってたような。あ~。もうよくわからないよ。だいたいなんでこんな時にダークは答えてくれないんだ!
良平は攫われたメイのことや、ダークが答えてくれないことなど頭の中がごちゃごちゃしてわけがわからず両手で頭を掻き毟る。
「な!? さ、櫻井さん大丈夫ですか?」
良平の行動に驚く正宗。そこで目の前に正宗がいることを思い出し、我に返った。
「え? あ、実はそうなんだよ。ごめんね、守りきれなくて。……そういえばこのメガネは正宗君が直してくれたの?」
良平は一人で考えても答えは出ない。嘘を吐くことには抵抗があったが、仕方がないのでひとまず会話を正宗に合わせることにした。
「やっぱり……すみませんお手数ばかりかけてしまって。メガネの方は余計なお世話かと思ったんですけど、メガネないと困ると思って勝手に直しちゃいました。あ、でも、かなり応急処置的な感じで修正しただけなので、あとできちんと修理に出した方が良いと思いますよ」
正宗は申し訳なさそうな表情で良平に謝ると頭を深々と下げる。そんな正宗を見ていたら良平は彼を疑うのが馬鹿らしくなってきた。
――こんな誠意を持った子が嘘を吐くわけないよな。うん。
「正宗君良かったら携帯の番号教えてくれないかな?」
メイのこともあるし、携番を知っているわけではなかったが、響子は自分とは会ってくれないような気がする。そこに最も近しい人。つまり弟の正宗との連絡手段を持っておけば、いざと言う時何とでもなるとそう考えたのだ。
「あ、良いですよ。僕もまたデヴィルブラックの話とかしたいので!」
良平は一言もデヴィルブラックに関しては言っていないのだが、一応正宗に作り笑いを返し、赤外線で携番を交換した。
「じゃあ、僕はもう家に帰るよ」
即座に立ち上がろうとしたが、身体からまだ麻酔が抜けきっていないのかすぐには立ち上がれず、立ち上がってからも足の震えが止まらなかった。
「だ、大丈夫ですか!? あれなら家までお送りしますよ」
「いや大丈夫だよ。ちょっと考えたいこともあるし、歩いて帰るから」
良平は正宗の申し出を断るとゆっくりと歩き出した。気を抜くとその場に倒れそうな気がしたので常に細心の注意を払って足を進めた。
▽
「ただいま……」
シーンとした玄関。良平の言葉だけが広がり、それに帰ってくる言葉はない。
「姉貴はまだ帰ってないのか……」
靴を脱いで玄関に上がると、廊下の奥にある居間へ向かう。
公園から家まで歩いて帰ってくるのにいつもなら五分足らずなのだが、今日は十五分も掛かってしまった。しかし、そのおかげか家に到着する頃には麻酔も解け始めたのか身体もある程度自由に動くようになっていた。
「はぁ~」
良平は、居間にある大きなソファーに腰を落とすと大きなため息を吐いた。
自分は、自分たちはメイを守ることが出来なかった。響子に連れ去られてしまったメイは一体どうなってしまうんだろう。メイは自分の助けを待っているんじゃないか。そうなるともう一度響子と戦わないといけないことは目に見えている。メイを助けたいが、響子とは戦いたくない……。
そんなことが延々、頭の中を駆け巡る。
しかし、考えているだけでは何も解決しない。苛立ちを抑えきれなくなった良平は、ソファーに置いてあったクッションを目の前のテーブルに投げつけた。すると、その衝撃でテレビのリモコンが床に落ち、勝手にスイッチが入ってしまう。
人の神経を逆撫でするようなCMに苛立ち、良平は発狂しそうになった。
『……ここはどこだ』
そんな時、突然ダークの声が戻ってきて思い留まる。一日前まではダークの存在なんて疎ましいだけの厄介者だと思っていた良平だったが、なぜか今はダークの存在があるだけで安心している自分に気が付く。
「ダークか!? お前今までどうしたんだよ!」
『うるせぇ。少し落ち着けよ。ここは……うちの居間か』
ダークは寝起きのような低いテンションで、良平の視線を介して場所を判別した。
「あ、あぁ。さっき帰ってきたんだ。それよりダークは何やってたんだよ。僕が起きてるのに君が気絶したままっておかしいだろ。同じ人物なのに」
『そんなの俺が知るかよ。ってかあの麻酔バリのせいなんじゃねぇのか。身体に入ってないときの人格は精神だけだし、麻酔で神経奪われるとそっちまでやられるみたいなよ。実際はよくわかんねぇけど』
ダークもやっと調子が戻ってきたのかいつも同じような感じになってきた。次の瞬間、テレビから流れる音が変わり、良平とダークはそちらに気を取られる。
どこかで見たことあるような傷だらけの男が、強大な敵の前に跪かされるほど不利な状況に置かれていた。それなのに男の眼光だけは鋭く相手を睨んでいる。
『……デヴィルブラックか』
ダークに言われて良平も正宗の家で見た特撮の主人公だと気が付く。
巨大な三対の純白な翼を持つ男が地上を見下ろす。
「デヴィルブラック。悪魔の貴様が地上を守ろうなどと戯言を言った結果がこれだ」
荒廃した町中で跪くデヴィルブラック。身体中傷だらけな上に骨まで折れているのか、呼吸をする度に激痛が走るようでその都度、表情が強張る。だが、その痛みに耐えゆっくりと立ち上がった。
「黙れ。だいたいこの町を破壊したのはお前ら神族だろうが。俺は俺の守れるものをだけを守れればそれで良いんだ」
「ふん。そんな身体で一体何を守れるというのかね?」
翼の男は不適に鼻で笑うと片手をデヴィルブラックに向ける。すると、彼のいる場所の重力だけが極端に変わったような錯覚を覚え、デヴィルブラックの身体は背後にあった瓦礫に叩きつけられた。
「これに懲りたら、神に逆らうような真似はもうしないことだな。……この人間の娘は神々への生贄として連れて行く。自分の守れるものも守れなかったことを悔やみ生きて朽ちるがいい」
気絶したヒロインらしき女性を連れ、高らかに笑いながら姿を消す翼の男。デヴィルブラックは力の入らない手で精一杯拳を作り、それを見ていることしか出来なかった。
「…………」
良平はただ呆然とそれを見入ってしまった。まさにデヴィルブラックの置かれている状況が良平たちに似ている。自分たちの力が足らないばかりに守るべき人を守れなかった。テレビの中の主人公の心情が痛いほどわかってしまう。
ダークも何も言わない。良平の視界を介してテレビを見ていることは明確なのに何も口にしないのだ。ダークも良平と同じことを思っているのだろう、と良平はそう思った。
しかし、テレビの中の主人公は良平たちとは違った。
デヴィルブラックは翼を持った男に敗北を喫した。それにも関わらず、落ち込むこともしなければ何かに八つ当たりするようなこともない。ただ、真剣にヒロインの女性の――翼を持った男の居所を探し出すために歩き回っていた。
そんな中、主人公の仲間らしき男が主人公に詰め寄る場面が出てきた。
襟首を掴んでヒロインが連れ去られたのは主人公のせいだと怒鳴りつけられる。そして「お前のような奴が助けに向かったところで勝てるわけがない。彼女はもう死んだんだ」と涙した。
それを聞いた瞬間、良平の胸もズキンと痛んだ。
――メイも僕のせいで連れ去られたんだ。そしてメイもこのヒロインと一緒でもう死んだも同然……。
自分が言われたような気がして悔しかった。しかし、デヴィルブラックはそんなことをいう男の手を振り払い、きつく睨み付けた。
「あいつは生きている。なんの確証もないが俺はそう信じる。だから俺はあいつを助けに行くんだよ。今度こそ……今度こそは俺の命に代えてあいつを守るためにな!」
そうはっきりと仲間の男に告げるデヴィルブラックは男の前から姿を消した。
「……なんで。なんで彼はこんなことが言えるんだ」
デヴィルブラックはヒロインが死んでいるかもしれないことをまったく考えていない。むしろ生きているからそれを救おうとしている。良平にはそんなこと考えることもしなかった。
「メイはまだ生きている……。それを救えるのは僕しかいないんじゃないのか……」
特撮の主人公に感化され、そんなことを考える良平。しかし、ダークはそうではなかった。
『馬鹿かお前は。フィクションと現実を一緒にすんじゃねぇよ。そう最初に言ったのはお前だぞ? 自分の言ったことを素で考えてるってことは相当頭に血が上ってる証拠だな』
ダークは情けなそうに吐息をもらすと、良平を諭すように言う。だが、彼の言葉はそこで終わらなかった。
『……とはいえ、あの女が生きている可能性はかなり高いとは思うけどな』
良平はダークの言葉を聞き逃さなかった。
「な、それどういうこと!?」
『普通に考えればわかるだろ……。なんつったか……カンパニーだったかな? やつらはメイに興味があるんじゃなくて、メイの作る薬に興味があるんだ。つまりはキールなんちゃらにな。その新しいキールを作れるのはこの世にただ一人。それがメイだ。だったら攫ってすぐに殺すなんてまずありえないだろ?』
ここまで言ってまだわからないのかとため息を吐きながら、ダークは良平に説明をする。
「そ、そうか……。ってことは今から探せばまだ間に合うんじゃ!」
良平は勢い良くソファーから立ち上がる。麻酔の効果も完全に切れ、身体も自由に動いた。
『だから落ち着けって、お前だけじゃどうにもなんないだろ!』
「じゃあどうするんだよ! このことを知ってるのは僕しかしないんだ。僕だけで行くしかないだろ!」
『お前だけじゃない。人を殴ることも出来ないお前が頑張ったところでメイを助けることなんて出来ないだろ』
「だったら……」
『そのための俺だろ。お前一人じゃ無理だが、俺がいればなんとかなる。あの正宗の姉貴が相手でもな』
それを聞いて良平は、響子のことを思い出す。
「鷹峰先輩……。そうだよね。メイを助けに行くってことはもう一度先輩と戦うかもしれないってことだもんね」
良平としてはもう響子と戦いたくはなかった。本当なら公園でだって憧れの先輩である響子と争うこともしたくなったのだ。それをもう一度となると気が引ける。それにあれだけ強い響子に勝てる自身は良平にはなかった。
ダークはそんな良平の心情を声から察したのか即座に舌を打った。
『当たり前だろうが! メイを助けに行くんだぞ。もう一回どころか、もっと厄介な奴だっているかもしれない。あの女と戦うことに躊躇しててメイを救出なんか出来るかよ』
「それはそうかもしれなけど……僕らは一回負けてるんだよ。次やっても勝てるかなんて……」
『いや。一つだけ勝てるかもしれない方法がある。確かに人と戦えないお前と、全力で戦ったら身体がついてこない俺じゃ、あいつと戦っても勝てないかもしれない。でも第三の方法がある。お前覚えてるか? あの女と戦った時、身体中がイカレて立つことすら出来なくなった俺が一瞬とはいえ、あいつと対等に戦えるようになったの』
「あ、そういえば……」
良平はダークに言われて自分の両腕を見る。ダークが全力を出した瞬間に、身体中の皮膚が裂け血が噴出したのに、今は動かしたくらいじゃなんともない。いつもどおりの自分の腕だ。
『あれがもう一回出来れば……』
「勝てる……かもしれない」
良平はその言葉を口にした瞬間、身体中に鳥肌が立つ。ダークもまさか良平がそんなことを言うとは思っていなかっただけについ笑ってしまった。
『そう。そういうことだ。俺たち二人なら勝てるんだよ。だがその可能性を探るためにやることがある』
ダークはそう言うと、良平に人格を代わるように言った。
▽
気が付くと見たこともない部屋にいた。豪華な造りの洋室。置いてあるものまでかなりの値段がすることはメイにもわかった。
動こうと身体を動かすと頬の辺りに痛みが走る。そこで響子という子に殴られたことを思い出す。しかし、そこから先の記憶がない。
「お目覚めかな? 裏切り者の逃亡者」
頬を押さえながらメイが上体を起こした瞬間、人を威圧することに長けたような低い声がしてメイは驚いた。
「……あなたは」
すぐに声の方を向くと、そこには白髪の髪を背後に撫で付け、堀の深い顔をした男が椅子に腰掛けメイを見ていた。
「失礼。まだ名乗っていなかったね。私の名前は鷹峰源十郎。鷹峰製薬の代表だ。……いや、カンパニーと言った方が君にはわかりやすいかな」
メイは耳を疑った。目の前にいる男が自分を利用してキールを悪用しようとしていたカンパニーの代表。それがわかった途端、メイの心を怒りが支配する。この男だけは許せない。
「何が裏切り者よ。あたしの実験を利用しようとしてたのはあなたの方じゃない!」
メイは源十郎に詰め寄ろうと足を前に出す。その刹那、見覚えのある女性がメイの前に現れた。
「お父様には近づかないでください」
響子は感情の篭っていない目でメイを見下ろす。公園で打たれたメイの頬が疼く。キールAを使用している目の前の女性に自分は勝つことは不可能だ。それはキールを作った自分が一番良くわかっている。良く見れば、響子の髪は公園であった時よりも更に色素がなくなり銀髪と見られてもおかしくない状態だった。
「あなた、もうこれ以上キールAは使用しない方がいいよ。本当に取り返しが付かなくなるからね」
「…………」
メイの警告に響子は何も答えない。眉一つ動かさず瞬きすらせずにメイを見下ろすだけ。まるで本物の人形に見え、メイは息を呑んだ。
「大丈夫だよ、響子。彼女は客人なんだ。そこをどきなさい」
「はい。お父様」
メイのことを鼻で笑う源十郎は面白そうに響子に命令をする。響子はメイの時とは違い、忠実に源十郎の言葉に従い、メイの前からどいた。
「見てのとおり、娘は私に忠実でね。私さえ命令すれば弟を操って相手に嗾けることすら厭わない。我が娘ながら末恐ろしいよ」
源十郎は不気味に微笑む。そこでメイは闇夜の追跡者が、目の前にいる女性の弟だと良平が言っていたことを思い出す。
メイは響子を睨み付ける。
「じゃあ、一昨日の夜にあたしを追ってきたのもあなたが操った弟さんってことね」
「いや、それは違うよ。あの夜は私が響子に行くように命じた。どうしても君を捕まえたかったからね。まぁ、結果的に失敗してしまったのだが……」
メイの言葉に何も答えない響子。その代わりに源十郎が答えた。最後の「失敗」という言葉を聞き、響子の表情が僅かに歪む。それは、普通の娘が自分の父親にする表情ではないようにメイには見え、メイは響子が源十郎のことを恐怖しているのではないかと思えた。
しかし、そんなこと今はどうでもよかった。自分を攫った親子のことを心配している余裕などない。自分がこの人たちの前にいるということは良平が響子に負けたということは間違いないのだ。自分が気絶してしまったあと、良平がどうなったのか、彼の安否の方が気になった。
「しかし、驚いたよ。キールAを飲んだあとにキールBを使用するといつも以上に効力が上がるとはな。見ていて非常に興味深かった」
源十郎は椅子から立ち上がるとメイの前に立つ。その身長は、隣に立つ響子よりも頭二つ分くらい高く。メイは更に見下されているような錯覚を受けた。
「何を馬鹿なことを! キールを重複させて使用させるなんて、それも実の娘に……。あなたは一体何を考えるのよ!」
キールAはそれだけでもかなり毒性の高い薬だ。それに他のKBシリーズを重ねて使用するなんて自殺行為も良いところだった。それを躊躇なくしようする響子もどうかと思ったが、それ以上に娘に使用させてなんとも思わない源十郎の人格を疑った。
「しかし、そうは言うが、その薬を作ったのは他ならぬ君だよ、戸鳴メイ君。君がこんな薬を作らなければ娘はこんなことにはならなかった。これは私以上に君に問題があるんじゃないのかな?」
一切悪びれる様子もなく不気味に微笑みながら源十郎はメイに語りかける。だが、真実だけにメイは何も言い返すことが出来ない。
「くっ……。あなたはあたしに何をさせたいのよ」
「話が早くて助かる。私が君にお願いしたいことは一つ。KBシリーズの完成品を作ってほしい。娘が使っても身体に害のない完璧な薬品をだ。そうすれば娘も安心して使用できる。――そうだろう?」
「はい。お父様」
源十郎はその言葉を待っていたと言わんばかりに、メイに要求をし、響子に視線だけを向け確認した。響子はもう源十郎の言葉には肯定しかしないことはメイにもわかっていた。源十郎がキールの完成品を手に入れたからといって大人しくメイを開放するとも思えない。しかし、だからと言ってこの要求を拒否することは出来なかった。源十郎の言ったとおりキールの試作品を作ったのはメイなのだ。例え彼女が自らの意思で薬を服用しているとはいえ、そのことに背徳感がないかと言えば嘘になる。
「君ならそう言ってくれると思っていたよ。では実験室に案内しよう」
源十郎は厭らしく笑うとメイに背を向け部屋を出て行く。響子の冷たい視線を受けながらメイもそのあとに続いた。
――りょ~ちゃんが無事でいてくれた良いんだけど。
背後から付いてくる響子の気配を感じながら、逃げることが出来ないこの状況で、メイはそれだけを強く祈った。
▽
「確かこの辺だったな……」
ダークはメイがしていたのを思い出し、試しに壁に手を当ててみた。すると、ダークの脳裏にある見た現象と同じ現象が起こる。
壁のセンサーがダークの手を感知し、スキャンするとメイの時と同じように壁が開き、小さな個室が現れた。
「やっぱり俺のでもいけたな。あいつの言っていた理由がこの下にあるはず」
きっと良平にもこの地下施設を自由に利用できるようにしていたのだろう。ダークは自分でも使えることにニヤリと笑うとエレベーターに乗り込む。個室の扉は閉まり、ほどなく降下を始めた。
最初に闇夜の追跡者に出会った時、メイは良平に逃げて自分の家で待っていろと言っていた。あれだけの頭脳を持っている女が、なんの理由もなく「家で待っていろ」などと言う訳がないのだ。実際、渡したい物があるとも言っていたのだから間違いないと断言してもいいだろう。
そのことを思い出したダークは、良平に人格を代わるように言い、すぐにメイの家に向かった。親同士も仲の良いこともあって、何かあったと時の為にお互いの家の合鍵もあるので、ダークでも簡単にメイの家に入ることが出来た。
エレベーターが止まると、目の前に広大な広さ施設が姿を現す。主がいないのに全てのコンピューターが自動で動き、無駄のない動きで自分の仕事をこなしている。
ダークはそんな物に目もくれず、一番奥にある巨大なモニター付きコンピューターのところまで歩いた。
そのコンピューターもメイから仕事を任されているのかモニターにはなにか人の形をした物の断面図のような物が映し出され、中央にあるゲージがジワジワと進んでいた。
『これってメイが言ってたロボットの設計図かなんかかな?』
「かもな……」
ダークは良平に相槌を打ちながらコンピューターの周りを捜索する。しかし、コンピューターの説明書のような物以外は何も出てこなかった。
「なんにもねぇな。……それにしてもあの女、なんでこんなもんまで作ったんだよ。自分の作った機械だろうが、説明書なんて必要ないだろ」
ダークはペラペラと説明書を捲ってみる。しかし書いてある内容があまりに高度過ぎて、ダークには意味がわからなかった。しかし、
『……ダークちょっと僕に代わって』
「あ? 遊んでる暇はねぇんだぞ。今、お前に代わってどうすんだよ」
『いや、このコンピューター、僕なら操れるような気がするんだよ。もしかしたらダークの探している物がこのコンピューターに入ってるかもしれないんだろ?』
良平とダークは二日前までは一人の人格だった。故にそれ以前の記憶は同じ物を持っている。それ故に、良平が機械の扱いを得意としていないことはダークにも良くわかっていた。しかし、善意の塊で嘘を吐くことを良いことだとは思っていない良平が、こんなことで嘘を言うとは思えなかった。
ダークは少し考え、小さく嘆息すると胸ポケットに入れていたメガネを掛ける。瞬間的に良平の人格が表に出た。
良平はメガネのブリッジを片手で上げると、ダークが探し出した説明書をペラペラと捲って行く。
『そんなの見たってわかんねぇだろ。お前だって機械オンチなんだからよ』
良平の視覚をとおして伝わる情報を見ても、やはりダークにはまったく意味がわからない。自分にわからないのだから、良平にもわかるわけがない。同じ人間なのだから当たり前のことなのだ。
しかし、良平はその説明書を全部見終えたあと、自信満々でコンピューターの前に立った。そして即座に目の前のキーボードを叩いていく。最初のうちはキーボードを直視して打っていたが、すぐにモニターを見ながらのブラインドタッチに変わる。
『……お前、もしかして理解して打ってるのか? 適当じゃなくて』
「どうだろう。まぁ、一応説明書に書いてあるとおりには打ってるつもりだけどね」
ダークの質問に答えながらも良平の手は止まらない。しかも打てば打つほどに打鍵スピードが上がっていく。
「あの説明書のとおりだとこれで……」
良平が最後にエンターキーを打つと、次の瞬間、コンピューターの至るところが開き、しまってあった中身が全て見えるようになった。それはメイの残した説明書が間違っていなかったことを示し、更に良平がそれを理解していることの証明だった。
『お前、いつのまに……』
「僕にもわかんないよ。なんかダークの視線越しに説明書見てたら理解出来そうな気がしたんだ」
ダークは驚きを隠せなかった。二日前までDVDの配線も出来なかった男が、急に高度なコンピューターを操れるようになるなんて、普通はありえない。
「あ、でもそういえば……」
良平はメイの言葉を思い出した。
「キールXは最高峰! 考える薬剤なんだから!」
メイの言っていたことが良平の考えていることと同じであれば、全て合点がいく。
「キールXは考える薬剤。持ち主の能力に応じて成長していく薬剤ってことなのかも」
『はぁ!?』
ダークは良平の言ってる意味がわからなかった。
「ダークの力だと少しわかり辛いのかも。でも僕の力だとめちゃくちゃわかりやすいんだよ。例えば、最初の頃、手をハサミに変えるのにだって五秒は掛かった。でも今は……」
良平が意識すると、瞬く間に右手がハサミに変わる。
「見てのとおり。ほぼ一瞬だよ。僕の力は形状変化。自分の思考で身体を変化させるわけだから色々な情報を取り入れた方がより多くの物に変化出来るってことなんじゃないかな。だから脳が勝手に情報を蓄積してくれる。そのおかげで説明書の内容も勝手に蓄えてくれたから思いどおりに使用出来たんじゃないかと思うんだ。まぁ、メイに訊かないとこれが事実かどうかはわかんないけどね」
良平は苦笑すると瞬時に右手を戻した。
ダークは良平の言っていることが信じられなかった。しかし、良平が目の前で見せてくれていることは現実のこと。疑いようのない事実である。ただ、そうすると良平の能力には一つの欠点が浮かび上がる。
「でも、そうするとさ。構造がわからない物にはなれないってことだよね」
良平もダークが思っていたことには気が付いているようで、右手を再び変化させる。右手は良平の思考を読み取って即座に形を変えていく。完成した姿は長めの日本刀だった。明らかに大きさが先程までの右手とだと質量が違いすぎる。
「姿形、構造さえ理解出来れば、自分の手よりも大きな物にも姿を変えられるけど……」
右手が更に姿を変える。今度は黒塗りの拳銃だ。良平は変化した右手を構え、拳銃を発砲するように意識する。ところが、銃口から弾丸は飛び出してこなかった。
「拳銃みたいに見た目はわかるけど、中身の構造をしらないような物だと実用化するには不十分ってことになる」
そのあともどれだけ強く念じたところで、一切弾が出ることはなかった。良平は諦めて右手を元に戻す。
『…………』
正直な話。ダークにもそれが本当のことなのわかるわけがなかった。良平が拳銃の構造を理解したからと言って本当に銃口から弾丸が飛び出すとは限らない。
しかし、今良平が言ったことを調べることは出来ないし、そんなことをしている余裕もない。自分たちにはメイを救出するという優先すべき目的があるのだ。
『リアルな話はあの女に聞くしかねぇ……だが、使える物は遠慮なく使うしかねぇよな』
ダークはフッと笑うと、良平もそれに同意した。そうと決まれば話は早い。開いたコンピューターを虱潰しに探していく。わからないところがあれば、良平の能力で即座に解決。あっという間に目的の物らしいのにぶち当たった。
「メイが言ってた渡したいものってこれかな?」
良平はエンターを叩いた時に出てきた抽斗の中にあった一つの錠剤の入ったケースを取り出す。するとそのケースの下に一枚のディスクに目が行った。
『わかんねぇけど、ひとまずそのディスクの中身を見てみようぜ』
良平はダークに言われるままにディスクをケースから出してコンピューターに入れる。中で回転している音が聞こえ、しばらくするとモニターに映像が勝手に再生された。
▽
「りょ~ちゃんへ」
メイは少し頬を朱に染めながら気恥ずかしそうに一点を見つめて話を始めた。
「月並みな台詞だけど、この映像を見ているってことは、きっとそこにあたしはいないんだよね。それがどんな理由なのかはわからないけどさ……」
自分で言っておきながらそのことに寂しさを覚え、メイは目を伏せる。しかし、すぐにまた笑みを浮かべて視線を戻した。自分でもそれが作り笑いだと気付くほど酷い笑顔だった。
「あんまり長く話してもいられないから簡潔に説明するね」
メイはそう言って、小さな錠剤ケースを取り出す。
「これはキールの効果を打ち消す薬。簡単に言えば解毒薬みたいなところね。りょ~ちゃんはキールXの力なんていらないって思ってるみたいだし……。あたしも……りょ~ちゃんを巻き込むつもりもなかったんだ」
メイは自分の声が震えていることに気付く。その瞬間、感極まって彼女の大きな瞳から小さな雫が零れ、頬を流れた。
「ごめん。本当のこと言うと、りょ~ちゃんがキールXを飲んで力を手に入れたのを知った時、少し嬉しかったんだ。もしかしたらりょ~ちゃんならあたしの力になってくれるんじゃないかって……でもそれはあたしの身勝手ただよね。りょ~ちゃんをこんな危険なことに巻き込んで良いはずがなかったんだよ。だから……本当にごめんね」
メイは深々と頭を下げた。そして笑顔で頭を上げる。
「話を戻すけど、この薬を飲めばキールの力は消えるわ。りょ~ちゃんは晴れて普通の高校生に戻れるってわけ。ダークの存在も消えると思う。だからこの映像を見たらすぐにこの薬を飲んで、そして……あたしのことも忘れて! 隣の家には娘なんていなかった。そう思って平和に生きてください。お願いします」
堪え切れず、決壊したダムのように再びメイの頬を大粒の涙が止め処なく流れる。
「ごめん。最後に一言だけ。あたしは物心付いた頃から、ず~~~~~っとりょ~ちゃんのことが大好きでした!」
言いたかったこと言葉に出来、満足したからか涙を流しながらだったが、メイはニコッと満面の笑みを浮かべることが出来た。
▽
メイを映し出していた映像はすぐに消えた。
『……あいつ、本当はバカなんじゃねぇのか。そんなこと言われて忘れられるわけがないだろ』
ダークは恥ずかしそうにそう吐き捨てる。しかし、良平は何も言うことが出来なかった。泣くのを堪えるので必死だったのだ。ダークもそれを察しからか何も言わない良平を攻めようとはしない。
『お前、この薬飲むのか?』
「…………飲むわけがないだろ。これ飲んだらどうやってメイを助けに行くんだよ」
自分で声が震えるのがわかる。しかし拳を力強く握り、堪える。
そんな時、良平のズボンのポケットに入れた携帯が激しく震えた。
「誰だよ、こんな時に……」
携帯を取り出してみると、液晶には鷹峰正宗と大きく表示されていた。他の相手からの電話なら見なかったことにしていたが、相手が正宗であれば、もしかしたらメイに関連することの可能性もある。良平は気持ちを切り替えるために大きく息を吐くと、携帯の通話ボタンを押した。
『あ! 良かった。繋がらなかったらどうしようかと思いましたよ。助けてください!』
慌てた声で支離滅裂なことを言う正宗。それだけでかなり焦っているのが良平にもわかった。
「どうしたの、正宗君。少し落ち着いて」
『姉さんが……姉さんが……壊れちゃいました』
「え? どういうこと。言ってる意味が……」
『姉さんが僕の言葉に反応してくれないんですよ! 人形みたいに表情も変えないし、僕のことすら見てくれないんです。こんな姉さん見たことないですよ!』
――先輩が壊れただって?
『メイの奴が言ってたキールAの副作用のせいじゃねぇか?』
ダークの言葉で良平もキールAには精神を崩壊させる副作用があることを思い出す。しかし、自分が響子に会いに行ったからといってどうにかなる問題でもない。
『お願いします! きっと姉さんは櫻井さんには答えてくれると思うんです。お願いですから助けてください』
電話の向こうで正宗が必死になっている姿が想像出来た。
「わかった。すぐに行くよ。正宗君は今、どこにいるの?」
『あ、ありがとうございます! た、たぶん自宅だと思います』
たぶん自宅とはどういうことなのか良平には良くわからなかったが、気が動転している正宗の言い間違いと判断して、正宗にわかったと返事をして携帯を切った。
『正宗の姉貴がいる場所にメイがいる可能性が高いってことか』
「うん。それもそうだし……出来るかわからないけど僕は鷹峰先輩も助けたいんだ」
『……これだから偽善者は。まぁお前らしいっちゃ、お前らしいけどな』
ダークは良平の言葉を聞いて、一瞬だけ驚いたように黙ったが、おかしそうに笑った。良平もそれに釣られて笑う。
刹那、ビーッという大きな警告音が施設中に響く。良平は音と同期するように点滅するモニターの方を見ると、さっきまで動いていたロボットの設計図の前に表示されていたゲージが消え、新たな文字が映し出されていた。
「……これは」