3章 正義の力?
「これが僕の家です」
正宗が窓の外を見て指を差す。
良平は言われるがままに窓の外を見ると目を見開き言葉を失った。
学校から車で約二十分。正宗の家はイコール響子の家なので、方向的に街の外れにある丘の方角に向かっていたのはなんとなくわかっていた良平だったが、今現在、良平の視界に映っているのは一面の壁だ。
それから一分ほど経過したが、見えるのはやはり壁だった。
更に二分後も壁。
延々続く壁、壁、壁である。
「どこが……家だって?」
良平は自分でも引きつっているとわかる笑顔で正宗に訊いてみた。
「え? 今見えている塀の向こうは全部家の敷地ですけど?」
正宗は良平の質問に首を傾げながら平然と良平に答える。
鷹峰家は金持ちだと認識していた良平だったが、実態は想像を絶するほどの大金持ちだった。
「そ、そうだよね……」
良平は乾いた笑いを上げながら、そう答えるしかなかった。
▽
しばらく走るとようやく壁以外の物が良平の目に入った。
今度は巨大な門である。
その門の大きさにも良平は唖然とするしかなかった。そんな良平たちを乗せた高級車は門の前に一時停車すると、その巨大な門が自動で開き始め、車は更に奥へと進み始めた。
門を潜ると、そこには広大な庭園が広がっていて、車の進む先にはヨーロッパかと見紛うほどの絢爛豪華な建造物が建っていた。
「あれが本邸です」
「ホンテイ?」
「はい。お手伝いさんたちが住んでいる別邸が三つほどあるんですよ」
「三つも!? どれだけお手伝いさんいるんだよ」
良平は正宗の家に向かってから驚いてしかいない。本邸、別邸とかお手伝いさんとか、テレビの中でしか見たことも聞いたこともない言葉が、次々耳に入ってきて、本当に全て現実の話なのかを良平はわからなくなっていた。
そんな良平の思考など気に留めるはずもなく、高級車は建物の前で停車する。すると即座に、建物の入口で待機していたお手伝いさんだと思われる人が車の扉を開けてくれた。
「お待たせしました」
正宗は良平にニコッと笑いかけると先に車を降りた。良平も正宗のあとを追うようにして下車。
目の前に立ち並ぶ、執事やメイドのような衣装を着た沢山の人。
そればかりではなく建物を前にしてみると、正宗の家の大きさを思い知って更に驚く。普通の学校と同じくらいの大きさがあるんじゃないかと良平には思えた。
「櫻井さん、こっちです!」
良平が建物を見上げている間に、正宗は少し先に行ってしまっていたらしく、前方で片手を振っていた。良平は気後れしながら正宗を追って彼の家に入る。
凄く高い玄関の天井には豪勢なシャンデリア。床には確実に高価だと思われる絨毯が敷かれていて、正宗は土足で歩いていたのだけど、良平は靴を脱ごうかと本気で考えた。しかし、それも正宗に止められたので、躊躇しながらその上を歩く。階段や絨毯の敷かれていない床は綺麗なマーブル模様をしていて、ピカピカ磨かれているからか、鏡のようで良平の姿を下から映していた。
――こ、こなければ良かったかな。これじゃ逆に疲れちゃうよ。
内心でそう呟き、響子に惹かれて安易に行くことを決めてしまったことを反省したが、正宗の好意を今から断ることも出来ず、仕方なく付いていくことしか良平には出来なかった。
「こちらです」
良平が案内されたのは、病院の診察室をそのまま持ってきたかのような設備が整った部屋だった。
「……ここ正宗くんの家なんだよね?」
「そうですよ。ここは医務室になります。曲がりなりにも鷹峰製薬ですからね。病院と同じ物が用意してありますし、優秀なドクターも駐在している……はずなんですけど」
そう言って正宗は、部屋の中を見渡したが、肝心のドクターの姿がなかった。
「正宗様。本日、佐伯は私用によりお休みを取っております」
「え!?」
驚きと焦りが混同したような様子の正宗。どうやら佐伯というのはドクターの名前で今日はいないのだということが、今の会話から良平にもわかった。しかし、ドクターがいないとなると良平がここまで来た意味がまったくないことになる。
「他のドクターにすぐこれる人はいないの?」
今にも泣き出しそうな顔で正宗はお手伝いさんに訊く。
「そうですね……。急な話ですので、すぐにというわけにはいかないかもしれませんが、確認を取ってみます」
訊かれたお手伝いさんも困ったような表情で対応している。そんな時だった。
「どうしたの?」
部屋の外から女性の声が聞こえた。部屋の中に居る良平にはその人物の姿は見えなかったが、良平の感性がその声に反応を示した。
「あ、姉さん。良い所に!」
正宗の姉。他に姉が存在ないのであれば、相手は響子しかいない。そして良平の感覚も響子だと告げている。実際、姿を現したのは本当に響子だった。
良平の視界に響子は入ると同時に、響子の視界にも良平が入る。
「……櫻井くん。どうしたの?」
「え、あ、ちょっと……」
少し驚いた様子の響子に声を掛けられて、良平はあたふたして正確に答えられなかった。その代わりに正宗が事情を説明してくれた。
「櫻井さんは、カツアゲされそうだった僕を助けてくれたんだけど、その代わりに櫻井さんが怪我しちゃって、ドクターに見てもらおうと思って家まで来てもらったんだ。だけど、今日ドクターが休みらしいんだよ……。姉さんなんとか出来ない?」
最後の希望とでも言わんばかりに響子相手に目を輝かせる正宗。男のはずなのに、服装さえ変えれば、少女同然に良平には見えた。
正宗から事情を聴いた響子は、良平に近寄ると一点を見つめた。しかし、近づかれた良平は怪我どころの話ではない。憧れの女性がすぐ目の前にいるのだ。背が高いといっても良平の身長よりは低い響子の背丈。綺麗な濃褐色の双眸が良平を見上げてくる。
――すげぇ~。先輩の目が俺を見てるよ~。それに凄く良い匂いもする。やっぱり来て良かった。
「この顎ね」
患部をすぐに見つけた響子はそう言って、良平の顎に触れた。その触られた痛みで良平の表情が苦痛に歪む。
「痛っ!」
「あ、ごめんなさい。不用意に触れてしまって」
失敗を恥ずかしがるように頬を朱に染める響子。良平からしてみたら、そんな響子を見られただけで、さっきまで辛かった痛みもすぐに受け入れられた。
「ぜ、全然大丈夫ですよ。触らないとよく見れないと思いますし、どうぞご自由に触ってください」
「フフッ。櫻井くんって面白いこと言うんですね。――じゃあ遠慮なく」
良平にはかなり年上の女性に見えていた響子が、微笑を浮かべるとその可愛さに急に年相応に見えて、良平の心臓の鼓動が急激に上がった。
さきほどとは違って、良平の顎に優しく触れる響子。触れる瞬間、また少し痛みが走ったが、それよりもひんやりとした響子の体温で、良平には逆に気持ちよく思えた。
「打撲……みたいですね。たぶん骨に異常はないと思いますよ」
良平の顎と触った時の痛み具合で、そう判断する響子だった。良平は響子のことを信用していないわけではなかったし、響子に触ってもらえるのは凄くうれしいことではあったのだが、高校生にきちんとした怪我の診断が出来るのか若干の不安はあった。
「良かった~。櫻井さん、姉さんがそういうなら間違いないですよ! なんて言っても姉さんの診断は一度だって外れたことないんですから!」
響子の診断結果を聞いた正宗は、ホッとしたように息を吐くと、嬉しそうにニコリと笑った。しかし、響子はそんな正宗を困ったように怒る。
「正宗、そんなこと言わなくて良いの。――櫻井くん。正宗はあんな風に言っていますけど、レントゲンを撮ったわけでもないですし、もし二日くらい経っても痛みがまったく引かないようだったらきちんとした病院に行ってくださいね。たぶんその方が確実ですから」
響子は良平に向き直るとそう告げる。良平は怒っても綺麗な響子に見惚れてしまって「はい。わかりました」としか返答出来なかった。
その後、響子は机の上にあった薬を手に取る。
「これうちの会社で作っている軟膏なんですけど、良かったら持って帰って使ってください」
そう言って響子は、薬の蓋を開けるとそれを良平の顎に薬を塗ってくれた。良平は響子の顔が近くにあって、顔が真っ赤になっているのが自分でもわかった。
「あ、ありがとうございます!」
「いいんですよ。絆創膏のお礼です」
響子はニコッと笑った。良平は響子から薬を受け取り、ふと足を見ると怪我をしていた膝には彼が渡した絆創膏がきちんと張られていた。良平は響子が自分の渡した物をきちんと使ってくれていたことが、とてつもなく嬉しく思えた。
ところが、そんな良平にとって幸せだった時間はそう長くは続かない。
「響子。何をしている」
腹の奥にズシンと来る威圧するような声が良平たちの耳に聞こえた。その瞬間、さっきまで笑っていた響子の表情から感情が消える。良平は正宗の方を見ると、わざとなのか入口の方を見ないようにと視線を反対の壁に向け、なぜか下唇を噛んでいた。
良平はなぜか不思議に思って、部屋の入口を見ると、中肉中背な身体を高そうなダブルのスーツで身を包んだ男性が立っていた。髪は全て後ろに撫で付けたようなオールバックで、皺が多めに見えるその表情からは、不の感情しか感じ取れないように思えた。
「荷物を置いたらすぐに出発すると言っておいただろ」
男性は響子を更に威圧するように声を掛ける。それを聞いた響子は、即座に踵を返すと男性に深々と頭を下げた。
「申し訳ありませんでした。お父様」
響子の言葉を聞いて良平は耳を疑った。響子と正宗は見れば見るほどに似ていて、姉弟と言われれば、すぐに納得出来るが、そのお父様と言われる男性とは似ても似つかなかったのだ。
響子が頭を下げたことによって、その奥にいた良平と二人の父親との視線がぶつかる。一瞬、怪訝そうに眉を顰めたように見えた父親だったが、良平の持っている薬を見て何かを察したのか、何も言わずフンッと鼻を鳴らして部屋をあとにした。響子も先程とは別人のようになり何も言わずに父親のあとを追って部屋を出ていった。
「すみません。父は他人に興味が無いので……」
正宗はなぜか悔しそうに良平に謝った。確かに良平にとって正宗たちの父親の印象は決して良いものではなかった。だが、それを息子である正宗が謝る必要はないと思った。
「いや、家に知らない人が居たら誰だって不審に思うと思うよ。それよりお姉さんどうしたの? 急に雰囲気が変わったように見えたけど」
「そう言って貰えるとありがたいです。姉さんのことは、気にしないでください。姉さんは父の……鷹峰源十郎の操り人形なので」
正宗は良平の言葉の意味をきちんと感じ取ってくれたのか、困ったように笑ったあと目を伏せた。逆に良平は正宗の言葉に耳を疑った。明らかに娘に使う言葉ではない。
「操り人形?」
「あんまり人に話すことでも無いんですけどね。
……さっきあんなに楽しそうだった姉を久々に見たので、櫻井さんになら話しても良いかと思ったんですけど、良かったら聞いてもらえますか?」
人の家の事情に首を突っ込んで良いものか良平は少し迷ったが、自分を頼ってくれている正宗を放ってはおけず、良平は首を縦に振った。
「良かった。では立ち話もなんなので、僕の部屋に行きましょう」
正宗はニコッと笑うと良平を自分の部屋に案内した。
▽
正宗の部屋は廊下や医務室と遜色ない雰囲気で、一部屋だけで畳何畳分あるのか検討も付かないくらい広かった。大きな薄型テレビにオーディオ機器。高そうなソファー、テーブルも廊下同様にマーブル柄の石で出来ている物だ。
ただ、正宗の部屋には色々な特撮ヒーローだと思われる物の人形やらDVDなどがたくさん置かれていて、それだけが良平にはなんともミスマッチに見えた。
「昔は父もあんなに高圧的な態度を取る人じゃなかったんです。家族のことを最優先に考えてくれて、会社でどんなに大変なことがあっても、家に居る間は笑顔を絶やしたところを僕らに見せたことありませんでした」
お手伝いさんが紅茶とケーキをテーブルに置き、部屋を出たのを確認すると、正宗は目を伏せながら父親の話を始めた。懐から生徒手帳を取り出すと、表紙を開いて良平に差し出す。良平はそれを受け取ると、手帳には鷹峰一家の家族写真が挟まっていた。
確かに正宗の言うとおり、そこには優しい笑顔を浮かべる男性も写っていて、良く見るとそれが先程の父親なのだとわかったが、一見したら別人だと思えるほど違う。そして良平の視線は、自然と男性の隣に立つ今の響子に瓜二つの女性に向けられた。
「この鷹峰先輩に似ている女性は、君たちのお母さん?」
「はい。生前の母です」
「あ……ごめん」
触れてはいけないところに触れてしまったと思った良平は、素直に謝った。しかし、正宗は大丈夫ですと言って、首を横に振った。
「姉さんが今みたいになったのは母が亡くなってからなんですから」
「どういうこと?」
「母が亡くなったのは今から六年前なんですけど、亡くなった当時、母という存在がいなくなった父は酷く落ち込みまして、仕事も手につかない状況にまでなったんです。
今でこそ、鷹峰製薬は大きな会社として有名ですが、六年前は倒産寸前まで追い込まれていました。それを見かねた姉さんが自分の容姿が母にそっくりな事を利用して、母の代わりをしようとしているんです。何から何まで完璧だった母を目標にしていましたので、姉さんも相当苦労したみたいですが、そのおかげもあって父もやる気を取り戻し……いえ、今まで以上に仕事に取り組むようになりました」
良平は正宗の話を聴いて、響子がなぜ歳不相応なほどに完璧な女性なのかを理解した。しかし、良平には一つ不に落ちない点があった。
「鷹峰先輩が自分のお母さんになりきろうとした経緯はわかったけど、でもそれがなんで父親の操り人形なの?」
「それは……」
正宗は言葉にしようとしたが、苦々しそうな表情をして一度、言葉に詰まった。
「それは父のせいです。父は変わりました。それはもう別人なんじゃないかと思えるくらいに変わってしまいました。母の生前の頃は、厳しい状況ではありましたが、それでも持ち前の交友関係の広さで誠心誠意を持って会社を経営していました。でも、母が亡くなってからは、そういった親しくしてもらっていた会社を全て買収して、今の鷹峰製薬を完成させ、何かの研究を始めたんです。
実際、今もその研究は続いているみたいなんですけど、それがなんなのかは僕にもわかりません。ただ、その研究が始まった頃から姉さんの様子も変わり始めたんです。父がいなくて僕やお手伝いさんといる時はいつもの姉さんなのですが、父がいる時だけは感情のない人形のような姉さんになるんです。
僕はどんな答えが返ってくるのか怖くて訊いたことをないんですけど、きっと姉さんは昔の無気力な父に戻って欲しくないんだと思うんです。だから精一杯、父をサポートするのに感情を殺しているんじゃないかと……」
――それで操り人形か。
良平は人の家のことなので、なんとも言えない心境であったが、さっきの響子の態度がおかしかった理由はわかることが出来た。
部屋の中になんともいえない嫌な空気が広がり、二人とも少しの間無言だった。
「……すみません。なんか変な話をしてしまって。あ、良かったら来る時に話してたデヴィルブラックのブルーレイ見ませんか!」
正宗はそう言って無理やり作ったような笑顔を良平に見せると、良平の返答も待たずに再生準備を始めた。きっと場の雰囲気をどうにかしようと思った正宗なりの気遣いなのだろうと良平には思えた。
再生されたデヴィルブラックという特撮ヒーローは、確かに正宗のいうとおり映像の出来が良かった。主人公の変身シーンや必殺技のエフェクトなどCGを多様している割に、実写部分との違和感もなく、特撮ヒーロー物をほとんど見たことのない良平にも非常に見やすい物だった。
変身した時のデザインも、デヴィルというだけあって全身悪魔のように真っ黒で、色々な所の先端が尖っている禍々しいものではあったが、それでもかっこよく見えた。
『すげーな。確かに面白いかもしれねぇ』
そんな時、急にダークが話し始めて一瞬驚いた。どうやら良平が中にいる時同様に、ダークも中から外の様子を見ることが出来るようだ。
劇中では主人公のデヴィルブラックが両手になにやら闘気のような物を溜め「魔王烈神殺!」と叫びながら敵の怪人と殴り倒していた。
『くぅ~。良いねぇ。やっぱり男は拳だよな! 武器に頼るような軟弱じゃいけねぇよ!』
――はぁ~。なんだ、まだいたんだ。
良平としては一瞬、無視しようかとも考えたが、デヴィルブラックを見てテンションの上がっているダークに、内心で深くため息を吐いき答えることにした。さっきは急に何も言わなくなったので、いっそこのままいなくなってくれたらと思っていたのだが、そんなに都合よくいくわけはなく、良平の思いどおりにはならなかった。
『アホか。俺とお前は一心同体。消えられるわけがねぇだろ』
ダークはそんな良平の思考を鼻で笑った。
――勘弁してよ。僕は君みたいな野蛮人と一心同体になんかなりたくないよ。
『おう。俺もお前に同意見だ。俺だってお前みたいな正義感だけで拳の一つも振るえない奴と一緒になんかして欲しくない。だが、残念ながら俺の裏返しがお前で、お前の裏返しが俺。これだけはどう足掻いても覆ることのない事実だ』
――拳を振るうことの何が正義なんだよ。結局は暴力だろ。
『じゃあこの特撮ヒーローはなんなんだよ。世界の平和を守るために敵と戦ってんのに正義じゃないって言うのか?』
良平はダークの物言いに少しイラッとした。
――屁理屈言うなよ。それに特撮と現実を一緒にするな! 世の中にはこんな怪人みたいな奴存在しないし、変な能力持った奴だって存在しないんだ。正義のために拳を振るう必要なんてない。だいたい僕は自分を正義の味方だなんて思ってない!
ダークはそれを聴いて大きくため息を吐いた。
『へっ。これだから偽善者は。やっぱり俺とてめぇは表と裏だな。考え方の根本が正反対だ。議論を交わしたところでいつまでも平行線のまま……。まぁそれに関しちゃ元から納得出来てることだからどうでもいいが、俺が解せないのは、てめぇがまだ自分の力に気付いていなかったことだ。てっきりわかってるもんだと思ってたから心底がっかりだぜ』
「だからなんなんだよ僕の力って! 知ってるなら教えてくれよ!」
感極まった良平は、思わずその場で怒鳴ってしまった。ハッと我に返ると、キョトンとした顔で正宗が見ていた。
「ど、どうかしたんですか?」
「あ、いや……ごめん。ちょっと疲れてるみたいだ。今日はもう帰るよ」
良平は自分の失態に気がつき、片手で頭を掻いた。
「はぁ……。あ、それならご自宅までお送りしますよ」
正宗は突然怒鳴った良平に嫌な顔せずに微笑むと送るために車を出してくれた。
▽
「送ってくれてありがとね正宗くん」
自宅の前で車を降りた良平は、車に乗っている正宗に向き直るとお礼を言った。
「いえ、こちらこそ助けてくれてありがとうございました。それではまた学校で」
正宗の合図で車が走り出す。特にそうする必要はなかったが、良平は車が見えなくなるまで見送った。
「すっかり遅くなっちゃったな……」
車が路地の角を曲がって見えなくなると、良平は誰にでもなくそう呟いた。
辺りはすっかり暗くなっている。時刻は夜の七時を回っているのだから当然といえば当然のことだった。
当初、良平は今朝なぜ姉が怒っていたのかを確認しようと思ってはいたが、学校での一軒でダークが姉によからぬことをしたのは明確になった。それを確認しようにも姉の機嫌が直っている可能性も薄く、少し家に入るのが億劫だった。
「あれ? りょ~ちゃん?」
突然声を掛けられて良平は少し驚いたが、その呼び名を使うのは一人しかいない。振り返ってみると案の定メイだった。メイは今日も厚手の長袖を着ていた。下は夏らしい膝丈のスカートなので、ファッションには疎い良平でも少し違和感を覚える。
「おう。メイも今帰り?」
しかし、先日もそれをメイに言ったら機嫌を損ねられたので、特に言葉にはしない良平だった。
「うん。そだよ~。本当は少し前に着いたんだけど、家の前にでっかい高級車が止まってて驚いちゃってさ~。でもまさかりょ~ちゃんが降りてくるとは思わなかったよ!」
メガネのブリッジを片手で持ち上げると、急にテンションがアップするメイ。でも言われてみるとお隣さんが見知らぬ高級車から降りてきたら良平でも驚くだろうなと思った。
「まぁ、色々あってね。それよりメイの家からうちに上げてもらっても良いかな?」
一昨日の夜にメイが去ったあと、窓の鍵を閉めた記憶が良平にはなかったので、利用させてもらおうと思ったのだ。
「うちから? 別にあたしは良いけど、どしたの?」
「あ~。ちょっと姉貴と喧嘩してて、正面からだと入り辛いっつーか……」
良平は、嘘は言ってはいないのだが、自分が詳しい事情を知らないだけになんとも説明し辛い状況だった
「ふ~ん。珍しいね。りょ~ちゃんがお姉さんと喧嘩するなんて。ま、良いや。さあさあ、上がってくれたまえよ!」
メイは少し驚いたような表情を良平に見せたが、すぐにニカッと笑うと自分の家に招き入れてくれた。
メイの家に入るのは、小学校の高学年の時以来なので、かなり久々なのだが特に自分の記憶と変わっているところもなく、良平は懐かしい気分になった。
「そういえば、おじさんたちはまだアメリカなんだっけ?」
「そだよ。あたしは大学卒業したから先に帰ってきたの~」
メイの家族は、メイがIQの凄く高い天才だと知ると、飛び級のあるアメリカの方が教育には良いのではないかと、メイが小学校を卒業すると同時に一家揃ってアメリカに引っ越したのだ。
ただ、予想以上にメイの知能指数は優秀ですぐに大学まで卒業してしまった。その時になって、また一家揃って戻ってくるにはメイの父親の仕事が都合よくいかず、メイ一人で単身戻ってくることになったのだと、良平はメイがアメリカから戻ってきた時に聞いていた。
「あたしこれからご飯なんだけど、りょ~ちゃんはもう食べた?」
メイは駆け足で器用に靴を脱ぎ玄関を上がると、穿いているスカートを翻しながら、くるっと身体を回転させ良平に訊いて来た。
「いや、食べてないけど……」
「じゃあ食べてきなよ!」
良平の返答を聞くと、そう言ってニコッと笑うと踵を返して台所の方へ駆けていった。基本的に一度自分で決めてしまうと人の話を聞かないので、こういう時は従うしかないことを良平は知っているので質問された時点で諦めていた。それにメイの家でご飯を食べていたと言えば、メイのことを知っている姉なら納得してくれるような気がしたのも理由の一つである。
良平はメイを追って台所に向かう。
メイの家の台所は、玄関を上がって目の前の廊下をまっすぐ行くと突き当たりにある。
「今日の夕飯は何……!」
台所に入った瞬間、良平は顔の辺りに小さな風が横切るのを感じ、瞬間的に、急に意識が遠のていく。
そしてもう一つの人格が表に出る。
「てめぇ。何すんだよ」
ダークは、台所の入口で椅子の上に立ち良平のメガネを弄んでいるメイを睨んだ。
「ふ~ん。やっぱりこれがキーアイテムってことなのね。実に面白いわ。研究のしがいがありそう」
メイは今までに見たこともないような不敵な笑みで、メガネを弄りながらダークを見た。良平とダークは別人格とはいえ、元は同じ一人の人間なので、二つに別れた一昨日よりも前の記憶はダークも同じだ。それゆえに、彼も今のメイの微笑を見て驚きを隠せなかった。
メイの喋り方も発する言葉も今まではとはまったく違う。
さっき外で出会った時の幼い見た目に相応な表現や言葉使いではなく、全て理論に基づいて理解している知人のように変わっていた。
『何!? 何がどうなってんの!?』
「うるせぇ! 俺だってわかんねぇよ!」
ダークはメイが目の前にいるのにも関わらず、舌打ちして良平を怒鳴った。それに驚いた良平は大人しくなったが、メイの方は特に驚いた様子もなくフッと笑みを零した。
メイは何も言わずに急に椅子から飛び降りると、ダークの傍を横切ると台所を出て廊下の壁に手を触れた。
次の瞬間、メイが触れた壁の一部がまるでメイの手をスキャンしてるかのように上から下まで光のラインが通り過ぎ、それが終わると廊下の壁が自動ドアのように開いた。
「ついてきて」
メイはダークを一瞥するとそう言って、壁の向こうにあった部屋に入った。ダークは息を呑んで、一瞬どうしようか迷ったが警戒しながらメイのあとに続くことにする。
ダークが部屋に入ると、自動で扉が閉まりメイがボタンを押すとエレベーターのように部屋が降下し始めた。
「おい。こんな装置いつ作ったんだよ」
機械の動く音だけしか聞こえない室内で、それに耐え切れなくなったダークはメイに訊ねた。メイはダークの方を見ようともせずに答える。
「アメリカから帰ってきてからすぐよ」
「なんのために」
「……世界征服」
『はぁ!?』
メイの言葉を聞いた良平は驚愕した。もちろんダークも耳を疑った。
「なんてね。冗談だよ」
メイはダークの反応を見てクスッと笑うと、次の瞬間、部屋の降下が止まり、扉が開いた。
「あたしがやろうとしていることはその逆」
ダークを見てそれだけ言うとメイは部屋を出て行った。ダークもメイに続いて部屋を出る。すると目の前に広がる光景に驚いた。
今までいた普通の家の風景とはまったくの別物だった。
巨大な工場のような機械的な作りで、ダークたちが知らないような様々なコンピューターらしき物がたくさん稼動している。
「なんだよこれは……」
部屋の凄さにダークは驚きのあまり口から自然と言葉が零れた。
呆気に取られているダークを尻目にメイは当然のようにその動く機械の中を歩き、正面の奥にある巨大なモニターに向かっていたが、後ろで固まっているダークに気が付いたのか、踵を返すとダークに向けて叫んだ。
「あなたたちが知りたいこと全部教えてあげるから早く来なさい」
メイの言葉を聞いて我に返ったダークはメイのところまで少し早足で急いだ。メイはダークが自分のところまで来たのを確認するとまた正面を見て歩き始める。ダークもそれに続いた。
部屋の奥の方に来ると、五つの巨大な飛行機みたいな物が並んでいるのがわかった。みたいな物というのは、全部の機体が普通の飛行機とは違うような形状をしていたりするからだ。
「飛行機……いや違うか。なんだこれ?」
「黒くて薄いのがステルスジェット。その量端にある白いのがライトジェットとレフトジェット。先端にドリルが付いてる二体がドリルジェット1・2」
メイはそう言って指を差しながら機体の名前をダークに教えてくれた。しかし、ダークが訊いたのはそういうことではなかった。
「違ぇよ。そんなことじゃなくて、これはなんのために作ってんのかを訊いてんだよ!」
「なんだ、そんなこと? 簡単よ。これで合体ロボットを作るのよ」
『合体ロボット!?』
ダークはメイが話している言葉の意味がわからなかったし、良平もメイの頭がおかしくなったんじゃないかと思えた。
「ロボットってお前、自分で何言ってんのかわかってんのか?」
「わかってるわよ。そのために各機の自立機動型のAIも作って変形プログラムもそれぞれ組み込んであるし実験も終わってる。あとは核となるメインロボットさえ完成させれば実際に合体させられるわ」
平然とメイは言ってのける。冗談を言っているように見えないメイの態度に、ダークは夢でも見てるんじゃないかと自分の頬を抓ってみたがただ痛いだけだった。
これ以上メイに何を聞いていてもダークや良平には到底理解出来そうになかったので、何も訊かずにメイの後に続いた。
巨大モニターの前に到着すると、メイはすぐにキーボードのような機械を目にも止まらぬほどすばやく押していく。するとキーボードの上部辺りがスライドして中から小さな指輪が出てきた。
「これ付けてみて」
メイは指輪を機械から取り外すと、ダークに向かって放る。
「こんな得体の知れないもん付けられるかよ」
ダークはその指輪を受け取ったはいいものの、到底付ける気にはなれなかった。
「いいから付けなさいよ。それ付ければ中のりょ~ちゃんとも話出来るんだから」
ダークは怪訝に思いメイを見た。どうしてメイが良平にダークという別人格がいるのかを知っているのも不思議だが、更に指輪を付けるだけで中にいる良平と話が出来るなどと断言出来るのか奇妙でならなかった。
『相手はメイだし、僕らを酷いようにはしないと思う。それにメイの言うことがもし本当なら、三人で話が出来るわけだし、一度試してみようよ』
「わーったよ」
ダークは舌打ちして、指輪を右手の中指に嵌める。しかし、特に何か変化が起きるわけではなかった。ダークはメイを鋭く睨む。
「てめぇ、何も起きねぇじゃねぇか!」
しかし、メイはダークに怒鳴られたことなど気にも留めていないようすでフッと笑う。
「りょ~ちゃん聞こえてる? 聞こえてるなら返事してみて」
「そりゃ聞こえてるよ。ダークを通して僕にも伝わってるんだ。でも返事したってメイには聞こえないだろ」
「…………」
ダークは耳を疑った。いつもなら自分の頭の中だけに聞こえてくる良平の声が耳を通して外から聞こえてきたのだ。
「そっか、あなたダークっていうのね。宜しくねダーク。そしてりょ~ちゃん大丈夫よ。きちんと聞こえてるから」
メイはダークに挨拶すると共に、良平の声が聞こえているのがわかるように返事を返してきた。
「え? メイが僕に返事をしてくれているってことは……」
「そう。その指輪を通してりょ~ちゃんの意思は外に伝わってるってこと」
「マジで!?」
良平は歓喜した。それはダークになってしまうと自分の意思は外に出せないと思っていたからだった。しかし、ダークの方は不服でメイを睨み続けた。
「ちょっと待て、メイ。てめぇはなんでこんなことが出来る。俺が出来上がったのは一昨日だ。それなのにてめぇはこんな便利な物を持ってるなんて、最初から俺たちの人格が別れるってわかってたみたいじゃねぇか」
良平もダークに言われてそのとおりだと思った。予めわかっていなかったらこんな代物をメイが持っているわけがないのだから。
「えぇ、わかってたわよ。一昨日にね。でもその指輪の理屈を説明したところであなたたちには到底理解出来ないと思うから今回は割愛するわね」
「一昨日だと? なんだよ。夜に会った時にわかったとでも言うつもりかよ」
ダークはそう言って鼻で笑った。ところが驚くべきことにメイはそれを首肯した。
「そのとおり。あの夜、りょ~ちゃんの家に行った時にこうなるってわかったわ。だから昨日一日かけてその指輪を作ったのよ。これでも徹夜で作ったんだからね」
メイは小さく欠伸をしたあと、頬を吊り上げ笑う。ダークも良平もメイが何を言っているのか皆目見当も付かなかった。二人が何も言わないのを見て、メイはそれを察したのか言葉を続けた。
「最初から説明した方がいいみたいね。
まずりょ~ちゃんの人格が二つに別れてしまった原因は、りょ~ちゃんが一昨日の夜に拾った筒状のケースに入った薬のせい。
正式名称はキールバトロイアンX。KBシリーズの最新作で通称キールX。
KBシリーズは、史上最強の人間を作るために開発された強制的に人体に特殊な能力をつけることが出来る薬よ。身に付く能力は人の本能によるから個人差があるけど、どんな能力が付いたにせよ、普通の人類じゃ太刀打ち出来ない程の力が身に付くことは確か。
その最新作がキールX。今までのKBシリーズは能力を使うたびに薬を服用しないといけなかったんだけど、その手間を省き一粒で半永久的に能力を使えるように進化させた逸品なのよ。だけどその開発中に一つ問題が発生したわ。それはキールXに人格を別ける副作用があるってこと」
それを聴いた良平は、一つ合点がいった。
「つまりそのせいで僕の別人格であるダークが誕生したと……。ダークが言っていた僕の持っている力ってのもそれのことだったんだね……あれ? ちょっと待って。なんでメイはそんなこと知ってるの?」
「それは簡単なことよ。その薬を作ったのがあたしなんだから」
それは驚くべき事実だった。しかし言われてみれば、メイが開発者なのだから詳しく薬のことを知っていてもおかしくはないことだった。
「じゃあ良平に薬を飲ませて俺を生まれさせたのも、てめぇの差し金か」
本能的に力の存在には気付いていたダークも、詳しい経緯までは知らず舌を打った。
「それはちょっと違うわね。キールXをりょ~ちゃんが拾ったのはただの偶然。だから申し訳ないけどダークが生まれたのも偶然でしかないわ」
ダークはメイの言葉を聴いて苛立ちを抑えられなかった。自分の誕生した理由が偶然で片付けられたら誰でも怒るのは当然かもしれない。ダークはメイを睨んだまま近づくと、メイが手に持っていたメガネを奪い取り、それを掛ける。途端に人格が良平に入れ替わる。
良平は自分の身体を見渡して、自分の体が動くのを確認すると良平は安堵のため息を吐いた。
「びっくりした~。てっきりダークがメイを殴るかと思っちゃったよ」
「うるせぇ。俺は自分より弱い生物の女、子供を殴るのは好きじゃねぇんだよ! あとはイラつくからてめぇに任せる」
ダークはそう言って何も言わなくなった。
「ダークって意外と紳士なのね。まぁ良いわ。話を続けましょう」
メイはダークの言葉を聴いて可笑しそうに笑う。