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「お前のような女は不要だ」と婚約破棄されたので国外へ出たら、母国が滅びて元王子が難民になっていました。どうか今更縋らないで欲しい。

作者: 入多麗夜
掲載日:2026/05/27

  祖国が滅んだと聞かされた時、セシリアは王立中央図書館で資料整理をしていた。昼下がりの館内は静かで、紙をめくる音と羽ペンの擦れる音だけが響いている。高い窓から差し込む柔らかな陽光の中、返却された本を棚へ戻していたセシリアは、不意に入口の方から慌ただしい足音が近づいてくるのに気づいた。


「セシリアさん!」


 受付係の青年が血相を変えて駆け込んでくる。普段は穏やかな青年だったため、その慌てた様子に周囲の利用客も思わず顔を上げた。


「あなた、アストラ王国の出身でしたよね!?」


「ええ、そうですが……どうかしましたか?」


「今朝の号外で――」


 差し出された新聞を受け取り、セシリアは目を落とす。


 そこには、アストラ王国の王都陥落と王家失踪の記事が大きく載っていた。国内で続いていた暴動がついに内戦へ発展し、王城は制圧。王族は逃亡したまま行方不明――実質的な国家崩壊だと書かれている。


 アストラ王国。セシリアの生まれ故郷であり、五年前まで暮らしていた祖国。その国が、滅んだ。


「セシリアさん……?」

「あ……申し訳ありません。少し驚いてしまって」


 新聞を畳みながらそう返す。けれど頭の中は妙に冷えていた。悲しい、という感情がすぐには湧いてこない。現実感がないのだ。


 五年前、セシリアは祖国から半ば追い出されるような形で、このリュミエール王国へ渡った。その理由は、王太子からの婚約破棄だった。




 ◇




「セシリア・クラウディア。お前との婚約を破棄する」


 王城の大広間でそう告げられた瞬間、貴族たちの間にどよめきが広がった。


 豪奢なシャンデリアが夜会場を照らし、磨き抜かれた床には大勢の貴族たちの姿が映り込んでいる。その中央で、第一王子レオルドは満足げに顎を上げていた。


 一方、婚約破棄を言い渡されたセシリアは静かに瞬きをする。


「理由を伺っても?」

「理由だと?」


 レオルドは鼻で笑った。


「お前のような女が王太子妃になれると思うか?」


 その言葉に、周囲からクスクスと笑い声が漏れる。


「可愛げがないのよね」

「女のくせに学問ばかりですもの」

「王妃というより学者だろう」


 どれも聞き慣れた言葉だった。


 セシリアは幼い頃から勉学を好んでいた。


 政治、経済、外交、歴史。学べば学ぶほど世界は広がって見えたし、国を良くする方法も数多く見えてくる。だが、アストラ王国で女の知性は歓迎されない。


 女は愛想よく笑い、男を立て、黙って従えばいい。それがこの国の貴族社会だった。


「殿下」


 セシリアは努めて穏やかに口を開く。


「私に至らぬ点があったのであれば、改善を――」

「その理屈っぽいところだ!」


 レオルドは苛立ったように声を荒げた。


「お前と話していると息が詰まる!女ならもっと愛嬌を持て!」


 そしてレオルドは隣に立つ令嬢の肩を抱いた。栗色の巻き髪が印象的な、小柄で愛らしい少女だった。潤んだ瞳で王子を見上げ、その腕にそっと寄り添っている。


 口々に飛び交う称賛を聞きながら、セシリアは静かに会場を見回した。誰一人として、この場の異常さを疑問に思っていない。問題なのは婚約破棄そのものではない。王太子という立場にありながら、感情だけで婚約を破棄し、その場の思いつきで婚約者を国外へ追いやろうとしていることだ。それを止める者が、一人もいない。


 いや、止めないのではない。止められないのだ。


 この国では、レオルドの機嫌が何より優先される。幼い頃からずっとそうだった。レオルドが嫌だと言えば周囲が合わせる。レオルドが気に入れば、それが正しいことになる。どれだけ無茶な判断でも、誰も異を唱えない。王家に取り入ることしか考えていない貴族ばかりだからだ。


 この国の倫理観は、もう随分前から壊れていた。レオルドが絶対である限り、正しさなど意味を持たない。そのことを、セシリアは嫌というほど理解していた。


「では、話は終わりだ」


 レオルドは満足げに言い放つ。


「一週間以内に出国しろ。見送りくらいはしてやる」


 まるで恩情でも与えているかのような口ぶりだった。その隣で、栗色の髪の令嬢が遠慮がちに口を開く。


「殿下……そんな言い方、可哀想です……」

「ああ、すまない。君は優しいな、リリア」


 レオルドは甘やかな声音でそう言うと、令嬢の肩を抱き寄せた。再び会場に微笑ましげな空気が広がる。


 セシリアはその光景を見つめながら、ふと思う。


 もうこの国は長くない、と。


 こうして、セシリアは“留学”という名目で国外へ出ることになった。


 もっとも、実態は誰の目にも明らかだった。厄介払いである。王太子に楯突く気難しい婚約者を、国外へ追い出すというものだ。


 クラウディア家も逆らえなかった。すでに宮廷ではレオルド派が大半を占めており、ここで異を唱えれば、逆に自身が処刑されかねないのだ。




 ◇




 出国の日、空は薄曇りだった。


 王都の港には最低限の使用人だけが集まり、荷物を積み込む音が響く。潮風は冷たく、灰色の海はどこまでも重たく見えた。


  ――見送りくらいはしてやる。


 確かレオルドはそう言っていた。だが、結局最後まで姿を見せることはなかった。


 代わりに現れた騎士が、「殿下は公務でお忙しいため」と事務的に告げただけだった。その言葉を聞いた瞬間、セシリアは妙に納得してしまう。


 結局、その程度なのだ。


 幼い頃から婚約者として隣に立ち、王妃教育を受け、王家のために振る舞ってきた。それでもレオルドにとってセシリアは、“気に入らない女”以上の存在ではなかったのだろう。


 腹立たしさよりも、虚しさの方が大きかった。


 セシリアは静かに船へ乗り込む。甲板へ出ると、街並みが遠く見えた。石造りの建物が並び、白い城壁が海沿いに長く伸びている。幼い頃から見慣れてきた景色だった。


 それなのに、不思議と未練はなかった。むしろ胸の奥にあったのは、解放感に近いような感覚だった。


 やがて低い汽笛が鳴り響き、船がゆっくりと岸を離れていく。港が少しずつ遠ざかる中、セシリアはぼんやりと王都を見つめていた。


 リュミエール王国での生活は、決して楽なものではなかった。


 まず、金がない。


 アストラ王国から支給された留学費用は驚くほど少なく、まともな屋敷どころか高級宿に滞在することすら難しかった。王太子妃候補だった人間への扱いとは思えなかったが、今さら驚きはしない。むしろ、最後まで徹底しているなと感心したくらいだった。


 最初の頃は苦労の連続だった。


 物価も違えば文化も違う。アストラ王国では当たり前だった礼儀作法が、こちらでは堅苦しいと笑われることもあった。訛りを指摘されることもあったし、貴族だからといって周囲が特別扱いしてくれるわけでもない。


 だが、不思議と嫌ではなかった。


 誰もセシリアを“王太子妃候補”として扱わないからだ。


 レオルドの機嫌を窺う必要もない。陰で「生意気だ」と囁かれることもない。何を学ぶかも、どこへ行くかも、自分で決められる。


 それは、アストラ王国では一度も味わったことのない感覚だった。


 もちろん、不便なことは多かった。


 狭い下宿。最低限の家具。自分で予定を管理し、自分で生活費を計算しなければならない日々。王城にいた頃のように、何でも用意されるわけではない。


 それでも、息苦しさはなかった。


 こちらへ来て一年が経つ頃には、セシリアは図書館の資料整理を手伝うようになっていた。


 そして最近、セシリアがよく読んでいるのは、香水と花に関する本だった。


 リュミエール王国は香料貿易が盛んな国であり、街を歩けば至るところで花や香油の香りが漂っている。市場には見たこともない色の花が並び、香水店には数え切れないほどの小瓶が飾られていた。


 最初は単なる興味だった。だが、調べれば調べるほど奥が深いのである。


 花の種類による香りの違い。季節ごとの調合法。香料の配合比率。さらに香水は単なる嗜好品ではなく、外交や商談の場でも重要な役割を持つらしい。


 アストラ王国では考えられなかった文化だった。


 あの国では香水といえば、貴族女性が着飾るための贅沢品程度の扱いでしかない。だが、リュミエールでは香りそのものが一つの産業として成立している。


 セシリアは本を読みながら、小さく息を吐く。

 知らないことを知るのは楽しい。


 そんな当たり前の感覚を、ようやく素直に認められるようになっていた。




 ◇




 そんなある日だった。


 昼休憩の時間帯ということもあり、王立中央図書館の一階は普段より少し騒がしかった。利用客たちが新聞を片手に談笑し、受付近くでは商人風の男たちが地図を広げながら何やら深刻そうな顔で話し込んでいる。窓の外からは荷馬車の車輪が石畳を鳴らす音が聞こえ、どこか落ち着かない空気が漂っていた。


 セシリアは返却された本を棚へ戻しながら、ふと耳に入ってきた言葉に手を止める。


「最近増えてるらしいな」

「ああ、不法入国者だろ?」

「国境警備隊もかなり動いてるらしいぞ」


 不法入国。その単語に、セシリアはゆっくりと視線を伏せた。


 数年前までなら、きっと遠い世界の話として聞き流していただろう。だが今は違う。国を失い、行き場をなくした人間がどれほど脆い立場へ置かれるのか、少しだけ理解できるようになっていた。


「内戦で流れてきた連中も多いって話だ」

「特にアストラ方面が酷いらしい」


 アストラ王国。最近、その名前を聞く機会は急激に増えていた。


 何にせよ彼女の母国なのだから、どうしても気になっていた。


 セシリアは近くに置かれていた新聞へ視線を向ける。


 そこには、“アストラ王国出身と思われる不法滞在者を複数確認”という見出しが載っていた。記事によれば、国境付近では身分証を持たない亡命者が急増しており、中には偽名を使って潜伏している元貴族もいるらしい。すでに何人かは拘束され、現在も行方を追われているという。


 セシリア自身は、アストラ王国が崩壊する五年も前からリュミエール王国へ移っていたため、不法滞在者として扱われることはなかった。滞在記録も身分証も正式なものが残っているし、現在は雇用証明もある。少なくとも、この国で突然拘束されるような立場ではない。


 しかし、アストラ王国の人間だったという肩書きは消えない。


 そして最近では、彼女を知る者の間で、妙な呼ばれ方までされるようになっていた。


 『亡国の姫君』(ロスト・プリンセス)


 最初にそう呼ばれた時、セシリアは思わず顔をしかめた。


 別に姫ではない。


 ただの元婚約者でしかないし、王族ですらない。だが周囲から見れば、“崩壊した王国から追放同然で国外へ出され、そのまま生き残った元王太子妃候補”という立場は、それらしく映るのだろう。


 特に新聞記者や噂好きの貴族たちは、その手の話を好んだ。


「可哀想ですわよね」

「祖国を失ったのでしょう?」

「気丈なお方だわ」


 勝手な同情を向けられることも増えた。

 正直、居心地は悪かった。


 アストラ王国が滅んだからといって、セシリア自身が悲劇の主人公になったつもりはない。むしろ、あの国から離れていたからこそ、今こうして平穏に生活できているのだ。


 もしあのまま残っていたら。その先を考えた瞬間、背筋に冷たいものが走る。


 新聞によれば、アストラ王国第一王子レオルドの行方は現在も分かっていないらしかった。


 王都陥落の直前、側近数名を連れて城を脱出したという情報までは確認されている。だが、その後の足取りは完全に途絶えていた。


 死亡説、国外逃亡説、革命派による拘束説。


 記事には様々な憶測が並んでいたが、どれも決定打に欠けている。


 あれだけ好き勝手に振る舞い、数え切れないほどの人間を踏みにじってきたというのに、そういう所だけは妙な運がある男だった。


 昔から、レオルドは最後の最後で守られる。


 問題を起こしても周囲が庇い、失敗しても臣下が処理し、責任だけは誰かが肩代わりする。だから本人も、自分が破滅する未来など一度も想像したことがなかったのだろう。


 それでもなお生き延びているのだとしたら、ある意味では大したものなのかもしれなかった。


 もっとも、だからといって再会したいとは微塵も思わない。むしろこのまま、一生どこかで名前を変えて逃げ回っていればいいとすら思っていた。




 ◇




 しかし、運命というものは何が起こるのか分からないものだ。


 その日の仕事を終えたセシリアは、いつものように図書館を後にしていた。夕暮れのリュミエールは昼間よりも人通りが多い。街路には橙色の灯りが並び、飲食店からは香ばしい匂いと賑やかな笑い声が漏れてくる。


 セシリアは紙袋を抱えながら石畳の道を歩く。市場で買った花茶の茶葉と、小さな香油瓶。以前の自分なら絶対に買わなかったような物だ。


 そんな時だった。

 通りの端で、誰かが小さくよろめいた。


 視界の隅に映ったのは、ぼろ布のような外套を纏った男だった。顔色は悪く、痩せ細っている。周囲の人々は迷惑そうに視線を向けるだけで、誰も近づこうとはしない。


 難民だった。最近は珍しくなかった。


 アストラ王国崩壊以降、こうした流民はリュミエールでも増えている。


 セシリアも最初はそのまま通り過ぎるつもりだった。


 だが、その男がふらりと顔を上げた瞬間、足が止まった。


「…………え」


 酷くやつれている。髪は伸び放題で、服も汚れている。それでも、その顔を見間違えるはずがなかった。


 レオルドだった。


 目の前の男は、かつて王城で誰より傲慢に振る舞っていた第一王子とは別人のようだった。高価な装飾品に囲まれ、常に周囲へ命令を飛ばしていた面影はない。頬は痩け、外套の袖口は擦り切れ、靴も泥だらけだった。


 そしてレオルドは、口を開く。


「もしかして、セシリアか……?」

「……誰ですか、貴方は」


 その言葉に、レオルドの表情が固まった。


「は……?」

「申し訳ありません。存じ上げませんので」

「な、何を言ってる……? お、俺だぞ……!? レオルドだ……!」

「アストラ王国第一王子の?」

「あ、ああ!そうだ!」


 縋るように頷くレオルドを見ながら、セシリアは小さく首を傾げた。


「ですが、新聞では行方不明になっているはずでは?」

「っ……!」


 レオルド自身も理解しているのだろう。

 もう“第一王子”という肩書きに意味はない。


「セ、セシリア……頼む……」


 レオルドは周囲を気にするように声を潜めた。


「俺は今、追われてるんだ……!革命派の連中も、国境警備隊も……っ。このままじゃ本当に――」

「遠慮しておきます。だって、貴方を匿えば私が逮捕されますから」


 セシリアは続けて話す。


「それに、私達の縁は五年前に切れているはずです。違いましたか?国外へ出ろと命じたのは貴方ですし、“不要だ”と切り捨てたのも貴方でした。だから今の私達は、赤の他人ですよね?」

「ま、待て……セシリア、俺は……っ」

「それとも、自分が困った時だけ昔の関係を持ち出せば助けてもらえると?」


「セシリア、違う……!俺はただ――」


 そこまで言いかけた瞬間だった。


「――いたぞ!」


 鋭い声が通りへ響く。


 直後、複数の兵士たちが石畳を鳴らしながら駆け込んできた。周囲の通行人が慌てて道を空ける。


「動くな!」


 レオルドの顔から血の気が引いた。


「っ……!」

「アストラ王国の逃亡貴族だな。情報通りだ」


 兵士の一人が冷たく言い放つ。


 どうやら既に追跡されていたらしい。レオルドは反射的に逃げようとしたが、弱り切った身体ではまともに走ることもできなかった。


 あっという間に腕を掴まれ、石畳へ押さえ付けられる。


「離せ!!俺は王族だぞ!!」


 悲鳴のような怒鳴り声だった。


「もう王国は存在しない。大人しくしろ。我々はアストラの後継政府を国家として承認している。かねてより、アストラ共和国には逮捕するように言われているのだ」

「アストラ……共和国……?」


 レオルドの顔が引き攣る。その様子を見て、兵士の一人が呆れたように鼻を鳴らした。


「知らなかったのか? 旧王政は完全に解体された。現在は臨時政府が各国と交渉を進めている。お前達旧王族は指名手配中だ」


「う、嘘だ……!そんなもの認められるわけが――」

「現実を見ろ」


 かつて絶対だったその肩書きは、もう何の意味も持たない。いや、むしろ今となっては“罪人”の証明でしかなかった。


「嫌だ……っ、離せ……!俺は悪くない!全部あいつらが――!」


 レオルドは必死に抵抗しようとするが、兵士達は容赦なく腕を拘束していく。泥に塗れたその姿は、かつて王城で豪奢な衣装を纏っていた男と同一人物には見えなかった。


 周囲では、通行人達が遠巻きに様子を見ている。


「あれがアストラの王族?」

「随分落ちぶれたな……」

「聞いたことあるぞ。民衆を弾圧してた連中だろ」


 レオルドが最後の希望に縋るように顔を上げる。


「頼む……!何とか言ってくれ……!お前なら――」


 だが、セシリアは静かに首を横へ振った。


「残念ですが、私はただの一般市民ですので」


 こうしてレオルドは、アストラ共和国の要請により身柄を拘束された。


 その後、旧王政関係者として本国へ移送されたという話を、セシリアが新聞で知るのは数日後のことだった。

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面白かったです。 〉そしてセシリアは、口を開く。「……誰ですか、貴方は」 なぜここで声をかけたのか、声をかけられたわけでもないのに⋯ 唐突な感じがしました。
王太子が独裁出来たり亡命先に当てがなかったあたり、割と鎖国国家だったのかな。 浮気相手の男爵令嬢やセシリアの実家はどうなったのやら。
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