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「臆病者の小言」と支援職を笑ってパーティを抜けた元仲間が、七日後の昇級試験で「管理不能な変動要素」と評された話

作者: 灯野ましろ
掲載日:2026/05/10

「ガイウス様。今回の第十九階層での問題点を述べてください」


迷宮帰りの酒場《鉄杯亭》。


酒と汗と焼けた肉の匂いが混じる店内で、黒髪を一つにまとめた、やけに姿勢のいい女が、帳簿を片手にこちらを睨んでいた。


灰色のローブ。飾り気のない銀縁眼鏡。

冒険者というより、書庫にこもる学者に見える。


エレナ・リグフォード。


支援魔導士にして、軍師。

俺の所属するパーティ《銀獅子の槍》の、実質的な頭脳である。


《銀獅子の槍》には他にも盾役や射手がいる。

だが反省会で最初に名を呼ばれるのは、たいてい俺だった。


俺は胸を張って答えた。


「俺が強かった!」


「違います」


即答だった。

エレナは帳簿の端で、俺の額を軽く叩いた。


痛くはない。

だが精神的には、巨大竜の尾で殴られるより効く。


迷宮都市グランヴェイルには、一つの鉄則がある。


強い奴が生き残る、とは限らない。


自分の限界を読み違えた奴。

仲間の声を聞かなかった奴。

「まだ行ける」と勝手に踏み込んだ奴。


そういう奴から、だいたい帰ってこなくなる。


俺は、その手の奴を何人も見てきた。

そして、放っておけば俺もそっち側だ。


迷宮とは、単に魔物を斬り伏せる場所ではない。


通路の幅。魔素の濃度。罠の配置。魔物の再出現周期。疲労と魔力の残量。

そういう面倒なものを全部見なければならない。


できなければ、どれほど腕の立つ冒険者でも、ある日あっさり肉塊になる。


俺ことガイウス・ヴァルドレッドは、その肉塊候補筆頭だった。


職業は聖騎士。


ただし、普通の聖騎士ではない。

神殿の連中が眉をひそめ、冒険者ギルドが専用の管理規約を作る羽目になった、迷宮都市唯一の異端職。


狂戦聖騎士。


神の加護で肉体を強化し、敵陣へ突っ込み、神聖術で自傷を塞ぎながら暴れ回る。

魔物の群れを正面から粉砕できる代わりに、魔力配分を間違えれば、俺自身が内側から焼き切れる。


簡単に言えば、俺は強い。


そして、放っておくと死ぬ。


「あなたは第十九階層の第三広間にて、予定より27秒早く《神威解放》を使用しました。その結果、魔力消費が基準値を大きく超過。さらに左腕の筋繊維断裂を自己治癒するため、予備魔力まで削りました」


「だが勝った!」


「勝ったから問題ない、という発想が一番問題です」


「むう!」


俺は唸った。

正論だった。


俺は正論に弱い。

特にエレナの正論には弱い。


実際、他の冒険者どもは陰で彼女をこう呼んでいる。


「鉄面皮の支援女」

「迷宮のお局様」

「規律の亡者」

「小言の魔女」


だが、俺はその全てを聞くたびに腹を抱えて笑っている。

なぜなら、それは全て褒め言葉だからだ。


「次回からは、私の合図より前に《神威解放》を使わないこと。よろしいですね?」


「わかった!」


「声が大きいです。声量を落としてください」


「わかった」


「まだ大きいです」


「……わかった」


エレナはようやく小さく息を吐き、帳簿に何かを書き込んだ。


その横顔を見て、俺はしみじみ思う。

この女がいなければ、俺はとっくに死んでいる。


そんな時だった。


甘ったるい香水の匂いが、酒と汗の臭いに混じって近づいてきた。


「ねえ、ガイウス」


聞き覚えのある声。


俺が振り向くと、金髪の女が腰に手を当てて立っていた。


リシア・ベルモンド。


元《銀獅子の槍》の軽戦士。

整った顔立ちに、露出の多い革鎧。身のこなしは軽く、見栄えのする剣技を得意としていた。


ただし、迷宮深層で必要なものは、見栄えだけでは足りなかった。


彼女はかつて、エレナの指示を「臆病者の小言」と笑ってパーティを抜けた女だった。


リシアは、たぶん本気でそう思っていた。


前に出る奴が偉い。

敵を斬る奴が強い。

後ろで帳簿をつける奴は、ただ口を出しているだけ。


昔から、そういう考え方をする女だった。


「久しぶりだな、リシア」


俺が声をかけると、リシアは勝ち誇ったように微笑んだ。


「ええ、久しぶり。あなた、まだその口うるさい支援職と組んでいるの?」


酒場の空気が、少しだけ止まった。


エレナは帳簿から目を上げない。

慣れているのだ。陰口も、嫌味も、軽視も。


けれど、慣れていることと、傷つかないことは違う。


彼女はそういうものに反応しない。

ただ、帳簿を押さえる指に、ほんの少しだけ力が入った。


だが俺は違う。

思ったことはすぐ口に出る。


「口うるさい? ああ、エレナのことか! そうだな、よく叱られる!」


「でしょう?」


リシアは俺の隣に腰を寄せ、甘えるように腕を絡めようとした。


エレナの眉が、ほんの一ミリ動いた。


俺はそれに気づいた。


だが、何も言わなかった。

こういう時、俺の言葉はだいたい余計な方向に転がる。


「ねえ、ガイウス。あんな地味で堅物な支援職なんて捨てて、また私と組みましょうよ。私ならあなたの戦いについていけるわ」


その瞬間、俺はこらえきれずに笑った。


「はっはっはっはっは!」


酒場中に響くほど笑った。

リシアが目を瞬かせる。


「な、何がおかしいのよ」


「お前、正気か?」


俺は腹を押さえながら言った。


「エレナが俺の全魔力を管理して、俺の暴走を叱ってくれるから、俺は死なずに済んでいるんだ!」


リシアの笑顔が固まる。


俺は続けた。


「お前みたいに、合図も隊列も見ずに動く奴が隣にいたら、俺は一日で肉塊になるぞ!」


「ガイウス様」


エレナが静かに言った。


俺は背筋を伸ばした。


「はい」


「あなたも予定より27秒早く《神威解放》を使っています。人のことを言える立場ではありません」


「ぐう」


「ただし、あなたは停止命令には従います。そこだけは評価できます」


「そこだけ!」


「今は褒めています」


「ならばよし!」


エレナはリシアへ視線を向けた。


「リシアさん。問題は、前に出ること自体ではありません。合図、隊列、射線、撤退命令。その全てを軽視していたことです」


エレナは帳簿に目を落とし、淡々と続けた。


「端的に言えば、あなたは前衛ではなく、予定外に動く障害物でした」


ぶほっ、とどこかの席で誰かが酒を噴いた。


それきり、酒場が気まずく静まり返る。


「なっ……!」


リシアの頬が真っ赤になる。


「しょ、障害物ですって!? 私は軽戦士よ!? 前に出て敵を斬るのが仕事でしょう!」


「前に出るのと、勝手に崩れるのは違うだろう」


「ガイウス様」


「はい」


「言葉を選びなさい」


「すまん!」


「謝罪の声量ではありません」


「すまん」


リシアは肩を震わせていた。

怒りと恥、そして理解できないという感情で。


「なによ……! そんな女のどこがいいのよ!」


「全部だ!」


「即答!?」


「エレナは俺が何秒暴れられるか知っている。俺が何歩踏み込めば右膝が壊れるか知っている。俺がどの魔物を見た時に我慢できず出力を上げるか知っている。俺が報告書を三行で終わらせようとすることまで知っている!」


「最後はどうでもいいでしょう!」


「重要です」


エレナが淡々と言った。


「報告書の精度は、次回の迷宮攻略に直結します」


「ほら見ろ! こういうところだ!」


俺が胸を張ると、リシアは唇を噛んだ。


「……ふん。いいわ。せいぜい後悔すればいい」


そう言い捨てて、リシアは酒場を出ていった。


俺はその背中を見送りながら首をかしげる。


「何を後悔するんだ?」


「ご自身の発言の過激さでは?」


「それは今している!」


「なら結構です」


エレナは再び帳簿に目を落とした。

その耳が、少しだけ赤いことには気づかなかったふりをした。



それから七日後。


冒険者ギルド本館にて、公式昇級試験が行われた。


昇級試験といっても、ただ剣を振ればいいわけではない。


迷宮都市グランヴェイルの冒険者ランクは、火力だけでは決まらない。

探索への貢献。生還率。隊列維持。資源管理。報告書の精度。他パーティとの連携。


そういう、俺が苦手なものまで全部見られる。


中級以上に求められるのは、ただの強さではない。

強さを、ちゃんと使えることだ。


耳が痛い話である。


ギルドの大広間には、多くの冒険者が集まっていた。


中央には審査卓。

その奥には、ギルドマスターのオルバン・グレイが座っている。


白髪混じりの大男で、片目に古傷が走っていた。

元一級冒険者。現場を知らぬ書類屋ではない。


そのオルバンが、低い声で告げた。


「次。《銀獅子の槍》所属、エレナ・リグフォード。二級支援魔導士から、一級戦術支援士への昇格審査を開始する」


広間がざわついた。


「一級戦術支援士だと?」

「あの地味な女が?」

「火力職じゃないだろ」

「でも《銀獅子》って、最近十九階層を安定周回してるんだろ?」

「いや、あれはガイウスが化け物だからだろ」


聞こえている。

全部聞こえている。


だがエレナは表情を変えない。

背筋を伸ばし、必要書類を揃え、静かに審査卓の前へ進んだ。


その姿は、派手ではない。

だが隙がなかった。


彼女のローブの袖口には、迷宮内で使用する魔力糸の触媒が整然と収められている。

腰の革鞄には、層別の魔物記録、魔素濃度計、予備の魔石、簡易治療符。


全てが決まった位置にある。

取り出す速度まで計算されている。


俺なら三日でなくす。

いや、三日は持つかもしれない。

たぶん。


「エレナ・リグフォード」


ギルドマスターが問う。


「第十八階層から第十九階層にかけて、貴殿のパーティは過去三十日で七回潜行し、七回生還している。前衛に狂戦聖騎士を置きながら、重傷者なし。この管理記録に虚偽はないか」


「ございません」


「魔力消費曲線の提出も受け取っている。ガイウス・ヴァルドレッドの暴走頻度を、目に見えて低下させたとある」


「はい」


「方法は?」


「本人の性格傾向と魔力反応の癖を観察し、危険兆候を分類しました。声量、右足の踏み込み、聖印の発光、敵性反応への視線固定です。複数の兆候が重なった場合、拘束魔力糸を展開。さらに悪化すれば強制停止命令を出します」


広間が静まった。


俺は腕を組んでうなずいた。


「なるほど! 俺はそんなふうに止められていたのか!」


「今知ったのかよ」


誰かが呟いた。


「補足します」


エレナが淡々と続けた。


「ガイウス様は危険な前衛ですが、停止命令、退避命令、回復命令には従います。問題は多いですが、管理不能ではありません」


「褒められている気がしない!」


「事実を述べています」


「なら仕方ない!」


その時だった。


広間の端から、甲高い声が上がった。


「納得できないわ!」


振り向かなくても分かった。

リシアだ。


彼女は新しいパーティの軽戦士として参加していたはずだが、顔には不満がありありと浮かんでいた。


「ギルドマスター! どうしてその女が一級なのよ!」


オルバンは片眉を上げた。


「発言を許可した覚えはないが」


「だっておかしいでしょう! その女は後ろで小言を言っているだけじゃない! 私の方が攻撃スキルは高いわ! 実戦で敵を斬れるのは私よ! だったら、ランクは私の方が上のはずでしょう!」


広間がまたざわつく。


リシアの言いたいことは分かる。


剣を振る奴が偉い。

魔物を倒す奴が強い。

前に出て敵を斬る奴こそ冒険者だ。


俺も昔は、少しそう思っていた。


だが、深い階層まで潜れば嫌でも分かる。

派手な一撃より、崩れない隊列の方が命を拾うことを。


リシアはそれに気づかない。


「それに! ガイウスだって、本当は私みたいに前線に出られる女の方が――」


「いやあ、リシアは少し勘違いしているな!」


俺は言った。


広間中の視線が集まる。

エレナがこちらを見た。


その目が言っている。

余計なことを言うな、と。


だが無理だ。

俺は思ったことを言う男だ。


「このパーティが壊滅せずに第十九階層まで進めているのは、エレナの支援があるからだ。俺が強いからじゃない。俺の強さを、エレナが使える形にしてくれているからだ!」


俺はリシアを見た。


「お前の剣が悪いとは言わん。だが、味方の合図も、隊列も、射線も見ずに動く奴は、深層では危険になる。エレナの計算に入らない動きは、俺たち全員の命を削るんだ」


「その点については、ガイウス様も改善中です」


エレナが淡々と補足した。


「改善中だ!」


「成果はまだ限定的です」


「ぐう」


広間のあちこちから、小さな笑いが漏れた。


リシアの顔が青くなり、次に赤くなる。


「わ、私が危険ですって!?」


「正確には、管理不能な変動要素です」


エレナが静かに補足した。


「第十四階層での記録を確認しますと、あなたは指示を待たずに前進することが多く、退避命令への反応も遅れがちでした。また、敵の誘導線上に入る回数が多く、支援魔法の射線を三度遮っています」


「なっ……」


「さらに、被弾後の報告が曖昧でした。『ちょっとかすっただけ』という申告でしたが、実際には肋骨に亀裂が入っていました。あの状態で次の部屋に進めば、回避速度は大きく落ちていたはずです」


「そ、それは……」


「軽戦士に必要なのは、速さだけではありません。自分の位置、敵の視線、後衛の詠唱、前衛の進行角度。その全てを理解し、味方の動きを妨げないことです」


エレナは一歩も動かずに言った。


「あなたは剣が下手なのではありません。規律が下手なのです」


その一言は、剣より鋭かった。


リシアの唇が震える。


「そんな……そんな地味な計算ばかりで……!」


「地味で結構です」


エレナは淡々と返す。


「迷宮で生き残る仕事は、たいてい地味ですから」


ギルドマスターが低く笑った。


「その通りだ」


彼は書類を卓上に置き、リシアへ視線を向けた。


「冒険者リシア・ベルモンド。そこまで言うなら、貴殿にも確認試験を受けてもらおう」


「え?」


「火力だけではなく、隊列維持、撤退判断、支援術式との連携、罠の警戒。中級以上の軽戦士に必要な基礎項目だ。貴殿は自分の方が一級にふさわしいと主張した。ならば、証明してみせろ」


リシアは一瞬たじろいだ。

だが、すぐに顎を上げる。


「いいわ。やってあげる。私の方が実戦向きだって、すぐに分かるんだから」


広間の床に、試験官たちが魔法陣を展開した。


簡易幻影迷宮。


実際の迷宮の構造と魔物行動を再現する、昇級審査用の術式だ。

命を落とすことはない。ただし、致命傷に相当する判定を受ければ、その場で不合格となる。


「条件は第十五階層相当。前衛一名、支援魔導士一名、後衛射手一名の幻影と連携し、第三区画まで到達せよ。単独突破ではなく、隊列維持を評価する」


「分かっているわよ」


リシアは剣を抜き、幻影迷宮へ踏み込んだ。


最初の動きは悪くなかった。

彼女の動きは速い。剣筋も見栄えがする。


低級の魔物なら、目を引く動きだけで斬り伏せられるだろう。

だが、すぐに綻びが出た。


「後衛、射線確保。軽戦士、右へ半歩ずれろ」


幻影の支援魔導士が指示を出す。


リシアは聞いていなかった。

目の前の狼型魔物に気を取られ、一歩前へ出る。


後衛射手の矢が、彼女の肩口すれすれで止まった。


射線妨害、一回。


「退避。床面、魔力反応」


次の指示にも、反応が遅れた。


床の魔法陣が淡く光る。

リシアは慌てて飛び退いたが、片足に幻影の罠が絡みついた。


罠接触、一回。


「まだよ!」


リシアは強引に体勢を立て直し、敵へ突っ込んだ。


その動き自体は速かった。

だが速すぎた。


前衛の盾役が敵を引きつけるより先に踏み込み、狼型魔物三体の視線が一斉にリシアへ向く。


誘導失敗。

敵視集中。

支援術式未展開。


「戻れ」


幻影の前衛が告げた。


「私なら斬れる!」


リシアは聞かなかった。


剣が一閃する。

一体目の狼を斬った。


だが二体目が横に回り、三体目が背後を取る。

幻影の牙が、リシアの首筋で止まった。


試験官の声が響く。


「致命判定。終了」


魔法陣が消えた。


リシアは息を荒げたまま立ち尽くしていた。


試験官が淡々と記録を読み上げる。


「射線妨害四回。退避命令遅延二回。罠接触二回。敵視誘導失敗一回。撤退命令無視一回。総合評価、不合格」


「う、嘘よ……! 今のは、幻影の味方が遅かっただけで――」


「違う」


ギルドマスターの声が落ちた。


広間が静まり返る。


「貴殿は速い。だが、速いだけだ。味方の位置を見ていない。支援魔導士の詠唱を聞いていない。射線を読んでいない。撤退命令を軽んじている。深層では、そういう者から死ぬ」


リシアの顔から血の気が引いた。


「冒険者リシア・ベルモンド。貴殿の異議は却下する。火力は評価項目の一つにすぎん。迷宮深層で求められるのは、成果を再現する能力だ」


そして、オルバンはエレナを見た。


「エレナ・リグフォード。貴殿を一級戦術支援士へ昇格とする」


大広間が沸いた。


拍手。口笛。感心の声。

中には、以前エレナを小馬鹿にしていた者もいた。彼らは気まずそうにしながらも、拍手していた。


俺は誰よりも大きく手を叩いた。


「素晴らしいぞ、エレナ! 俺の軍師は最高だ!」


「声が大きいです」


「最高だ」


「内容までは訂正しておりません」


「では最高だ!」


「声量を訂正してください」


エレナはそう言いながらも、ほんの一瞬だけ目を伏せた。

口元が、わずかに緩んでいる。


俺はそれを見逃さなかった。

いや、見逃したふりをした。


リシアは拳を握りしめていた。


「あんな堅物のどこがいいのよ!」


叫び声が広間に響いた。


誰も答えなかった。

いや、答える必要がなかった。


俺はエレナの隣に立ち、堂々と言った。


「堅物だからいいんだ!」


リシアは目を見開いた。


「俺は雑だ。強いことは強いが、自分の管理ができん。怒れば突っ込むし、褒められればもっと出力を上げる。止められなければ、そのまま死ぬ」


「自覚があるなら改善してください」


「努力している!」


「結果は?」


「まだ出ていない!」


「でしょうね」


エレナのため息に、広間の何人かが笑った。

俺も笑った。


「だが、エレナは俺を止める。叱る。数字で殴る。報告書を書き直させる。俺が化け物にならないよう、首根っこを掴んでくれる」


俺は胸を張った。


「だから俺は、こいつの隣で戦う。派手な剣より、俺を生かす小言の方が百倍ありがたい!」


リシアは何か言い返そうとした。

だが言葉が出なかった。


彼女は唇を噛み、踵を返す。


「……勝手にすれば!」


そう叫んで、広間から逃げ出した。


誰も追わなかった。


迷宮都市では、出ていく者をいちいち追わない。

追ったところで、本人が学ぶ気にならなければ意味がない。


俺もエレナに何度も叱られて、ようやく少し覚えた側だ。



その夜。


《銀獅子の槍》のパーティハウスは静かだった。


昇格祝いの宴は終わり、仲間たちは各々の部屋へ戻っている。

食堂には俺とエレナだけが残っていた。


机の上には、俺の報告書がある。

三枚中、二枚半が赤字で埋まっていた。


「これは報告書ではなく、感想文です」


エレナは冷たく言った。


「第十九階層第三広間、敵が多かったので、すごく殴った。これは何ですか?」


「事実だ」


「事実を幼児の語彙で報告書にしないでください」


「むう」


「魔物の数、種類、出現位置、交戦時間、使用スキル、被弾箇所、魔力残量。最低限それらを記載してください」


「エレナが書いた方が早くないか?」


「あなたが自分の状態を言語化できるようになることに意味があります」


正論だった。

やはり俺はエレナの正論に弱い。


俺は椅子に座り直し、羽ペンを握った。

しかし、ふと思う。


今日の彼女は、いつもより少し疲れて見えた。


「エレナ」


「何ですか?」


「今日はすまなかった」


彼女の手が止まる。


「何についてです?」


「広間で、また大声で言った。リシアにも、きつい言い方をした。お前は穏便に進めたかったかもしれん」


エレナはしばらく黙っていた。

やがて、小さく息を吐く。


「もう少し穏便に言えませんでしたか?」


「無理だった」


「でしょうね」


「だが、嘘は言っていない」


「それは分かっています」


エレナは眼鏡を外し、目元を軽く押さえた。


「ただ、あなたは時々、真っ直ぐすぎます。人は事実だけで動いているわけではありません。面子も、感情も、過去の未練もあります」


「難しいな」


「難しいです」


「だから、お前が必要だ」


俺は立ち上がった。


エレナが顔を上げる。

俺は彼女の前に片膝をついた。


「ガイウス様?」


「俺は迷宮では強い」


「ええ」


「だが、俺は俺を管理できない」


「ええ」


「俺は暴れることはできる。敵を砕くこともできる。だが、それだけでは人ではなく、ただの武器だ」


俺はエレナの手を取った。


細い手だった。

ペンだこがあり、魔力糸の扱いで指先に薄い傷がある。


俺の剣だこのある手とは違う。

だが、この手が俺を生かしている。


俺はその手の甲に、そっと口付けた。


エレナの肩が跳ねた。


「な、何を――」


「お前が俺を叱ってくれるから、俺は人でいられるんだ」


俺は彼女を見上げ、真剣に言った。


「お前のような厳しい女こそ、俺の唯一の相棒だ」


エレナは言葉を失っていた。


耳まで赤い。

珍しい。非常に珍しい。


俺は少し嬉しくなった。


「だから、これからも俺を叱ってくれ。俺が無茶をしようとしたら止めろ。報告書が雑なら書き直させろ。魔力配分を間違えたら容赦なく怒れ」


「……あなたは本当に、それでいいのですか?」


「もちろんだ」


俺は笑った。


「お前に詰められている時が、一番安心するんだ」


エレナは目を伏せた。

その口元が、ほんの少しだけ緩む。


「重症ですね」


「治す気はない!」


「そこは治してください」


「では、まず何をすればいい?」


エレナは眼鏡をかけ直し、いつもの冷静な顔に戻った。

ただし、頬の赤みだけは消えていない。


彼女は俺の報告書を指で押さえた。


「まずは、この報告書の書き直しです」


「了解した!」


「食堂の外まで聞こえます」


「了解した」


「よろしい」


俺は羽ペンを握り直した。


迷宮都市の夜は長い。

明日も迷宮に潜る。


俺は敵を砕くだろう。

エレナは俺を叱るだろう。


それでいい。


それがいい。


狂戦聖騎士は、堅物支援魔導士に叱られて、今日も人間として生きている。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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