4.The Emperor(皇帝)
そんな自発的とも思えない習慣が定着し、あっという間に一カ月が経過した。
どうしようもない生理現象から新しい習慣を手に入れるとは、まったく思ってもいなかった。
この習慣のおかげで以前より仕事や生活の密度が上がった気がする。
そのぶん、疲れるけどね。
仕事に、そして家庭に。
いままで思ってもいなかった生活がはじまっている。
いつもであれば、仕事が早く終わると若い子達を連れて軽く飲みに行く。
そんなこともせず、今ではひたすらに帰途につく。
当然、出費も少なくなる。
毎月、給料日近くなるとお小遣いは底をつき、その穴を埋めるようにパチンコに行く。
パチンコに行ったところで、負債はもっと大きくなるのだが。
それがどうしたことか、お小遣いはまだ、半分も残っている。
しかも、身体が痩せてきている気がする。
まあ、あくまで 気だが。
今日も自宅に十九時に到着する。
「パパ~。お帰りなさい~。なんか、ママ、今日はちょっと遅くなるんだって~。もう、お腹減っちゃったよ~」
なんと。
子ども達は、毎日、家で妻の帰りを待っていたのか。
学校が終わった後、家庭支援クラスに通っているとばかり思っていた。
私は、家族のことを妻にすべて任せ、きちんと理解していなかった。
「じゃあ、今日はパパのチャーハンでいいか? 他にも食べたい物があれば言ってくれる?」
部屋着になると早速、冷蔵庫を開け、食材を確かめる。
かなり充実している。いや、むしろ買いすぎなのではないかと思うほどの食材が収められている。
「肉たっぷりが、いいなぁ~」
虎が肉をせがむ。
うん。成長期だもんね。私もわかるよ。
料理は、苦手ではなかった。
幼い頃から、両親は仕事人間で、生きるためには自ら食事を作る必要があった。
むしろ、両親の夕飯を私が作っていたくらいだ。
学生時代にさまざまなアルバイトをこなしてきた。
もちろん飲食業も少なくなかった。
チャーハンの上に豚肉の生姜焼きをのせる。
夕飯の完成とともに玄関から妻が帰宅した音が聞こえる。
子ども達は、走って妻を迎えに行く。
「ただいま~。って、え~、どうしたの~! 夕飯作ってくれたの~!ごめんね~」
「帰ってきたら、ママが遅いって聞いたから適当に作った。いつも、お疲れ様ね。楽な部屋着に着替えてきなさい」
そういいながらも私は、ちょっとだけ誇らしげに四人分の生姜焼きチャーハンをテーブルに並べる。
多分、子ども達は、この味から逃げることができなくなるであろう。
「せ~の、ご一緒に。いただきま~す」
家族全員での「いただきます」の挨拶が再開されたのは、まさに早起きの習慣がはじまった頃からだ。
こんなにも家族との時間を愛おしく、そして、丁寧にすごしたのは、いつ以来だろうか。
ここに来て、私も含め、家族がきちんと家族になっていく。
家族の笑顔で一日の疲れが飛んでいくというのは、こういうことなのかと、独り言ちる。
家族が安心と安定をくれる。
そんな生暖かい生活を、空気を、私は感じはじめている。
まぁ、悪くないな…。
「今度の土曜日にみんなでスーパー銭湯にでも行かない? 会社の人に割引券を貰ったの。車で三十分くらいのところなんだけど、どうかな?」
突然の妻の提案に子ども達がはしゃぐ。
「行く~! 広~いお風呂大好き~! ねえねぇ、アヒルちゃん持って行っていい?」
おいおい、詩よ。うちの湯船を覆い尽くす大量のアヒルちゃんを持っていくのは、さすがに怒られるぞ。
***
週末、早くに朝食を終えた私と妻は、子ども達の着替えやタオルなどを鞄に詰めていた。
その量たるは、まるでこれからキャンプに向かう装備のようだ。
妻は、乳液や化粧水、ボディオイルなどを次々と別ポーチに詰め込んでいく。
女性って、どこに行くにも大変なんだな。と、ニヤケながら息子の虎の着替えをリュックに詰め込む。
こんなにもたくさんの準備をし、家族で出かけるなんてちょっと前では、考えられなかった。
休日には、早起きをして、パチンコ屋の開店を待ち並ぶ。
そして、いち早く、よい台に座り、朝から晩まで打ち続ける。
家族で一緒にいる。家族と出かける。それは一年に一回あればいい方だった。
変わったな。俺。
車で約三十分。
東京とは思えないほどの緑の多い地域にそのスーパー銭湯はあった。
都市の象徴ともいえる高い建物もいくつか見える。
どうやら大学の校舎らしい。
建物の灰色と新緑の緑が現代らしいコンプレックスを強調する。
「着いた~。ねえねぇ、これって何て読むの?」
漢字が若干苦手な虎は、看板を指さす。
「皇帝だよ。王様っていう意味だよ」
なんとも思い切ったネーミングだ。
どうやらこの店舗は、関東を中心にいくつか同名の店舗を展開しているらしい。
「じゃ、三時間後にここで待ち合わせね。後は、よろしく~。」
ちょっと待て。
三時間後って。そんなにお風呂に浸かっていたら、シワシワになってしまう。
ましてや、虎も耐えられるわけあるまい。
とは、言えず。
妻と詩は、スキップしながら女湯へと消えて行った。
「うわ~!広ーい!見てみて~パパ~!あっちのお風呂、ブクブクしているよ~。こっちは、ピンク色のお風呂だよ~」
コラコラ。虎よ。走り回るんじゃない。お風呂では走ってはいけません。
スーパー銭湯で走り回る子どもをよく見るが、まさか自分の息子もそうだとは…。
全身をくまなく洗った後、一番広いお風呂に入る。
広いお風呂は、こんなにも気持ちいいものなのか。
肩までしっかりとお湯に浸かり、手足を思いっきり伸ばす。
なんともいえない解放感。
虎は、肩までお湯に浸かり、その場でクルクルと回っている。
しかもニヤニヤしながら。
なにをやっているんだか。
先ほどから気になっているものがある。
あの扉だ。
扉の上には、大きな看板が掲げられており、相撲文字で「エンペラーサウナ」とある。
正直、興味しかない。
伸ばした私の足元でまだクルクルと回っている虎に、
「ちょっとあそこ行ってみない?」
と、促してみる。
虎は、ちょっと考えた後、その笑顔を一層強くし、お湯から飛び出す。
子どものもつ好奇心や、いたずら心というのは反応が早くていい。
ま、今の私も同じなのだが。
(つづく)
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お読みいただき、ありがとうございます。
よかったら、つづきも読んでいただけますと嬉しいです。
また、あなたと会えることを楽しみにしています。
白明
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