3.病室の静けさと、名前の違和感
看護師が出ていったあと、
病室には機械の微かな電子音だけが残った。
「……篠原さん?」
自分の名前じゃない。
でも、看護師は迷いなくそう呼んだ。
真帆は、喉の奥がひりつくような不安を覚えた。
事故で記憶が混乱してると思われてるのかな。
それとも、本当に誰かと間違えられてる?
そう考えようとしたけれど、
左腕の金属の重みが、現実を否定してくる。
“旦那様”という言葉が刺さる
「今旦那様がお越しです」
その言葉が、頭の中で何度も反響する。
旦那様。
夫。
結婚。
真帆の人生には、
そんな存在は一度もいなかった。
「何言ってるの?私に旦那なんていないのよ?」
そう言い返したかった。
でも、声が出なかった。
なぜか分からない。
喉が固まったように動かない。
まるで、
“言ってはいけない”
と本能が警告しているようだった。
窓の外の“弱い太陽”が、不安を増幅させる
真帆は視線を窓に向けた。
そこにあるのは、
見慣れた太陽ではなかった。
弱々しく、赤みを帯びた光。
まるで夕暮れが永遠に続いているような空。
「……ここ、本当に日本なの?」
胸の奥がざわつく。
事故に遭ったはずなのに、
病院の外の景色が“地球”に見えない。
そして、病室のドアが開く
ノックもなく、
静かにドアが開いた。
足音。
落ち着いた革靴の音。
真帆は反射的にそちらを見た。
そこに立っていたのは――
篠原啓介。
見知らぬ男。
けれど、どこか“親しげな目”をしている。
そして彼は、
真帆の左腕の金属を見ても驚かず、
まるでそれが当然であるかのように微笑んだ。
「……美穂。目が覚めてよかった」
その声は優しくて、
どこか哀しみを含んでいた。
真帆の心臓が、
どくん、と大きく跳ねた。




