11.そして、望月佳奈の姿
退院の日の空気は、どこか薄くて軽かった。
真帆はまだ“美穂”という役を演じているような気分のまま、
啓介と小春と並んで歩いていた。
小春は嬉しそうに真帆の手を握り、
まるでずっと前から親子だったかのように自然だった。
家へ向かう途中、
人通りの少ない路地の角に、ひとりの女性が立っていた。
望月佳奈。
小春の実の母。
彼女は、
笑っている小春を見て、
ほっとしたように微笑んだ。
けれどその笑みの奥には、
どうしようもない寂しさが滲んでいた。
「ああ……あの子、ちゃんと笑ってる……よかった……」
「でも……私じゃない人の手を握ってる……」
そんな複雑な感情が、
一瞬の表情にすべて現れていた。
小春が気づく
小春はその視線に気づき、
ぴたりと足を止めた。
真帆はその反応に、
ただならぬものを感じた。
「小春ちゃん、どうしたの?」
小春は迷った末に、
ぽつりと答えた。
「……ママ」
啓介の顔が一瞬で青ざめた。
やめろ、小春。
今それを言うな。
そんな焦りが露骨に滲んだ。
しかし、真帆の反応は違った
真帆は驚きも怒りも見せなかった。
むしろ、
小春の手を優しく握り返し、
穏やかに微笑んだ。
「まぁ……あなたの本当のお母さんなのね」
その言葉は、
責めるでもなく、
悲しむでもなく、
ただ事実を受け止めるような柔らかさだった。
佳奈はその微笑みに、
隠しきれないものを悟った。
この人……怒っていない。
私を責める気もない。
それどころか……小春を受け入れてくれている。
佳奈の目が揺れた。
佳奈の名乗り
佳奈はゆっくりと歩み寄り、
深く頭を下げた。
「……改めてご挨拶に伺うつもりでしたが……
このような形になってしまい、申し訳ありません」
顔を上げると、
その瞳には覚悟が宿っていた。
「私が……小春の母でございます」
その声は震えていたが、
逃げる気配はなかった。
真帆の心は静かだった
真帆には怒りがなかった。
啓介に対して特別な感情があるわけでもなく、
“裏切られた妻”としての痛みもなかった。
なぜなら――
彼女は美穂ではないから。
そして、
小春の必死さと、
佳奈の覚悟を見てしまったから。
この子は、母を守ろうとしている。
この母は、子を守ろうとしている。
それだけのこと。
真帆は、
自分がこの親子の間に立っていることを、
不思議なほど自然に受け入れていた。
啓介だけが、取り残される
啓介は二人の女性の間で固まり、
どうしていいかわからずに立ち尽くしていた。
どうして怒らないんだ、美穂……
どうしてそんな顔ができるんだ……?
彼だけが、
“美穂の変化”に恐怖を覚えていた。




