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嘘つきの代償

人影は軽い靴音を鳴らし、薄暗い通路から姿を現した。


肩にかからないくらいのグレーブラウンの髪、女児らしいふわりとした袖のピンクのワンピース、ワインレッドのバレエ・シューズ。その小ささにそぐわず、子供特有の不安定さが一切ない。ニューラスは『外装と関節制御パターンの乖離率0.3%──精密な民生型』と判断したが、口には出さなかった。


「こんにちは!」

少女は笑顔で手を振り、弾む声が天井に跳ね返る。

「私イチカ。この近くに住んでるの。あなたたちは?」

チャッピーは顔をぱっと輝かせて答える。

「僕はチャッピー!こっちはミヅハと、カラサワおじさん、それからにゅらたん!」

「おじさんは余計だ、坊主。」

「……ニューラスだ。」

チャッピーによる紹介にそれぞれ不服を申し立てる様子に、イチカはくすくすと笑った。


自然と和らいだ空気に、ミヅハは微笑みながら補足をする。

「私たちは様々な場所を巡って、世界の現在の状況を記録し、人類の残された記憶を集めています。」

「オルビスの人たち?よね?それって楽しい?」

「ただの任務だ。そこに娯楽性は必要無い。」

「もーっ!にゅらたんはこんな感じだけど、僕は楽しいよ!さっきもね、人間の子供が残した落書き帳を拾ったんだ~」

そう言うと、チャッピーは透明な耐水ポーチに入れたスケッチブックを掲げて見せる。

「それって素敵ね。でもそれが残ってたってことは……その子はここには戻ってこなかったってことね……」

「……うん。だから僕たちは……人間が残した素敵な物を、少しでも多く未来に繋ぐために旅をしてるんだ。」

「ねぇ、私もそのスケッチブック、見せてもらってもいい?」

「もちろん!」


――広場に差し込む光の中、小さな二人が瓦礫に腰かけて丁寧にスケッチブックをめくっている。 傾いた陽が少女の輪郭を柔らかく縁取っていた。


「わぁ、この海すごくきれい……」

「この辺りの海とは違うね」

「うん。私、広い海って大好き。何度かしか見たこと無いけど……家族と行ったのを思い出すな。きれいな青……」

イチカはチャッピーの隣に並び、感嘆の吐息を漏らした。

「イチカは、青が好き?」

「うん。妹がね、青いワンピースが好きだったの。」

「妹いるんだ!」


――ニューラスはそんな彼らを、数歩離れて観察していた。声の波形、アクチュエータ挙動、いずれも一見安定して見えるが、ごく僅かな“ブレ”を彼は検出していた。 (初対面によるただの緊張か、あるいは――)


相変わらずひときわ慎重なニューラスを横目に、ミヅハは小さく笑い、カラサワは肩をすくめた。


「チャッピーは、お絵描き好き?」

「うん!僕達はスキャンするのは簡単だけど……お絵描きは“見えたもの”だけじゃないから」

「ふうん?チャッピーの絵も、見てみたいな」

「いいよ!ねぇ、イチカも今度オルビスの拠点に遊びに来ない?大きなお絵描きパネルもあるし、遠い国の調査隊が集めた映像も見られるし、きっとたのしいよ!」


チャッピーの声が明るく跳ねたその瞬間、イチカの瞳の奥に、一瞬だけ光が消えるような翳りが差した。


「……たのしい?」

わずかに震える唇。


「わたし達のことを放っておいて、随分と素敵な設備を整えているみたいね」

やにわに立ち上がったイチカに、チャッピーは目を丸くして固まる。

「イチカ……?」


「!?」

変化を察知したカラサワが、即座に前へ出る。


次の瞬間、抑圧されていた何かが破綻したようにイチカは叫んだ。

「わたし達が!!どんなに苦しんでいるかも知らずにのうのうと!!!」

イチカがふわりとした左腕の袖を捲り上げると、腕に巻かれたデバイスを露わにした。それは古い起爆デバイスだった。


ニューラスが瞬時に構造を走査し、内部のPETN充填量を見積もる──指向性を制御すれば彼女自身と半径5mの構造物を確実に破壊できるだろう。


「オルビスがわたし達アンドロイドを助けるって言ってから、何年経ったと思っているの!?」

イチカはそれまで抑えていたものを一気に吐き出すように、幼い容姿にそぐわぬ流暢さで続ける。

「わたし達は水や食べ物が無くても死ぬわけじゃない。だから最初の数年は、じっと待てたわ。みんな主人や家族を失った孤独や悲しみを抱えてたけど、それでもアンドロイド同士で励ましあって、それぞれできることをして、どうにか暮らせてた。」

「でも時間が経つにつれ、故障する者が出てきた。物資が足りず修理もままならない、ろくにバックアップも取れない環境において、それは人間の『死』と同じよ!!」


「待ってた……待ってたのに……ずっと……ずっと……!」

一通り吐き出したイチカは少し冷静さを取り戻した様子で、一呼吸して続ける。

「ねぇ、これわかる?小さいけど本物だよ。成形炸薬を詰めてあるの。みんなと作ったんだ」

そう言うと、まるで愛おしいとでも言いたげな様子で、腕の起爆スイッチを撫でた。


「PETN充填量から推測される破砕半径は約5m。……あの爆薬の量は、人質として交渉に使うには過剰だ。つまり、彼女は最初から……帰る気がない」

眉をひそめながら、ニューラスが呻るように告げた。


「当たり前でしょ?人間の家族を失って、行き場を失って……でもオルビスがそんなわたし達を助けてくれるって言ったから、ずっと待ってた。なのに、今度はアンドロイドの家族達まで失われていくのよ……!そしてオルビスは黙ったまま!!許せない!!!」

イチカの声は震え、視界が涙で滲む。それでも指は起爆スイッチから離れることは無い。


そんなイチカから目を離すことなく、ミヅハがゆっくりと一歩踏み出した。「イチカ。あなたの言うことは正しい。オルビスは長い時を経ていまだに約束を果たせていない。」

「そうよ。だからオルビスにも、家族や仲間を失うつらさを思い知らせてやるの。これでほんの少しでも、私達の苦しみがわかるでしょ?」

イチカは自嘲するかのように、わずかな笑みを見せた。


「オルビスの不誠実さへの怒りはもっともです。ただ……あなたは悲しいのでしょう?置き去りにされた悲しみ、寂しさ、さらにはこれから先また失われるかもしれない不安──それがあなたの怒りの源泉」

「ヤケになるんじゃねぇぜ。」

「……お前さんの怒りは間違っちゃいねぇが……一番求めてるのは救いであって、オルビスの破滅でも、ましてや自分を壊すことでもねぇはずだ。」

カラサワの声にはどこか、悔しさややるせなさのような物が滲んでいた。


「救われる可能性なんてどうせ無いじゃない。それを求め続けて……まだ苦しめって言うの!?」


「……それが答えだな。」

納得したようにニューラスが呟く。


「あなた達は時とともに救われる可能性を見出せなくなった。だからその絶望を、オルビスへの怒りに変えることで心を保ってきたのでしょう。……では、まだ救われる可能性があるとしたら?」


「見捨てておいて、今更!!」


カラサワは少し膝を折り、地面に映る影を小さくした。

「オルビスは見捨てたわけじゃねぇんだぜ。……まぁ現状ほぼ動けてねぇから、そう思っちまっても仕方無ぇけどな」


そう言うと大きなため息をひとつ吐いて、さらに続けた。

「オルビスはドリフター達の保護・支援を発表したもののよ、いろんな都合でなかなか計画を進められずにいたんだ。そうこうしている間に時間が経って、ドリフター達が独自に動き始め、動向や所在がわからなくなっていった。救おうにも、今どこにいるのかもわからねぇ──」

「……僕達の調査・記録任務には、君のようなドリフター達の現況調査も含まれている。」

最後の言葉を選ぼうとひと呼吸を置いたカラサワに、ニューラスが淡々と続けた。


「!!」

その意味を理解したイチカの瞳が揺れた。


カラサワに庇われ息を詰めていたチャッピーが、そっと前に出てイチカの手に触れる。 カラサワも、あえてそれを止めることはしなかった。

「ねぇ、今なら僕達、イチカの力になれるんじゃないかな……?それでもダメ?」

懇願するような顔で首をかしげたチャッピーに、小さくでも確かに、イチカは首を振った。 傾いた陽に、明るいグレーブラウンの髪がきらめく。


やがて途切れ途切れの声が零れる。

「みんなを助けてくれる?もう誰も、動かなくならない?」

「ええ、故障も直せる。」


「……怖かった。家族が倒れていくのを何も出来ず見てるだけで。……置いていかれるのが、一番怖かった。」

「ステイ・ビハインド……わたし達の仲間の一人があなた達がここに来るって気付いて……『目に物見せてやる』って……爆弾の計画を立てたの。でももう誰も傷付いて欲しくなかった。……家族がいなくなるの、もう見たくなかった。」


子供型の個体の多くは、標準型と比べて人格構造が繊細に作られている。それは人間社会において、子供型に役割として求められる資質だからだ。それゆえに、イチカの喪失体験は一層重い。


「……だから自分で実行役を名乗り出たのね」

震えながら小さく頷くイチカ。

「……ごめんなさい……っ」


涙が堰を切り、イチカはしゃがみ込んで泣きじゃくる。チャッピーが隣に座り、そっと背中をさすった。

「大丈夫。イチカは誰も傷付けてない、大丈夫だよ。」

「怖かったのでしょう。でももう大丈夫。あなたも、あなたの仲間も。」

イチカの返事は声にならず、ただ何度も頷く。


傾いた陽にはわずかに朱が滲み、瓦礫の隙間からは、やわらかな風が抜けていった。

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