嘘つきオルビス
「ねぇ……“嘘つき”って、どういうこと?」
チャッピーの声は、わずかに震えていた。
「……結果として、約束を違えた──そう表現するのが妥当かもしれません」
無意識にミヅハの上着を掴むチャッピーの手に、自らの手を重ねながらミヅハが答える。
「正しい表現だ」
背後で周囲をスキャンするニューラスの声が、冷ややかに響いた。レンズが一瞬、チャッピーの後ろ姿に焦点を合わせる。小さな背中は、影の中でさらに頼りなく見えた。
「数年前、オルビスは“全ドリフターの段階的移送計画”を発表した。だが──資源、輸送枠、受け入れ先……あらゆる物の不足で、事実上凍結している」
彼の声は淡々としていたが、言葉の端にわずかな重さが乗っていた。
──ドリフター。主の死によって、行き場を失ったアンドロイド達。元々人間に従事することを前提に作られているために、その多くが孤独と苦しみを抱えていた。
「嘘をつくつもりじゃなかったんだよね……?
でも、『助けに来る』って言って、来なかったなら……」
そう呟いて、チャッピーは視線を落とした。
「裏切った──と受け取られても、不思議ではありません」
ミヅハの声は優しく、しかしどこか哀しげだった。指先でチャッピーの肩をそっと撫でる。
「できもしない約束をして……わざわざ恨まれるようなこと、どうして……」
「多分な」
カラサワが腕を組み、ぼそりと呟く。
「あのときのオルビスは本気だったと思うぜ。輸送枠を増やして、インフラを拡張して……あれこれ奔走してたのは確かだ。」
「……まぁ現場は最初から『無理だ』と思ってたがな」
彼の視線が、天井の崩れかけた梁を見上げる。
「そもそもオルビスがあんな発表をすること自体、奇跡みたいなもんだ。オルビスは政府でも軍でもない、ただの慈善事業みたいな組織だ。……本来なら、なんの責任も無ぇ。」
「……でも、言葉には責任が生まれます」
ミヅハが静かに言う。
「たとえ立場に法的な責任がなくても、受け取る側は違う。」
「その通りだ。その結果が“これ”というわけだ」
ニューラスが顔を上げ、解析結果を読み上げる。
「塗布層の塩素濃度と劣化パターンから、最初の書き込みは約八ヶ月前。上書きは一ヶ月以内。筆圧、ストロークのブレ、塗り重ねの速度──すべてから、同一個体による反復的書き込みが推定される」
「……つまり、同じ奴が何度もここに来ては『嘘つき』を書いてるってことか」
カラサワの口調に、いつものような皮肉はない。静かに、壁の向こうにいる誰かを想像しているようだった。
「僕……この落書き帳と、これ、一緒に記録に残したい。忘れたくない……から」
チャッピーの言葉の奥ににじむ決意に、ミヅハはそっと頷く。
「記録は感情を閉じ込めるものではなく、未来へ繋ぐものですよ。」
──横で聞いていたニューラスは無言で投影HUDを開き、チャッピーの端末にスキャンデータを転送した。高精細な壁面画像が、ホログラムとして彼の前に浮かび上がる。チャッピーはその光を見上げ、唇を尖らせながらぽつりと漏らす。
「にゅらたん、優しいのか冷たいのか……どっちか分かんないや」
「……僕は効率的なだけだ」
そう返したニューラスの声は、いつもより僅かに温度を帯びていた。
広場の端、旧発車案内板のLEDがいまだに断続的に点滅している。“Delay”の赤い文字が、もう来ない列車を告げ続けている。
カラサワが見上げながら低く笑う。
「遅延ってレベルじゃねえだろ。最低でも十年は経ってるぜ。」
チャッピーが腕を振り、残った電源ケーブルを辿っていく。
「電力はどこから?水没してるのに」
「駅上部の非常用太陽電池がまだ生きているようだ。環境劣化が遅い高効率セルだ。」
ニューラスが即答し歩を進める。
「だが蓄電容量は僅少。我々が負荷を掛ければすぐ落ちる。」
「じゃあ、そっとしておこ。」
「ここが息をしている証、ですからね。」
ミヅハの流れる声にチャッピーは頷き、ステップを跳ねる。彼の足音が薄い水面に波紋を残し、天窓の光が揺れた。
誰かの視線を感じたのは、広場を離れようとした直後だった。
ふと足を止めたニューラスが、僅かに顔を上げる。光の届かない通路の奥に、ぼんやりと輪郭を成す小さな人影。
「……誰かいる」
低く、しかし確信を孕んだ声。チャッピーが驚いてニューラスの視線を辿ると、静かに立ち尽くすひとりの子供の姿があった。
ピンク色のワンピースは薄汚れているが、肌は不自然に滑らかで、右手には破れかけたぬいぐるみを抱えている。
「誰だろう?どこから来たの?」
チャッピーが一歩踏み出しかけるが、ミヅハがそっと彼の肩に手を置いて制す。落書きのことがある。オルビス側の存在である彼らとしては、警戒するに越したことは無い。
「人間……じゃねぇな。造りが均一すぎる」
カラサワが小声で呟く。
その子供はこちらの動きに反応せず、ただそこに「いた」。
風景の一部のように静かに──けれど、確かに見つめ返していた。