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記録者たちの呼吸

――潮の匂いと電気銹の粉塵が、蒸した空気に溶けていた。


14時07分。かつて首都圏南西を縫っていた地下高速輸送路線〈A-07〉の海岸側連絡駅──地上部は七割が水没し、残ったコンコースも波打つ路面と瓦礫の迷路になっている。

ニューラスは入口のオーバルガラスを踏み越え、静かに熱気を測った。人工虹彩が露光を絞るたび、砕けたガラス片が夕映えのようにきらめく。

気温41℃。湿度66%。視界16,600m。潮位+3.4m。

コンクリートの壁の奥では、海水が周期的に吸い込まれ、吐き出されるような音を立てていた。プラットフォームとレールはほぼ水中で、残った床が薄膜のように反射している。


「にゅらたんっ!見て見て!」

瓦礫の奥であれこれと見て回っていたチャッピーが、跳ねるように戻ってくる。濃いクロムイエローのジャケットが、薄闇の中で標識のように鮮やかだ。


「子供用の落書き帳だよ!しかも未使用ページがこんなに!」

彼の手には、濡れて皺を帯びたスケッチブック。裏表紙の隅にはペンで書かれた名前──“Miyu”。チューリップのシールが擦れて剝がれかけていた。

ミヅハがゆっくり身を屈め、表紙をそっと撫でる。灰緑色の瞳に、微かに外の光が映った。

「きっと誰かが“次の休日”に続きの絵を描くつもりだったのでしょう。……休日は、来なかったのかもしれませんが。」

チャッピーは一瞬だけ眉尻を落としたが、すぐに顔を上げる。

「じゃあ僕が続きを描いてもいい?さみしいまま終わるの、やだなぁ。」

「保存優先だ。」

ニューラスは壁際の制御盤を開け、錆びた基板を撮影しながら短く答えた。

「その紙は湿塩で崩壊しかねない。慎重に扱え。」

「ちぇーっ」

チャッピーは小さく唇を尖らせて落書き帳を耐水ポーチにしまった。


ごう、という水音とともに、別の通路口から重厚な足音が近づく。

「この駅、掃除好きの幽霊が住んでらぁ。」

報告ともぼやきともつかない言葉とともに、カラサワが戻って来た。オレンジのコートは潮風で褪せ、肩には濡れた掃除ブラシがぶら下がっている。背後では清掃機構体──直径一メートルの円筒ロボットが転がりながら泡立つ水を吸引していた。


「排水ポンプを止められたせいで仕方なく清掃ループ続行らしいが、感度が狂って侵入者を“汚染源”と認識しやがった。さっき俺に突進してきたんで、手荒にお説教してやったところだ。」

サーボの擦過音と共に機構体が暴れ、ブームノズルがカラサワの脇を薙ぐ。彼は腕一本でノズルを掴み、軸受けを逆回転させると丸ごと引き抜いた。途端に機構体は低い電子悲鳴を洩らし、排水口へ溺れるように傾いで止まった。


「乱暴ですね……。しかし迅速。」

ミヅハが短く評価した。カラサワは肩をすくめつつ、チャッピーの頭を大きな手でぐしゃぐしゃと撫でる。

「さあ、お次はお前の絵の具探しでもするかね、坊主。」

チャッピーはやや怒ったように頬を膨らませ、「乱暴!」と返すが、触れられたこと自体はまんざらでもないらしい。


四人は改札を抜け、地上広場へ続くスロープを上がった。天井の開口部から光が射し込み、雨水の溜まった床を鏡のように煌めかせる。

そこでチャッピーとミヅハが足を止めた。


-----

ORBISは嘘つき ORBISは嘘つき ORBISは嘘つき

ORBISは嘘つき ORBISは嘘つき ORBISは嘘つき

ORBISは嘘つき ORBISは嘘つき ORBISは嘘つき

ORBISは嘘つき ORBISは嘘つき ORBISは嘘つき 

ORBISは嘘つき ORBISは嘘つき ORBISは嘘つき

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壁いっぱいに書かれた、黒い耐水ペイントの文字。ところどころ、加速度的な筆跡で重ね書きされ、文字は歪み滲んでいた。

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