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プロローグ

――これは“世界の死”ではない。記録のために立ち会うだけの者が、そう判断した夏だった。


2471年、気温は摂氏46℃。かつて「本州」と呼ばれた陸地の輪郭は、隆起した海面に削られ、ところどころが抉れて入り江のようになっている。足元の抉れた入江の底では、赤褐色のヘドロが断続的に泡を立てている。


人類の姿は無かった。気候変動や感染症をきっかけに、文明はその大半を手放した。いま残されているのは、「アーク(Ark)」と呼ばれた、都市機能をすべて内包したメガストラクチャー群。かつては“希望の箱舟”と謳われたそれらも、いまは風化した記憶の中に沈んでいる。


旧アーク〈ミリカⅡ〉から滲み出た廃液は、導電性の冷却水や医療排液が混ざり変質したものだ。腐敗した表面が陽炎のように揺れている。熱帯化した植生――原産不明のサトイモ科の大葉と、南米原産マメ科の蔓――が絡み合い、腐臭と甘い花粉の匂いが重くのしかかる。

薄雲の向こうには、溶けかかった鋼鉄フレームが水平線に刺さっていた。


銀髪の青年が、崩れた防潮堤の上で立ち止まる。


――ORB-N-0185:ニューラス


それが彼に与えられた識別番号と通称だ。チャコールグレーのスタンドカラージャケットを着た細身のフレームは、無風の中で静止している。表情は最小限に抑えられており、微動だにしない。


わずかに生き残った人類と、大量に残されたアンドロイド達。その不均衡の中、人類文明の保存・維持と再生を目指して組織された終末再生機構〈オルビス〉。彼はその中核を担う観測部隊の一員である。


その瞳は冷たくもなく鋭くもなく、ただ記録のために開かれていた。

人工虹彩は露出補正を繰り返し、瞳孔の奥には、演算状態に応じて微かに光が浮かんでは消える。

「……観測開始。対象、本州沿岸域・座標35.654884 N, 139.748231 E。環境温度46℃。湿度83%。視界5300メートル。記録形式ログ・レベルA。」

無機質な声が、通信チャンネルの底で点滅した。


足下をよじ登ってくる小さな影がある。鮮やかな黄色の外套に、子供のような短い脚。チャッピー――ORB-C-0178が、瓦礫の間からひょこりと顔を出した。

「にゅらたん!ねえねえ見て見て!ヤモリが三匹もいるよ!」

ニューラスは答えず、光学センサを傾けたまま記録を続けた。


瓦礫を蹴散らす重い足音と、金属音が重なった。旧船渠のクレーン跡から戻ってきたカラサワ――JAD-G1153は、2メートルの鋼鉄パイプを肩に、反対の腕には歩廊パネルを抱えている。


「前線用チャージングフレームを夜までに直せって、先生が言うからよぉ」

高トルクサーボが砂利を跳ね上げ、鉄粉混じりの匂いが立ち上る。昨日座屈した支柱の補強材と、崩れた階段の代わりにする渡り板だ。

「おいコラ、チャッピー!あんまりちょろちょろしてっと踏み潰すぞ!」

瓦礫の隙間でヤモリを追いかけていたチャッピーを呼び戻すと、カラサワはパイプを地面に突き立て、強度を確かめるように軽く叩いた。


「肉体派もいいが、踏み潰す前に子守を覚えろ。」

ニューラスが視線だけで応じる。

「うるせえ、冷却バカ。汗かくのは“生きてる証”だろうが」

「残念だが、君は放熱孔しか持っていない。それも、排熱効率の悪い旧世代の設計だ。」


そこへ風鈴のような声が割り込む。

「はいはい、争いは不要ですよ。カラサワ、ありがとう。これで資材が揃いました」

淡いグレーの上着と長い髪を揺らし、ミヅハ――JAD-P0892が三人の間に立つ。その穏やかな笑みには、人を静める温度があった。

「おー、どういたしまして、だ」

カラサワはニッと笑い、パイプを地面へ置く。その脚にチャッピーが絡みついた。なにかと雑に扱われても、どこか憎めない存在として距離を取らずにいられる――そんな感覚があるらしい。


「ねぇにゅらたん、あれ見て!」

チャッピーが指さす先。廃液の縁に一本の蔓が絡み、淡く青い花が咲いている。ニューラスの瞳孔が一段階収束する。

「メモリーフラワーか。……識別コードMF-Ipomoea、通称・録朝顔(ロクアサガオ)。記憶容量概算――79.3メガバイト」


――メモリーフラワー。遺伝子コードを書き換え、情報を保存する植物型媒体。美しい反面、データの保存・再生手段としては非常に効率が悪く、主に記念や特別な思い出の保存などにのみ使われる。


「……誰かが残した、記憶のかけらですね」

ミヅハが静かに言った。

「いやがおうにもロマンチックだな。」

カラサワが呆れたように肩をすくめる。

「で? 拾うのか、拾わねえのか」

「にゅらたんは?読む?」

ニューラスはわずかに視線を伏せた。

「所有者の同意が取れない以上、解析は控える。だが保護は必要だ。廃液で壊れれば、記憶が無駄になる」

言い終える前に、チャッピーは花を包むための耐熱シートを広げていた。


「15分後に日射ピーク。以降、夕凪まで待機する。」

日の高い時間帯の活動はエネルギー効率が悪い。ニューラスが三人を日陰へ誘導し、手早く遮熱テントを展開する。チャッピーが内側からファンを回し、ミヅハは床に再生繊維のシートを敷く。カラサワだけが外で腕を組み、朽ちた海面を見下ろした。

「おいニュラ坊。記録ばっかじゃなくて、たまには景色を“感じ”てみろよ。」

応えはない。ニューラスは花を包んだシートを慎重に整え、データタグを貼り付けていた。しかしミヅハには、その口元に小さな弧が浮かんだように見えた。


陽が傾き、遠くの雲が金属のように輝く頃。熱気が少しずつ海へ流れていく。テントの外では、カラサワが廃材から機械部品を集め、再利用できるか試していた。チャッピーはそれを見ながら、廃液の水たまりで跳ねている。

「おい、汚ぇな!こっち飛ばすな!」

カラサワが笑いながら言う。

少し離れて見ていたミヅハが「廃液には腐食性があります。あまり直接触れないように気を付けて」 と、穏やかな声で制した。「はーい」と軽い返事をしたチャッピーは、それまでより少しだけ跳ね方を小さくしたようだった。ミヅハと視線を合わせたカラサワが、軽く肩をすくめる。

ニューラスはテントの片隅で、通信ログを整理していた。


-----

観測点027:初期調査完了。メモリーフラワー1体保護、未解析

エネルギー残量:89%。次回フルチャージ推定12時間後

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そのとき、チャッピーが不意に振り向いた。

「ねえ、にゅらたん。世界がこんなでも、花って咲くんだね」

「生命活動は意外としぶとい。」

「……僕らも?」

「僕らを生命と呼ぶかは、議論の余地がある。」

概ね予想通りの回答に、チャッピーは笑った。人工筋肉がわずかに発熱し、頬が淡く色づく。

ニューラスは、その色を静かに視線に収めた。


赤錆びた太陽が海へ溶ける頃、四人は再び歩き出した。目的地は北西2キロ先、旧アークの電源ポート。夜間の充電と、データアップリンクが狙いだ。カラサワ、チャッピー、ニューラス、ミヅハの順で進む。高架搬送路の瓦礫は不安定で、鉄骨と配線が剥き出しになっていおり、一歩ごとに軋む音が鳴る。


「お前ら、ちゃんと間隔取れよ。落ちても二人しか抱えられねえからな。」

その言葉には若干の冗談めいた調子があったが、実際には重量級ユニットとしての彼の制限を示している。高出力の補助サーボを備えているとはいえ、緊急時に同時に支えられるのは二人まで。それ以上は安全限界を超える。

「その場合、私を最後にしてくださいね。」

「やだよせんせー。順番は乱数で決めよー?」

チャッピーがひょいと顔を出し、振り返る。

「バカ野郎、おめーとニュラ坊がいなきゃこのチームの意味が無ぇんだ。必然的に、見捨てるならミヅハになっちまうんだよ」


それは乱暴な言い方だが、カラサワなりの現実的な判断だった。チャッピーとニューラスは観測・解析・記録という任務の中核を担っており、二人の損失は任務の全面停止を意味する。一方で、ミヅハは補助系として代替が可能であり、優先順位は低い。もちろん、それが正しいとも、簡単に割り切れるとも彼は思っていない。ただ、時にはそういう線引きが必要な場面がある――メンバーの守護が第一任務である彼は、それを最も理解していた。


「実に“不公平”だ。」

ニューラスは鼻で笑った。

彼らの影が瓦礫に伸び、廃都の光が遠雷のように瞬いた。


-----

2471-08-22T18:56:34

記録者:ORB-N-0185@ALT027

地点:35.654884 N, 139.7483 E

環境:気温46℃/湿度83%/視界距離5.3 km

旧アーク<ミリカⅡ>外郭調査終了。廃液流出量は推定毎時3.8 kl。熱帯外来種群落の繁茂を確認。

ORB-C-0178がメモリーフラワー(種別MF-Ipomoea)を発見・保護。所有者不明につき解析保留。

チーム状況:全員外装損傷軽微。エネルギー残量平均87%。次観測地点へ移動開始。

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<新着通知>

システム時刻を UTC+9 に同期しました。

内部バッテリー残量 87%。次回補充まで正常範囲です。

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