前章Ⅱ
少女が面倒臭げにつぶやいたその瞬間だった。
彼女のすぐ右上で淡く心ともなく灯りを灯していた街灯がフッとかき消えた。
炎を消すよりも儚いそれと同時に歪な音が周囲に響く。
ギギギッ……!!
さながらそれは天牛の立てる威嚇の音のような。
少女は暗闇に閉ざされたその場所から、本能的に飛び退いた。
「奇襲は、ひどいと思わないのかし、らッ!!」
刹那。
先程まで少女の立っていたその場所に、根本から捻れて千切れた鉄製の街灯が倒れ込んでくる。
ガッシャーン、という破壊音と共にランプを保護していたガラスが割れて、跳ねた。
跳ね上がったガラス片に、月明かりがきらりと反射する。
「なるほど。町外れの展望台、か。ここならば人気もなく、見晴らしも良い。明るいところから暗いところは見えないが、暗いところから明るいところはよく見える。小娘の考えとしてはなかなかに妙案だ」
少女の透き通るようなアルトの声と反対に、どこか煤汚れたような低い男の声だった。
「それで、これは私への宣戦布告と見ていいのかしら?」
ニヤリと口角が上がったのはどちらだったか。
あるいは、どちらもだったか。
挑発するように告げられた少女の言葉に男は平然とした態度をとった。
自然に、流れるように紡がれる言葉はどこか殺伐としていて、それから狂気が十分に含まれていた。
「宣戦布告など、必要ないだろう? この『戦争』においては、決闘も観戦も何もかもが正義だ。もちろん暗殺も、あるいはそれが惨殺であろうとも。正義を行使するのに、布告などは必要ないさ」
「……正義を行使するというのなら、誰かを救うところから始めて欲しいのだけれど」
「悪いな小娘。そういう正義は、専門外だ」
突如、男の姿がかき消えた。
本当に世闇に溶け込んだかのように、
(気配ごと、この周囲の空気と一体化した!?)
少女の反応は迅速だった。
敵が何をしてくるかはわからないけれど、その場所にずっと突っ立っていてはダメだと、そう瞬時の判断を交わした。
「ッ!!」
襲いかかるは銀の一閃。
『魔法』的な、あるいは『魔術』的な影響を受けてはいないナイフでの一撃。
少女の右腕を、浅く切り裂いてそれは振り切られる。
「痛っ!」
ジワリと滲み出てくる血液を、しかし世闇は赤色と認識させてはくれなかった。
「なるほど、これを避けるか」
声が、すぐ後ろから聞こえてきた。
ゾッと、背筋に冷や汗が流れる。
反射的に振り切った腕は、空を切る。
(この場所は不利、か)
回避の失敗、自身の不意打ちにも似た攻撃の失敗。
二度の失敗を経て、少女の頭は体に訴えかける。
いますぐ明るい場所へ走れ、と。
だが、
「明るい場所に降りるためには暗い場所を抜けねばならない。結果として、小娘に逃げ場はないということよ」
ねっとりとした声がどこからか響いてくる。
「ハッ!」
そんな声を、少女はキッパリと笑い捨てた。
「だったら、こうすればいいのよ!!」
「まさか」
「街を見下ろすことのできる展望台なんだから、飛び降りれば灯りなんてすぐよ!」
身を投げ出したのは高さ十メートルはあるであろう急勾配。
転がるように走りながら、少女は咄嗟に思考する。
あれがなんの魔法なのかなんて最初から知っているから、あとは対策だと。
(霧の魔法。周囲に展開した結界の中にいる限り気体に同化できる魔法!)
要するに、
(結界の外にさえ出てしまえば、問題はない)
(もしくは、アレの結界を可視化できる明るいところに行けば——!!)
背後から気配が近づいてくる。
もはや隠そうともしない、殺意の気配が。
「これでも喰らってなさい!」
牽制とばかりに放ったのは、弾丸のような光の弾丸。
上空に描かれた幻想的な魔法陣から放たれたそれは、ことごとく撃ち落とされたがそれくらいは想定内だ。
少女にとって最悪なのは、敵が霧の魔法を使っている間に、自分の攻撃が一つも効かないことだった。
しかし、
(撃ち落とされた、ということは結界内でも攻撃が効くということ)
ならば、と少女は口元に笑みを浮かべる。
だったら問題ない。
だったら、自分でも対抗できる————!!
本当の暗闇を脱した今ならば、敵の姿を、気配を見失うことはない。
少しの安堵とともに、少女の口からその詠唱は告げられた。
「我は弱き星の物語を紡ぐ者。老いた星々に願う者」
その小さな声に反応したのか、背後の気配がより一層強くなる。
狩る側と狩られる側の反転を恐れるように。
街路樹の葉をそよ風が揺らした。
いつの間にか街の外れにまで入り込んだようだった。
「あるいは星の幻想を希う者」
再び顕現するのは魔法陣。
(いや、違う……!?)
少女を追う男が見たものは魔法陣ではなかった。
星間に紡がれるのは『魔法式』。
かつて人々が星の形に星座としての名を与えたように。
今この瞬間に、星の結びそのものが魔法として成り上がっていく————!?
「以って、魔法を創生せよ」
星に詳しい人間でなければ知らないようなか細い星々が、その小さな力を収束して地上に魔法を顕現させる。
それは幻想的な、極彩色を生み出した。
「『星屑に未到の願いを!!』
決着に、音はなかった。
光線に身を焼かれ、静かに崩れ落ちたのは黒装束の男。
それを確認した少女はふぅと息を吐き出した。
少女の首を、高速のナイフが抉り取るその瞬間の出来事だった。
「今のは……」
かろうじて息のある男は、最後に少女にそう聞いた。
先程までとは異なり、弱々しくなった男の声に少女は淡々と切り返した。
「魔法の『創成』」
「……なるほど。それはご大層な権能だ」
クハッ、と男は顔を歪める。
まるで眩しいものを見たかのような顔だった。
「だが自惚れるなよ星の魔女。この『戦争』はその異端な権能を持つ貴様を確実に殺す。これは出過ぎた杭を打つための、殺し合いの儀式なのだから!」
同時に、醜いこの世界の言葉を代弁するかのように男は最後の力で叫び散らかす。
自分が死に際に残す言葉としては、狂気に溺れた人間の言葉としては上出来だったのではないかと思い込むために。
無慈悲に、少女はそんな男の声を封じるように最後の一撃を叩き込んだ。
「私は、雨宮 清花は絶対に『魔女』なんかになってやらない」
その魔法は、少女を暗闇に陥れる『呪い』であるから。
***
少女の飛び出した展望台のその上でだった。
その後にやってきた男は、「ふむ」と、何かを考えるような難しい顔のまま遠くを観察していた。
彼の青い髪は夜でも少しだけ周囲から浮いている。外見的には十七歳から十八歳といったところか。
『それで友野。『戦争』とやらには参加できたのか?』
耳につけたインカムから、同い年ほどの少年の声。
友野と呼ばれた少年は、あぁと返事をした。
『魔法使い同士が殺し合う戦争。通称『魔女狩りの儀式』。……どうしてこうにも魔法使いってやつはお互いの存在を邪魔だと言い張るんだろうなぁ』
「俺たちの魔法の基準をこの世界の魔法の基準に当て嵌めない方がいい。『原初の四神』は、ありとあらゆる可能性を経て一点に帰り着く世界を作り出したんだから」
『ま、そうだけどよ。まさか、お前まで他の魔法使いは死んだ方がいいとか言い出すんじゃないだろうな』
「馬鹿を言え。俺はこの戦争については中立派さ。っと、悪いな。星の魔女に気取られた。今夜は退散することにするよ」
***
夜闇は街を侵食する。
人気のない街に吹き込んでくるそよ風が、物語の幕を開けた————。
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