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静かに、けれどもにぎやかに

 白の皇帝の背後から抱きついたのは、《()(がみ)よりさらに背の高い青年だった。

 くせっ毛気味の黒髪は短髪で、容姿は端麗。

 猛禽のような鋭い眉目と眼光を持っているが、それは右側の片眼しかない。黒く長い帯を眼帯のように仕立て、先端が尖った耳に珊瑚の珠で作られた腕輪をかけて、眼帯が崩れぬよう結わえているところに彼の洒落っ気がうかがえる。

 長衣に上質な羽織、腰帯にも簡単な飾りをつけていて。

 人好きのする笑みがよく似合う青年は、ひょい、と白の皇帝を抱き上げて、頬や額、首筋や髪に自分の唇を何度も当ててくる。


「会いたかった、――俺の愛しい人」


 言って、青年は白の皇帝の唇の端に自身の唇を当てる。


「《(ふう)(じん)ッ?」


 突然抱きつかれて、抱き上げられて、陽気な青年らしい挨拶を幾か所にも受けながら白の皇帝はびっくりしてしまうが、こうやって青年――「(りゅう)五神(ごしん)」がひとり、《風》神が突如として現れるのはこれが一切ではない。


「今日は何をして遊んでいるの? お兄さんも混ぜてよ」


 彼はまさに風のように神出鬼没でつかみどころがなく、突然現れては白の皇帝をからかってくるが、いまの白の皇帝には《風》神に遊ばれる暇はない。

 せっかく、あとすこしのところで虫を捕まえることができたかもしれないのに、彼のせいでみんな逃げてしまったではないか。

 抱き上げられたまま、白の皇帝は、もうッ、と言って唇を尖らせる。


「あとすこしだったのに、《風》神のせいでみんな逃げちゃったじゃない!」

「――? 誰かいたのか?」


 目に映ったのは、白の皇帝と《地》神だけ。

 片眼とはいえ見間違えることはあり得ないし、他に誰かがいた気配もない。

 みんな、とは誰のことだろうか。

 はて、と《風》神が小首をかしげると、白の皇帝は、むう、と頬を膨らませながら、


「俺ね、いまは虫を捕まえようとしていたの。虫はそっと近づかないとだめで、すぐに俺を見つけて逃げちゃうから、俺、すご~く静かに近づいていたのに、《風》神のせいで大きな声出しちゃったから、みんな逃げちゃったじゃない!」

「……むし?」


 ――はて、それは何だっけ?


《風》神はさらに小首をかしげる。

 地上から遥か上空にある天空を仰げば、そこには大小さまざまな群島が浮遊大陸として点在し、「竜の五神」のうち天空神として空に領域を持つ《(くう)(じん)、《風》神は浮遊大陸にそれぞれの居宮を持ち、それぞれの部族とともに暮らしている。

 浮遊大陸も自然は豊かだが、大地のように暮らす生物は存在しない。


 ――緑があって、花や木があって、泉や湖はあるが、それだけだ。


 なので、日ごろから目にしないものを口にされても《風》神は即座に反応ができない。

 ちらり、と自分より四〇センチ近くも背丈が低い《地》神を見やると、《地》神としても虫は虫、それ以上は答えようがないので、


「ええ、虫、です」


 真顔でそうと答える。

《風》神はそれを冷ややかに見やり、ひと言、


「おまえ、ほんとうに可愛げのない物言いが得意になったよな」

「あなたの口数が多いだけですよ」


《地》神は、しれっと言い返す。

 そのまま白の皇帝に手を伸ばし、暗に「離してください」と《風》神に伝えるが、《風》神は手にした愛しき少年を離そうとしない。《地》神から取りあげる格好で身を翻してしまう。

 彼はいつもこうだ。突然現れるなり、白の皇帝を独占するとは何事だ。

 あなたは子どもか、と普段は温厚の《地》神も一瞬だけ目元をきつく細めるが、それを気にする《風》神ではない。早々に《地》神から視線を外して抱き上げている白の皇帝の顔を覗きこむ。


「よくはわからないが、何かを探しているんだな。――邪魔をしたのは詫びる。お詫びにお兄さんも協力するから、このまま抱っこしていてもいいかな?」


 いいだろ、と覗きこんでくる《風》神の顔は、白の皇帝が何を返答しても離す気などないようすだった。すでに彼がそういう性格の持ち主だと学んでいる白の皇帝も、すこしだけ真剣に考えこむ。


「抱っこはべつにいいけど、そのかわり、ものすごく静かにしていてね。俺が見てみたい虫は、とっても気配に敏感なんだから」

「へぇ、静かな作法が必要なんだな」

「《風》神、できる?」

「おお、できる、できる」


 ――疑わしいなぁ……。


 白の皇帝の虫取りに対する本気度と、事態がいまひとつ飲み込めていないぶん、適当な口まわりとではかなりの温度差があり、白の皇帝は、大丈夫かなぁ、と冷ややかに目を細めるが、思いのほか《風》神は空気も気配も読める。

 読めるぶんだけ冷やかしも得意の範疇だが、白の皇帝の意に添わぬことはぎりぎりで躱してくれる。


 ――ただし、このぎりぎりまでが厄介なのだ。彼は。


 それでもいまは、信用するしかない。


「じゃあ、このまま抱っこしてもいいよ。俺もちょっとだけ高さがほしかったんだ」

「あらぁ、さっそくお兄さんが役立つようで嬉しいわぁ」

「でも! 静かに、だからね」

「はいはい」


 竜族のなかでも上背のある《風》神に抱きあげられると、白の皇帝の目線もゆうに二メートル半を超える。

 虫取りでこの高さは必要ないかもしれないが、この視線で森を散歩するのも楽しいだろう。白の皇帝は、まずはこれでよしとしようと思った。


 ――一方で。


 道中ただ黙々と歩くのもつまらないので、からかうのは《地》神だけにしようと、そういう顔つきで《風》神は口端をつりあげた。

 頭上から奇妙な視線を感じた《地》神だが、さて、虫を探しに今度はどちらまで歩こうかと数歩先前に出ると、ふと、声がかかる。


「――珍しいな、《()(チビ)が裸足で歩いているなんて」


 自分の足もとが目についたのか、《風》神がかるく片眼をまばたかせる。

 ふたりの付き合いは長い。

《地》神が世界創世期に必要な「竜の五神」、その最後に誕生した乳幼児――竜族なので、乳幼竜とでもいうべきか――のころから、兄貴分としてときどき相手をしてきたので、末弟のような存在の《地》神の気性はよくわかっている。

 幼いころから生真面目だった《地》神。

 平素から身なりは足元まで正していたので、スラックスの裾を足首のやや上まで捲り上げ、裸足で外を歩くのは、《風》神にしてみればかなり珍しい物事だった。

 問われて、自分でもたしかにそう思うところもあった。

 興味のまま、すぐにテラスを飛び出した白の皇帝を追いかけるにしても、《地》神の足なら靴を用意させて履くのは、時間を取られたうちにも入らない。

 目を離すことと、見失うは同義語ではないが、白の皇帝の好奇心旺盛な行動力についつられて……というのが、あのとき裸足でもいいかと思えた理由かもしれなかった。

《地》神は小さく笑う。


「そうですね、白の皇帝を見ていると、たまには自分も素足で歩くのもいいかなと思えたんです。大地はすべて俺が創成したのですから、直接触れ合うのも悪くないって」

「へぇ」


 これもまた、《地》神にしては珍しい返答だった。

 以前の彼なら、直截踏むのは……、と何かしら理由をつけただろうに。

 これも白の皇帝がそばにいるおかげ、影響だろうか。

《風》神はそう思えて、楽しげに笑う。

 抱えている白の皇帝を支えるのは片腕で充分だったので、《風》神はもう片方の手で《地》神の頭を、ポン、と撫でる。


「ま、ようやく《()(チビ)もおおらかに遊ぶという楽しさが分かってきたようだな。けっこう、けっこう」


 ――《()(チビ)、とは。


 まだふにゃふにゃだった乳幼児のころから自分を知る《風》神は、昔からそう呼んできた。だから、これにはもう聞きなれている。

 幼かったころは、自分より年下、と言う意味だったが、いまは青年期手前でどうやら成長が止まってしまった自分との身長差――あるいは体格を含めた個体差――に、揶揄を含ませているのだろう。

 こちらは永遠に成竜を迎えることができないかもしれない、真剣な悩みを抱えているのに、わかっていていつまでも子どもあつかいするとは。


「あなたの場合、何事も()()()()を通り越して()()()なんですよ」


《地》神はにこやかにムッとして、即座に言い返すのだった。



 こちらに来て、何より不便を強いられた言語の不理解で白の皇帝は苦難と不遇を味わったが、保護してくれた竜族……「竜の五神」たちが自分たちの言語、竜語を強いるのではなく、白の皇帝の言語、ハイエルフ語の理解に努めてくれたので、それで言葉の壁はだいぶ解消された。

 白の皇帝も彼らに保護されているうちに竜語がわかるようになり、もう不自由は何もない。

 いま、《地》神と《風》神は自分たちの言語である竜語で話をしていたが、白の皇帝にも内容は理解できる。


「ねぇ、《風》神」

「ん?」

「《風》神と《地》神は、ほんとうに仲がいいんだね」


 何となくではあるが、ふたりが会話をしているとき、《地》神の表情はわずかに膨れっ面になっている。それは白の皇帝には見せない表情なのだが、怒っているというよりは、それでもどこか楽しげな、そんなふうにも感じられる膨れっ面なので、見ていると何だか不思議な気分になる。

 何気なく問うと、《風》神がニヤッと笑い、いきなり白の皇帝を強く抱きしてめくる。

 少年の胸元に、思いきり自身の顔を擦りつけてきた。


「えぇ~? お兄さん、《()(チビ)よりも白の皇帝ともっと仲よくなりたいなぁ」


 この揶揄は、明らかに下心がありすぎた。

 白の皇帝には理解できなかったが、察した《地》神は呆れたようにため息をつくのだった。


「あなたはほんとうに、自重、という言葉を知らないんですね」

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