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8:

 職員室まで手ぶらでやってきた僕は、教室に荷物を取りに戻った。手ぶらってなんだかエッチな響きだね、と睦美的思考を働かせながら、取っ手に手をかけドアを開け――中から複数人の声。すんでのところでキャンセルし、ドアの小窓を覗いてみる。


 例の三人の姿がそこにはあった。

 気配を感じたのか、佐伯の目がこちらを向く。慌ててしゃがんだ。四つん這いになって廊下を移動し、教室の中ほどの壁に身を寄せた。腕を伸ばし、廊下側の窓の框に触れてみる。ラッキー、鍵かかってない。音を立てないようゆっくりと動かす。五センチほど開けたところで聞き耳を立てる。


「そういや、このカバンって誰の?」「学前のじゃない?」「学前……あー、あの転校生ね。最近、あいつとよく目が合う気がするんだけど、気のせいなんかなあ?」「里奈に気があるんじゃない?」「えー、マジ無理。告られたらどうしよー?」「私、けっこう好みかもなんだけど」「あー、学前って果歩好みの顔立ちしてるもんね」「まっ、でも、学前より秦野のほうがかっこいいよね。上位互換っていうか。私、今フリーだし、秦野に告白してみよーかな」「やめときなよ。あいつ、顔はいいけど性格はちょっとめんどくさそうだし」「あー、たしかに。なんか正義面しててウザいよね。座間のこと校長にチクりやがったし」「そういえば、タクムにもチクってたなー」「チクったこと、私たちに筒抜けになってるの、あいつ気づいてないもんねえ。マジウケるよねえ」「でも、あれ以降、秦野が正義面ぶるのほとんどなくなったなー。なんでだろ?」「座間に振られたからじゃね?」「えーっ!? 秦野って座間のこと好きなの?」「わかんないけど、そうなんじゃないの? 好きでなきゃ座間のこと助けないっしょ」「それな」「でも、あんな陰キャのことが好きだなんて、秦野って変わってるよねー」「それな」「それな」「にしても、座間のやつおせーな。いつまで待たせるつもりだよ」「あいつが行ったのって、すぐ近くのとこだよね。見に行ってみる?」「えー、めんどくさーい」「その場に立ち会ったら、私たちが万引きさせたって思われるじゃん」「いや、実際、その通りじゃん」「「「アハハハハハハハッ」」」


 そっと窓を閉めると、昇降口へと早足で向かった。

 万引きは立派な犯罪である。たとえ強要されたとしても、万引きを行えば、座間さんもただでは済まない。間に合えばいいんだけど……。


 学校のすぐ近くで万引きができそうな店は――コンビニくらいかな。スーパーは少し距離がある。全力疾走には向かないローファーに履き替え猛ダッシュ。あっという間に、すぐ近くのコンビニに到着。自動ドアを抜け、店内に入る。

 いるかなあ、座間さん――――いた。


 お菓子が陳列されたコーナーの真ん中で、万引き犯特有の不審な挙動をしている。万引きをする人のほとんどは、それが犯罪だという自覚があるので、罪の意識からか挙動が怪しくなるのだ。


 じとーっと板チョコを見つめていた座間さんは、ごくりと唾を飲み込んで覚悟を決めたように頷くと、そーっと手を伸ばした。震える手で板チョコを掴むと、それをスクールバッグの中へ入れ――「座間さん」「わっ」――る寸前で、彼女の手首を掴んで止めた。


 なんとか間に合った、のか……?

 小さな手から零れ落ちた板チョコを拾い上げる。折れちゃったから購入しないとな。ファスナーが開いたスクールバッグの中を覗く。商品は入っていないように見えるが……。念のため、座間さんに確認をとる。


「何か盗んだ?」

「ぬ、ぬぬぬ……」


 口を開けて放心状態だった座間さんが、壊れたロボットみたいにぶんぶん首を振る。つまって、言葉がうまく出てこないようだ。


「ち、ちち違っ……違うんです、これはっ」

「とりあえず、これだけ買って外に出よう」


 尻ポケットに突っ込んであった財布で板チョコを買った。店員は訝しげな目を向けてきたが、万引きをしたわけじゃないので堂々とする。


 入店音を響かせながら、コンビニを後にする。今、学校に戻ると三人と鉢合わせする恐れがあるので、近くの公園に立ち寄った。木陰のベンチに座ると、真っ二つに折れた板チョコを半分渡す。


「はい」

「……ありがとうございます」


 女の子と公園のベンチに並んで座って板チョコを食べる――意味不明なシチュエーションであるが悪くない。久しぶりに食べる板チョコは、異常なまでにおいしかった。座間さんと半分こしたからだろうか?


「……っぐ……えっぐ……」


 板チョコを食べていた座間さんが嗚咽を漏らす。やがて、人目をはばからずに泣いた。

 困ったな。こういうとき、どうすればいいんだろう? 笑うのは、まずいよな。怒るのも違うし、一緒に泣くのも意味不明だ。ビンタをすれば僕に前科がつき、抱きしめて優しくキスすれば訴訟問題と化す。

 結局、僕は何もしなかった。彼女が泣きやむのを待ち続けた。


 泣きやんだ座間さんは、僕に一言謝ると、途方に暮れたように深いため息をついた。それから、懸命に餌を運ぶアリの群れを観察し、五分ほど経ったところで、ようやく決心がついたのか話し始めた。


「『菓子買ってこい』って言われたんです。でも、私……今、全然持ち合わせがなくて、そのことを話したら、『だったら、万引きしてこい』って……」

「断らなかったの?」

「も、もちろん断りました。そしたら、ビンタされて……『口答えすんな。さっさと万引きしてこい』って言われて……だから、やるしかなかったんです……」


 やるしかなかったって……。


「僕が止めてなかったら――多分、君、捕まってたよ」


 あそこまで露骨に挙動不審で、店員にバレないわけがない。

 万引きは九九パーセント失敗していただろう。


 まあ、未成年かつ万引き初犯なので、警察を呼ばれても逮捕されることはないと思うけど、よくて停学処分、下手すれば退学処分を食らうかもしれない。高校退学となれば、その後の人生に関わる大問題なわけで。

 そんな多大なリスクを背負っても、得られるリターンはゼロ。実に馬鹿馬鹿しい。


 仮に万引きが成功していたら、あいつらは味を占め、二度三度と失敗するまで延々と万引きを強要するに決まっている。リターンがないどころか、むしろマイナスだ。リスクしかない馬鹿げた行為。

 だから、これが最良のルートだったのだと僕は思う。


「お手数を、おかけしました」


 こちらに向き直ると、座間さんは頭を下げた。


「いや、それはいいんだけど……これから、どうすんの?」

「学校に戻って、万引きできなかったことを謝ろうと思います」

「いや、そういうことじゃなくってさ」


 僕は苛立ちを押さえつけながら言った。


「僕が聞きたいのは、今後もいじめられることを受け入れるのかってことだよ」

「それは、その……えっと……」


 言い淀んでごまかそうとする座間さんに、僕は強い口調で言う。


「うやむやにしないで、はっきりと答えてほしいな」


 別に怒っているわけじゃない。

 僕はただ、座間さんの率直な意見を聞きたいだけなのだ。

 これでもまだ、いじめられることを許容すると言うのなら、僕も秦野のように引き下がろうじゃないか。だが、もし座間さんが助けを求めるのなら――。


「そんなの……そんなの、嫌に決まってるじゃないですか! 私だって好きでいじめられてるわけじゃないんです! でも、でもっ……」


 座間さんは声を詰まらせ、再び泣き始めた。

 公園の街灯が灯り、子供たちの遊ぶ声がどこかから聞こえる。一月末の空気は切り裂くように寒く、空を見上げれば夜のとばりがおりつつある。


「何か、あるんだね? 助けを拒む理由が」

「……っ」


 首を振ろうとした座間さんだったが、逡巡の果てに頷いた。

 そして、彼女は言った。


「学前くん……私のこと、助けてくれますか?」

「もちろん」


 僕は自信満々に頷いた。

 具体的な計画など何もないのに、うまくいく保障などどこにもないのに、それでも僕は自信満々に頷いた。


「僕に任せてよ」


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