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 見なければ――認識しなければ、それはないのと変わらない。

 つまり、座間さんの書いたBL小説を、僕が読まなければ――認識しなければ、それはこの世に存在しないのと変わらないわけだ。

 ……いや、苦しいな、この理屈。頬杖をつきながら、僕は苦笑する。


 一限の授業は数学である。教科書とノートを開き、右手でシャーペンをくるくると回す。チョークの粉でまみれた黒板を汚物を見るような目で凝視、真面目に授業受けてますよ感を出しながらも、実際は上の空。

 先ほどの会話を思い返す。教室での一コマである。


「さっきのは冗談だから気にしないでよ」


 許しを請う座間さんに、僕は朗らかに言った。

 いや、本当は冗談なんかじゃなかったんだけどさ。そう言うしかないじゃない。


「僕をモデルにしたキャラを自作小説に登場させて、そのキャラの性描写をねっとりしっとり書いたとしても、僕は座間さんのことを軽蔑したりはしないよ」

「ほ、本当ですか?」

「本当だとも」

「じゃ、じゃあ、学前くんがモデルのキャラ、これからも作品に登場させていいですか?」

「えっ」マジかよ。

「だ、駄目……ですか?」


 座間さんの瞳が不安げに揺れる。うっ、と僕は慌てて目を逸らす。

 魔眼のような、ある種の魔力を秘めた瞳。魅入られる、と僕は思った。


「いや、駄目ってことはないけどさ――」

「ありがとうございますっ!」


 言質をとったぞ、と言いたげに口角をあげる座間さん。

 僕の発言を脳内で都合よく改竄していそうだ。


「えへ。良い展開思いついちゃった」


 うきうきの座間さんは、スクールバッグの中からノートを取り出すと、上端の空いたスペースに何やらメモを取る。

 手書きで小説を書いているのだろうか。アナログだなあ。

 じとーっと凝視していると、座間さんが卒業証書のようにノートを差し出してきた。


「あ……読みますか?」

 いや、読むわけねえだろ。「いや、遠慮しておくよ」


 自分がモデルのキャラのセックスシーンとか、どんな気持ちで読めばいいんだよ。しかも、ボーイズラブだから相手男だぜ? 


「そういや、相手の男はどんなやつなの?」僕は尋ねた。「そっちも、誰か実在の人物がモデルになってるの?」

「え、ええ、まあ……」

「もしかして――――秦野か?」


 図星だったようだ。座間さんは汗を流しながら頷く。


「……ですっ」


 僕は頭を抱えた。

 睦美とか他のクラスメイトじゃなくてよかった、とポジティブに考えよう――いや、無理だわ。僕と秦野が一糸まとわぬ姿で抱き合っているシーンを、一瞬だけ――ほんの一瞬だけ想像してしまい、言いようのない罪悪感に襲われた。すまん、秦野。

 僕は顔を覆った。


「ちなみに、学前くんは『受け』――あ、いえ、なんでもないですっ」


 途中で察したのか、座間さんは言葉を引っ込めた。引っ込められてえらい。


「ご、ごめんなさい。今度は学前くんが『攻め』のを書きますから。許してください!」


 いや、『受け』とか『攻め』とかそういう問題じゃなくてね……。


「あの……気分、悪いんですか?」

「いや、大丈夫だよ。気にしないで」


 どちらかといえば、悪いのは気分じゃなくて機嫌かな。

 引きつった微笑みを座間さんに向ける。


「ところで、小説――手書きなんだね」

「ええ、まあ……手書きじゃないと、授業中に書けないので」


 なんと! 授業中にBL小説を書いてるのか!

 そういや、最近、授業中に視線を感じることがしばしばあったんだけど、あれは気のせいなんかじゃなく、座間さんの仕業だったのか――。


 というわけで、今も斜め後ろから情熱的な視線が突き刺さっている。背中に目がついているわけじゃないのに、座間さんがガン見してるのがよくわかる。僕の背中じゃなくて黒板をガン見しなさい。そんなんだから、数学のテストで赤点とっちゃうんだぞ。


 大きく伸びをして、それから体を捻る。ボキボキと背骨が鳴った。自然な流れで顔も後ろを向くわけで、座間さんと視線が交差する。ばっちり目が合った。彼女はまんまるに目を見開き、それからゆでだこみたいに紅潮した顔をマッハの速度で伏せた。

 不覚にも、胸がきゅんとした。そのうち、心臓発作か心筋梗塞で倒れるかもしれない。


 座間さんという視線を断ち切ったのに、まだ視線を感じる。おかしいな。逆方向に体を捻る。やはり、ボキボキと背骨が鳴った。もう一つの視線の主は秦野だった。目が合うと、彼はウィンクをしてきた。ウィンク返しをしようとして失敗し、僕は不格好に両目を瞑った。ただの瞬きである。

 数学の教師が言った。


「学前、秦野じゃなくて黒板を見なさい」


 ◇


 時は流れ、放課後である。

 僕は数学の教師から呼び出しを食らった。思い当たる節など何もない。一体、僕が何をしたっていうんだ。こんなの教師の横暴だ。呼び出しなんてバックレてやる――と言いたいところだけど、彼女はキレると怖いらしいので、おとなしく職員室に出頭した(別にビビったわけじゃないよ)。


「遅いぞ、学前。私をあまり待たせるな」


 海老名京香は言った。

 ベリーショートの髪、眼光鋭い三白眼、欧米人のような高い鼻、艶やかな唇――異性ではなく、同性にモテる顔の造形。一七〇後半の長身をパンツスーツでコーティングし、不機嫌と憂いを足して二で割った表情をデフォルトで浮かべている。


 宝塚歌劇団の男役っぽい顔をした海老名先生は、回転椅子に優雅に腰かけ、モデルのように長い脚を組んでいる。いささか不遜である。


 僕は隣の席の回転椅子に勝手に腰かけた。ぐるぐるぐるりとトリプルアクセルを決めたところで、「回るな」と怒られた。『座るな』とは怒られなかった。掃除が長引いたストレスからやってしまった。反省はしている。後悔はしていない。


「海老名先生。実直勤勉たる学究の徒、学前良樹に一体何の御用でありますか?」

「貴様、さては私のことを馬鹿にしているな?」

「馬鹿にしてないと言えば嘘になりますな」


 海老名の手刀が学前の額を叩き割った。その一撃で頭蓋骨が陥没し、ぱっくりと裂けた額から噴水のように噴き出した血が驟雨のように降り注ぎ、彼女の肢体をワインレッドに染めていく。血飛沫溢れる戦場で扇情的に洗浄されたその姿はまるで戦乙女のようで――。


「――って痛いな」

「先生からの愛の鞭だ」

「先生、今の時代に暴力はまずいですよ」

「暴力ではない。愛の鞭だ」


 海老名先生は力強く言い張った。開き直りやがったな、畜生。


「うぅ、警察に駆け込んでやる」

「そんなことをしても無駄だ」


 海老名先生は言った。……無駄、だと?


「私には警察官の友人がいる。あとは言わずとも理解できるな?」

「……」不祥事、揉み消してもらうつもりかよー。

「それに、今の場面は誰にも目撃されてない。証拠などない、つまりは――完全犯罪だ」


 いや、『はわわわ……大変なものを目撃してしまった!』って感じに口に手を当て、こっちを見ている先生がいるんですが。


「それで、僕に何の用ですか?」

「わからないか、学前?」


 僕を威圧するように、海老名先生の双眸がぎらりと輝く。

 ふうむ、と思案して僕は言った。


「……もしや、『例の件』について、ですか?」


 ふっ、とニヒルな笑みを見せる先生。

 タバコを吸いたそうに左手が蠢いている。禁断症状ってやつか。


「ああ、そうだ――『例の件』について、だ」

「ところで、なんすか――『例の件』って?」

「殺すぞ」


 ハスキーボイスでとんでもない問題発言をした。ここ、職員室ですよ?


「まずいですよ、先生。今の時代にその発言は」

「安心しろ。お前以外、誰も聞いちゃいない――完全犯罪だ」


 いや、『はわわわ……問題発言を耳にしてしまった!』って感じで頭を抱えて、こっちを見ている先生がいるんですが。というか、あの先生、さっきから職員室の入口に突っ立ってなにしてるんだろう?


「いいか? 私だって誰彼かまわずに、物理や言語による暴力を振るってるわけじゃない。お前は数少ない例外なんだ。頑張ってうまい具合に言い換えれば、『お気に入り』というやつなんだ、お前は。感謝感激こそすれ、非難糾弾するのは間違っている――そうは思わないか?」

「思いません」


 先生の理屈は、DV彼氏のそれと酷似している。奴らは『鞭鞭鞭飴鞭鞭鞭』といった具合に飴と鞭を器用に使い分けて、恋人を支配下に置くのである。怖いね。

 ただ、まあ、海老名先生が僕のことを気に入ってくれてるのは、おそらく事実である。そして、僕もまた同様である。これは相思相愛と言えなくもない――いや、その表現は不適切か。


「無駄話が過ぎたな」


 海老名先生は言った。自覚があったようだ。


「お前を呼び出したのは『例の件』――秦野との関係を問いただすためだ」

「秦野との関係?」


 さっぱりわからないんだが?


「今日の一限の授業で私は確信した――お前たち、デキてるんだろう?」

「……は?」何言ってんだ、こいつ。

「とぼけなくたっていい。私にはわかっている」


 乙女のように透き通った瞳を輝かせながら、僕の肩をバシバシと強く叩いた。本人的にはポンポンと軽く叩いたつもりなんだろう。

 いや、あの、普通に痛いんですけど。


「隠すことはない。恥ずかしがることはない。男同士の恋愛、実にすばらしいではないか。まさかリアルでお目にかかれるとはな。――なあ、学前。この世で最も美しい恋愛が何か知ってるか?」

「え……なんですかねえ? 純愛とか?」

「ボーイズラブさ」

「……先生。フィクションのジャンルとしてのBLとリアルの同性愛を一緒くたにするのはやめましょうよ」

「つまり、私が言いたいのは――」


 こいつ、人の話なぞろくに聞いちゃいないな。


「――お前たち、デキてるんだろう?」

「もう聞きましたよ、それは」


 僕はため息混じりに首を振ると、鼻息荒く早口で畳みかけてくる先生の誤解を解きにかかった。かくかくしかじか。十分後。誤解という名の魔法が解けた先生は、燃え尽きたボクサーみたいに真っ白になっていた。


「嘘、だろ……? お前たち、本当に恋人同士じゃなくてただの友人同士なのか?」

「だから、何度もそう言ってるじゃないですか」

「マジか。夢が現実になったと思ったのに、やはり夢は夢のままなのか……」

「あの、何言ってるんですか?」

「あ、いや、別になんでもないんだからな!」


 急にツンデレ口調になった先生は、僕に気づかれないようゆっくりと、机の上に右手を這わせる。お世辞にも整頓されているとは言えない雑然とした机の片隅に、ホッチキスで留めたコピー用紙の束が置いてあった。


『友情と愛情の狭間で(仮)一章 閑馬鮮美』

 と、表紙には書いてある。


『閑馬鮮美』という名前は、俗に言うペンネームというやつか。これは……なんて読むんだ? かんまあざみ? 変わった名前だな。まあ、ペンネームだから公序良俗に反しない限り、どんな名前でもかまわないんだろうけどさ。

 しかし、閑馬鮮美ねえ。ペンネームの響きや漢字の当て方から、なんだかアナグラム臭がするな。


 閑馬鮮美、かんまあざみ、カンマアザミ、KANMAAZAMI……あっ。

 KANMA AZAMI

 ZAMA KANAMI


 取り上げようと手を伸ばした僕だったが、海老名先生のほうがコンマ三秒ほど早かった。冊子を胸に抱えると、その三白眼でもってぎろりと睨むつけてきた。なんだよ、その反応。僕が痴漢行為をしたみたいじゃないか。


「貴様、生徒のくせに教師の私物を取り上げようとは大した度胸だな」

「生徒が書いたBL小説を、自分のデスクの上に放っておく海老名先生の度胸のほうが大したものですよ」

「なっ、なぜそれをっ!?」


 図星を指され動揺する海老名先生。

 だがしかし、すぐに体勢を立て直し、すっとぼけにかかる。


「はて。何のことやらさっぱり――」

「閑馬鮮美」


 表紙に書かれたペンネームを読み上げる。


「座間夏波のアナグラムですよね」

「お前、夏波がBL小説を書いていると――なぜ知っている?」

「本人から聞きました」


 信じられない、といった様子で愕然とし、猛然と首を振る海老名先生。そのまま首が取れてデュラハンになってしまいそうだ。


「僕と秦野がモデルのキャラが出てくるんですよね、それ」

「ああ、そうだ」恍惚とした顔で首肯した。「実を言うとだな、私が夏波に頼んだのだ――『秦野×学前のBL小説を書いてくれないか』とね」


 お前が諸悪の根源だったのか。

 座間さんが自らの欲望の赴くままに秦野×学前カップリングのBL小説を書いたのではないと判明し、僕はほっとした――いや、きっかけこそ海老名京香だが、彼女は強要されたのではなく自らの意思でそれを書いたのだ。しかも、今後も僕モデルのキャラを登場させていいか、と許諾を求めてきた。


 うーむ、頭痛が痛い。

 本人を目の前にして、秦野×学前カップリングの尊さを説く海老名京香。

 なんなの? 悪魔なの、こいつ?


「読むか、学前?」


 とびきりの笑顔で冊子を差し出してきた。


「読むわけねえだろ」

「そんな水臭いこと言うな。序盤だけでいいから――」

「あのぉ……」

「はい。なんでしょう?」


 椅子を半回転させると、聞き耳を立てていた名もなき若い女教師が、僕の背後に亡霊かスタンドのようにひっそりと佇んでいた。

 海老名先生と同年代に見える。座間さんほどではないが、少し気が弱そうだ。生徒相手なんだから、強気に出ればいいのに。彼女は申し訳なさそうに言った。


「そこ、私の席……」

「あ。すみません」


 立ち上がった僕は「もういいですか?」と退室許可を求めた。無言で立ち去るわけにはいくまい。海老名先生はコバエを追い払うかのように「帰れ帰れ」と手を振った。他に用件などはないようだ。まさか、呼び出しの理由がマジであんなのだとは思わなかったよ。嘘だと言ってよ、えびにゃん。

 詩頓高校の教師に対する不信感を募らせながら、僕は退室し――。


「京香ちゃん。暴力や暴言は駄目だよ!」

「お、おいっ。『ちゃん付け』はやめろと言ってるだろ。生徒の前だぞ!」


 海老名先生はなぜか声音に焦燥をにじませていた。あら、珍しい。

 にたあ、と僕は振り返る。我ながらキモい顔をしてそうだ。


「学前、何笑ってる」

「いえ、別にぃ」


 今度こそ退室しようとした僕に、海老名先生が声をかける。


「学前、お前たしか帰宅部だったよな」

「ええ、そうですけど、それが何か?」

「よかったら、文芸部に入らないか? ご学友の秦野くんも一緒に」

「……考えておきます」


 この女、もしや僕と秦野をくっつけようとしてないか? というか、あんた文芸部の顧問だったのかよ、数学教師なのに。

 完全なる偏見だった。


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