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26:

 ――気のせいだった。

 朝のホームルームが始まるまでの緊張感はどこへやら。逮捕された坂本の席はもちろんのこと、里中と佐伯の席も空白であった。存在を抹消されたイトセンに代わり、海老名先生が心底だるそうな顔で教壇に立つ。


 心配は杞憂に終わった、が――まだ油断はできない。体調不良による欠席かもしれない。海老名先生に事情を尋ねてみるが、「知らん」と一蹴された。これが水曜日のことで。


 木曜日、金曜日――三人は学校に来ず、土日を挟んで月曜日。

 登校すると、『一年一組の佐伯、里中、坂本の三人(+イトセン)が退学処分を食らったらしい』という噂が流れていた。噂の信憑性はいかほどか、海老名先生に真偽を尋ねてみると「本当だ」と即答された。「よかったな」


「よかったです」

「さて、明日からテストだが――学前、お前ちゃんとテスト勉強してるか?」

「ばっちりです」


 僕は親指を立てた。


「そうかそうか。ばっちり、勉強してるのか」

「ばっちり、勉強してません」


 中指を立てられた。先生、生徒に中指を立てるのはやめましょう。


「そういや、鶴巻から聞いたぞ。お前、文芸部に入ったんだってな」

「聞いたってそんな他人事みたいな。あなた、文芸部の顧問でしょう。ねえ?」


 座間さんに振ると、彼女は困った顔をして、


「海老名先生、たまにしか部活に来ないんです……」

「私は文芸部の名目上の――名ばかり顧問だからな」


 えへん、となぜか偉そうに胸を張っている。


「私に毎日来てほしくば、秦野を連れてくるんだな。そして、私に見せてくれ、リアルボーイズラブってやつを――」


 黙殺した。聞きたいことは聞けたので、もう用済みである。

 テストは明日――火曜日から金曜日まで、計四日間行われる。テスト期間中は昼には帰れるのでベリーハッピー。目標としては『赤点を取らない』、これだけである。まあ、できれば平均点くらいは取りたいよねえ。


「座間さん、どう? いい感じに点取れそう?」

「ヤバいです。駄目そうです。数学が、数学が……」


 明日、テスト初日は数学が待ち構えている。奴らは数Ⅰと数Aにわかれて、波状攻撃をしかけてくる。なんと卑劣な。数学が比較的得意な僕は余裕ぶっこいているが、このように油断していると、大抵は足元をすくわれる。


 テストの前日ということもあり、ほとんどの授業は自習だった。皆、いなくなった三人のことなど目もくれず、テスト勉強に励んでいる。僕もご多分に漏れずテスト勉強に励むが、いまいち集中できない。


 放課後、座間さんに連れられ文芸部の部室へ。部室には部長――鶴巻さんがいた。明日からテストなのに部活とはなんと勤勉な、と思いきや彼女は読書ではなく勉強をしていた。座間さんは部長に数学の教えを請うた。請われていないのに、僕も座間さんに数学を教えてあげた。


 二時間ほど勉強し、解散となった。

 部長は自転車に乗って颯爽と去っていく。僕たちとは反対の方角だ。どこに住んでいるかは聞いていない。『自転車で一〇分くらいのところ』と言っていた。一〇分でどのあたりにたどり着くのか、僕は知らない。


 校門を出たあたりで、僕は視線を感じた。座間さんは感じてないのか、のんきにマンガの話をしている。これが自意識過剰じゃないとして、視線の主は誰だろうか――心当たりは大ありである。

 四分の一――いや、二分の一まで絞り込めた。

 どっちだろう? どっちも、という可能性も考えられるな。


「座間さん、あそこの公園に寄っていってもいいかな?」

「いいですけど……どうしてです?」

「尾けられてる」

「えっ?」


 座間さんが振り向こうとしたので、僕はほっぺたをつまんで止めた。むにっとしてる。


「振り向かないで。行こう」

「は、はいっ……」


 公園の敷地内に入る。何回か行ったことがあるが、なかなか大きな公園だな、と改めて思った。普段は、ウォーキングやランニングに励む人々がそれなりにいるが、今日は微妙に雨が降ったからか、ほとんど人気がない。常夜灯が点灯しているので、そこまで暗くはない。光に誘われ、小さな虫が飛び交っている。

 自動販売機の前で立ち止まった。常夜灯の十倍くらいの明るさで、どうか飲み物を買ってください、と自己主張している。


「座間さん、何か飲む?」

「いえ、大丈夫です」

「佐伯さんは?」


 僕は大きめの声で問いかけた。

 なかなか反応がなかったので、もう一度問いかけようか、と口を開きかけ、


「なんだ。気づいてたのかよ」


 暗闇の奥から常夜灯の下へ、佐伯里奈が出てきた。


「コーラ、ちょーだい」


 僕は硬貨を入れ、缶コーラを一本、温かいココアを二本買った。一本を座間さんに手渡し、キンキンに冷えたコーラを佐伯に投げ渡した。受け取った佐伯はきょとんとしていた。


「マジでくれんのかよ」


 こっちだって、マジで飲み物を求められるとは思ってなかったよ。

 僕はプルタブを開け、温かいココアを一口飲んだ。飲まないのは無礼だと思ったのか、座間さんもココアを飲む。佐伯がプルタブを開けると、コーラが噴き出して手がびちゃびちゃになった。日頃の行いって大事だよね。


「佐伯さん、一人?」

「一人だよ。拓夢とは連絡がつかない」

「拓夢? ……ああ、イトセンね」


 僕は言った。そういや、そんな名前だったな。


「彼との関係がバレたのはご愁傷様でしたね。お悔やみ申し上げます」

「ざけんな! てめえがやったんだろうがっ!」


 佐伯は短いスカートをなびかせ、中身の入った缶を僕に投げつけた。

 当然、僕は避ける。的中しなかったことに腹を立てた佐伯は盛大に舌打ちをした。カランコロン、と遠くから缶が転がる音が聞こえた。


「はて、なんのことやら」

「わかってんだよ。全部、お前がやったってことは」

「証拠もないのに断定するの、やめてもらえないかな」

「うるせえ! こんなふざけたことする奴、てめえしかいねえだろっ!」


 僕はココアを飲みながら、近隣住民に怒られないか心配していた。それほどまでに、佐伯の怒鳴り声はうるさかった。端的に言って、非常に不愉快である。


「どうせ、あれだろ? 座間だろ? 座間のためにやったんだろ? あたしたちが座間をいじめてたから、その復讐なんだろ?」

「なんだ。わかってんじゃん」


 僕は飲み終えたココアの缶をごみ箱に捨てると、ぽきぽきと拳を鳴らしながら(ちょっとわざとらしいかな)、ゆっくりと佐伯に迫る。

 僕に手首を掴まれ捻り上げられた屈辱がよみがえったのか、はたまた僕が暴力事件を起こして転校してきたという根も葉もない噂をいまだに信じているのか――佐伯はその場に尻もちをついた。前にも似たような構図あったな。


「あ、あたしは悪くない……こいつが悪いんだ……」


 パンツ丸見えの佐伯は、座間さんを指差す。


「こいつがあたしたちの悪口を言うから――だから、いじめてやったんだ!」

「わ、私っ……悪口なんて言ってない!」

「嘘つくな!」

「ほ、本当です……」

「座間さんが君たちの悪口を言ってるとこ、直接見たの?」

「直接は、見てない」


 佐伯の声のトーンがやや落ちる。僕から目を逸らした。

 そこで、丸見えのパンツに気づき、スカートの裾で隠そうとした。


「私の下駄箱に手紙が入ってて、そこに書かれてたんだよ――座間があたしたちの悪口を言ってるって」

「差出人は?」

「書いてなかった」

「差出人のわからない匿名の告発を、よく信じようと思ったね」


 僕は感心した。むろん、悪い意味で。


「書いてあったんだよ――『嘘だと思うなら、目を見てみろ』って」

「は? 目を見てみろ?」どういうこと?

「座間が本当に私たちの悪口を言ってるのなら、その後ろめたさから露骨に目を逸らすはずだって」

「……なんだそれ? 魔女裁判かよ」


 僕は吐き捨てた。

 座間さんは人見知りのコミュ障である。そんな彼女が、不良女と目が合えば、光速で目を逸らすに決まっている。

 正直、信じられない。そんな薄い偽りの動機で、いじめが始まるものなのか。いや、案外、きっかけは些細なことなのかもしれない。世界史で出てくる戦争の数々も、そのきっかけは意外と些細な出来事だったりするし。


「で、座間さんが露骨に目を逸らしたから、こいつギルティだってなっていじめたと?」

「そうだよ、文句ある?」


 逆切れ気味に肯定すると、佐伯は立ち上がった。


「本当に、それだけ?」

「は? 他にあるだろ、ってか?」

「本当は、告発の手紙なんてただの後押しでしかなかったんじゃないのかな?」

「……どういう意味だよ?」

「君たちは日頃の鬱憤晴らしのために、あるいは娯楽として、誰かをいじめたかった。そんな折、差出人不明の手紙を読んだ。そこには座間さんが君たちの悪口を言っている、といった内容が書いてあった。その真偽は大して関係ない。いじめるためのきっかけがほしかった君たちは、その後押しをこれ幸いと、座間さんをいじめのターゲットに決めた――こういうことなんだろう?」


 反論はなかった。

 ということは、図星だったのだろう。

 怒りが、わきあがってきた。堪えようのない怒りだ。

 常日頃、フェミニストを自称している僕であるが、今日は男女平等主義者にくら替えだ。今回ばかりはフェイクじゃなく、本当にぶん殴ってやろうかな。


「謝れよ」

「……あ?」

「座間さんに謝罪しろ」

「なんであたしが座間に謝んなきゃならねえんだよ。つーか、謝るのはてめえのほうだろうが。あたしに謝れよ、学前――」


 ぶん殴った。腹を。

 本気ではなかったが、佐伯は膝をついて苦しそうに呻いた。嘔吐を必死に抑え込んでいる。四つん這いの状態で見上げ、反抗的な涙目で僕を睨んだ。


「おまっ、ふざけんな、畜生……殴るなんて……警察、呼んでやるからな……」

「呼びたいのなら、呼べばいい」


 僕は言った。どの口が言ってんだ、というツッコミは慎んだ。


「それより、まずは謝罪だよ。悪いことをしたら、謝る――それが社会のルールだ」

「謝罪なんて、そんなの……」


 もごもごと口を動かすが、言葉にはならない。


「プライドが許さない? だったら、そのちっぽけなプライドが砕け散るまで、殴り続けてあげようか?」


 脅しのファイティングポーズ。そう、ポーズである。しかし、効果はてきめんだった。


「や、やめて……」


 恐怖に顔を引きつらせた佐伯は両手で顔を庇い、じりじりと後ずさる。

 さすがに顔面をぶん殴るつもりはない。痕が残っちゃうからね。


「やめてほしいのなら、座間さんに謝ろうよ。うわべだけの薄っぺらい謝罪じゃ駄目だよ。誠心誠意、心のこもった謝罪だ」


 さあ、と僕は促す。

 佐伯が座間さんを見る。今まで散々見下してきた相手に、見下ろされるのが悔しいのか、歯を食いしばる。一瞬、視線が僕に移ったが、一睨みしてやると、また座間さんへと戻る。

 座間さんは佐伯から目を逸らさず、まっすぐに見つめる。

 沈黙の見つめ合いがしばらく続き、二分ほどで堪えきれずに座間さんが口を開いた。


「佐伯さん、私に謝罪してください」


 催促があったにもかかわらず、いまだに葛藤しているのか、佐伯が言葉を発するまでにさらに一分の時間を要した。


「…………なさい」

「すみません。よく聞こえなかったので、もう少し大きな声で、はっきりと言ってくれませんか?」

「……ごめんなさい」

「それだけ?」


 横合いから、僕が口を挟む。


「もっと丁寧に、もっと具体的に」

「座間……さん、本当にごめんなさい。私が――私たちがあなたをいじめたのは、学前くんの言う通り鬱憤晴らしのため。親との関係がうまくいってなくて、たまったストレスを発散するための、一方的に殴れる相手がほしかったの。そんなとき、あの手紙をもらい、それであなたに目をつけた。あなたはクラスで一番気弱そうで、決して私たちに逆らわないと思った。教師にチクったりもしないと思った。だから、いじめの標的にした」


 座間さんは黙って聞いている。

 佐伯は嗚咽を漏らしながら、続ける。


「今は、反省してる。あんたをいじめなければよかったと、心底そう思ってる。果歩はヤクの所持で捕まったし、美優はパパ活バレて鬱になるし、拓夢は学校クビになって連絡も取れないし、そして私は――学校を退学になって、親に死ぬほど怒られて、何もかも失った。あんたをいじめなければ、こんなことには……どうして、私がこんな目に遭わなきゃいけないんだ……」

「もういいです」


 座間さんが軽蔑の目つきで言った。


「形式的な――いえ、形にすらなっていない謝罪なんていりません。どっか行ってください。そして、二度と私の前に現れないでください」


 言い返そうとした佐伯は、結局、言い返さずに立ち上がった。

 最後に一つ、問いかける。


「……座間。私がやったこと、許してくれる?」

「許しませんよ、一生」


 と言いたいところですが、と座間さんは続ける。


「佐伯さんが苦しむ姿が見れたので、半分くらいは許してあげます。これからの人生、苦難が続くでしょうけど頑張ってください」


 返事はなかった。

 とぼとぼと歩く佐伯には覇気がなかった。そこに、スクールカーストトップのいじめっ子の面影はない。僕に謝罪させるつもりが、自分が謝罪することになったのだ。内心、さぞや敗北感に打ちひしがれていることだろう。

 遠ざかる後ろ姿に向かって、座間さんは追い打ちをかける。大きく息を吸い込むと、


「ざまあみろ!」


 と、座間さんは言った。


「いじめなんてするから、こうなるんだ! ばーかばーかばーか!」


 罵倒の経験がないからか、小学生並みの語彙しか出てこないようだ。しかし、案外、こういったシンプルで平易な罵倒のほうが、相手に突き刺さったりするものだ。

 立ち止まった佐伯は、振り返るとこちらを睨みつけた――が、何も言わず、再び歩き出した。やがて、彼女の後ろ姿は暗闇に紛れて消えた。


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