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18/29

18:

 火曜日、水曜日、木曜日、そして――。

 今週も何の成果も得られませんでしたー、と金曜日の僕は思った。


 いっそのこと土日も尾行してやろうか。いや、二週間近く張り込んで芳しい結果が得られなかったのだから、そろそろ見切りをつけるべきか。でも、あの封筒がどうにも引っかかるんだよな。


 あの日以降、坂本が自宅の郵便受けを開けることは一度としてなかった。浮足立った様子もない。ああ、知りたい。あの封筒の中身が知りたい。諦めずに粘れば、またそのうちあの封筒が送られてくるだろうか。


 坂本宅を後にし(正確には、道向かいの路地である)、駅にたどりついた瞬間であった。睦美から電話がかかってきた。


 里中の尾行を担当する彼は、僕たちと違って一人孤独であり、話し相手を求めて時折、僕に電話をかけてくるのだ。だから、今回もその類の――つまりは暇つぶしだと思ったわけだったのだが……。

 電話に出てみると、盛りのついた猫みたいに睦美は興奮していた。


『おいおい、とんでもない場面を目撃しちまったぞ!』

「とんでもない場面?」

『なんとなんと……里中がラブホテルに入っていったんだよ!』

「ふうん。彼氏と?」

『ちげえよ。パパ活だよ――いや、これは売春っていうのかな? まあいいや。それで、だ。相手は誰だと思う?』


 そう聞いてくるってことは、僕が知っている人物なのか。

 彼氏じゃないと一目でわかるくらいだから、相手は学生ではないのだろう。彼氏と呼ぶには苦しいくらいの年齢差、つまり――。


「教師なんだね?」

『そうだ。っても、イトセンみてえな若造じゃないぜ。なんと――』

「校長か」

『正解』


 風俗通いの噂がある校長は、パパ活おじさん(おじいさん?)でもあったわけだ。ああ、なんだか頭が痛くなってきた。自分の学校の生徒とホテルに行くだなんて、頭おかしいんじゃないの? 大丈夫か、詩頓高校。


 しかし、これはチャンスと言えなくもない。

 はからずも校長の弱みを握ったわけで、これを使って脅しをかければ、三人を確実に退学に追い込むことができるわけだ。


「写真はちゃんと撮ったんだろうね?」

『あ、やべ。忘れてた』

「頼むよぉー」

『うまく撮れる自信ないから、お前らも来てくれよ』

「わかった。居場所、教えて」


 睦美から現在地を聞くと、僕と座間さんは電車に乗った。

 最近、帰りが遅くなることもしばしばだけど、座間さんに門限はないのだろうか(ちなみに僕はない)。気になって尋ねてみると、「ないです」と答えられた。へえ、ないんだ。門限という概念自体が、時代遅れだったりするのかな?


 そこで、座間家の家族仲が良好とは言い難いことを思い出す。座間家に門限がないというよりも――いや、駄目だ。他所の家庭のことを詮索するのはよしなさい。悪趣味だぞ。


 電車に揺られること三〇分、歩くこと一〇分。現地に到着。

 駅近ラブホの周囲は似たようなラブホテルか飲食店ばかりで、子供の僕たちが気兼ねなく入れるような店はない。マックやサイゼリヤをつくれとまでは言わないけどさ、コンビニくらいつくってくれてもいいんじゃないのぉ? 


 雑居ビルの壁にもたれて、寂しげな顔で缶コーヒーをすするハードボイルド坊主が一人。僕の姿を認めると、抱きつこうとしてきたので、ビンタを一発かましておいた。


「里中と校長が入ってから、まだ一時間も経ってないよね?」僕は言った。「やっぱり、二時間くらい待たないといけないのかな?」

「いや、校長は早撃ちそうだから、もうすぐ出てくるだろ」


 圧倒的偏見に基づいて、睦美は推測を述べた。


「早撃ちってなんですか?」

「……ばきゅーん」


 睦美は拳銃をつくった。座間さん相手に下ネタを披露したくはないのだろう。しかし、座間さんだって性描写有りのBL小説を書いてるくらいだし、そういう知識がゼロってことはないだろうよ。


「里中のパパ活だけど、校長以外にもやってるのかな?」

「まあ、校長だけってことはないだろ」睦美は答えた。「……なんだよ? 他の男とのラブホツーショットもほしいのかよ?」

「うん、まあね」

「OK。休日返上して、土日も尾行してやるよ」

「ありがとう」僕は土日休むけど。


 暇を持て余した睦美が手持ちのトランプをシャッフルしていると、里中と校長が連れ立ってラブホテルから出てきた。睦美の推測通り、校長は早撃ちだったのだ。佐伯と伊藤のイチャラブと違って、二人はビジネスライクな距離感であった。これで歳の差カップルの可能性もなくなった(そんな可能性は億に一つもないけれど)。


 制服を覆い隠すロングコートと極限の短さのスカートの組み合わせは、彼女がそういった商売を営むプロフェッショナルのように錯覚させる。謎の感心とともに、僕はデジカメのシャッターを切る。


 ラブホ前の路上で、二人は別れた。別れ際に、里中は営業スマイルで手を振り、校長は本気スマイルで手を振り返した。左手薬指の結婚指輪が泣いてるよ。

 三人仲良くルンルンスキップで駅まで練り歩こうぜ、と提案しようと口を開きかけた僕に先んじて、睦美が言った。


「座間、変装用のアイテムあったら貸してくれ」

「何するつもりだい?」と僕。

「まあ、見てろよ」


 変装した変態不審者睦美大和が、なぜか走って校長を追いかけていく。

 人混みの中、わざと校長にぶつかる。軽い接触だったが、御年六五歳の校長は一瞬よろけた。ぶつかったことを謝ると、睦美は何事もなかったかのように歩いて戻ってきた。


「……何してきたんだい?」

「お前がくれた例の小箱を、校長のコートのポケットに入れてきたんだよ」

「スリの逆バージョンってわけね――って貴様ァ、僕があげた誕生日プレゼントをォ!」

「もっとまともな物寄こせよな」

「あの……例の小箱ってなんですか?」

「さあ? なんだろね?」


 僕はすっとぼけた。


「で、なんで例の小箱を校長に? 校長はごみ箱じゃないんだぞ」

「マジックペンで『今度使おうね。ミユより♡』って書いておいたんだよ。これがもし、校長の奥さんにバレたら面白いことになると思わねえかぁ?」


 一〇〇万回混ぜた納豆並みに粘着質な口調で、睦美は言った。校長に何か恨みでもあるのだろうか――ありそうだな。ちなみに、校長の奥様は恐妻であるとのこと。

 実はあの小箱がマクガフィンだったりするのだろうか、と僕は考えてみる。まさか、そんなはずはない。代わりに、チェーホフの銃という言葉を思い出す。


「んじゃ、俺はこれで」

「なんだよ? 一緒に帰らないのか?」

「マンガ喫茶に寄ってくから」


 僕たちに手を振ると、睦美は夜の街に消えた。一体、マンガ喫茶でどんなマンガを嗜むんでしょうね――パパ活モノに違いない。


 駅に向かって、僕たちは歩く。

 今日の座間さんは、なんだか様子がおかしい。デフォルトで変わってるのを考慮しても、明らかにおかしい。坂本を尾行しているときも、ラブホテルを見張っているときも、こうして歩いている今も、心ここにあらずといった感じで――。


「もしや、いじめが再開したんじゃないだろうね?」

「いえ、そうじゃなくって、そのぉ……学前くん、今日が何の日かわかります?」

「え? 今日、二月一三日」

「今日は、二月一四日です」

「あら、そうだっけ? 二月一四日といえば、僕の誕生日――じゃないな、バレンタインデーだったな、うん」

「そうです。バレンタインデー、なんです」


 座間さんのカバンから、綺麗に包装された小箱が姿を現した。

 ……小箱? いや、違う違う。まわりまわって校長に送られた小箱とは、明らかに入っている物が異なる。あちらは装着品で、こちらは食料品。


「これ、学前くんに……」

「え? くれるの?? 僕に???」

「はいっ」

「ありがとう」


 バレンタインデーに女の子からチョコレートをもらう。モテ男じゃなければ、人生でそうはないイベントである。めちゃくちゃ嬉しかったけれど、格好つけたいお年頃の僕はクールに礼を言った。


「ところで、これ――義理? 本命?」

「ご、ご想像にお任せします」


 ああ、はぐらかされてしまった――さあ、どっちだ?


 ◇


 帰宅後、僕は座間さんからもらったチョコレートを食べた。

 市販のチョコではなく、なんと手作りチョコである。味だけで言えば、市販のチョコのほうが上だろうが、手作りチョコには愛がある。いや、これが義理チョコであるのなら、そこに愛はないんか?


 チョコレートはハートの形をしていた。義理チョコにハート型はないだろう、となるとまさかの本命だったりするのか、とやきもきしていると、どこからともなく姉貴が現れた。彼女は胸にチョコレートを山ほど抱えている。


「ふうん。お前もチョコレートをもらったのか」

「まあね」

「何個もらったんだ?」ニヤニヤ。

「もらった個数に意味などないよ。重要なのは、チョコに込められた思い、それだけさ」

「ほう、そんなかっこつけたことを言うくらいだから、さぞかし愛のこもったチョコレートだったんだろうな?」

「もらったチョコ、ハート型だったんだ。これって本命なのかな?」

「なあ、良樹。バレンタインデーのチョコレートの九五パーセントはハート型なんだよ(※姉貴調べ)。まさか、チョコレートがハート型だったからというだけで、それが本命だと思っているではあるまいな?」


 なん……だと……?


「じゃあ、やっぱり義理チョコなのかな?」

「知るか」


 吐き捨てると、姉貴は大量のチョコともに去っていった。弟をいじめて嗜虐心を満たすの、やめてもらっていいですかね。


「うーむ、義理なのかー」


 義理でもいいんだ。嬉しいんだ。でも、本命だったら、もっと嬉しかったな。……嬉しかったな、ってなんだ? もしも、チョコレートが本命だったら――僕は彼女にどう返事していただろう?


 僕が、座間さんに好意を持っているのは確かなことで。

 でも、好意以上の感情を持っているかは不確かなことで。

 不確かなのに、彼女の想いに応えるというのはどうなんだろう?


 なーんて、仮定なのに、妙に真剣に考えてしまった。座間さんが僕に惚れている確率なんて、宝くじの一等が当たるくらいなのにね。

 なぜか悶々としながら湯船につかり、風呂あがり、ベッドに寝転がって座間さんにメッセージを送る。


『チョコレート、おいしかったよ』


 すぐに既読がつき、『嬉しいです!』というスタンプが貼られた。

 僕は続けて、『このチョコ、義理なの? 本命なの?』と送ろうとして、書いた文章を消した。代わりに『おやすみ』と送ると、『おやすみなさい』とほんの少しだけ丁寧な文章になって返ってきた。


 スマートフォンの画面を消すと、ただ白いだけの天井をぼんやりと見つめ、いつの間にか僕は深い眠りについていた。


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