17:
月曜日。
四限の授業が終わると、僕は座間さんの席に向かった。
先週の月曜日、ランチの誘いをお断りされたことは記憶に新しい。お断りの理由は単純明快、僕たちと一緒にランチと洒落込めば、悪目立ち間違いなしだからである――いや、悪目立ちするかなあ?
目立つとしても、それは秦野開成であって、僕ではない。よって、僕と座間さんの二人だけのランチであるならば何の問題もあるまい、というわけで――。
「座間さん、一緒にご飯食べようよ」
「え、でも……」
座間さんの不安げな双眸が、秦野をチラ見する。
僕は秦野に目配せした。呼応するように、彼は頷いた。以心伝心、成功。
「教室で食べるのが嫌なら、中庭で食べようよ」
「二人きりで、ですか?」
「二人が嫌なら、誰か誘うけど」
「いえ、あの……二人だけのほうが、いいです」
座間さんはそう言うと、弁当箱を持って立ち上がった。
睦美はチェシャ猫みたいな顔をしていた。その他の友達は『この裏切りもんがぁぁぁ』みたいな顔をしていた。笑顔で中指を立ててきた奴がいたので、僕も笑顔で逆サムズアップしておいた。
本日はお日柄もよく、中庭はカップルその他大勢で賑わっていた。日光の温かさと二月の寒さを足して二で割ると、寒さのほうが若干勝つ――が、まあ、我慢できないほどじゃない。芝生の上に僕はあぐらをかき、座間さんは正座する。
お互いの弁当を褒め合うという謎の行事をひとしきり行い、それから弁当を食べ始める。座間さんの弁当は手作りのようで、とくに自信があるという玉子焼きを一ついただいた。いとうまし。お返しに姉貴がつくったエイリアン風タコさんウインナーを一つプレゼント。
そんな感じで弁当交流戦を行っていると、
「ご一緒してもいいかな?」
振り向けば奴がいる――秦野開成が。
なぜ、貴様がここに? 以心伝心による意思疎通、あれは失敗だったのか? じゃあ、あの首肯は一体なんだったんだよ?
「は、はいっ」
当然、座間さんは了承する。
秦野は僕の隣に腰を下ろすと、ぱかりと弁当箱を開ける。座間さんの弁当箱の四倍、僕の弁当箱の一.五倍のサイズだった。さあ、僕の弁当箱のサイズは、座間さんのものの何倍でしょう?
秦野はあぐらをかいて弁当を食ってるだけで様になるらしく、中庭にいる女子の視線を釘付けにしていた。無性に腹が立った僕は妨害を試みたが、殺意が混ざった視線をいくつも向けられ、数の暴力に屈した。
これが民主主義ってやつか、とわけのわからないことを思った。
秦野とお近づきになりたい女子がお互いに牽制し合う中、その均衡を崩すべく一人の女子生徒が、渡り廊下のほうから近づいてくる。
「かなみーん」
石田さんだった。
秦野狙いであることは、火を見るよりも明らかだった。『私は開成くん目当てで声をかけました』と素直に言えばいいのに、さも座間さん目当てであるかのように振る舞う。なかなか強かな人ですな。
彼女は一瞬、秦野の隣に座ろうとしたが、それだと露骨すぎると考えたのか、しぶしぶ座間さんの隣に座る。
石田さんの弁当箱は座間さんの二倍だった、つまり秦野の半分で僕の……うん。秦野は形式的に彼女の手作り弁当を褒めた。見え透いた世辞でも喜ぶんだな。でも、僕が褒めても彼女は喜ばないよな。『どう褒めるか』じゃなくて、『誰が褒めるか』が重要なんだろうな。
石田さんはそれまでの話の流れをぶったぎって、唐突にこんなことを尋ねる。
「ところで、開成くんって彼女いるの?」
先週の月曜日に聞こうとして聞けなかった質問だ。
秦野に彼女がいれば噂になるだろうから、ほぼ間違いなく秦野に彼女はいない。それは石田さんだってわかっているはずだ。
秦野の口から言質を取りたいのだろう、と僕は推測する。
「いないよ」
「本当に?」
「本当だよ」
秦野は珍しく鬱陶しそうな顔をしたが、石田さんは気づいてないようで、
「じゃあ、好きな人はいるの?」
間があった。
不自然なほどの沈黙を挟んで、秦野はぎこちなく言う。
「いないと言えば……嘘になるね」
「いるんだ」呟くように言った。「それって――」
その続きを、石田さんは飲み込んだ。『私?』と聞きたかったのか、『誰?』と尋ねたかったのか、あるいは具体的な名前をあげるつもりだったのか。代わりに、彼女は見定めるように、秦野をじっと見据えた。
秦野は中空に視線をさまよわせ、それから暑そうに胸元のネクタイを緩めた。
「誰か、教えるつもりはないよ」
温かみに欠けるトーンでそう言うと、食べ終えた弁当を手に立ち上がろうとし――よろけた。立ち眩みでも起こしたのだろうか。バランスを崩した秦野は、とっさに僕の肩を掴んだ。うぎゃあああああ。
「あ、悪い」
「大丈夫?」
僕の問いかけに黙って頷くと、秦野は教室に戻っていった。
下衆の極みかもしれぬが、秦野の好きな人が誰か気になるな。大いに気になる。
犯人はこの中にいる! ……ごめん。この台詞、一度は言ってみたかったんだよね。犯人(秦野の好きな人)がこの中(中庭)にいるから、奴はあれほど動揺したのだ。容疑者は僕たちを含めてざっと三〇名ほど。誰だ? 誰が犯人なんだ? 誰が、秦野開成のハートを殺したんだ?
座間さんのアンニュイな瞳が、考える人と化していた僕を射貫く。その隣で、石田さんはシャーロック・ホームズもどきのポージング。
「開成くんの好きな人ってやっぱり……いや、でも……」
◇
放課後である。
二週目ともなれば手慣れたもので、向上したであろう尾行スキルを用いて、三人の後をついていく。睦美はぶっ続けで部活をサボり続けているようだが、大丈夫なんだろうか? 大丈夫だとしたら、よほど緩い部活であるか、あるいは睦美がなんの期待もされてないか、そのいずれかであると思うんだけど……。
「そういえば、睦美って何部なの?」
「卓球部」
「え。卓球部だったんだ。てっきり野球部かと……」
「髪型で決めつけんなよな。今時、野球部も坊主一辺倒じゃねえんだぞ」
「じゃあ、なんで坊主なんだよ?」
「似合うだろ、坊主」
睦美は自らの坊主頭を撫であげる。確かに似合っている。座間さんと二人で「イイネ。似合ってるヨ」とおべっかを使っておいた。
いつも通り、睦美と二手にわかれると、座間さんと坂本を尾行する。自宅の最寄り駅で降りた。帰宅かバイトか。彼女は駅近くのファミリーレストランで、夕方から夜にかけてアルバイトをしている。歩く方角からして、今日は帰宅コースのようだ。
今日の坂本は普段と比べて、いくらか浮足立っているように見えた。彼氏だろうか――いや、彼氏と別れたって話、前にしてたよな。
自宅に着くと、なぜか注意深く周囲を確認してから、郵便受けを開けた。茶封筒を取り出すと、すばやくカバンの中に入れる。茶封筒は若干厚みがあり、中身は手紙ではなさそうだ。鍵を開けた坂本が、ドアの向こうへと消える。
双眼鏡で郵便受けを睨む僕を、座間さんが双眼鏡で覗き込んでくる。
「……学前くん?」
「座間さん、変装用のアイテム何か持ってない?」
「マスクとサングラスと鹿打ち帽ならあります」
「鹿打ち帽? ……ああ、シャーロック・ホームズ?」
「です」
こうして、不審者へと変貌を遂げた僕は、坂本宅の郵便受けを堂々と開けるのだった。中には、チラシやハガキが何枚か入っているだけで、面白みに欠ける。こいつらも家に持って行ってやれよ、と僕は思った。
にしても、あの茶封筒……何が入ってるんだろう?
撤退し、変装をとく。どろん。コーディネートした座間さんが、変装状態の僕を見てビクッとしていたのがどうにも解せない。
「学前くん、人の家の郵便受けを勝手に開けるのはどうかと――」
「あの茶封筒の中身、なんだと思う?」
「……え? ううーん、なんでしょう? 中身はわからないけど、アマゾンとか楽天とかで買った商品じゃないですかね?」
「にしては、包装がちょっと雑じゃない? そういう大手じゃなくて、個人から購入したもののように見えたな。それに、坂本のあの反応――『やましさ』みたいなの感じなかった?」
「やましさ、ですか?」
座間さんは不思議そうな顔をした。私は感じなかったけどな、と言いたげだ。
彼女は『言いたげ』なことは多いが、『言う』ことはほとんどない。思ったことをなんでもかんでも口にするのはよろしくないが、ある程度は自己主張すべきである。と言いたげな顔を僕はしてみる。
僕は坂本から感じたのだ――やましさを。緊張感を。
詐欺師が老人から金を搾取するときのようなやましさを、銀行強盗が銀行に入店したときのような緊張感を。
でも、だからといって、それがイコールで弱みに繋がるとは限らない。親に内緒で何かを買ったから、やましい気持ちになり、緊張感があったのかもしれない。その可能性のほうがはるかに高いはずだが、僕にはそうは思えなかった。
スマートフォンが震える。睦美からだった。
『不発』の一言に対し、『ちょっと気になることがあった』と返信。電話がかかってきたので、駅に向かいながら応答する。茶封筒のことを、睦美に話した。
『で、お前はどう考えてんだよ?』
「というと?」
『封筒の中身がなんだと考えてんのさ?』
「あー……たとえばー」なんだろな。「……麻薬、とか?」
『麻薬』という言葉が僕の口から飛び出た瞬間、座間さんがしゃっくりのような驚きの声をあげる。まんまるな瞳がこちらを見つめてくる。
今の時代、その気になれば学生でも簡単に麻薬を買うことができる。映画みたいに薄暗い路地で怪しげな売人と取引せずとも、SNSでお手軽簡単取引、そしてブツが郵送で送られてくるというわけだ。
「うーん、それはさすがにありえないかー……」
馬鹿じゃね、と一蹴されると思いきや、睦美は『いや、意外とありえない話じゃないな』と冷静に呟いた。
『うちの学校に、麻薬をやってるやつが何人かいるって噂が前々から流れてんだ。そのうちの一人が、坂本であっても全然おかしくはないよな』
いや、言っておいてなんだけど、まあまあおかしいだろ。
「噂はしょせん噂だろ。当てになんかならないよ」
『いいや、噂って案外馬鹿にできないぜ』睦美は言った。『ほら、佐伯が教師と付き合ってるって噂も当たってただろ?』
「ふうむ、確かに」僕はしぶしぶ頷いた。「他になんかいい感じの噂とかあんの?」
『あー、そうだな……パパ活をしてるやつがいるって噂とか』
「それは……普通にいそうね」
『あとは……そうだな、校長が風俗通いしてるって噂なんかもあるな』
「校長が? あの人、確か六五だろ?」
『六五歳はバリバリ現役だろうが』
「そうなのか?」
『そうだわさ』
話が横道に逸れてきたので、適当に別れの挨拶をして電話を切ろうとした。
『あ、そうそう。噂と言えば』
最後に睦美が爆弾を投げ込んできた。
『前の学校で暴力事件を起こしていられなくなって転校してきたやつがいる、なーんて噂も最近流れてるな。誰のことなんだろな、うひゃひゃひゃひゃ』
「言っておくけど、僕は暴力事件なんて起こしてないからな」
火のない所にも煙って立つんだね。ああ、怖い。電話を切った。
睦美は茶化したが、この根も葉もない噂を信じる人もけっこういそうだ。
彼の声は無駄に大きく無駄によく響くので、座間さんにも丸聞こえだったようで。顔が青くなったり赤くなったりまた青くなったりと、信号機の代わりに設置したいくらいだ。
駅まではもう少し歩くので、適当に話題を提供してみる。
「今日の六限、体育の授業だったじゃん」
「はい、疲れました……」
「体育の授業って、最初に二人組でストレッチとかするじゃない。あのとき、座間さんは誰と組んでやってるの?」
「石田さんです」座間さんは答えた。「学前くんは?」
「僕は大体、秦野とかな」
「そうなんですね」
あれ? あんまし話が広がらないゾ。
「体育の授業と言えば――体操服に着替えるとき、僕の席って誰が使ってるの?」
「えっと、石田さんだったかな」
「いっつも、石田さん?」
「そうですね。石田さんはいつも、今の学前くんの席で着替えてます」
「ふうん」いや、ふうんってなんだよ。
「あの……学前くんって、石田さんのことが好――気になってたりするんですか?」
「さて、どうかな」
僕が意味ありげに微笑むと、座間さんはうろたえた。窪みのない道でこけそうになったので、その華奢な体を支えてあげた。ラッキースケベは発動しなかったので、僕の手が座間さんの胸を掴むことはなかった。
「あー、こういう聞き方は失礼かもだけど、座間さんって石田さん以外に友達いるの?」
「えっと、三組の勢原さんとか……とかとか」
なるほど、三組の勢原さんね。憶えておこう。
とかとか言ってた座間さんは頬を赤らめもじもじしながら、
「あ、あとは、その……学前くん、とか」
「そんなおずおずと言わないで、もっと胸を張って堂々と友達だと言ってくれてかまわないんだよ?」
「あ、ありがとうございます。学前くんは私の一番のお友達ですっ!」
言い放った後、羞恥で胸がいっぱいになったのか、座間さんは赤面した。僕もやはり、赤面した。我々二人の赤面は冬の夕暮れによってかき消されたのだった。