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14:

 何の生産性もない日曜日は怠惰と惰眠を貪っている間に過ぎ去っており、社会人を憂鬱にするであろう月曜日が、『やあ、おはよう』と僕を出迎えてくれた。


 僕は学生なので憂鬱にならずに済んだが、順当にいけば後一〇年もしないうちに月曜日に対する印象が大きく変わることになる、というその事実に震えあがった。ベッドから這い出ると、今度は冬の寒さに震えあがった。


 洗面台の鏡とにらめっこしながら歯を磨いていると、尻ポケットに突っ込んでおいたスマートフォンが震えやがった。迷惑メールでも届いたか、と画面を確認してみると――座間さんからのメッセージだった。


『学校、一緒に行ってくれませんか?』


『一緒に行きませんか?』というお誘いではなく『一緒に行ってくれませんか?』というお願いなのは、一人で学校に行くのが心細いからだろう。奴らが教室で待ち構えている可能性だってあるわけだし。


 断る理由がなかったので、了承の旨を送っておいた。すぐに返信が来る。詩頓高校の最寄り駅である舞池駅にて待ち合わせ、とのこと。


 転校してきてもうすぐ一か月になるが、僕はいまだに一人で登校している。家が近い友達がいないというのと、わざわざ待ち合わせをしてまで誰かと登校する必要性が感じられないというのが、その理由である。


 待ち合わせをするのは少々めんどくさい――が、女の子と一緒に登校するという青春行為のためだったら、全然許容できる代償である。

 待ち合わせに遅れるのはまずいが、かといって早く着くのもなんだしな……ということで、乗換案内のアプリで待ち合わせ時刻数分前に到着する電車を調べた。便利な時代になったものだ、と謎の感慨を抱いてみる。

 荷物を手に階段を下りると、優雅に朝食を摂取していた姉貴が声をかけてきた。


「もう出かけるのか? 早いな」

「うん、まあ、ちょっとね……」


 座間さんのことを姉貴に言いたくなかった僕は適当にごまかそうとした。ははあん、と姉貴は綺麗な顔を意地悪く歪ませた。


「さては女だな。そうなんだろう? 彼女ができたんだろう?」

「違うって」

「我が弟ながら、なかなか隅におけないな」姉貴が肘でつついてきた。「どうだ、学校に行く前に姉さんに話してみないか、いろいろと」

「うるせえな。ぶち殺すぞ」

「あん? 敬うべき姉上に向かって、なんだその口の利き方は」


 腕が伸びてきて、ヘッドロックをかけられる。

 女としては背が高めの姉上であるが、男の僕のほうが一〇センチほど背が高く体格もよい。よって、本気を出せば僕が勝つだろうが、さすがに姉相手に殴り合いの喧嘩などできるはずがない。しかし、賢姉にそんな考えはないのか、容赦なく愚弟に襲いかかってくる。


 女性が行うヘッドロックというのは、二重の意味で恐怖である。柔らかな胸の弾力が後頭部に伝わってきて、僕を複雑怪奇な気持ちにさせる。これがクラスの女子――たとえば座間さんだったなら、ご褒美にも等しい至福のひとときであるが、なんせ実の姉である。いくら美人で巨乳であろうと、姉相手では発情のしようがない。

 僕の口からバブルこうせんが出てきたあたりで、姉貴は腕を緩めた。


「で、彼女とはどこまでいったんだ?」

「どこまでも」


 またしても、ヘッドロックをかけられそうになったので、温厚篤実な僕もさすがに抵抗した。今度は寝技に持ちこまれそうになったので、すばやく距離を取った。姉と寝技バトルというのは、字面がよろしくない。


「私はお前のことが好きだ」


 いきなり告白された。

 そんなっ……駄目だよ、姉ちゃん。僕たち血の繋がった姉弟なんだよ?


「もちろん、弟としてな」

「うん、それで?」

「だがな、お前のその軽口ばかり言って、飄々とした三枚目キャラ気取りなところは好きになれん。改善しろ」

「そんなこと言ったら、姉貴のその傍若無人なところが――」


 そこで顔面を鷲掴みにされた。


「――僕は大好きです」

「よろしい」


 高校二年生の姉に頭を撫でられる高校一年生の弟。

 恥ずかしいので手をはねのけたかったが、それをやると今度は手刀がとんできそうなので諦めた。僕は屈辱に耐えた。たかが一年早く生まれただけの分際で、どうしてこうも偉そうで上から目線なのだ?


「で、彼女とはどこまでいったんだ?」

「どこまでも――ああ、いや、違うんだよ。彼女ができたってわけじゃなくてね」

「……まさか、彼氏ができたのか?」

「ちげーよ」


 まさか、姉貴もボーイズラブ愛好家だったりするのか?


「彼女も彼氏もできてないって。そうじゃなくって、クラスメイトと待ち合わせしたから、いつもより早く出かけるってだけだよ」

「ほう。そのクラスメイトというのは女なのか?」

「生物学上はそうだね」

「生物学上以外は男なのか?」

「言い方が悪かったね。生物学上以外でも女の子だよ」


 そう言って、リビングの時計を見る。

 姉貴とのクソ茶番のせいで、朝の貴重な時間をいくらか消化してしまった。駅までダッシュしないと、予定の電車に間に合わないじゃねえか。チクショー。一本遅れると、四、五分待たなければならないわけで、そうなると到着時刻もそれくらい遅れるわけだ。姉貴と違って、座間さんは僕が遅刻しても怒ることはないだろうが、僕に対する好感度が下がるのは明白である。


「じゃ、いってきます」

「まあ待て」


 姉貴はスカートのポケットから小箱を取り出し、「これを貴様にやろう」と僕に押しつけ――渡してきた。箱にはでっかく0.01と書かれている。なんの数字なんだろうなあ。


「……あのさ、こんなのもらっても困るんだけど」

「私はこれを父上から贈呈された。お前も年頃だから彼氏の一人や二人いるだろ、と」

「いるの?」

「いるわけないだろう」姉貴は憤慨した。「私が通ってるのは女子校だぞ?」

「女子校にだって男はいるでしょ? ほら、教師とかさ」

「まあ、教師と付き合ってる奴がいるという噂はよく聞くが、実際のところ、どうなんだろうな。俄かには信じがたいが……」

「僕の学校にはいるけどね」

「なにっ、本当か!? 詳しく話を――」

「あっ、いっけなーい! ちこくちこくぅ!」


 僕は食パンの代わりに謎の小箱を口にくわえると、慌てて家を飛び出した。角を曲がったところで――誰とも衝突しなかったので、コートのポケットに小箱を突っ込んだ。口にくわえるのは食パンでないと、曲がり角出会い頭に女の子と衝突イベントは発生しないらしい。残念。女の子のパンチラ見たかったな。いや、食パンくわえてるのは僕だから、この場合は僕がパンチラする立場なのか?


 ……つーか、どうすんだよ、この小箱? 睦美にでもやるかね? 

 電車に揺られながら、僕はポケットの中の小箱の処遇を考えていた。


 ◇


 座間さんとの待ち合わせ場所は駅の改札前であったが、よく考えてみると舞池駅には改札が二つあった気がする。さらによくよく考えてみると、詩頓高校に向かう方向の改札に決まっている。逆方向の改札で待ち合わせとか意味わからん。いや、あえて逆だったりするのか? 逆の改札前ならば、待ち合わせする詩頓高生はいないはずだし。

 悩んだ末に、北口の改札を選択した。順張りである。


 改札を出てすぐの壁に座間さんが貼り付いている。ポケットから取り出したICカードを――あ、違う。これ小箱だったわ、なんてしょうもない小ネタをやっている間に、座間さんが誰かに絡まれていた。後ろ姿しか見えないので、誰かさんの正体はわからないけれど、嫌な予感が……。


 僕が改札を抜けようとしている間に、座間さんはその誰かさんと肩を組んで仲良く――って佐伯じゃねえか。二人が向かう先には女子トイレが。あー、まずい。女子トイレに入られると手出しができない。


 改札を抜けた僕は走り出すのと同時に「座間さん!」と声を張った。座間さんを含めて五人ほどがこちらを振り向く。え? 君たち全員、座間さんなの? 続けて、やはり声を張り上げて「おはよう!」と声をかけた。


 座間さんは恐怖で声が出ないようだ。

 辛うじて、少しだけ口が動く――――『た』『す』『け』『て』。


「佐伯さんも、おはよう!」

「おぅ……おはよう……?」


 僕の勢いに押されて、ついつい返事をしてしまう佐伯。


「肩を組んで、一体どこに行くのかな?」

「ん、まあ、ちょっとトイレに……」

「連れションってやつかい?」僕はにたあと笑った。「仲がいいねえ?」


 座間さんの肩に回していた腕を振り下ろすと、佐伯は怒鳴った。


「別に仲良くなんてねえよ! あ、いや……」

「ねえ、佐伯さん。金曜日のことを怒ってるんなら、それは僕が悪いんだ。なんとなくコンビニに行ったらたまたま座間さんがいてさ、話したかったことがあったから引き留めて、公園のベンチでのんきにお喋りしてたら、けっこう時間が経っちゃって、それで教室に戻ってきたときにはもう君たちは帰っちゃってた、ってなわけさ」

「帰ってねえわ! コンビニに見に行ったんだぞ、こっちはっ!」

「見に行ったって、何しに?」

「何しにって、それは――」


 そこで、佐伯は口を止めた。

 万引きを強要したことを自白するのはまずい、と思ったのだろう。すっとぼけたように斜め上を見ながら、歯切れ悪く続ける。


「あー、座間がお菓子とかちゃんと買ったか見に、っていうか……」

「んー、それってつまり、座間さんをパシらせたってことだよねえ?」

「いや、パシらせたっていうか、座間が自分で言ったんだよね、『お菓子買ってくる』って――なぁ?」


 威圧されても、座間さんはうんともすんとも言わなかった。モアイ像のように、ただそこに佇んでいるだけである。佐伯と目を合わせないように下を向き、コートの裾を握りしめただただ震えているだけだ。


「言ってないみたいだね」


 苛立ち混じりの舌打ちが、駅構内に響く。


「というかさ、パシリとかじゃなくて、本当は万引きさせようとしてたんでしょ?」

「座間から聞いたの?」

「うん」

「こいつの言うこと真に受けないほうがいいよ、虚言癖あるから」

「僕にはそうは見えないな。嘘をついているのは、君のように思えるけど」


 カッチーン、という擬音が聞こえる。佐伯は明らかに機嫌を害した表情をする。


「学前――あんた、私に喧嘩売ってんの?」

「まさか。売られた喧嘩は買うけどさ、こっちから喧嘩を売ったりはしないよ」

「つまり、自分は喧嘩を売ったりしてないってか?」

「うん」


 猫を被った僕の無垢な微笑みに、佐伯は毒気を抜かれたようだ。僕に向けられた怒りの炎が萎んでいくのがわかった。

 今ここで、佐伯に宣戦布告するのも悪くはない、が――それをやってしまうと、これから行う復讐が僕と座間さんによるものだとバレてしまう。


 バレると、どうなるか? 

 恨みを買う。

 それは逆恨みといっても過言ではないと思うが、学校を退学になり自暴自棄になった三人が、座間さんに危害を加える可能性は十分にあるわけで。自らリスクを増やすような言動は慎むべきだ。

 ということを、頭では理解しつつも、口が勝手に言葉を紡ぎ出す。


「あのさ、佐伯さん。一つお願いがあるんだけど」

「なんだよ、いきなり」

「座間さんをいじめるのをやめてほしいんだ」

「……は?」


『お願い』の内容が予想外だったのか、佐伯は呆気にとられたような声を漏らした、が――すぐに平常に戻ると、


「何のこと? 私、いじめなんてしたことないよ」

「本当に?」

「本当よ」

「神に誓って?」

「あんた、神様なんて信じてんの?」

「……本当ならいいんだ」


 ここはいったん引き下がろうじゃないか。

『いじめなんてしたことない』と言質を取ったので、今後、少なくとも僕の前では座間さんをいじめることはないはずだ(希望的観測)。

 お別れの挨拶もなく立ち去ろうとした佐伯は、言い忘れたことがあったのか振り返る。


「仮に、私が座間のことをいじめてたとして――それがあんたに関係あんの?」

「大ありだよ。だって、座間さんは僕の大切な友達なんだから」


 ぷくくっ、と佐伯は吹きだし、我慢しきれず腹を抱えて笑った。目尻の涙をぬぐうような仕草までしてみせる。


「よくもまあ、そんな台詞言えるね。ウケるわ」


 今度こそ立ち去ろうと背中を見せた佐伯に、僕は声をかける。


「トイレ、そっちじゃないよ」


 舌打ちされた。しかし、トイレに行くと言った手前か、尿意などないだろうに佐伯は大股で女子トイレへと入っていった。

 それを見届けると、相変わらず硬直している座間さんの肩をつついた。


「佐伯が出てくる前に、さっさと行こう」

「……あ、はい」


 僕たちは歩き始めた。

 うーん、座間さんの様子がなんだかおかしいような……。でも、こういっちゃなんだけど、座間さんってデフォルトでちょっとおかしいから、通常時となんら変わらないような気もしないでもないんだよな。

 にまにま笑いながら、座間さんはひとりごちる。僕に届かないほどの小さな声で。


「私が友達……大切な、友達……」



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