13:
座間さんがチャーハンをつくる描写は諸事情により割愛させていただくが、水玉模様のエプロンをつけた姿がとてもプリティであったことだけは明記しておこう。
できあがったチャーハンはおいしそうで、実際、食べてみるとおいしかったが、素人が家にある食材でつくったものなので、おいしさのレベルはそれなり止まりであった。中華料理のプロレベルを期待していたわけではないので、期待通りのおいしさともいえる。
「お味、どうですか?」
「うん。おいしいよ、とっても」
真顔で言うのもなんなので、にこりと笑顔を作った。
座間さんは露骨にほっと胸を撫で下ろし、「よかった」と呟いた。どこぞの親父みたいにちゃぶ台返しされるとでも思ったのだろうか。
僕がチャーハンを食べ終えるまでの間、座間さんは一〇秒に一回くらいのペースで、こちらの様子をちらちらと窺ってきた。『口ではおいしいって言いつつ、でもでも本当はまずいって思ってるんじゃないの~?』という座間さんの心の声が聞こえた気がした。念押しで五回くらいは「おいしいよ」と言っておいた。
食後、湯呑に入れた温かいお茶を二人で飲んだ。ふう、とほっと一息。
はて、またしても何か忘れているような……ああ、そうだ。そうだった。今日のノルマはまだ終わっていないんだ。
座間さんが他人からの助けを拒む理由を聞き出すことには成功した。後は、いじめに対する復讐計画を練るだけだ。帰宅の道中、そのことについて考えていた。『復讐』といっても具体的にどうするか、最終目標はなんなのか――。
「ねえ、座間さん」
と、僕は切り出した。
「僕は座間さんのことを助けたいと思っている。いじめをやめさせる方法はいくつかあると思うんだけど――君は、どうしたい?」
「どうしたい、と言われても……」
座間さんは困った顔で俯くだけだ。
予想通りの反応ではある。優柔不断で意志薄弱な彼女が、意見を述べることは稀だろう。ただ、今はその稀な意見を聞きたかった。
「僕としては、ただいじめをやめさせるのではなくて、復讐すべきだと思っている」
「復讐、ですか……」
「具体的に言うと、三人の弱みを握って退学に追い込もうと思っているわけだ」
「それは――」
「やりすぎ、かな?」
僕が尋ねると、座間さんはしばし口をつぐんだ。
心根が優しい座間さんが復讐という行為を許容するかどうか、これはきわめて微妙なところである。彼女がそれをよしとしないのなら――断固として否定するのなら、もっと穏便な方法での解決を模索するしかあるまい。
やがて、座間さんが口を開いた。
「やりすぎ、ではないと思います」
続けて、僕は尋ねる。
「座間さんはさ、三人に復讐したい?」
再び、長い長い間が空いた。
自分の気持ちを明確に言葉にするのをためらっているのか、言葉という形にうまく変換することができずに悩んでいるのか、はたまた――。
「……したいです。復讐したいです」
と、座間さんは言った。
彼女の瞳に復讐の炎が宿っているのが見えた。
「三人に復讐して――退学させて、『ざまあみろ』と言ってやりたいです」
心配は杞憂であった。思いのほか乗り気の座間さんに、少し面食らった僕だった――が、これで心置きなく、三人に対する復讐計画を練ることができる。といっても、まあ、具体的なプランなんてないんだけどさ。
「いいね」僕はサムズアップしてみせた。「その意気やよし」
座間さんはサムズアップ返しすることなく、急須のお茶を湯呑に入れる。僕はピンと上げた親指を引っ込めた。
「で、あの……どうやって退学にさせるんですか?」
「……うん」
僕はもごもご口を動かしながら思案する。
「佐伯に関してはイトセンと交際してる事実を知らしめれば――ラブホ写真を校内にばらまけば退学処分が下るだろうから、後は里中と坂本の二人だね。佐伯みたいに二人を尾行すれば、退学になってもおかしくない弱みが握れるかもしれない」
「握れるんですかね、弱み?」
座間さんが疑問を呈してきた。
「あ、いや……学前くんのことを信用してないとか、そういうわけじゃなくって、その……里中さんと坂本さんにそんな弱みがあるのかなあって思ってですね……」
「うん、まあ、確信は持てないけど、僕の第六感が――」
灰色の脳細胞に満ちているであろうこめかみに人差し指を突き刺し、
「二人にもやましさが――弱みがあると告げているわけだ」
「はあ……第六感、ですか……」
座間さんは呆れたような乾いた声を出した。
「第六感というのはいくらか格好つけた表現で、つまりは佐伯と仲良く座間さんをいじめてる二人も、彼女と同種の人間なのだから、同じようなルール違反を犯してるに違いない、ってな感じの推測だね」
推測っていうか偏見だよね。
何か言いたげで、だけど何も言わない座間さん。
「ああ、安心して。もし仮に、二人に大した弱みがなかったら、そのときは弱みをでっちあげればいいだけのことだから」
「そ、それは駄目ですって!」
「いいや、駄目じゃないさ」
僕は落ち着いた口調で言った。
「ダーティーな相手にはダーティーな手段を用いたって許されるんだ」
「でも、さすがにでっちあげは許されないと思います!」
「許されないかなあ?」
「です」
頑なに否定してくる座間さんに、さすがの僕もしょんぼりと引き下がった。
里中と坂本の弱みを握れなかったら、そのときは――うん、そのときになったら考えよう。僕は考えるのをやめた。
「やれやれ、仕方ないな」
ハードボイルド風に僕は言った。
脳内ではウイスキーのロックを片手に葉巻をぷかぷか吸っているのだ。
「尾行で二人の弱みが見つかることを神に祈ろうじゃないか」
退学処分が下った事例を、文明の利器スマートフォンで調べてみる。
当たり前だけど、重犯罪を行えば即刻退学である(というか、逮捕案件である)。しかし、ゴッサムシティの住人じゃないんだから、高校生で強盗や殺人といった重犯罪に手を染めているとは考えにくい。可能性があるとすれば、万引きや詐欺の受け子くらいか。
あとは、飲酒や喫煙。これらは厳しい学校なら一発アウトだろうけれど、大抵は何日か停学になるだけだろう。我が校が、校則が厳しいという評判は聞かないので、飲酒や喫煙で退学になることはまずあるまい。
しかし、これが麻薬となってくると話は変わる。飲酒や喫煙で逮捕されることはないだろうが、麻薬は所持しているだけで逮捕されるはずだ。高校生がヤクをキメていたら、退学処分は免れまい(同時に更生施設行きである)。
最近だと、パパ活がバレて退学に、なんて事例もあるという。たとえ退学にならなくとも、校内に知れ渡ったことで学校に居づらくなり、自主退学する人もいるのだとか。
「ふむ……」
僕の偏見に満ちた見解によると、里中と坂本は万引きとか飲酒くらいだったら、全然やっていそうだ。いや、座間さんにさせようとしていたくらいだから、わざわざ自分で万引きなんてしない、か……。
しかし、だとすると飲酒だけ。退学させるにはちょっとばかし弱い。麻薬やパパ活はさすがにやってないだろうし、カンニングもやっぱりちょっと弱いな。
さあ、はたして僕たちは里中と坂本の弱みを握れるのか!?
乞うご期待!
「その……尾行、いつから始めます?」
座間さんは浮足立った感じで聞いてきた。
「別にいつからでもいいけど、思い立ったが吉日って言うし、今日から――は難しいから、来週の月曜日から始めよっか」
「わかりました。変装用のアイテムとか、準備しておいたほうがいいですかね?」
「あー……」
尾行は主に放課後に遂行される予定だ。
まだまだ寒い今の季節、制服の上に外套を羽織っていても別段おかしくはない(実際、僕も座間さんも通学時コートを着ている)。制服のブレザーを隠すだけで、一気に尾行はしやすくなるはずだ。
下手に変装すると、かえって目立つ。先ほどのお揃いの野球帽は、どう考えても悪目立ちする。というか、していたはずだ。マスクをするだけで十分だろう、と僕は判断した。
「マスクだけ、準備しておいて」
「え? マスクだけでいいんですか?」
「うん」
座間さんはいまいち納得してないようだったが、僕に盾突くことはなかった。イエスマンすぎるのもどうかと思うので、たまには反抗してほしいものだ。座間さんが武力蜂起するする機会はこの先訪れるのだろうか。
「尾行ってなんだか探偵みたいですよねっ!」
座間さんが妙にテンション高く、浮足立っている理由はこれか。
読書家の座間さんは、様々なジャンルの小説を読むようだが、ボーイズラブと並んでとくに好きなのがミステリー。ミステリーといえば探偵。座間さんは探偵という職業に並々ならぬ関心を寄せている――のかもしれない。
数時間前のつたない尾行を思い出して、黒歴史がフラッシュバックしたのと同じような気分にさせられた。里中と坂本が少しでも警戒し、周囲に気を配ろうものなら、ストーキングは即刻バレるだろう。
尾行の練習をしておきたいが、そんなもの練習のしようがない。今日明日とベッドの中でイメージトレーニングでもするか。
「学前くんは古今東西の探偵の中で誰が一番好きですか?」
「うん? 好きな探偵? 誰だろう……フィリップ・マーロウとか?」
思いついた名前を適当にあげてみる。
「ハードボイルドですね」
興味津々で聞いてきたわりには、超絶薄っぺらい感想しか飛び出してこないな。
「私はやっぱりシャーロック・ホームズですかね」
「ふうん。座間さんのことだから、ホームズ×ワトソンのBL小説とか書いてそうね」
図星だったのか、座間さんは口に含んだお茶を吹き出した。
けほけほ、と顔を真っ赤にさせてむせる。
「あ。やっぱ書いてるんだ」
「む、昔の話です。今は書いてません」
「二次創作から一次創作へとシフトしたんだね」
「というより、シフトせざるをえなかったんです。中学時代、いろんな作品のBL同人小説を書いていて、試しにそれをネットに上げてみたところ、各作品のファンにめちゃくちゃに叩かれたんです。それで、それで私は……」
当時のことを思い出した座間さんは、トラウマに苛まれたのか、頭を抱えて悶えだした。ぐおおおお、という慟哭の声が聞こえた気がした。虎になった李徴のことを、僕はなぜか思い出した。
あーあ。押しちゃったよ、トラウマスイッチ。
カップラーメンができあがるくらいの時間、待ってみる。
トラウマを強制終了させた座間さんは、何事もなかったかのような顔で、ホームズとワトソンのカップリングについて熱く語りだした。いや、内容について語れよ。そうだな、僕は『赤毛組合』や『まだらの紐』なんかがとくに好きかな。
もしかして、座間さんってホームズ役とワトソン役の関係性が好きで、それ目当てでミステリーを読んでるんじゃないのか? どちらか片方、あるいは両方が女キャラのミステリーにはまるで興味を示さなかったりして……。
さすがに、それはないか(笑)。
その後、座間さんは日が暮れるまでほとんど一方的に喋り続けた。これがオタク特有の早口というやつなのだな、と僕は感心した。と同時に、僕も好きなものについて語るときはこうなっているのではないか、と魂が震えた。
本日、午前に行われた座間夏波氏との文学トークの際には、お互いに早口合戦となっていたのではないか――そのときの様子を思い出そうとしたが、幸か不幸か思い出すことはできなかった。真相は深い深い水底に沈んでいる――。
窓から差しこんだオレンジの光線が、万華鏡のような座間さんの瞳を射貫く。憑き物が落ちたように我に返った彼女は、一方的に喋り続けたことを謝罪し、お詫びに夕食をご馳走すると言った。
その申し出を僕は断った。
両親がいつ帰ってくるのかは知らないが、あまり夜遅くまで座間さん宅に居座るのはよくなかろう、と判断したわけだ。
「そう、ですか……」
一瞬、しょんぼりと寂しそうな顔を見せた。
彼女としては――夜遅くまでいてもらってもかまわない、と思っているのかもしれない。
「では、また明日――いえ、明後日ですねっ!」
玄関で僕を見送る座間さんは、一転してとても晴れやかな表情をしていた。