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スターバックスを出た二人はカップルらしく腕を組むと繁華街を南下していく。
僕も負けじと座間さんと腕を組む――とセクハラになりそうなので、一人寂しく腕を組んだ。座間さんはそわそわしながら、僕の半歩後ろをついてくる。何かあったら、僕の背に隠れるつもりなのだろうか。この僕を盾にするつもりか?
定期圏内ではあるけれど、琴中駅で下車したことはなかったので、僕はここらの地理をほとんど何も知らない。
目的地はどこなんだろう? ここら辺に何があるのか、地の利があるはずの座間さんに尋ねてみたが、「すみません。わかりません」と謝られるだけだった。きわめてインドア派の座間さんは、ここらを練り歩いたことはないらしい。
二人は本屋や服屋など繫華街の店にいくつか立ち寄ったが、それらはあくまで中継地のようで長居はせず、商品を買ったりもしなかった。さあ、本丸はどこだ?
やがて、派手な色彩のホテルが左手に現れた。なんと、このホテルは宿泊以外にも休憩することができるようだ。画期的だね。……休憩だって???
もしや、と思っていると、二人がホテルの入口へと吸い込まれていく。僕は慌ててスマートフォンを取り出し、カメラで写真を撮った。カシャ、カシャ、と音がしてしまったが、幸いそれは二人には届かず、青空の下霧散した。
僕は撮った写真を確認した。
はっきりと写ってはいるが、ホテルに入っていくところなので後ろ姿である。親しい人でないと、このカップルが誰なのかわからないだろう。誰が見ても一目瞭然の写真を撮るには、二人がコトを終え、ホテルから出てくるまで待たなければ。
ホテル前に設置されている、料金表が書かれた看板を見る。ふむふむ、レストは二時間と三時間、それとステイ。平日と休日で料金が異なるようだ。
座間さんはラブホテル前の道で、ぼんやりと突っ立ったまま、
「あ、あのぉっ……ここって、あれですよね?」
「あれ?」
「そのぉ……そういうことするホテル、ですよね?」
「そうだね、ラブホテルだね」
「そのぉ……ここに入ったってことは、二人はこれから――」
「セックス、するんだろうね」
直接的な物言いをすると、座間さんは顔を真っ赤にさせて俯いた。
これってセクハラになるのかなあ? 今のご時世、些細なことでもセクハラになりかねんからな。気をつけねば。
ラブホテルの周囲には居酒屋やパブといった飲食店が乱立しているが、高校生二人組が入れそうな店はなかった。路上で突っ立ったまま、最低二時間の張り込みをするほどの気力&気概は、僕にはない。
どこかで二時間ほど潰してから、この場所に戻ってくることにしよう。
「座間さん」
「あ、はい」
「行こうか」
目的語を排した文章に、座間さんはフクロウみたいに目を丸くさせた。
「ホ、ホホホホホテルにですかっ!?」
「いやいや、座間さんちにだよ――――あ、もしかして、ラブホ行きたかった?」
意地悪く尋ねてみると、座間さんは必死に否定した。
「いえいえ、行きたくなんかないですよっ」
「ボク、座間さんとだったら、ラブホに行ってもかまわないヨ?」
「私も――ああ、いや、駄目ですっ。そういう不純異性交遊はっ」
ん? 今、『私も』って言わなかったか? うん? 気のせいかな? 気のせいかー。
「冗談はさておき」
と、僕は言った。これを言っておかないと、真に受けるかもしれないからな。
「座間さんちって、ここから何分くらいで着くの?」
「徒歩で、ですか?」
「徒歩以外の何があるんだい?」
「ここからだと……じゅうぅぅぅ一五分くらいです」
走れば五分くらいで戻ってこれるか。あー、休憩二時間コースだといいなー。
「案内、頼んだ」
「合点承知の助」
君、そんなこと言うようなキャラだったっけ?
◇
座間さん宅は小綺麗なマンションの最上階――十階の角部屋だった。間取りは3LDK。座間さんと両親の三人で暮らしている。家族仲は良好、とは言い難いらしく――曇天のような表情をされたので、詳しく聞くのはよしておいた。
僕が聞きたいのは、そんなことじゃない。
座間さんの家族のことでも、座間さんの好みのタイプのことでも、座間さんのスリーサイズのことでもなく。
僕が聞きたいのは――彼女が他人からの助けを拒む理由だ。
どうやら、なんらかの事情があるようで、それは二人きりでないと話しにくい内容なのだとか。
出された冷たい麦茶を飲んでいると、シリアスな表情の座間さんが無言で、白い封筒を卒業証書のように差し出してきた。それには一度、開けた痕跡があった。つまり、これが座間さんが僕にあてたラブレターではない、ということがわかる。封筒の中には、写真が二枚と三つ折りの手紙が入っていた。
「こ、これは……ッ」
一枚は、座間さんが制服のシャツを脱いでいる写真。
インナー姿の座間さんが写っており、健全なる男子高校生である僕としては、どうしても胸元に目がいってしまう。意外と起伏があるんだなあ、と妙な感心をしていると、テーブルの向かいから鋭い視線が浴びせられた。
んんっ、と咳払いをしてごまかす。
もう一枚は、座間さんがスカートを脱いでいる写真。
まず、白のショーツに目がいく。それから、ショーツよりもさらに白い座間さんの太ももに目が奪われる。男の僕よりだいぶ細く、けれどもしっかりとした太ももであった。なんだか、よこしまな気持ちを抱きそうになり、そんな自分を恥じたが、写真から目を離すことはできなかった。
「あ、あんまりまじまじ見ないでくださいぃぃぃ……」
「ご、ごめん」
二枚の写真を封筒に戻すと、今度は手紙を読んだ。
『いじめのことを誰かに相談したら写真を学校中にばらまく』
そのシンプルな文言は、2Bくらいの濃さの鉛筆で書かれていた。筆跡がバレないようにか、定規を使ったようなカクカクした文体だ。差出人の名前はもちろん書かれてなかった(書いてあったらびっくりだ)。無駄を排した脅迫状である。
「なるほどね」
手紙も封筒に戻す。
もう一度、写真を見たかったが、座間さんが怒るかもなので欲望をぐっと抑えた。
「これを受け取ったから、座間さんはいじめのことを誰にも相談せず、助けを拒んだんだね?」
「……はい」
厳密に言えば、それだけではなく、座間さんのプライドが他人に助けを求めることを拒んだ、という一面もあったのだろう。
「ねえ、座間さん。この脅迫状を書いたのが誰かわかる?」
「いえ……」
座間さんは控えめに首を振った。
「六月、だったかな。ある朝、学校にきたら、下駄箱にこれが入っていたんです」
そのときのシチュエーションを、座間さんは事細かに説明した。口を挟んだりせず黙って聞きながら、あれこれ思案する。話し終えた後も、黙って神妙な顔をしている僕を見て、座間さんは不安そうに言った。
「多分、佐伯さんが書いたんだと思います」
「ああ……左利きだから?」
「え?」
「いや、なんでもない」
手紙は罫線に沿って横書きで、二行にわけて書いてある。
横書きの場合、左から右へと文字は書かれていく。左利きだと書いた文字の上を手が通過するわけで、よほど気をつけないと書いた文字が手で擦れてしまう。鉛筆が濃く筆圧が強いほど、擦れた跡がよく残る。手紙を読んだ際、文字が若干ブレていた。脅迫状の書き手が左利きであることは、ほぼ間違いないと言える。
まあ、だからどうしたって話なんだけどね。
「あの……学前くんに相談したことがバレたら、私……下着姿の写真、ばらまかれてしまうんでしょうか?」
不安そうに瞳が揺れている座間さんに、僕は言葉を吟味してから言った。
「大丈夫。そんなことをすれば、警察沙汰になるのは間違いないからね。彼女らだってそこまで馬鹿じゃないでしょ」
そう言いながらも、論理破綻してるな、と内心思った。
馬鹿じゃなかったら、いじめなどという非合理な行いをするはずはない。
馬鹿だから、いじめを行うのだ。
「そう、ですよね……うん、大丈夫だよ、きっと」
自分に言い聞かせるように呟く座間さんに、僕は一生の(うちに千回くらいはある)お願いする。
「ねえ、座間さん。もう一回、写真見てもいいかな?」
「……え」
座間さんが固まる。
私利私欲のためじゃないヨ。気になることがあるからだヨ。
「駄目?」
この聞き方は、いささかずるいかもしれない。
座間さんの性格からして、はっきりと断ることはできないだろう、という推測のもとにこんな聞き方をしたのだから。
「駄目、ではないですけど……」
渋々といった様子で二枚の下着写真を渡してくる。
脳裏に焼き付けようと、二枚の写真をガン見する僕――をガン見する座間さん。
下着姿の座間さんを見て劣情を催さないように、きわめて芸術性の高い絵画だと思おうとする。うん、無理だ。言い知れぬ何かがムラムラとわき上がってくる。僕は頭の中で素数を数え、理性を保つことに努めた。
二枚の写真は真正面からではなく、四〇度くらい斜めから撮影されている。画角的に、座間さんの右前の席から撮影したものだろう。写真の右側にはカーテン。当時も窓際の席だったようだ。机には特徴的な傷がある。確か高山の席に同じ傷があったな。高山の席は座間さんの前である。ということは、当時の席は今の一つ前か。
カメラはスマートフォンのものでほぼ間違いないだろう。あらかじめスマートフォンを設置しておき、動画もしくは遠隔操作によって撮影したものではなく、手に持って手動で隠し撮りしたものに違いない。
ふうむ、と僕は息を吐いた。
「? どうしました?」
「いや、なんでもない」
最後にもう一度、二枚の写真をガン見すると、今度こそ座間さんに返却した。