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世の中には、土曜日にも授業や補習がある高校が多々存在するらしいが、詩頓高校は週休二日制を採用しているので、土日は基本的に休みである(完全週休二日制ではないので例外はあるけれども)。
運動部に所属していると、恐ろしいことに休日出勤を命じられるらしいが、僕は帰宅部であるので、休日出勤という概念とは無縁である。座間さんが所属している文芸部に関しても、さほど熱心な部活ではないので、休日に活動することは滅多にないそうだ。
つまり、僕も座間さんも休日は空いているわけだ。
ベッドから起きながら、昨日のことを思い出す。
公園のベンチでの会話の後、僕たちは学校に舞い戻った。教室にカバンを放置したままなので、取りに戻らざるをえなかったのである。待ちぼうけをくらった三人が暴れ散らかしているところを想像して暗澹たる気持ちになったが、僕がいれば座間さんが暴力を振るわれることはまずなかろう。
小刻みに震える座間さんの手を引き、教室のドアをがらりと開けてみると、そこは無人であった。ふむ。座間さんが戻ってこないことに痺れを切らして帰ったのか、コンビニに様子を見に行ったのか――鍵がかかっていないということは、後者の可能性が高いだろうか。カバンを回収すると、僕たちは足早に学校を後にした。結局、座間さんが他人の助けを拒んだ理由は聞けずじまいであった。
自室のカーテンを開けると、雲一つない青い空が目に飛び込んできた。気温は低いけれど、お出かけ日和である。
僕はトースターに食パンを放り込むと、座間さんに『やあ、おはよう』『今日、空いてる?』とメッセージを送った。駅のホームで電車を待っているときに、連絡先を交換しておいたのだ。
現在、午前八時三〇分。既読がつくまで、しばし時間がかかると思っていたが、送信からわずか三秒で既読がつき、それからわずか七秒で『空いてます!!!』と返信がきた。
『お茶でもしませんか』
『いいですね!!!』『お茶でもしましょう!!!!!』
ビックリマーク多いなあ。テンションの高さが伝わってくる。そういや、連絡先交換したときも、ソシャゲのガチャでSSR引いたみたいに喜んでたな。あれはどういった類の喜びだったんだろう?
『どこ行きます???』
当たり前の話なんだけど、文字ではキョドったりどもったりしないんだな。
電話だと、どうなんだろう――? 通話ボタンに指が伸びるが、すんでのところで押すのをやめた。なんだか露悪的な発想のように思えたし、それに結果はわかりきっている。対面で喋るのとそう変わらないはずだ。
『座間さん、行きたい店とかある?』
そう送ると、次の返信が来るまでしばらくかかった。
僕はこんがりと焼けすぎたトーストを食べながら、インスタントのコーヒーをずずずと飲みながら、返信が来るのを気長に待った。
『スタバに行ってみたいです!』
行ってみたい、という言い回しからして、彼女はスターバックスに行ったことがないようだ。女学生というのはフラペチーノで糖分補給を行う生き物だと思っていたが、これはどうやら偏見だったようだ。
スマホで検索してみると、座間さん宅の最寄り駅付近に店舗があったので、そこに行くことにした。およそ二時間後――午前一〇時に現地集合の旨を座間さんに伝えると、スタンプがいくつか連投される。
いずれもアニメ調の美少年スタンプで、『OK』『わかったぜ』『了解』『かしこまりました』『ぶっ殺してやる!』――最後のは間違って貼っちゃったのかな。慌てたのか、誤字だらけの謝罪文が届いた。
これはいわゆるデートなのではないだろうか、と思いながら身支度を整える。
いつもより念入りにしゃかしゃか歯を磨き、ごしごし顔を洗う。寝ぐせ混じりの髪も、微妙に整えてみる。デート・デート・デート。デートの定義ってなんだろう?
デート(仮)――といっても、その目的は座間さんのハートをキャッチすることではなく、昨日聞けなかったこと――他人からの助けを拒む理由を座間さんから聞き出し、いじめに対する復讐計画を練ることにある。
『復讐する必要なんてない』と座間さんは言うかもしれないが、いくらか手荒な手段に訴え、痛い目を見ないと、彼女らは改心しないだろうし――それに復讐したほうがスカッとする。でしょう?
なんて考えていたら、いつの間にか身支度が完了していた。あら不思議。少々早いけど、家を出ることにしよう。
玄関で靴を履いていると、背後に気配を感じた。僕に霊感はないので、父か姉のどちらかだろう。振り返ると、土曜日だというのにスーツを着た父が仁王立ちしていた。大人ってやっぱ大変なんだな、と僕は思った。
普段比一・二五倍くらいお洒落な僕を見て、父は鋭角な目を細めた。
「デートか?」
「さあね」
僕は肩を竦め、ごまかした。
自分でもデートかそうじゃないのか、よくわかってないのだ。
「わかっているとは思うが、きちんと避妊はしろよ」
無表情で言われると、冗談なのか本気なのか判別に苦しむ。どちらにしても、思春期の息子に言う台詞じゃないことだけは確かだ。親子間でセクハラは成立するのだろうか、と小一秒ほど考えた。
父のことは別に嫌いってわけではないんだけど、微妙に苦手意識があったりする。大人になれば、純粋に尊敬すべき父親として見れるだろうか。
「……いってきます」
玄関ドアを開ける――『冗談だって。冗談☆』的な台詞が投げかけられるものと思っていたが、とくに返事はなかった。
◇
座間さん宅の最寄り駅――琴中駅までは自電車で行くこともできるが、定期圏内なので電車で行くことにした。土曜日朝の電車は、平日と比べると格段に空いている。二駅なので立ったまま外の景色をぼんやりと眺めていた。
琴中駅に到着し、北口から出て徒歩一分。商業ビルの一階にスターバックスがあった。店の前になんだか挙動が不審な人がいるなあ、と思っていたら座間さんだった。僕の姿を認めると、座間さんは小走りに駆け寄ってきた。
時刻は九時四五分。
約束の時間まではまだ一五分の猶予がある。座間さんはいつ来たんだろう?
「おはよう、座間さん」
「お、おはようございますっ」
休日ということで、座間さんも私服だった。クリーム色のダッフルコートに白のロングスカート。淡い水色のショルダーバッグを斜めにかけている。そして、なぜか頭には野球帽をかぶっていた。
服装について、何か感想でも述べようかしらん――『お洒落だね』『かわいいね』『似合ってるね』――悩んだ末、結局、何も言わなかった。服装を褒めるのは、もう少し親しくなってからにしようかなって。
「中で待っててくれても、よかったんだよ?」
「いえ、その……一人で入る勇気がなくって」
そんなハードル高いか、スタバって。
店内に入ると、まるで夢の国にやって来たかのように座間さんは目を輝かせた。僕は適当にコーヒーを注文し、座間さんは舌を噛みながらフラペチーノを注文した。
二人掛けのテーブル席に腰を下ろすと、座間さんは帽子を外した。帽子に描かれた鳥のキャラクターを見つめ、にへっと頬を緩める。確かにちょっとかわいいかも。ショルダーバッグの中に帽子をしまうと、スマートフォンを取り出して、フラペチーノを撮影し始めた。今時の女子高生っぽーい。
「撮ってあげようか?」
フラペチーノを手に取った座間さんを撮影する。タイトルは、そうだな……『フラペチーノと座間さん』。そのままじゃねえか。センスのなさを恥じた。
僕が撮った写真を見て、座間さんは満足そうに頷いた。
「インスタグラムとかツイッターにあげるの?」
「い、いやいやいや……そんなことしませんよ。拡散されて炎上したら大変ですから」
何がどうなったら、フラペチーノ写真が拡散されて炎上するんだ? 僕たちは違う世界を生きているのか?
ストローを吸ってフラペチーノを一口飲んだ座間さんは「う、うまいっ!」と興奮気味に感想を口にした。しかし、それ以上の食レポは出てこなかったようで、黙々とフラペチーノを胃の中へ運んでいる。
僕はコーヒーを一口飲むと、「あのさ」と切り出した。
「昨日の続きなんだけど――」
「ほ、他の味も飲んでみようかなぁ~」
やっぱり、あんまり話したくないのか、露骨に話題を逸らそうとする座間さん。
軽く一睨みすると、レジに向かおうとした座間さんはメデューサと目が合ったかのように中腰の姿勢で固まった。すとん、と尻を椅子に落とすと、
「話します――話しますけどっ、ここではちょっと……」
「人目があると話しにくい?」
「はい……」
休日のスターバックスは大いに賑わっている。僕たちと同年代と思しき学生も多い。もしかしたら、詩頓高校の生徒もいるかもしれない。デリケートな話をするにふさわしい環境とは言えないだろう。
「わかった」
ふむ、と僕は頷いた。
「じゃあ、近くの公園にでも行こうか」
「いえ、あの……よかったら、私のお家に来ませんか?」
座間さんが上目遣いに誘ってきた。もちろん、健全なお誘いではあるが、僕は思わず「えっ? なんだって?」と聞き返してしまった。『聞き返される』という行為に苦手意識があるのか、座間さんは塩をかけられたナメクジのように縮こまってしまった。
「ごめんなさい。私の家になんて行きたくないですよね?」
「いやいや、そんなことないよ」
内心、ちょっとだけ『面倒くせえな』と思いつつ、僕は首を振った。
「座間さんの家に行けるなんて、とっても嬉しいなー(棒読み)。でも、いいの? 僕なんかが訪ねちゃってさ」
「大丈夫です。両親、二人ともいないので」
それは、余計にまずいのでは?
同級生とはいえ、恋人でもない男を、(おそらくは)家族のいない自宅に招き入れるというのは――どうなんだろう? まあ、僕は(自称)紳士なので、野蛮な行為に及ぶことなどないけどさっ。
危機感に欠けているのか、僕を信用してくれているのか――何も考えてなさそうだな。
「よし、それじゃ――――ん?」
視界に異物が入り込んだような……。はて、なんだろう? 落ち着いて、店内を観察してみよう。人、人、人――の中に見覚えのあるカップルの姿が。
「……座間さん、あれ」
僕は小声で言い、そちらを指差した。
クエスチョンマークを三つほど頭の上にのっけながら、指が示す先を目で追った座間さんは――あっ、と声をあげそうになったが、小さな手で慌てて抑えこんだ。
離れた席で仲睦まじくイチャイチャしているのは、伊藤教師と佐伯学生の禁断カップルであった。
イトセンは変装のつもりか、黒縁メガネをかけている。せめて帽子を――できればマスクも――加えなければ、大した変装にはならない。誰がどう見ても、ただただ眼鏡をかけたイトセンでしかない。
佐伯はデートだからか張り切っていて、普段の倍くらい化粧が濃い。もともと濃い化粧が二倍なので、はからずも変装になっている。しかし、見る人が見れば、ただただ化粧の濃い佐伯である。
二人は彼らだけのスウィートでラヴな世界に浸っているので、外界にいる僕たちに気づくはずなどない。だが、用心に越したことはない。僕はマフラーで顔の下半分を隠し、座間さんは野球帽を目深に被り、顔を見られないようにした。
店内はお洒落なBGMと老若男女の喋り声が渾然一体となっており、また彼らの席が遠く離れていることもあって、何を話しているのかは皆目見当もつかない。どうせ、わたあめみたいに甘ったるくて薄っぺらい会話に決まっている。
……まあ、正直に言えば、気にならないこともないんだけど、残念ながら僕には人並外れた聴力も読唇術のスキルもない。視力一・五の双眸でもって、彼らを観察することくらいしかできなかった。カシャカシャ。一応、写真を撮っておく。
しばらくして、空の容器を手に二人が立ち上がる。
座間さんに目配せすると、彼女は不思議そうに首を傾げた。以心伝心、失敗。
「二人のあとを追おう」
「……? どうしてです?」
「弱みを握れるかもしれない」
弱みを握ってどうするか――そんな野暮なことは聞かないでよ?
座間さんに微笑みかけると、彼女は戸惑いながらぎこちない笑みを返してきた。
うーむ。なんにも伝わってねえな、こりゃ。