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サクサク鯖サンド

 扉を開くと、頭にねじり鉢巻きを結び、ゴムのエプロンをかけたメルヴの姿があった。


『ラッシャーイ!』

『ラッシャイ!』


 心なしか、働くメルヴたちも威勢がいいような。

 それにしても、すごい。部屋の中が養殖場のようになっていた。水に手を浸して口に含んでみると、きちんとしょっぱい。海の水だ。


「あまりのぞき込むなよ。深さは十メートル以上ある」

「そんなに深いんだ」

「おそらくだが」

「おそらく?」

「ここは、海の一部を切り取って、持ってきているような空間なのだ」

「じゃあ、これは本物の海なのね」

「そうだ。ちなみに落ちたら、海とこの部屋をつなげる術式から生じる空間に体が引き寄せられて、二度と地上に上がれなくなる」

「怖いことをさらっと言わないで」


 慌てて海面から距離を取った。背伸びをして、海中をのぞき込む。

 魚が悠々と泳いでいて、時おり銀色の体をキラリと光らせていた。


「アステリア、どのような魚を所望する?」

「あそこを泳いでいる、鯖っぽい魚」

「マクレーレだな」


 この国では、鯖を〝マクレーレ〟と呼んでいるらしい。なかなかカッコイイ名前だ。

 メルヴは自分の体長以上の長さの網を操り、鯖を獲ってくれた。

 体長五十センチほどの、立派な鯖である。もしかしなくても、メルヴより大きいだろう。

 メルヴはビチビチ暴れる鯖を、持ってきてくれる。


「えっと、棒か何か叩く物を」

「棒で何を行う?」


 メルヴが麺棒を渡してくれるのと、イクシオン殿下の質問は同時だった。

 とりあえず、ビチビチ跳ねる鯖をおとなしくさせる。麺棒を振り上げ、眉間に強力な一撃をぶち込んだ。一発で、鯖は動かなくなる。


「と、こんなふうに、魚を失神させるのに使うの」

「そ、そうだったのか」


 イクシオン殿下は明らかに引いていた。少々暴力的だったからだろう。ビチビチさせたままだったら、魚はさばきにくくなるので仕方がないのだ。

 レストランで働いていたときも、新鮮な魚が毎日届けられていた。まな板の上で跳ねる魚を、出刃包丁の背で叩く日々だった。


「アステリア、なぜ、ここで殺さない?」

「殺したら魚の体に血が巡り、雑菌が繁殖した結果、まずくなるのよ」

「ああ、なるほど。だから、調理を始める直前まで、失神させるのか」


 イクシオン殿下は頷きながら、動かなくなった魚を興味深そうに見つめている。

 そのタイミングで、脇に抱えていた靴を、海に落としてしまった。

 ポチャン、という音が聞こえる。


「あ!」

「ん?」


 海のほうを指さすと、イクシオン殿下は沈みゆく靴を目にしたのか、顔色が海色に染まっていった。

 飛び込もうとしたので、慌てて体に抱きついた。


「止めて、死ぬから!」

「兄上の大事な靴が!」

「大事な靴じゃないから!」

「どうして、決めつける!」

「私の靴だからよ!!」


 ついに、言ってしまった。イクシオン殿下は、油が切れたからくり人形のように、ギッギッギッと、ぎこちない動きで私を振り返る。


「なぜ、兄上がアステリアの靴を持っている?」

「それは――」

「まさか、兄上は舞踏会でアステリアにひと目惚れしたのか?」

「絶対にないから」

「なぜ、きっぱりと言い切れる?」

「事情があるのよ」


 どうしようか迷った。しかし、これだけ大騒ぎになってしまえば、私ひとりだけで抱えきれる問題ではないだろう。仕方がないので腹をくくり、イクシオン殿下に当時の事情を語ることに決めた。


「詳しい話をするから、イクシオン殿下、そこに座って」

「承知した」


 イクシオン殿下は、失神させた鯖の前に片膝を突く。


「実は、私は舞踏会の夜、庭で、人妻っぽい女性と仲睦まじい様子を見せるカイロス殿下を、目撃してしまったの」

「ありえない。兄上が、そんな不貞を働くはずがない」

「でも、たしかに見たわ」


 目撃したところをカイロス殿下に気づかれ、怖い顔の護衛が追ってきたので私は逃げた。そして、踵の高い靴での逃走は難しいため、池に靴を捨てたと。


「そのあと、庭師の荷車の中にもぐりこんで、ここにたどり着いたのよ」

「そうか。だから、アステリアはここに入ることができたのだな」


 ちなみに、庭師だと決めつけていた人は通いの商人で、週に一度注文していた品物を小屋に届けるために特別に出入りしているのだとか。


「あの日、アステリアと出会えたのは、リュカオンと兄上の導きだったのだな」


 そんなふうに、しみじみ言われても……。


「きっと、カイロス殿下は私がセレネ姫に不貞を告げ口したのだと、思っているのかもしれない」

「それはどうだろう? 兄上は、証拠がないことで疑う人ではない」

「だったらなぜ、私を探しているの?」

「それは……もしかしたら、〝しんでれら〟のように、アステリアを見初めた可能性が高い」

「それはないない、絶対ない」


 呼び出されて、説教されるに違いない。


「アステリアは兄上に会いたくないのか?」

「できるならば」

「わかった。このことは、黙っておこう。靴も、失くしたと主張したらいいだろう」

「尊敬するカイロス殿下に、嘘をつくの? 本当に、それが許されるの?」

「さすがの兄上でも、アステリアを取られたら困るから」


 ……だから、それはナイから。どうせ否定しても聞かないので、突っ込まないけれど。

 なぜ、ここまで気に入られたのか謎だが、イクシオン殿下に嘘をつかせるわけにはいかないだろう。


「このあと、カイロス殿下に面会に行きましょう。正直に、私ですと言うから」

「アステリア、無理はしなくてもいい」

「のぞいた私も悪いから、きっちり謝罪させていただくわ」

「でも、兄上がアステリアを望んだら、私は――」


 だからナイってば、という突っ込みをゴクンと飲み込み、なるべく優しい声で諭すように指摘した。


「お父様の結婚許可証があるのでしょう? イクシオン殿下が持っている限り、いくらカイロス殿下でも破棄はできないと思うけれど」

「そうだ。私たちには、結婚許可証があった」


 イクシオン殿下をおとなしくさせることに成功し、ホッと胸をなで下ろす。


「カイロス殿下のもとに行く前に、食事にしましょう」

「そうだったな」


 鯖を使って、昼食を用意する。

 イクシオン殿下はカイロス殿下に先触れを書くという。その間に、ちゃっちゃと作ることにした。

 料理を始めようと腕まくりしていたら、リュカオンがやってくる。


『何を作っている?』

「できてからのお楽しみ」


 そう答えるとリュカオンは追求せず、ふわふわの尻尾を振ったまま待ってくれる。

 まず、鯖を三枚おろしにしてピンセットで骨を抜いたあと、白ワインで臭み消しをする。醤油とみりんで味付けしたいけれどないので、すりおろしたショウガと牡蠣(かき)ソースを馴染ませた。

 続いて、ソースを作る。酢と砂糖、塩、生唐辛子を混ぜて煮詰めるだけ。ニンニクも入れたいところだけれど、カイロス殿下と面会するので使わないでおいた。

 とろみがついたら、なんちゃってスイートチリの完成である。

 そろそろ鯖に味が馴染んだ頃だろう。身に片栗(かたくり)粉をまぶし、油でジュワッと揚げる。キツネ色になったら、油を切ってあげるのだ。鯖の竜田揚げの完成である。

 昨日焼いたバゲットに切り目を入れ、レタスとスライスしたトマト、鯖の竜田揚げをサンドする。竜田揚げにスイートチリをかけたら、〝鯖サンド〟の完成だ。


『おお、揚げた魚を挟むとは、珍しいな。実に、おいしそうだ!』


 これはレストランの持ち帰り専用裏メニューだった。オーナーが長崎(ながさき)旅行に行った際に食べた鯖サンドがあまりにもおいしかったので、独自のアレンジを加えてレシピを完成させたらしい。

 ちなみに、本家鯖サンドにはスイートチリソースはかかっていない。長崎の新鮮な鯖は、ソースをかけなくてもおいしく仕上がっていたのだとか。

 私も一回は食べに行きたいと思っていたが、長崎に行く前に過労死してしまった。本当に、無念だ。

 長崎へ思いを馳せつつ、フルーツティーを用意する。


『アステリア、準備はできたか?』

「ええ」


 ワゴンに鯖サンドとフルーツティーを載せ、転移魔法でイクシオン殿下の私室へと飛んだ。


「うわあ!」


 またしても、イクシオン殿下を驚かせてしまう。今日は、椅子から転げ落ちることはなかったけれど。


『食事の準備ができたぞ!』

「承知した」


 イクシオン殿下の部屋にあった小さな円卓に鯖サンドを並べ、食事の時間とする。

 神々に感謝の祈りを捧げ、いただきます。

 まず、リュカオンが元気よくかぶりついた。尻尾がピンと立ったあと、すばやく左右に振り始める。


『なんだ、このサクサク衣に包まれた魚は! 油という大海を泳ぎ、黄金の(うろこ)をまとって王者となったようだ! うまいぞ!』


 牡蠣ソースで代用した竜田揚げだったが、案外いい感じに味がついていた。醤油とみりんがなくても、なんとかなるのだ。

 イクシオン殿下はナイフとフォークで上品に食べていた。頷きながら、感想を言ってくれる。


「マクレーレにこのような調理法があるとはな。ソースも、ピリッとした中にほんのりと甘みを感じて、よいアクセントとなっている」


 私も鯖サンドにかぶりつく。衣はサックサクで、鯖は脂が乗っている。スイートチリソースの辛みが利いていて、どんどん食べたくなるおいしさだ。


「そういえば、兄上も私の部屋で育てた魚を食べたいと言っていた。アステリア、兄上の分も、マクレーレのサンドを作ってもらえるか?」

「私の料理でいいの?」

「アステリアの料理がよいのだ。頼む」

「わかったわ」


 メルヴが運んでくれた鯖をさばき、再び鯖サンドを作る。護衛の人たちもいると想定し、多めに作っておいた。カゴに詰めていたら、リュカオンが尻尾を振って期待に満ちた目を向けていた。もしかして、まだ食べたいのか。


「リュカオンの分は、こっちに取っておくから」

『感謝する!』


 なんだか全身油ぽくなっているので、一回お風呂に入ってからカイロス殿下との面会に挑んだ。

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