王子のおかえり
十日後、イクシオン殿下が宮殿に戻ってきた。
私は父との話し合いの結果を聞くため、走って出迎えに行く。
「イクシオン殿下、お帰りなさい」
「ただいま戻った」
「ずっと、待っていたのよ」
「そうか」
イクシオン殿下は口元に手を当て、私から顔を逸らす。
「あの、どうかしたの?」
「いや、そのように、歓迎されるとは思っていなかったものだから」
どうやら、照れていたようだ。
歓迎なんてしていないから。ただ単に父との話を、聞きたかっただけで。
「迎える者がいるのは、悪いものではないな」
その気持ちは――わからなくもない。社会人になってからひとり暮らしを始めたのだが、誰もいない家に帰るのはなんと味気ないことか。
仕事が忙しくて、猫や犬なんて飼えなかったし。寂しい前世だった。
イクシオン殿下も同じように、リュカオン以外傍に置いていなかったのだろう。
いや、リュカオンがいるから、私はいらないのではないか。そう思ったが、リュカオンはイクシオン殿下の出迎えなんぞしないのだろう。
それはそうと、父はなんと答えたのか。イクシオン殿下の腕を引いて居間まで連れて行き、詳しい話を聞く。
「それで、父はなんて言ったの?」
「結婚は許せないと」
心の中で、「よっしゃ!」とガッツポーズを取る。予想通り、父はイクシオン殿下と私の結婚を、きっぱり断ってくれた。さすがだ。実家に帰ったら、肩叩きでもしてあげよう。
「それに対し私は、許可してくれなければ、ここから出て行かないと返した」
対するイクシオン殿下も強力だ。さすが、ダイヤモンドより頭の固い男である。
「父はなんて答えたの?」
「とても、王家の嫁に出せるような娘ではないとキッパリ」
十六年間生きてきて、初めて父をカッコイイ、しびれると思った。その調子で、イクシオン殿下をこてんぱんにしてほしい。
「そこから三時間くらい、帰っていただきたい、いや、帰らんの応酬をしていた」
「お父様……!」
考えていた以上に、父はイクシオン殿下に対して大奮闘をしていたようだ。勲章ものの大活躍だろう。
頑張った父に、心の中で勲章を贈る。
「最終的に平伏して頼んだら、アステリアを嫁に出すと、しぶしぶ頷いてくれた」
「何をしてくれたの!?」
王族が臣下である貴族に頭を下げるなんて、あってはならないことだ。
それなのに、このポンコツ王子は父相手に土下座したと。
「頭が痛くなるわ」
「奇遇だな。私も、アストライヤー卿の頭の固さに、頭痛を覚えた」
「違うわよ。あなたの奇想天外な行動に、頭が痛くなったの」
こめかみを揉んでいたら、イクシオン殿下は懐から一枚の紙を取り出す。
折りたたまれていたものが開かれた瞬間、「ああ」という絶望の溜息がでてしまった。
それは、父が書いた結婚許可証だった。
「そんな訳で、私たちの結婚は許可された」
すぐに破いて捨てようと思ったが、イクシオン殿下が回収して懐にしまうほうが早かった。
「あなた、私みたいなのと結婚して、後悔するわよ」
「私の人生に、後悔の二文字はない」
カッコよく言ったが、「うるせー」と口悪く返したくなった。
「それはそうと、私の不在中に、別の問題が生じているらしい」
「もしかして、ハルピュイア公爵家から抗議が!?」
「なぜ、ハルピュイア公爵家から抗議がくる。先日勝手にハルピュイア公爵家の娘が宮殿内に入ってきたと耳にしたから、こちら側から抗議しておいた」
「なんてことを!」
楽しい料理対決だったのに、抗議するなんて。二度と来てくれなくなるではないか。
「なぜ、入場を許したのだ。ここは、私の聖域なのに」
「いや、私に拒む権利はないといいますか、なんといいますか」
「あるだろう。そなたは、私の婚約者なのだから」
「そんなことを言われましても」
私もイクシオン殿下に抗議しようとしたが、真剣な面持ちで王家の問題を語り始めてしまった。
「実は、兄とセレネ姫の婚約が破談となってしまったのだ」
「へー、それはそれは思いがけない事態にって……ええーっ!?」
兄というのは、王太子カイロス殿下だろう。可憐な姫君との婚約が決まって、祝福ムードに包まれていたのに、なぜ突然婚約が破談となったのか。
「婚約破棄の申し出は、セレネ姫のほうからだったらしい。兄上の気持ちが、セレネ姫ではなく、ほかの女のほうを向いていると」
「うわあ……」
女の勘だろうか。カイロス殿下がほかの女性にうつつを抜かしていることに気づき、あえて身を引いたのか。それとも、浮気と判断したのか。わからないけれど大問題だろう。
「社交界は大騒ぎになっているようだ」
「それはそうでしょうね。結婚が決まっていた王太子の婚約者の座が、急に空いたのだから」
浮気相手は夜会の晩に密会していた、人妻っぽい三十前後の女性だろう。
カイロス殿下は騒ぎを反省し、おとなしくしていると思いきや、とんでもないムーブをかましていた。なんと、浮気相手の女性が落としたらしい靴を拾い、持ち主を探しているらしい。
まさか、身元のわからない女性と関係を持とうとしていたなんて……。
「兄上が庭で拾った靴の持ち主を探しているものだから、我が我がと、女性たちが押しかけているらしい」
「それ、なんてシンデレラ?」
「なんだ、〝しんでれら〟とは?」
「魔法使いの力で姫君に変身した平民が、王子と恋に落ちたけれど、魔法が解ける時間になって王子の前から名前も名乗らずに逃げてしまったの。それで、王子は靴が合う女性を国中から探し、ふたりは出会ってめでたし、めでたし、みたいな物語よ」
この世界にも、似たような恋物語があった。ガラスの靴ではなく、どんなステップでも踏める魔法の靴だったけれど。
「なるほど。その物語と同じだと思った者たちが、押しかけているわけなのか」
「だと推測するわ」
「兄は、その女性を見つけて、何をするつもりなのか」
「あなたは運命の女性です。結婚してください、と申し込みたいのでは?」
「池の中に落ちていた靴の持ち主と?」
「ぶはっ!!」
飲んでいたお茶をすべて噴き出してしまった。メルヴたちがすぐにテテテーとやってきて、口やドレスを丁寧に拭いてくれる。や、優しい……。
カイロス殿下の不貞の場を目撃し、見つかってしまった挙げ句、逃走の邪魔になるからと踵の高い靴を池に投げ捨てたのは、紛れもなく私だ。
カイロス殿下は、私がセレネ姫に不貞の秘密をしゃべったのだと思っているのかもしれない。誤解だ。私は、あの濃密な場面について、誰にも話していなかった。
「アステリア、大丈夫か?」
「え、ええ……」
先ほど、マーライオンのように紅茶を噴き出したのに、お咎めなしだった。それどころか、心配までしてくれる。
イクシオン殿下はかなり大きな器を持つ、心優しい男なのだろう。
それはそうと、カイロス殿下は靴の持ち主を探し出し、セレネ姫との婚約が破談になってしまったと抗議するつもりなのかもしれない。
絶対に、私だとバレてはいけないだろう。恐ろしいにもほどがある。
「それで、兄上から調査を頼まれてしまい」
「ええっ……」
イクシオン殿下の手によって、テーブルの上に私が履いていた靴がそっと置かれた。
「な、なんで、ここに!?」
「靴はふたつあるからと、片方押しつけられた」
どこからどう見ても、私の靴だ。馬車に乗るときの踏み台の角にぶつけた傷までも、たしかに存在する。
「あ、あの、イクシオン殿下、靴は、テーブルに載せないほうがいいかと」
「今はそのようなことを気にしている場合ではない」
そうは言っても、気になるものは気になるのだ。心の安寧のためにも、即座に下ろしてほしいものだ。
イクシオン殿下はあろうことか靴を手に取り、じっと眺める。
「靴の持ち主の女、足が小さいな。こんなに小さくて、きちんと歩けるのか」
――大丈夫です。それを履いて、全力疾走していたので。
なんて、答えられる訳がなく。
「兄ではないが、私もこの靴の持ち主と会ってみたくなった。妖精のように、小柄な女性なのだろうな」
――今、目の前におりますが。なんて言える訳もなく。
大変なことになってしまった。どうして、王都にやってきてから私の周りではトラブルばかり起きてしまうのか。
はーと深い溜息をつき、これからについて質問する。
「それで、今からその靴の持ち主を探しに行くの?」
「いや、魔道解析器に靴をかける」
「魔道、解析器?」
「そうだ。わずかに残る魔力残滓から、持ち主の特徴を読み取り、おおよその人物像を絞り出す、私の発明の傑作のひとつである」
「へー……え!?」
異世界のDNA鑑定やー! なんて、驚いている場合ではない。
なんて品物を所持しているのか。さーっと、血の気が引いていった。なんとかして、止めなければ。
「あの、イクシオン殿下!」
「なんだ?」
私がイクシオン殿下を止められる術といったら、ひとつしかない。料理だ。
「お腹、空いていない?」
「言われてみたら、空いているな」
「何か、作りましょうか?」
「そうだな。では、魚料理でも作ってもらおうか」
「ええ。わかったわ」
「養殖場に魚を捕りに行こう」
どうやら、養殖場も宮殿内に作っているらしい。すべての部屋を見て回ったわけではないので、まだまだ知らない施設があるのだろう。
「部屋は、メルヴに案内してもらったか?」
「もちろん。驚いたわ。畑や田んぼ、家畜小屋に草原まであるんだもの」
「どれも、自慢の魔道具だ。製品化はできないがな」
「今までの発明品の中で、製品化できた魔道具はあるの?」
「ない。私の魔道具は便利だと誰もが申してくれるが、材料費が高いので需要はないと言われてしまった。父やアイオーン兄上は、私の発明はなんの役にも立たないと批判したが、カイロス兄上だけは、よくやっていると認めてくれた。発明した魔道具はいつか、実用化させたいとも」
「そう、だったのね」
いつも励ましてくれたカイロス殿下が困っているので、イクシオン殿下は助けになりたいようだった。
「そういえば、もうひとりのお兄様はどんなお方なの?」
「アイオーン兄上は……」
話し始めた瞬間、イクシオン殿下の顔色が悪くなる。
「とても、恐ろしい人だ。いつも、私を見ると、引きこもるな、働けと叱る」
「そ、そうなのね」
神職に就き、教会の頂点に立つお方だが、パーティーなどの華やかな場には出てくる機会はほぼないらしい。その代わり、教会の儀式の日は、かなりの高確率でお目にかかることができるのだとか。
「いつもいつも、呪いのように〝王族の務めを果たせ〟と説教する」
「なるほど」
カイロス殿下とアイオーン殿下は、イクシオン殿下に正反対の接し方をしているようだ。
「アイオーン兄上は、私が好きではないから、怒ってばかりなんだ」
「それは違うわ。何も思っていない相手に、注意や忠告なんてしないから」
「そうなのか?」
「そうなのよ。誰かに意見することは、とても疲れるから。わざわざ好きでもない相手に、するはずないもの」
これは前世で、すごく厳しかったスーシェフの指導を、あとからあれは愛だったのだと気づいたことがあったから言えるのだ。
前世の記憶や経験があるから分かることを、イクシオン殿下に伝えた。
「厳しくするのも、愛なの」
「知らなかった」
イクシオン殿下の兄君は、飴役と鞭役をきれいに使い分けているのだろう。
それは、弟を深く愛しているからなのだ。
イクシオン殿下は移動する間、カイロス殿下より託された靴を、赤子を胸に寄せるように抱きしめて歩く。
「あの、その靴、持ち歩く必要があるの?」
「盗まれたら困るからな」
全国の女性を熱狂させている靴なので、心配なのだろうか。
「イクシオン殿下、私が持とうか?」
「これは、私が兄上から預かった靴だ。手放すわけにはいかない」
どうやら、イクシオン殿下はカイロス殿下大好きっ子のようだ。靴が私の物ではなかったら、微笑ましく思っていただろう。
「珍しく、兄上が私を頼ってきたから、かならず、この靴の持ち主を見つけなければならない」
「……そうね」
そんな話をしているうちに、魚の養殖を行っている部屋にたどり着く。