嵐を巻き起こすご令嬢
今、私は泥だらけで、ジャガイモで何を作ろうかということしか頭にない。
エレクトラと話をする気など、さらさらなかった。
けれど、会わなかったら反感を買ってしまうだろう。いや、もう、かなりの反感を買っていると思うが。
「あー、わかった。じゃあ、庭にご案内して」
宮廷内に上げないほうがいいだろう。
数分後、メルヴが戻ってきて、エレクトラが庭で待機しているという報告を受けた。
『オ客サンニ、オ茶、ダス?』
「粗茶でいいわ。粗茶で。いいえ、粗茶も必要ないわね。面倒くさいから、このままで会うわ」
私は半ば、ヤケクソな気分で、泥だらけのままエレクトラと面会を決意する。
「どういうことですの?」
「同じ言葉をお返ししますが」
ジャガイモを持ち、泥だらけの私を見たエレクトラは、ゴミに向けるような視線をぶつけてくる。
「エレクトラ嬢、何用で? この通り、私はジャガイモ関連で忙しいのですが」
「何って、あなたがなぜ、聖獣の乙女に選ばれた上に、イクシオン殿下の婚約者となったのか、事情を伺いにまいりましたのよ」
まるで、私が悪いことをしたみたいに言ってくれる。
「なぜって、選ばれたのは、アストライヤー家のアステリアでした、みたいな?」
「訳がわかりませんわ! わたくしが聞きたいのは、そういうことではありませんの!」
「えーっと、もっとわかりやすく説明してくれますか? 私、あんまり頭よくなくて」
エレクトラは顔を真っ赤に染め、拳を握りわなわなと震えていた。
わかりやすいほど、怒っていたのだ。
「あなたみたいな芋娘は、イクシオン殿下にふさわしくないと、言っていますの! 大金を積んで、得た地位ではありませんの?」
「ああ、ジャガイモを持っているから、芋娘だと」
「そういう意味ではありません。その芋のように、汚いものにまみれて、洗練されていなくて、無駄に大量にあるありふれた存在だと指摘したのです」
「なるほど!」
「なるほどではありませんわ」
手に持っていた扇を投げられてしまったが、白い毛玉がたたき落としてくれる。
何かと思ったら、リュカオンだった。いつの間にか、自分だけ土を落としてきれいになっている。
「きゃあ! この子犬は、なんですの!?」
昨晩、お披露目したばかりの聖獣リュカオンですが。
成獣と幼獣姿はあまりにもかけ離れているので、同一獣だと思えないのだろう。
「えーっと、こちらの子犬は、イクシオン殿下の飼っている、しゃべる犬です」
嘘は言っていない、嘘は。
いろいろ突っ込まれるかと心配していたが、エレクトラは素直に信じてしまった。
「イクシオン殿下の……? そ、そうですの」
たたき落とした扇を踏みつけた状態で、リュカオンは振り返る。キリッとした表情で、私たちに宣言した。
『ひとりの男を争って、物理的な喧嘩をするでない、見苦しい』
イクシオン殿下がいたら、「私のために、喧嘩するな!」と仲裁することもできたが、あいにく不在だ。実に惜しいタイミングで出かけたものである。
ふたりの女性が自分をかけて争うなど、胸が熱くなるような展開だっただろう。
って、私は別に、イクシオン殿下を手にするつもりはないけれど。
『喧嘩をするならば、料理にしろ。もっともおいしい料理を作った者を、勝者とする』
「な、なんですの、それは!?」
『女の戦いだ』
いきなり、ルールを語り始める。
『我は、イクシオンに寵愛されし存在である。勝利者を妃にしてほしいと訴えれば、イクシオンは頷くほかないだろう』
「本当ですの?」
『我は、嘘をつかない』
エレクトラは私のほうも見る。これは本当だと、頷いておいた。
『そうだな。テーマは、スープとしよう。調理時間の制限を設け、その時間内で作ったおいしいスープを我に食べさせた者を勝利者とし、イクシオンの妃として推すことを約束しよう』
エレクトラは料理人ではないので、実家から料理人を連れてきていいというルールを定める。ただし、エレクトラ自身もスープ作りに参加することを取り決めた。
『アステリア、この勝負は、お主にとっても旨味があるものだろう?』
「それは……まあ、そうね」
リュカオンがハルピュイア公爵家のスープを気に入ったら、イクシオン殿下の婚約者の座を譲ることができる。
『もちろん、受けるだろう?』
「ええ」
プロの料理人と勝負できるなんて、ドキドキしていた。こんな機会など、めったにない。
双方が納得できる、いい勝負を考えてくれたものだ。さすが、自称最強聖獣である。
調理時間は五時間。とっておきのスープを準備して、再びこの場で会うこととなった。
リュカオンは、私の調理を見ていたら食べたくなって公平な判断ができないため、しばし寝ると宣言していなくなった。
ころんと転がって、もちもちのお腹を上下させながら眠り始める。
ひとり、厨房に立つ。
どんなスープを作ろうか。厨房の食材を確認しつつ、考える。
腕組みしながら物思いに耽っていたら、廊下からメルヴたちの叫び声が聞こえた。
『ソッチニ、行ッタヨ~~!!』
『ワア~~!!』
何事だろうか。廊下のほうへ顔をのぞかせると――巨大ウサギがこちらへ走ってきていたのだ。
中型犬くらいの大きさだろうか。ウサギにしては、大きすぎる。
「うわっ!」
ウサギはぴゅうと、風のように走り去る。どうやら、家畜小屋から脱走したウサギらしい。
巨大ウサギの走ったあとを、てぽてぽとメルヴたちが追いかけていた。一生懸命駆けているようだけれど、あのスピードではいつまで経っても追いつかないだろう。
「メルヴ、私に任せて!!」
『アリガト~~!』
全力疾走で、巨大ウサギのあとを追う。
王太子付きの騎士から逃げ切ったこの俊足を、知らしめる日がきたようだ。
コーナーもバランスを崩さず曲がり、風を切りながら追いかける。
幸い、行き止まりに追い詰めることができた。
あとは、メルヴたちがツルで捕獲してくれる。
『ワ~イ!』
『アリガトウネ~!』
「いえいえ。ところで、このウサギは、どうして脱走したの?」
『今カラ、解体シヨウト思ッテ』
『オ肉ニ、スルノ!』
「そ、そうだったのね」
命の危機を感じて、逃げ出したらしい。定期的に家畜を解体し、冷凍保存しているようだ。家畜の肉も、一部だけイクシオン殿下の分として取り置き、残りは寄付しているとのこと。
「あ、そうだ。夕食用に、ほんのちょっとでいいからウサギ肉をもらえる?」
『イイヨ~』
『今カラ解体スルネ』
厨房に戻って三十分後に、メルヴたちはウサギ肉を持ってきてくれた。
『オ待タセ!』
『ウサギ肉ダヨ!』
「ありがとう」
ウサギ肉を受け取った瞬間、スープの着想が思い浮かぶ。
「よし、じゃあ、ウサギ肉とさっき収穫したジャガイモを使って、スープパイを作ろう!」
それは、前世で勤めていたレストランでも、人気のメニューだった。スープパイ目的で、やってくるお客さんも多かったくらいだ。
まず、鍋に鳥ガラ、ウサギ肉の赤身、ジャガイモ、タマネギやニンジン、キノコなどの野菜を丸ごと入れ、しばし煮込む。
続いて、パイ生地に取りかかった。小麦粉に牛乳、溶かしバターを加え、なめらかになるまで練っていく。
まとまった生地を伸ばし、バターを練り込んで折りたたんでさらに伸ばす。そんなことを何度か繰り返す。
途中、布に包んで一時間ほど休ませる。その間、煮込んだ野菜のあく抜きをしたり、スープパイを作る深皿を選んだりと忙しい。
煮込んでいた鍋の材料がくたくたになったら一度漉す。そして、残った煮汁の中に、ひき肉と卵白、それからすったジャガイモ、ニンジン、タマネギを混ぜたものを入れた。すると、煮汁のあくを卵白がどんどん吸い込んでくれるのだ。
さらに漉して、ぐつぐつ煮込む。液体が澄んできたら、ウサギ肉のスープの完成だ。
深皿に、琥珀色のスープを注ぐ。具は、あえて何も入れない。パイ生地を被せて焼くことにより、スープの旨味をさらに濃縮させるのだ。
パイ生地に卵黄をたっぷり塗り、温めた窯で焼く。
ふっくら膨らんでいく様子は、飽きずにいつまでも見ていられる。
実においしそうな、スープパイが完成した。
五時間の調理時間は、あっという間に過ぎていく。
◇◇◇
どっぷりと日が沈んだイクシオン殿下の庭に、魔石灯を設置し、会場を明るく照らす。
エレクトラは腰に手を当て、自信ありげな様子で立っていた。背後には、細長いコック帽を被った料理人ふたりを従えている。きっと、最高のスープを作ってきたに違いない。
私も、全力を尽くしてスープを完成させた。自慢の一杯が、今、目の前にある。
『さて、今から試食をしようか』
ちなみに、どちらがどちらのスープを作ったか、明かさずに食べてもらう。そして、おいしいほうを、選んでもらうのだ。
庭にテーブルが置かれ、ドーム状の蓋が被されている。
『では、こちらからいただこう』
メルヴが、指し示されたほうの蓋を開く。
出てきたのは――牛テールのスープだった。さっそく、リュカオンはスープを飲む。
『こ、これは!』
メルヴが工夫した点を読み上げる。
なんとこのスープは、牛を一頭まるごと煮込んだスープらしい。そんなの、極上のスープに仕上がるに決まっている。
『肉も、夢のように柔らかいぞ! 舌が、とろける!』
エレクトラは、極上のスープを用意させたようだ。
まさか、たった五時間でここまでのスープを仕上げるなんて。
悔しくて、ぎゅっと奥歯を噛みしめる。
『ふむ。では、もうひとつのスープを食べようか』
できるかぎりの力を込めた。手抜きは、いっさいしていない。渾身の、パイ包みスープを堪能してもらいたい。
工夫した点を、メルヴに読んでもらう。
『エーット、スベテノ〝オイシイ〟ヲ、スープニ詰メコミマシタ。ゴ賞味アレ!』
『ふむ。なるほどな』
メルヴが蓋を開く。パイがこんがりと焼けたスープが出てきた。
『おお、パイで蓋をしているスープか。珍しいな』
くんくんと匂いをかいだあと、肉球でパイ生地を崩す。
『ホロホロと崩れる。中のスープは……む、具がないな』
そのままでは食べにくいので、メルヴがスプーンに掬って食べさせてくれるようだ。
まずは、スープだけを掬う。
『むうっ!?』
リュカオンの目が、カッと見開いた。
『濃い! なんだ、この濃さは! 世界の天と地が交ざり合った、至福の一杯であるぞ!』
どういうことなのかと、ハルピュイア公爵家陣営は不思議そうな顔をしている。
スープには大空を舞うホロホロ鳥のガラと、豊かな大地で育ったウサギ肉や野菜の旨味が濃縮している。だから、あのような表現をしたのだろう。
『サクサクパイとの相性も、すばらしい。生地のバターの風味が、スープの味わいを濃厚なものにしてくれる!』
それからリュカオンは、尻尾を振りながら無言でスープを飲みきった。
『ふう。もう、勝敗は決まったぞ』
リュカオンはエレクトラと私を交互に見る。口の端をわずかに上げながら、勝利した方のスープの名を口にした。
『勝者のスープは、パイ包みスープだ!』
エレクトラは膝から頽れる。それを、慌てた様子で侍女が支えていた。
私のスープが、ハルピュイア公爵家の料理人に勝ったのだ。嬉しくて、その場で飛び跳ねてしまう。
「やったー!」
『やはり、お主のスープだったか』
「ええ!」
『おいしかった』
「そう言ってくれたら、頑張って作った甲斐があったわ」
審査結果に納得いかないエレクトラが、説明を求める。
「どうして、ハルピュイア公爵家伝統のスープは負けてしまいましたの?」
『ただ、料理を作るだけではダメなのだ』
「どういう、意味?」
「お主らのスープには、野心、野望、下心など、人の黒い感情が溶け込んでいた。それが、舌触りを悪くしていたようだ」
「そ、そんなの……!」
『我がおいしいと感じるのは、気持ちの部分が多い』
私のスープには、ただただ〝おいしく食べてほしい〟、〝スープを食べて、元気になってほしい〟などと、食べる人を想う気持ちしか溶け込んでなかったとリュカオンは評価してくれる。
『気持ちがこもっている料理は、ことさらおいしく感じる。もちろん、味も重要視していたが』
この説明でも、エレクトラは納得いかなかったようだ。生まれたての子鹿のように立ち上がり、私をキッとにらみながら叫ぶ。
「でも、ハルピュイア公爵家の五百年の歴史と共に作り続けられていた伝統のスープが、素人が作った浅いスープに負けるなんて――!」
『たしかに、スープのコク、深みだけであれば、牛テールのスープのほうが勝っていた』
「だったら!」
『しかし、このスープは、五時間では作れないだろう?』
エレクトラは背後の料理人を振り返る。誰も、目を合わせようとしない。
「あなたたち、本当ですの? これは、作り置きしていたスープでしたの?」
責任者らしき料理人が、苦渋の表情で頷いた。
『当たり前だ。牛一頭使ったスープを、たった五時間で作れる訳がなかろうに』
「なんてことを!」
料理に込められた感情を抜きにしても、ハルピュイア公爵家陣営は負けていたのだ。
エレクトラは顔を真っ赤にして叫ぶ。
「アステリア・ラ・アストライヤー! 覚えていなさい!」
まるで物語の悪役のような捨て台詞を残し、エレクトラは走って逃げていった。
『嵐が去ったな』
「本当に」
なんだか疲れたけれど、久しぶりに気合いが入った料理をしたので、楽しかった。
やっぱり私は料理が大好きなんだなと、改めて気づいた。
イクシオン殿下は『人は何度生まれ変わろうが、きっと性根は変わらない』と言っていたが、正にその通りなのだろう。
『お主が婚約者の座を守ってくれたおかげで、平穏が戻ってきたぞ』
「あー!」
『どうした?』
「こ、この勝負でわざと負けていたら、私、イクシオン殿下との婚約を破棄できたのに!」
『気づいていなかったのか?』
「うう……!」
だって、漫画みたいに料理バトルする展開なんて、現実世界ではあることではないし。ついつい、燃えてしまったのだ。
「再戦! 再戦を、希望するわ!」
『ハルピュイア公爵家の料理人の鼻先をへし折ったのだ。再戦など、するわけがないだろうが』
「そ、そんな~~!」
『それに、勝負をしたとしても、イクシオンが認めないだろうな』
「え、そうなの?」
『そうだとも。あれは頭が固い。ダイヤモンドより固いだろう。自分がこうすると決めた物事は、誰が何と言おうと変える男ではない』
「だったら私との結婚も、無理矢理進めるってことじゃない?」
『まあ、そうだな』
父がなんとかしてくれるだろうと信じていたが、もしかしたら押し負けるかもしれない。
いいや、頭の固さならば、父も負けていない。きっと、イクシオン殿下にも勝る固さだろう。
どうか、お金の力で華麗に解決してほしい。切に願う。
『そういえばイクシオンだが、お主の実家に直接赴いているそうだぞ?』
「ええ、そんなバカな!」
書簡でのやりとりをするとばかり思っていたのに、わざわざ馬車で三日もかかるアストライヤー家の領地まで行っているなんて。
「ちょっと出かけてくるって、アストライヤー家の領地だったの?」
『みたいだな』
イクシオン殿下との直接対決だなんて。顔が見えない手紙ならまだしも、顔を突き合わせた状態では、きっぱり断るのも至難の業だろう。
今からイクシオン殿下と面会する、実家の父親が心配だ。
『これで、イクシオンのお主との結婚に対する本気度が、よ~くわかっただろう?』
「ううっ……!」
どうしてこうなったのだと、頭を抱えてしまった。(※一日ぶり、二回目の叫び)